漆はロック!? 伝統産業と向き合う仕事
(株)くらしさ 長谷川 浩史&梨紗
2019/01/07 (月) - 12:00

「漆とロック株式会社」を営む貝沼航さんは、会津漆器においてオリジナルブランドの企画・販売や産地を訪ねるツアーなどを運営。作り手と使い手を繋ぐ存在として、「僕の役目は漆器を実際に作ること以外の全て」と話しますが、実は社会人になるまで漆器とは無縁だったそう。どのように漆器と出合いそれを仕事にするに至ったのか? 貝沼さんの伝統産業との向き合い方について聞きました。

偶然だった伝統産業との出合い

福島県福島市出身の貝沼さんは、高校までを地元で過ごし、上京して桜美林大学の国際学部に進学しました。高校生の時に読んだ沢木耕太郎の『深夜特急』や遠藤周作の『深い河』がきっかけでインドが好きになり、大学時代は日本とインドの学生の国際交流活動に勤しんだといいます。

「大学時代は毎年インドに行って現地の学生との交流プログラムを開催していました。70年代洋楽ロックのコピーバンドでギターも弾いていて、勢い余って大学には5年通いましたね。みんなと同じ波には乗りたくなくて就職活動はしませんでしたが、起業に興味があったので、そのノウハウを学べる会社に入りました」

サムネイル

そんな貝沼さんが最初に入社したのが、会津若松市でベンチャー企業の支援をしているコンサルティング会社でした。特に人材募集はしていなかったのですが、ホームページを見たり人から噂を聞いたりしてなんとなく面白そうだと感じ、その会社にメールを送ってみたら、トントン拍子で就職することになったそうです。こうして企業支援の仕事を始めることになった貝沼さんでしたが、ひょんなことから伝統産業と出合うことになります。

「会津若松は城下町で、伝統文化が強く残っている土地です。ある時、地元の伝統工芸を海外に売り出すプロジェクトを手伝って欲しいという相談が会社に舞い込みました。もともと美術館巡りが趣味で、工芸やアートには関心があったのでぜひこのプロジェクトに関わりたいと申し出ました」

貝沼さんは希望が叶ってプロジェクトに参加することに。海外デザイナーを招いて、ヨーロッパ市場向けに商品を見直して、国際見本市に出展するというものでした。

「初めてものづくりの現場を訪れて職人さんと触れ合って、工芸品がその土地で作られる必然性を感じたりしました。すごく面白くてこの仕事を続けたいと思ったのですが、もともと1年間のプロジェクトだったのでそのまま契約は終了しました」

この頃にはすっかり会津という土地にも魅了されていた貝沼さん。
「このまま会津で工芸に関わる仕事を続けたいと思ったんですが、そういうことを専門でやっている会社は地域になかったんですね。ないなら自分で作るしかないと起業することにしました」

成功と失敗の後に見えた、真のミッション

25歳での起業後、徐々に“地域の人”と認識されていった貝沼さんの元には、行政から「地域おこし」関連の仕事依頼も増えていきました。当初、事務系のスタッフと2人でスタートした会社も4年経つ頃には5人に拡大。観光調査事業や若手のデザイナーと職人のマッチングなど、同時にいろいろなプロジェクトを請け負うようになったそう。さらに2011年の東日本大震災の後には、復興支援の仕事も多く入るように。

一見うまく進んでいるように見えた貝沼さんでしたが、拡大の一方で全ての仕事を把握できずにパンクしてしまいました。

「それまで上手く事が運びすぎていたのか、正直調子に乗っていたのだと思います。仕事を処理しきれず、経営もぐちゃぐちゃになってしまって、地域の人からの信頼もなくしてしまいました。自分のミッションが何か見えなくなっていて、一度全てをリセットしたくて2012年にはスタッフも解散して1人になりました」

サムネイル

実はこの頃、会津を離れるという選択も脳裏を掠めていたと話す貝沼さん。それでも踏みとどまったのにはある出来事がありました。

「ボロボロになって今後何をしていこうかと考えていた時に、漆器の職人さんたちが泊りがけで温泉に連れて行ってくれて、お風呂でいろいろ語り合ったんです。直接励ましの言葉があった訳ではなくって、いろんな雑談の中で、それとなく背中を押してくれたんですよね。笑い話もしながら。その時に、なんだか自分の原点を思い出した気がして、やっぱり僕はそもそも“よそ者”だった自分を迎え入れてくれて一から育ててくれたこの人たちのために仕事をしたいんだと思いました」

