宮城県石巻市雄勝町。森と海と生き物たちの豊かな自然に囲まれた小さな町に、都会から、世界から多くの人が足を運ぶとっておきの場所があります。ここはMORIUMIUS。かつてN.Yと東京、大都市の仕事人だった元ビジネスパーソンが3.11をきっかけに地域と出会い実現した、これからの生きるを育む、学び舎です。
50年後、過酷な環境で生きる子どもたちへ
これからの時代を生きる子どもたちこそ、自然とともに生きるということが、すごく重要じゃないかなという感覚が自分の中にあるんです。4月なのに雪が降るなど日本でも四季が感じられなくなってきて、世界中で自然災害が増えています。一方で、なんでも手に入るけれど、食材もモノも本当にいいものは手に入りにくくなっている。50年後、今の子どもたちが40代、50代になって社会を引っぱる頃には、状況はより過酷になっているはずです。そういう時代を生きる子どもこそ、日本の豊かな暮らしやすい自然環境にいっとき身をおくことは、とても大事だと思うのです。
もともとは日本人の暮らし自体がサステナブルで、自然とともに生きることを体現していました。それを取りもどすことは地域のためにもなると考え、豊かな自然環境の中で生きることを子どもたちが体感する場がMORIUMIUSです。かつてあった雄勝の人たちの暮らし方を掘り起こしているともいえます。
雄勝は養殖漁業が盛んな町ですが、漁師さんと作った海のプログラムが人気です。ホタテや牡蠣がどう育てられているか、作業を手伝いながらじかに触れることはもちろん、それを育てている漁師さんの人となりや、自然環境の豊かさも感じてもらえます。漁師さんからすると、ふだん自分たちの職場に子どもを受け入れることはあまりないので、目の前で自分たちが育てた貝を食べて喜んでくれるのが単純にうれしい。子どもとはいえ消費者でもあるので、自分たちが作ったものの価値がよく見えて、誰のために仕事をしているのか、モチベーションにもなっていくんですね。
続かなければ、まったく意味がない
MORIUMIUSは公益法人として活動しているので、子どもたちの教育や、震災によって被害を受けた町をなんとかする公益事業を行っています。ですので、続かなければまったく意味がありません。漁師や語り部と一緒にプログラムを実施し、施設で提供する食材は地元で仕入れ、リネン類のクリーニング、ゴミ回収も地元の会社に委託しています。儲けるのではなく、収入を得れば得るほど地域にも循環していくのです。すでに自力での運営に近づいてきていて、事業収入の約3分の1は、地元に流れています。2017年度は100%を達成することが目標です。
そんなMORIUMIUSでは、多様な人の循環も生まれつつあります。集まる子どもをはじめ、世界各国からの学生インターンやアーティストたち、日本中の企業の方が集まり、長くいる人もいれば、家族で数日滞在する人もいる。そこで、様々な立場の人が出会い、住民とともにいろいろな関わり方をもつことで、町が賑わっていくってのが理想です。ふだんは違う環境に生きる人が来ると、僕らも雄勝の良さを彼らから学ぶし、住民も刺激を受けるので、この循環はとても大事なことだと思います。
“今日に辿りついた君の努力をリスペクトする”
僕自身は小学校までアメリカのバークレーで暮らしました。当時の僕は、めちゃくちゃわんぱくで、家に帰るのがいやでいやでしょうがない位、外を走り回っているような子でした。“走り続けたら死ぬのかな?”と考えながら、どこまで走り続けたらほんとに肉体がダウンするのか真剣に考えてみたり。負けん気も強かったです。学校にはいろいろな人種の子たちがいたので、スポーツや勉強で、明らかに勝てない瞬間に直面することが多く、悔しいとか負けたくない、がんばろう、という気持ちがすごく湧いてきました。今でも、リスクを恐れず、すぐにやってしまうのは、そのころの経験がいきているんだと思います。
