一般社団法人つむぎや代表の友廣裕一さんは、3年前からアジア各国の若手デザイナーと東北地方の事業者が出会い、深いコミュニケーションからデザインを提案するプログラム「DOOR to ASIA(http://door-to.asia/)」を始めました。海外展開に興味を持っている事業者が、6次産業のビジネスを展開する上で参考にしたい考え方を聞きました。
人のくすぶっているエネルギーをつなぐ
僕は、東日本大震災で被災した牡鹿半島(宮城県)の漁村に暮らすお母さんたちによる手仕事ブランド「OCICA(オシカ)(http://www.ocica.jp)」や、酒米の種から日本酒ができあがるまでの過程を通して人と人をつなげる「農家がつくる日本酒プロジェクト(http://noukanosake.strikingly.com/)」などを手がけてきた一般社団法人の代表をしています。
大学を卒業してから、日本全国の農山漁村を旅しました。ご飯をご馳走になりながら、いろんな地域で話を聞いて回ったんですね。東京に帰ってきた後、墨田区にいる都会の人々と農家を結びつける「すみだ青空市ヤッチャバ」という下町版のファーマーズマーケットを始めた頃に東日本大震災が起きました。
たまたまNPOの人たちに声をかけてもらい、3月17日に現地入りしました。避難所にいるマイノリティの人たちがどう困っているか把握するプロジェクトで活動しながら、状況に応じて支援物資や炊き出し、ボランディアをつなぐ活動をしていました。その頃から「次のフェーズで何ができるか」と考えるようになったのです。
そんな時、牡鹿半島の漁協の方と話していたら「女性たちがやることがなく、何かやりたいと言っている」と。そこでミサンガをつくるのが趣味だというお母さんたちと漁網の補修糸を使ったミサンガを制作し始めたのが2011年5月頃。その後、別の浜では獣害駆除をした後に使い道がなかった鹿角と、漁網の補修糸を組み合わせて「OCICA」というアクセリーのプロジェクトを始めました。そのタイミングで数名の仲間と立ち上げた僕たちの法人が「つむぎや」です。
つむぎやの活動では、震災後に自分たちが求められることを1つ1つ形にしました。「地域に眠る資源に手を添えて形にし、それを差し出す人、受け取る人、双方の人生がより豊かになるような仕事をつくりたい」という思いで取り組んでいます。
資源というのは物理的な資源の他にも、人的な資源があると思っています。人のエネルギーがくすぶっている状態をつなぎ合わせると、差し出す人も幸せになる。OCICAではつくる人も幸せになる状態を目指しました。
消費者が幸せになるために、つくり手の人生を犠牲にするわけではなく、みんなが健やかに力を出し合えるような状況をつくる。まず、お母さんたちが何かをやりたいというニーズがあり、僕らも何かを一緒に形にしたいと貢献したいと思っていた、というのがスタートです。お店の人たちも被災地の人たちに対して何か関わりたいと思っていたし、デザイナーもやっぱり何か関わりたかった。
無理のない範囲で力を出し合えば、それぞれが健やかにいられると思うんです。最初にOCICAを手がけたお母さんたちは、牡蠣の養殖業が復活したり、お父さんの漁船が出るようになったりして卒業していきましたが、規模を小さく変えて6年続いています。
埋もれた資源を活かせないか?