それから貝沼さんはもう一度最初からやり直そうと、一年ほど漆や漆器にもう一度深く向き合う時間を作ったといいます。

「漆器の原料であるウルシの木を育てる活動にも参加するようになったり、職人さんたちの工房にも何度も足を運び、漆器づくりについても学び直したりしました。改めて理解していくと漆器の見え方がそれまでとはガラッと変わりました。漆器はすべてが木の恵みから生まれるもの。縄文時代から続いている自然と共生してきた日本人のルーツに繋がるものです」

サムネイル

漆の液が採れるようになるまで15年かかるウルシの木を育てる活動で汗を流しているうちに、自然の恵みをいただくことの苦労や尊さを実感したといいます。そして同時に、漆や漆器と出会い直すプロセスの中で、ある種“救われた”気持ちになったと話します。

「漆器づくりは素材や道具から考えると、世代を超えて長い時間をかけて作られていきます。たとえば器の素地になる木地なんかは長いものだと数十年自然乾燥させてから使うんですね。ある職人さんの工房でその木地の荒型を作っている様子を見せてもらった時、『これは俺が使うんじゃなくて、俺の息子が将来使う分なんだ』と教えてもらいました。漆器はお直ししながら世代を超えて使えるものですが、作る方も世代を超えて作るんだなって知って、なんだか漆の時間軸の長さに、目の前の悩みが吹き飛んでいくのを感じました」

サムネイル

そうして貝沼さんはそれまでの反省点から、「ミッションを絞って明確にすること」「自分が主体者になれるビジネスをすること」という2点を軸に、新たな展開を考えていったと振り返ります。そして、なにかと価値の測り方が近視眼的になりがちな今の時代にこそ、手間ひまをかけて生まれる“漆器”と、その原料である“漆”の持つ世界観について伝えていきたいと心に決めました。

サムネイル

会津ならではの、漆の産地ツアー

ミッションが決まったところで、次に事業内容。
「これから漆器の市場を広げていく上で何が必要なんだろう、改めてそう考えました。そこで過去のとある事業報告書を引っ張り出してみました。それは一般の方900人に漆器に関する需要調査を実施した時のレポートでした。それを読み返すと大事なことが書いてありました。回答した方のうち8割の人が人生で漆器を買ったことがありませんでした。そして、その理由は『値段が高そう・取扱が面倒そう・良さがわからない』という理由が多数で、そもそも漆器というものが“謎なもの”になってしまっていると感じました。謎なものにお金を出すはずがない。本当に必要なのは“漆器とは何なのか”そして“そこにどんな価値が隠されているのか”それをきちんと伝え直していくことなのではないかと思いました」

サムネイル

そこで、貝沼さんはまずはツアー事業から着手しました。自身が職人さんの姿を見て惚れた漆器。自分と同じ体験をしてもらい、まずは漆器や漆について知ってもらいたいと、漆器の工房や漆の植栽地へ参加者を連れていく「テマヒマうつわ旅」を企画しました。

「テマヒマうつわ旅」はニッチながらも、ターゲットとなる人に口コミで届きはじめ、2013年の開始時からこれまでに80回以上開催されています。

サムネイル サムネイル

ツアー参加者からは「驚きと感動の連続。自然と共に暮らしてきた本来の日本人の姿を、漆器を通じて見た気がしました」や「まるでいい映画を見た後のような余韻。作られる様子を見たら、純粋に漆器が欲しいと思いました」、「作り手の方々とお会いしてお話ししていると、溢れる情熱と愛情を一つひとつの器に注いでいることが感じられて胸が熱くなりました」、「漆は、日本が誇るべき文化だと再認識しました」というような感想が寄せられ、一般の方の漆器に対する印象をガラッと変えて、作り手のコアなファンを増やすことに繋がっているといいます。

“触覚のデザイン”の漆器、「めぐる」

次に貝沼さんが手掛けたのが、自社商品の企画です。

貝沼さん自身が改めて漆器の本質を探していた頃のこと、ある運命的な出会いをします。それは暗闇の中で対等な対話の場を作る体験プログラム「ダイアログ・インザ・ダーク」代表の志村真介さん・季世恵さんでした。

その活動に共感した貝沼さんは志村さんたちに会津に来てもらい、コラボレーションイベントを開催。漆器工房にも案内しました。そして志村さんたちからは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」でアテンド(暗闇の案内人)として活躍している視覚障がい者の方たちが持つ触覚の特別な感性について教えてもらい、協働で商品開発をしてみないかと提案を受けました。

