時間とお金に縛られないストレスフリーなパラレルワーク
浅賀 桃子
2018/01/25 (木) - 08:00

ニートからの起業を経て、現在では15もの事業を展開。年間120日海外旅行に出かけるほど、時間とお金に縛られないパラレルワークを実践中の株式会社BENTATSU代表取締役社長、斉川幸弘氏にインタビュー。現在複業を検討されている方へのアドバイスもいただいています。

大学時代~起業までの道のり

新潟県上越市出身で、大学入学とともに上京しました。
大学時代は高級外車ディーラーでアルバイトをしていました。主な担当業務は洗車・納品でしたが、納品にあたり高級車を運転する際に浴びる沿道からの視線は今でも忘れられません。「高級車に乗って海沿いをドライブしたい」という思いが強くなり、28歳までに4000万円貯めるという目標を立てました。

就職活動では、刺激的なディーラーアルバイトとは裏腹に警視庁の試験を受けました。親の勧めもあったのですが、「パトカーを運転してみたい」という思いや、映画化もされている「踊る大捜査線」シリーズが好きだった、といったところから興味があったことが理由です。見事合格したのですが、警視庁では先述の「28歳までに4000万の貯金」はどうしても厳しい。そして、職として確かに安定はしているけれど、“安定こそリスク”ではないかとも思ったことから、内定を辞退することに。

民間企業含めすべての内定を辞退した結果、大学卒業後はニートに。新潟に帰省し実家でしばらく過ごしていましたがその生活も当然長くは続けられず、再び上京。就職活動をしながらお弁当屋さんでのアルバイトを始めました。働きながら気づいた改善点を自然に考え提案しているうちに、1カ月後には店長を任されるまでになりました。早朝から深夜まで働き、過酷ながら濃い経験をしたなと思います。

このお弁当屋を8カ月で辞めることになりました。社員寮に住んでいたため、辞める=家なき子に(笑)。そこで友人の家に転がり込み、お弁当販売ポータルサイトをつくり起業することに。会社の住所はわずか2畳ほどの友人宅のロフトでした。

廃業から会社員、そして二度目の起業

当時の貯金は20万円ほど。まさになけなしのお金をつぎ込んで始めた事業でしたが、結果食べていくだけの収入がまったく得られず、3カ月で廃業しました。

廃業後は、お弁当屋さんの縁でスカウトされた会社に創業メンバーとして入り、インターネットマーケティングを担当していました。会社員として頑張っていたのですが、しばらくすると再び起業したい思いが強くなりました。25歳を迎えてすぐ退社し、ほどなく二度目の起業をしました。それが現在の会社、株式会社BENTATSUです。

BENTATSUでは、今15の事業を運営しています。一例をあげると、

・飲食店コンサルティング事業
・サロン向け美容商材卸事業
・Web制作コンサルティング事業
・オリジナルデコケーキ通販サイト事業
・ブライダルだるま通販サイト事業
・会社設立代行、書類申請事業

などがあります。お弁当屋さん出身ですので、お弁当やケータリングのポータルサイト運営はもちろん主な事業です。ただ、やはり変化が激しい時代ですから、1つの事業だけでは不安じゃないですか。そこから、多事業展開という現在の「パラレルワーク」スタイルにつながっています。

パラレルワークの第一歩のために

現在私は、年間120日海外旅行に行きながらこれらの多事業を展開しています。120日も海外旅行に行くなんて、普通のサラリーマンじゃ難しいですよね。そのための仕組みづくりをした結果、まさに時間とお金に縛られない働き方を実現でき、ストレスフリーといっても過言ではありません。
このような働き方を私は「スーパーパラレルワーク」と呼んでいます。数多く事業をやっているので「スーパー」なパラレルワークですよね(笑)。ゆくゆくはより多くの人に、このパラレルワークを実践していってほしいと考えています。

