「せっかくこの年齢までがんばってきたのに、今の職場ではこれまでの経験がいかせない・・・」。日々そんなむなしさを感じている40代、50代も多いのではないだろうか?西山秀作さん(54歳)も少し前まではそんなベテラン社員の1人だった。だが西山さんは新たな活躍の場を求めて、長年勤めてきた大手企業を離れ、香川県への転職を決断。社長のパートナーとして、小さな実力派企業の改革に奮闘する日々が始まっている。
相次ぐ異動に、「自分は何屋なんだろう?」
西山さんの朝は早い。
5時に起床し、5時半には車で自宅を出る。向かう先は会社ではない。香川県三木町にある総合運動公園だ。森の香りをたっぷりと含んだおいしい空気を味わいながら、讃岐百景の1つ・山大寺池のほとりをゆっくりとジョギング。汗をかいたウェアを車内で着替え、会社へと向かうのが、転職してからの日課だ。
「こちらに来てから車ばかりになったんで、すぐに太ってきたんですよ(笑)。だから走り始めたんです。神奈川にいた頃は、電車通勤でした。あっちの電車はとんでもなく混雑するので、6時には家を出るようにしていましたね」
今回お話を伺った西山 秀作さん
西山さんは香川県善導寺市の出身。東京の大学を出た後、大手電機メーカーに就職し、27年間神奈川県で勤務していた。
職場は、工場の生産技術部門。なかでもCAD/CAMを使ったプラスチックの成形技術を専門とし、パソコンなどの筐体の開発に手腕をふるっていた。3Dプリンターが世に出る前の開発に携わったこともある。
最終的には、7名ほどの部下を持つ課長職に昇進できた。しかし、「会社の主流からは外れている」と自覚していたともいう。
「課長を12年もやっていましたからね。その上に上がる場合は、普通、45歳くらいで声がかかるんですが、私にはそれがなかったので…。それでも、仕事の中身が自分のやりたいことなら、そのまま会社に残ってもよかったんです。でも後半は、仕事にもやりがいを見出せなくなっていました」
40代の中頃からはジョブローテーションが頻繁に行われるようになった。生産技術以外の部署への異動を経験。上司も数年おきに変わり、そのたびに部署の方針も変わった。
「そのうちに、自分は何屋なんだろう?と感じ始めましてね。しかも入社がバブル世代なものですから、同年代もだぶついていたんです。いつかは地元の香川に帰りたいという気持ちもありましたし、これからの人生を考えて、会社が推進していたセカンドキャリアのためのプログラムに手を挙げたんです」
それが50歳のとき。事実上の退職だった。
大企業からも信頼される、小さな実力派メーカー
そして出会った新天地が、香川県三木町で金属加工業を営む「森川ゲージ製作所」だった。
社名にある「ゲージ」とは、さまざまな製造業で用いられる「測定器」のことをさす。緻密な精度を求められるゲージ製作で培われた技術力は、さまざまな金属をミクロン単位で加工することが可能。現在では主に建設機械や大型船舶のエンジンに使用される精密部品を製造しており、ニッチな業界ながら国内シェアトップの部品もあるという。60名ほどの小さな会社だが、全国の大企業から注文が舞い込む実力派メーカーだ。
しかし同社には悩みがあった。45歳の三代目社長・森川正英さんはこうあかす。
「これまでは職人の集団でした。しかし今の職人が20年、30年かけて身につけてきた技術を、これからの若い社員たちが同じように身に着けていけるのか?と考えると、それはおそらく難しい。そこで、誰かに依存しない体制にしていくために、CAD/CAMを3年前に導入したんですが、使いこなせる人材がいなかったんですよ」
そんな同社にとって、CAD/CAMを使って新たな製品開発に携わってきた西山さんは、まさにうってつけの人材だった。
一方の西山さんも、「自分の仕事がイメージできたし、これまでの経験が活かせると思いました」と振り返る。
ただ、森川社長には、スキルよりも重視したポイントがあったという。それは、人柄だ。
「なかには、大手にいたというだけで『俺はえらいぞ』というタイプの人もいるんです。でもうちの社員からしたら、そんなの関係ないですからね。その点、西山さんは謙虚で、誠実。また、地方の中小に来れば、できる人に仕事が集まっていきます。なんでもやらないといけなくなる。それを負担に感じる人もいると思うのですが、西山さんはそれをやりがいと感じてくれるタイプだった。話してみてそれがわかったので、採用を決めたんです」
株式会社森川ゲージ製作所 三代目社長・森川 正英さん
活かせるのは、スキルだけじゃない
西山さんは現在、設計部の生産技術チームに所属している。
CAD/CAMを使った新しい加工の流れづくりや、試作品のモデリングなどに取り組んでいるが、なかでも活躍が目覚ましいのが、改善活動だ。早くも社員をひっぱるリーダー的存在になっているという。
きっかけは、ちょっとした「おせっかい」だった。