そこから数年、貝沼さんはその構想の実現のためにコンセプトを練り、必要な準備や関係づくりを進め、ついに商品開発に着手しました。漆器本来の良さである心地よい手触りや口当たりの良さを追求するため、アテンドたちに手触りや持ち心地、口当たりなどをアドバイスしてもらいながら、それを会津の職人たちがかたちにする。1年間の試作と改良を重ね、“触覚のデザイン”の漆器「めぐる」は生み出されました。

サムネイル サムネイル

ウルシの木は育つまでに約15年かかり、1本の木から一生で採れる漆はわずか牛乳瓶1本分ほど。そんなかけがえのない素材を使って約10カ月の歳月をかけて作られる「めぐる」は、使う人の人生にも長く寄り添う器です。

サムネイル

「漆器に興味を持ってくれた人に『最初にこれを買ったら間違いない!』と胸を張って勧められる漆器ができました。国産のトチノキの素地にしっかりした下地をして、上塗りには上質な国産漆を用いています。漆器は使っていく毎に艶と透明感が増していき、また修理を重ねることで代々巡って使っていただけます。『めぐる』は4人の職人さんに作っていただいていますが、彼らは若手の職人を育てている人たちです。使い手に育てられた器が修理を必要とする頃には、若手の職人さんが育っている。そんな産地の循環にもつながる器なんです」

サムネイル

2015年に「めぐる」の販売をスタートして、貝沼さんは2016年には社名を「漆とロック株式会社」に変更しましたが、この“ロック”とは、時代に流されずに信念を貫く精神のこと。

「漆器の作り手たちは目先の利益を超えて、先人やルーツを大事にし、次の世代にまでバトンタッチすることを考えて長い時間軸の中で仕事をしています。大量生産・大量消費の時代でもゆるがないのがロック。それを今の時代に伝えていきたいですね」

“ぽっと出”の強みを活かした働き方を

この「めぐる」は自社のネットショップを中心に販売していますが、広げ方は地道。各地で「めぐる」を使った食事会と漆器についての入門講座がセットになったイベントを開催し、実際に手に取ってもらって良さを伝える活動をしています。

サムネイル

そんな貝沼さんに、現在の働き方について伺いました。

「起業した当初は会社には社員がいないといけないとか、事務所がないといけないとか、事業とはこうあるべきだということに自分自身が縛られていました。今は会社としては1人で仕事をしていますが、要所要所で地域内外の必要な人に手伝ってもらって、組織の枠を超えてチームでプロジェクトを進めています。仕事は社内だけで完結する必要はないということを実感しています。目的や本質さえきちんと見据えていれば、仕事の仕方はもっと自由でいいんだと思います。今はいろんな意味でそれができるようになっているし、これまでの常識や固定概念にとらわれずに働き暮らす人が求められているように思います」

また、今後の自分自身の方向性については、「会津を中心にしながら、漆器の素材や道具の課題を全国で解決していきたいですね。枯渇している国産漆や木材、道具などの課題は、今はもう産地で争っている場合じゃない。産地だけにいる人じゃない、家業も関係ない“ぽっと出”だからこそできる全国を繋ぐ動きをしながら、漆や漆器の良さを全国で広げていきたいと思っています」と語ってくれました。

サムネイル

漆という縄文時代から続く素材に目を向け、それを生業にして生きていこうと決めた貝沼さん。決してすぐに効果や成果が目に見える仕事ではありませんが、一度失敗を経験したからこそ、貝沼さんは漆器に、そしてその産地である地域にも長く寄り添っていくことでしょう。

サムネイル

貝沼 航(かいぬま わたる)さん

1980年、福島県福島市生まれ。大学卒業後に会津若松市に移住。漆器づくりの現場に魅せられ、2005年、伝統工芸の作り手を応援する会社「明天」を設立。2013年から「テマヒマうつわ旅」をスタート。2015年、世代を超えて受け継ぐことをテーマにした新しい会津漆器「めぐる」を販売開始。同年グッドデザイン賞、ウッドデザイン賞・審査委員長賞を受賞。2016年に社名を「漆とロック」に変更。作り手と使い手を繋ぎながら、「地球のリズムで暮らすうつわ、漆器」の豊かな世界を広めるべく活動中。
・漆器「めぐる」:http://meguru-urushi.com/
・テマヒマうつわ旅:http://tematrip.com/
・漆とロック株式会社:http://urushirocks.com/

Glocal Mission Jobsこの記事に関連する地方求人

同じカテゴリーの記事

同じエリアの記事

気になるエリアの記事を検索