パラレルワークをやったことがない人が第一歩を踏み出すためには、まずはフリーマーケットでも何でもいい、1円でもいいので自分で稼ぐことからスタートするとよいと思います。そういう経験を積んでいくうちに、興味や収益性の高いものに集約していけばよいのです。

私自身も、二度目の起業をした25歳のころは約25の事業をやっていましたが、今では15事業に落ち着いています。儲かるからどうか? などという新事業提案の話は確かにいろいろ来るのですが、ただ増やせばいいというわけではないです。新しく事業をやるかどうかの判断基準は「自分にストレスがかかるか」。ストレスになるかどうか天秤にかけながら、関わり方を決めています。

怖いのは、足りないものが何かわからないから

読者のなかには、今会社員で将来起業を考えているけれど不安もあって怖い、という方もいらっしゃるかと思います。この「怖い」というのは、何かしら足りないものがあって、それが何かがわからないからなのだと思います。その克服のためには「行動」が必要です。

まず、考えられるリスクは紙に書いて、リスクヘッジをしていくこと。たとえば、インターネット関連であれば初期投資は少なく済むけれど、飲食の実店舗運営であれば初期投資が高いといったこともありますよね。
私自身も一度目の起業のとき、駅から遠い立地の住宅街でデリバリーランチをやって見事に失敗した経験があります。月商3万円でしたから。この失敗した理由を考えてみると、住宅街でのランチ時間帯に人がいなかったということがあげられます。日中働きに出ていますからね。そのあたりを考えずに始めてしまったなと今にして思います。

そして、良い人脈をつくっていくこともすごく大切です。 私が人脈形成のために参加した異業種交流会などで、これまで支払った費用は500~600万円になるでしょう。参加費は1回500円から5万円くらいまでまちまちですが、いろいろ参加してみて感じたのは「参加者の質は参加費に比例する」ということ。
さらに、出会いの「費用対効果」を考える必要があります。参加費5000円払って50人と出会えれば単純計算で1人100円ですが、「5人しか出会えませんでした」であれば1人1000円になるわけですよね。
いずれにしても、「肌感」が大事です。実際に参加し雰囲気を体感していく。個人的には、5000円~1万円くらいのビジネス交流会がおすすめです。ただし、どんな人が来ているのか、どんな人に会いたいのかということを事前にリサーチしておきましょう。

故郷への思いと今後の展開

私は新潟県上越市出身で、今東京に住んでビジネスをしているわけですが、地方との情報格差を強く感じています。地方はそもそも情報が入ってこない。テレビで入ってきた情報がすべて正しいと鵜呑みにしてしまうようなところを感じます。東京であればテレビ以外にも情報源はたくさんありますし、テレビより前にその情報を知ることも少なくありません。また「安定こそすべて、失敗を恐れる」といった地域性もあるかもしれません。

故郷をもっと盛り上げたいという思いは常にもっています。2012年には上越市での町おこしイベント「街コン」を初プロジュースしました。東京と違い集客は苦労しましたが、婚活に限らない人と人との出会いの場を提供し、地域活性化に一役買えた嬉しさがありました。これからももっと故郷が元気になるような恩返しができればと思っています。

パラレルワークは本来、年齢や立場を問わずできる働き方だと考えています。働くストレスなどとよく耳にしますが、だからこそ楽しみながら仕事をする、ストレスフリーで複数の収入を得られるための仕組みづくり=「スーパーパラレルワーク」を、もっと広げていきたいと願っています。

斉川幸弘さん

1986年生まれ。新潟県上越市出身。日本大学経済学部卒業。警視庁に内定をもらっていたが辞退し、ニートに。お弁当屋さんを経て24歳で独立するも3カ月で廃業。その後一念発起、二度目の起業で株式会社BENTATSUを設立。現在は約15の事業を展開しながら年間120日海外旅行に行くなど、ストレスフリーの「スーパーパラレルワーク」を実践。
株式会社BENTATSUホームページ

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