被災した地域の状況は、年月とともに変わっていきました。復興工事の関係者に向けて、牡鹿半島の先端にある鮎川浜のお母さんたちが開いた「ぼっぽら食堂」は、法人もつくって経営も順調でしたが、2016年末に終了しました。お店のある区域が元々かさ上げの対象に入っていたのに加えて、それぞれの家族が本業である漁業に戻れるようになったからです。
それと同時に、次は「おしか番屋」という施設を海際の漁港区域につくりました。これまで流通させることができずに廃棄されていたような食材を加工品にできないかという試みです。
この番屋には共同のキッチンがあって、漁協の漁師のお母さんたちが個人事業主としてお金を払って借りるんです。家がワカメ漁師だったら、従来は捨てていたワカメの茎などを加工して佃煮をつくったり、鮭の漁師さんだったら鮭フレークをつくったり。何人かで作業をするから、仕事も生まれる。加工場の許可を取っているので、ここでつくれば外でも売れるんですね。
これまで市場に出せなかった資源を使い、自分たちの家の利益が上がっていく仕組みです。1次産業の漁師さんの家が加工して売るところまでやるから、まさに小商いの6次産業です。通常の6次産業だと売り場を持っている人が、川下から入ってきて生産に入っていくパターンが多いと思うのですが、反対側から入っていくのは珍しいのではないでしょうか。まだまだ活用はこれからですが。
生産者が「もったいない」と思いながら使えていない資源を活かすのは、6次産業では重要なアイデアです。他にも、人的な資源というものがあります。例えば、どこかの地域にいるおばあちゃん。魚を捌くのがとても上手いのだけど、それが仕事になるわけではないから、普段はボーッと夕焼けの景色を眺めているようなお年寄りが実は多いんです。
そんな方々が、自分の持っている力を使えて、さらにつくったものを食べた人が美味しいと言ってくれる。お金が生まれるのはもちろん、このおばあちゃんにとってお金以上のやりがいとか、自分が求められている実感が持てるのは大きなことだと思います。
こうした仕事があまり生まれてこなかったのは、おそらく最小限の人数で効率的に捌いて、機械で加工して出荷するという6次産業化が主流だったのも一因だと思います。加工業としての2次産業から1次産業に入ってくる流れでは、利益率を上げることが目的なので、当然と言えば当然です。
もちろんそういう取り組みもあっていいのですが、僕たちが目指したいのは規模は小さくとも、モノや人、地域に埋もれたエネルギーがちゃんと循環するような産業なんです。
(撮影協力:東向島珈琲店)
一般社団法人つむぎや 代表理事
友廣 裕一さん
1984年 大阪生まれ。早稲田大学卒業後に「ムラアカリをゆく」と題して、日本全国70以上の農山漁村を訪ねる旅へ。各地の家庭に身を寄せ、農林水産・酪農畜産等の現場を手伝ってゆくなかで、人が生かされる仕事や暮らしについて考えを深める。その後は、地域の暮らしや文化に触れる各種ツアーや、生産者と都市部の消費者をつなぐ青空市などを企画。2011年の東日本大震災以降は宮城県石巻市で、牡鹿半島の漁家の女性たちと、手仕事から始める新たな生業づくりの事業「OCICA」などを立ち上げた。2015年から始めた「DOOR to ASIA」は3回目。
人的交流をビジネスに発展させる
2015年の春、国際交流基金の担当者と3泊4日かけて宮城から岩手までを回り、漁師や農家、工場などの事業者にインタビューしました。その頃、食品系の事業者が工場を再建したタイミングでしたが、震災前に比べ売上はかなり落ちていました。工場生産を復活させて以前の取引先のところに行っても、スーパーなどは棚が空いていた期間に他の産地の代替品がすでに入っている。4年も経ったら代替品にもお客さんが付くし、そこから切り替えるのは難しかったのです。
東北は震災前から人口が減って売上がジリジリ下がっていたから、海外、特に人口や所得が伸びているアジアへ販路を模索しないといけないという話は仲間内でもしていたそうです。でも、どうやったらいいかわからない。助成金や補助金が出たらコンサルタントを雇って、マーケティングリサーチして、というプロセスしか考えられないという声がありました。