同社では数年前からコンサルタントを講師に招き、いわゆるトヨタ方式の改善活動に取り組んでいた。入社から4か月ほどたった頃、社長から「何をしてもいいですよ」といわれていた西山さんは、なにげなく改善活動の会議に参加してみた。すると、社内のもう1つの課題に気がついたという。会議にはさまざまな部門の代表者が出席していたが、コンサルタントの言葉を十分に咀嚼できていない気がしたのだ。自分から発言する社員もいなかった。
「失敗することを恐れているような、守りに入っているような雰囲気を感じたんです。でも講師のコンサルタントはとてもいい先生で、ここでやりたいこともよくわかりました。だから、先生はこういうことを言ってるんですよ、と皆さんに伝えていったんです」
以来、西山さんは毎回、改善活動の会議に参加し、コンサルタントと社員の橋渡しをするファシリテーターの役割を担うようになった。資料もパワーポイントで作り、コンサルタントの提案を社内に実際にある作業に落とし込んで説明した。とたんに会議は活気を帯びるようになり、社員たちの姿勢も前向きになった。
「その時に感じたのは、地方の中小企業には、ファシリテーションできる人間がいないんだなということ。その点、私は会議の経験値は高いのでね。大きな会社って、会議が多いじゃないですか(苦笑)。地方で役に立つのは、技術だけじゃないんだなと実感しました」
改善活動にあたっては、大手時代の苦しかった経験も役に立った。
「最後の数年間は、開発部隊の改善活動を担当していたんです。聞く耳を持たない人たちをどうやって振り向かせるか、動かすか、というところにとても苦労しました。毎日プレッシャーを感じていましたし、しんどい日々でしたが、そのときの経験が今活きていると思います」
改善を行うためには、まずメンバーに現状を理解してもらう必要がある。そう考えた西山さんは工場内の仕事の流れを図示化し、作業時間やリードタイムをストップウォッチで計測。「この作業にこれだけかかってるよね。ネックはここなので、こう変えようよ」と、わかりやすく提案するようにした。そして、「みんなでここを目指そう」という共通の絵=目標を会議で描き、その目標を実現させるための計画を、各部門に自分たちで考えさせた。いつまでに実行するという目標も表明させ、その後の会議で進捗状況を報告してもらう。そんな取り組みを根気強く続けているという。
すると、徐々に成果が見えてきた。
「これをやってみます」と自主的に改善提案をしてくる社員、「これはどうしたらいいですか?」と自ら質問に来る社員が、続々と現れ始めたのだ。会社の業績も上向いた。
「私自身も、以前と今とでは、気持ちの負担感が違います。大手の時は提案をしても反論されたり、理由や効果を強く求められましたが、今の会社の人たちは私の話を素直に聞いてくれ、すぐに動いてくれます。やっていて、応えてくれている実感があるんです。しかも規模が小さいぶん、成果がすぐに表れます。売上目標もクリアできましたし、会社の雰囲気もだいぶ変わってきたんじゃないでしょうか」
と、西山さんは地方企業ならではのやりがいを語る。
地方の企業が、経験豊富な人材を求める理由
そんな西山さんの活躍を、誰よりもたのもしく見ているのが、森川正英社長だ。
森川社長は45歳。5年前に父の後を継いで3代目の社長に就任した。以来、「第二の創業期」を掲げ、社員に改革を唱えてきたが、なかなか進まなかったと振り返る。
「私が社内でよく使う表現は『変えるべきを変え、変えてはいけないことを変えない』です。社長就任にあたりまず取り組んだのは、“変えてはいけないこと”。当社が大切にしてきた姿勢や理念を整理し、表明しました。初代・先代とも教育熱心でしたが、曲解されてしまうことも多く、想いがうまく伝わっていなかったと思います。それは私も同じで、腹をくくっての取り組みでしたが、ベテラン社員を除いて約3割くらいの社員が入れ替わりました。ただ、いくら話し合っても目指している方向性が違うので、今となっては、いずれ必要な代謝だったと考えています。現在のリーダー層は40歳前後の、大変だった時期を共に乗り切ってくれた仲間たちで、私にとって戦友のような存在です。
次に取り組んだのが、“変えるべきこと”。特に注力し、今現在も取り組んでいるのが『職人個々のスタイル・個人技に依存した仕事の進め方』、そして『指導方法』です。西山さんが手腕を発揮してくれている改善活動は、当社の現場・現実を改善していくことで、問題解決力や指導方法を学ぶことに力点を置いたもの。もちろん仕事の進め方の変革に繋がることも期待していますが、何より現場リーダーの育成に大きな影響を与えてくれていると思います。前述の離職者が続いた際に、私を含めた管理職者の力量不足だったのではないかという反省もあります。リーダーとなるべき人材には、自身の技術だけでなく、問題解決力や人の上に立つまとめ役としての教育が必要だろうと考える中、大手企業でリーダーとしての心構えや管理者教育を受け、周囲を巻き込む力やファシリテーション能力を身につけている西山さんは、格好のお手本になっていると思います。やっぱり、外から新しい風を入れることは大切なんだと感じました」