中高は日本の学校でテニスに明け暮れ、アメリカの大学の音楽学部に進学しました。卒業後、ニューヨークのスタジオで音響エンジニアとして働き、日本のテレビ局に転職します。20代半ばから7年間プロダクション・コーディネーターとして、主にスポーツを担当し、いろいろな番組制作に関わりました。ちょっとしたことが大失敗につながる環境で、細かな気配りや配慮が鍛えられた職場でした。
当時一番学んだのは、努力は裏切らないということです。一度、ポール・マッカートニーのメッセージ収録を行ったときのことでした。僕は、“今日はよろしくお願いします、お会いできて光栄です”とふつうの挨拶をしました。すると彼は、“いや君こそ多分すごい努力をしてここまで辿りついたから今日僕とのこの時間があるので、そういう君の努力を僕はリスペクトするよ”とサラリと言ったのです。驚きました。テレビ局という巨大な組織のおかげではもちろんあるのですが、確かに何もしなくてそこに行ける人はいないし、自分なりに何年か仕事をしながら一生懸命やったのかなと思えた瞬間で、とてもありがたい経験でした。
9.11を境に消えた、アメリカへの執着
そんな日々の中で突然起きたのが9.11でした。僕もすぐ報道の手伝いに回り、取材もしました。その日はマンハッタンから避難勧告が出たので、橋を渡り島外へ避難する市民に同行取材したり、その後もグランド・ゼロが見える近隣のマンションを借り上げて毎朝日本に中継を流したりということを数ヶ月していましたね。まるで映画の世界のような現実を目の当たりにし、明日がなくなるということ、本当に1日1日を大事にしなくてはということを考えさせられました。
自分はそれまで、アメリカにい続けたくて、そのためにはどうしたらよいかで人生を選択してきたのが、9.11を境に、アメリカへの執着が消えていったのです。もともと、アメリカにいればいるほど感じていた、外国人という肩身の狭さ、不安や居心地の悪さが、テロという象徴的な出来事によって自分の中で大きくなっていきました。そんな考え方のシフトを経て、2004年、日本に帰国することを決めたのです。
帰国後、キッザニアを日本に導入しようとしていた創業者の住谷栄之質氏と出会い、会社を起こすところから2つのキッザニアを立ち上げる経験をさせていただきました。また何か、ワクワクしながらゼロから作ることをやってみたいなと考えていた矢先、東日本大震災が起き、雄勝町や現在のMORIUMIUSにつながっていきます。
広がっているところよりも閉じているところに、これからの可能性
自然は人間が作っていない社会で、それがすごくおもしろい。雄勝では、人間が急いでもついてこない、逆らえない自然のリズムを感じます。そこでは無理に物事を進める必要はなく、逆にその時間をどう有意義に使おうかと、発想がシフトするんです。制約があったほうが人は成長すると思うのですが、まさに自然環境はそういう制約だらけの世界なので、忍耐力がつくというか、キャパシティが広がる気はしていています。
僕らはこれまで欧米に憧れ育てられたものがすごく大きいですが、あらためて足下を見直す時期にあると思います。アジア中に東京のような都市がどんどんできていく中で、今後も自然との接点はどんどん失われていくでしょう。日本の里山や、僕らがいる里海に夏休みになると行きたいと思うような子が、アジア中、世界中に生まれる日も、遠くないはずです。それが日本のブランドになり、日本が世界に教えてゆく時代が間もなく来る気がしますし、自分がこれから取り組んでいきたいことでもあります。
これからはむしろ、広がっていくところよりも、閉じているところへ行く方が、可能性があると思いますね。
油井 元太郎さん
公益社団法人MORIUMIUS理事/フィールドディレクター。幼少期をアメリカで過ごす。大学で音響工学を学んだ後、ニューヨークのスタジオで音響エンジニア、テレビ局のプロダクション・コーディネーターとして働き9.11の報道にも携わる。2004年よりキッザニアの立ち上げに参加し、キッザニア東京、キッザニア甲子園を開業。東日本大震災直後から、盟友の立花貴とともに宮城県石巻市雄勝町で復興事業のプロデュースに携わり、2015年、複合体験施設・MORIUMIUSをオープン。1975年生まれ。「子どもの頃の夢は大工」。