それなら、僕たちはまったく違うやり方をしてみようと考えました。それが「DOOR to ASIA」というデザイナー交流プログラムです。アジアへの扉を開く関係性をつくろうとする試みで、今年で3回目を迎えました。アジアの各国から1人ずつプロのデザイナーがやってきて、まずは事業者のところに3日間滞在します。
一緒に仕事して、ご飯を食べて、寝泊りして。仕事の現場でも、プライベートでも、たっぷり会話を重ねます。そのうち事業者の課題も見えてくるし、本音も聞ける。貴重な滞在経験を与えてもらったから、今度はデザイナーが「返したい」と思うんですね。その人やその会社のために自分がどういうことができるか。そのエネルギーでデザインができ上がってきます。
後半の3日間でデザインを制作していくのですが、この限られた時間の中で相手の心に響くコンセプトをつくる力は、やっぱりデザイナーの強みですね。デザイナーというのは、クライアントのことも分析しながら、同時に市場のことも分析している職能です。彼らは仮説と仮説をつなぐような仕事が普段から多いんですね。
そのためにしつこいくらい質問を投げかける。「大切にしたいと思っていることはなんですか?」「じゃあ、伸ばしていきたいのはどこ?」という具合に。聞かれる側の事業者は、自分が10年、20年とやっていくうちに大切なことが見えづらくなってモヤモヤとしていた課題が、外側からの力で整理されてくる様子が見て取れます。
海外進出の鍵は、仲間を持てるかどうか
東北の沿岸部を選んだのは、人口が減少している地方の状況、そして自然災害からの復興のプロセスという、アジアの共通課題である2点について、デザイナーがどのように関われるかというラーニングプログラムという位置付けがあるからです。こうした観点でアジアのデザイナーたちに声をかけています。
被災した事業者の経験に耳を傾け、そこから立ち上がって来た人たちのストーリーも聞いた上で、彼らに対してどう貢献できるのかを考えられるデザイナーが多いです。過去の伝統や地域の文化をしっかり捉え直し、この先の未来へつなぐという提案が多かったのも、その結果だと思います。
普通のクライアントワークだと、どうしても目の前のパッケージを格好良くするようなところまでで終わってしまいます。でも「もっと先の未来」へつながる提案をする場合、ただ顕在化しているニーズに応えるのではなく、「この会社はこうあってほしい」という願いが勇気になる。感情面での結びつきを重視しているのは、そのためです。
さまざまなところで見受けられる6次産業で一番の課題は、しかるべき人とつながっていない状況です。事業者さんが “独り相撲” になっていき、関係性が閉じてしまうことがあるのでは。本当は同じ地域にもっとつながったらいい人がいるはずなんですが、気づいたらどんどん内向きになっていくというケースが起こっていると思います。
もし、DOOR to ASIAのようなプログラムが仕組みになっていれば、まったくのよそ者が来て、客観的に課題を指摘できる。その結果、新しいアイデアがポンと生まれたりすることもあると思うんですね。
ホームステイによって事業者のことを当事者性を持って理解したうえで「彼らの商品を自分の国の人たちや家族に届けるとしたら、どういうものにしたいか」を自分ごととして考える。醤油なら日本の醤油として売るのがいいのか、現地の発酵調味料として売った方がいいのか。自分の中にある経験から提案につないでいきます。
このように地域の人たちのことをちゃんと理解して共感してくれる仲間、同じ目線で協力してくれる仲間がたった一人でも現地にいれば、いつか6次産業者が海外へ進出しようとした時にも、すごく勇気になるのではと思います。
一般社団法人つむぎや 代表理事
友廣 裕一さん
1984年 大阪生まれ。早稲田大学卒業後に「ムラアカリをゆく」と題して、日本全国70以上の農山漁村を訪ねる旅へ。各地の家庭に身を寄せ、農林水産・酪農畜産等の現場を手伝ってゆくなかで、人が生かされる仕事や暮らしについて考えを深める。その後は、地域の暮らしや文化に触れる各種ツアーや、生産者と都市部の消費者をつなぐ青空市などを企画。2011年の東日本大震災以降は宮城県石巻市で、牡鹿半島の漁家の女性たちと、手仕事から始める新たな生業づくりの事業「OCICA」などを立ち上げた。2015年から始めた「DOOR to ASIA」は3回目。