それは地方の中小企業の多くが抱えている課題であり、都会で経験を積んだ人材を求めている理由だと森川社長は話す。
「それなりに特徴を持って生き残ってきた中小のものづくり企業は、仕事もあり、課題もはっきりしているんです。しかし課題を解決するための知恵や経験がない。つまり人材が圧倒的に足りていないんです。一方、大手の企業では、グローバル競争の中で、不採算となったものづくりの現場を縮小したり、切り捨てたりしている状況がうかがえます。そうした流れによって、活躍の場を失ってしまった40代、50代の人材もいらっしゃるのではないでしょうか。地方企業は、そういう知識も経験もある方の受け皿になり得ると思うんですよ。仕事を辞めるのは簡単ですが、もったいないですよね。地方に来れば、活躍の場はまだまだたくさんあるんですから。ぜひ地方に目を向けてほしいと思いますね」
一方、西山さんに、地方の企業で働く魅力は?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「地方の中小企業はオーナー会社が多いですから、トップがコロコロ変わって、方針も変わる…ということが少ないんです。だから目先のことではなく、会社や事業の将来を見据えながら仕事をすることができます。また、大手に長くいると、実務から離れて、管理をする立場に回りますよね。でも地方にきたら、実務もきっちりやらないといけない。そこが私にとってはうれしいことでもあります」
実務は、社内の信頼関係を作るうえでも大切だと西山さんは考えてきた。特にこの会社は技能工の集団。指示するだけでは認めてもらえないと考えた西山さんは、自分から現場に声をかけ、首を突っ込んできた。社員たちが困っていることに対して、答えを出してあげることで、お互いの関係性ががらっと変わったという。
「指示するだけでなく、いっしょに考え、時には手を動かし、その仕事をカタチにする。今はそこまでが自分の仕事だし、自分の手で成果を積み上げていく手ごたえを感じています」
特別なことはしなくていい
西山さんの生活はどう変わったのだろう。
現在は、同じく香川県内にある奥様の実家に住んでいるという。
「義理の母と妻と娘の4人で暮らしています。他の子どもたちももう就職して独立しました。だからUターンするときも気分的には楽でしたね。お金のこともそんなに気にしないでいいし、第2の人生を始めるぞという明るい気持ちで帰ってきました」
実は西山さんは結婚後、長らく単身赴任を続けてきた。50代半ばにしてようやく、家族と一緒に暮らす普通の生活ができるようになったのだ。
「以前は月に一度、土日に月曜日をつけた3連休をとって、神奈川から香川に帰る生活を続けていたんです。それがなくなったので、すごく楽になりました。妻も、私がいるので心強いみたいです」
ただ、久しぶりの家族との生活に、最初は落ち着かない気持ちもあったそうだ。
「今までずっと自分のペースで生活していたのでね。家族にあわせなきゃいけない、いっしょにいるんだから何かしないといけない、と思っていたんですが、特別なことはしなくていいんだとわかってからは、だいぶ楽になりました」
趣味は、山登り。香川にUターンしてからも、ときどき出かけている。お気に入りは、金比羅宮から縦走して善通寺に抜けるコース。半日で終わるのでちょうどいいコースだという。
「それでも、神奈川にいる時よりも山へ行く回数は減りました。神奈川では、丹沢など知っているコースがたくさんありましたからね。それと向こうでは休日に神田神保町によく出かけていました。山道具屋だけでなく、古本屋、楽器屋を巡るのが好きだったんです。そういう意味では、こちらに帰ってきてから、ひまつぶしの選択肢は少なくなりました。だからこれからの目標は、趣味を充実させること(笑)。仕事は充実しているのでね」
見方を変えれば、職場のストレスを趣味で発散する必要がなくなった、ということだろう。
最後に、そんな仕事面での目標も聞いてみた。
「入った時に、社長の夢を聞いたんですよ。売上を今の4倍にすることと、自社ブランドの製品を生み出すこと。それに向けて自分に何ができるのかを考えていきたいです。チームとしてプラスアルファの力が出せるようにしていきたい。みんなの理解も高まってきたので、これからが正念場だと思っています。目標の実現?できると思いますよ。名だたる大手から『森川じゃなきゃ』という仕事が来ている会社なんですから。実際、間近で見てみて、すごい技術力だと思います。地方にいても輝ける会社になれると思うし、そのための力になりたいと思っています」
そう話す西山さんの表情もまた、社長のパートナーとして会社を動かしていく誇りと喜びで、輝いていた。