先頃、「田舎暮らしの本」(宝島社)という雑誌において、「2020年版 住みたい田舎ベストランキング」という興味深いリサーチ結果が発表された。本ランキングの大きなまち・若者部門の全国1位に輝いたのは、「愛媛県西条市」というあまり聞き覚えのない地名。四国の片田舎にある、決して知名度が高いとはいえないこのまちが、いかにして「全国1位」の人気を集めるに至ったのか。 その舞台裏には「移住推進課」という仕掛け人たちの活躍があった。
後発からのスタート
愛媛県の県庁所在地は松山市。その中心部から東へ約50キロ。車で1時間ほどの場所に、西条市はある。人口は約11万人で、愛媛県内で4番目。ちなみに、面積は県内3番。規模的にはどこといって特徴のないこのまちが、全国の移住希望者、特に若い世代の間で人気を集めているのだそうだ。 株式会社宝島社が発行する「田舎暮らしの本」(2020年2月号)で発表された「2020年版 住みたい田舎ベストランキング」において、西条市は、若者世代が住みたい田舎部門で全国第1位を獲得。エリア別ランキングにおいては、昨年に引き続き全部門(総合・若者世代・子育て世代・シニア世代)で四国第1位となり、二連覇を達成した。実際に、2017年度から2018年度にかけての移住者数は、約3倍の289人に増えているという。
しかし決してスタートが早かったわけではない。西条市が本格的に移住施策に取り組み始めたのは、2018年度。むしろ後発といっていいだろう。にもかかわらず、短期間でこれだけの成果をあげた秘密は何なのか?
我々はそのキーマンともいえる人物たちに話をうかがうことができた。西条市移住推進課の柏木潤弥さんと篠原彩さんである。お二人は移住推進課が発足する直前から二人三脚で取り組んできたコンビ。現在課長を務める柏木さんは、始まりをこう振り返る。
「移住については2014年(平成26年)頃からさまざまな市町村で取り組みが行われていたようですが、西条市では進んでいなかったんです。それでは若い人やまちの課題解決ができないということで、平成30年から私と篠原で、移住に特化した仕事を始めました」
今回お話を伺った、西条市移住推進課の柏木 潤弥さん
移住推進課が正式に発足したのは、2019年(平成31年)4月のこと。職員4名でスタートし、東京・大阪での移住セミナー、移住フェアの出展などの業務を担当。今年度からはさらなる移住拡大をめざして、職員を6名に増員しているそうだ。
豊富な水と、ICT教育。西条市の魅力
そんな柏木さんに、西条市の魅力を聞いてみると、こう紹介してくれた。
「西条市は海あり山ありの自然豊かなまちです。特に、水がおいしいのが自慢。市内に水脈がありまして、西条市は不思議なんですけれども、まちなかへ行けば行くほど地下水がよく出るんです。しかも、おいしい。一部のエリアでは地下水で生活の全てがまかなうことができ、水道代は無料という地域もあります。就職についての不安もあるかと思いますが、豊富な水の恩恵で産業も発達しておりますので、仕事についても選ぶことができます」
西日本の最高峰・石鎚山を擁する西条市は、とにかく水が豊富。市内のあちこちから湧く地下水は、地盤を打ち抜けば簡単に湧き出てくることから「うちぬき」と呼ばれており、市内中心部のほとんどの家庭で蛇口をひねれば、このうちぬき水が味わえるという。 豊富な水を活かして、瀬戸内海に面した海岸地帯には、四国で最大規模の工業地帯が発達。大手の半導体メーカーや飲料メーカー、化学メーカーの工場が進出しており、それらを支える中小企業も集積している。
西条市総合文化会館横の水汲み場。市内には「うちぬき水」の湧き出るところが至る所にあり、その数なんと3000ヶ所以上だという
また、柏木さんが胸を張るのが、教育環境のよさである。 「保育所や小学校も敷地が広いし、土のグラウンドで遊具も豊富にあります。それから全国でナンバーワンなんじゃないかと思うのは、ICT教育。西条市は日本ICT教育アワードの最優秀賞も受賞しているんです」
西条市では、2015年度(平成27年度)から、西条市内の全ての小・中学校の普通教室等に、電子黒板などを設置する事業「小中学校ICT教育推進事業」を展開。ICTを活用した遠隔合同授業を行うことで、小規模学校のよさと、コミュニケーション能力、学力の向上を兼ね備えた教育環境を実現している。 また、西条市内在住の中学生以下の子どもに対して、保険診療による医療費の自己負担分(入院・外来)の全額助成や、全小学校区放課後児童クラブ実施など、支援制度も充実しているという。
「私たちが東京や大阪で説明会を行うときも、一番食いつきがいいと言いますか、すごく興味深く聞いてくるのが、ICT教育の環境です。特にお母さん方は教育熱心。お父さんが聞くことはどちらかというと簡単なことで、仕事のことをクリアできればこちらに気持ちを向けてくれますが、お母さんの場合は、子どものこと、学校のこと、病院のこと、仕事のことをトータルで判断されます。お母さんの気持ちをつかむことができるかどうかが、大きなポイントだといえます」
しかしこうした魅力は、どの地方も、それぞれの形で持っているはずだ。多くの自治体が悩んでいるのは、どうすれば自分たちのまちのよさが、全国各地の移住希望者たちに伝わるのか?ということ。
そこで、西条市の移住推進課が始めた秘策こそが、徹底的に移住者目線にたった体験ツアー()だった。
交通費、滞在費などすべてを西条市が負担
「今、結果はこうなっているんですけれど、こういう結果が絶対出るという確信をもってやっていたわけではないんです。今までやったことのない、やれるかどうかもわからない道に進んだわけですから」
そう振り返る柏木課長は、畑違いの部署から、やってきた。
1992年(平成4年)に、合併前の旧・東予市役所に奉職。主に総務課、財政課、財務部門でキャリアを積み、平成16年の平成の大合併で西条市が誕生して以後も、財政部門、政策部門で働いていた。しかし2018年(平成30年)の4月、市長から突然、「今の仕事は1回置いて、移住の仕事に全力を尽くしてくれ」というミッションを託されたのだという。
しかし、どこかの真似をしようとは考えなかったそうだ。
「モデルはなかったですね。どこかを参考にというよりは、自分たちが考えて、自分たちがこうしたらいいんじゃないかと思うことを積極的にやろうと考えたので。自分が移住する立場になったとしたら、どういうことをやっている自治体、どういうタイミングでどういうことを誘ってくれるところへ行きたいと思うのか。ならば自分たちはどう行動していけばいいのかということを、予測というか推理しながら、取り組みを考えていきました」
そして発案されたのが、羽田空港から西条市までの往復の交通費や、宿泊費、食事代など、すべての費用が無料の「移住体験ツアー」だった。結論からいうと、このツアーが大好評を博した。初回から約100組の申し込みが殺到。2018年、19年の2年間だけでこのツアーに実際に参加した43組のうち、既に8組19人が移住しているだけでなく、プラス3組13人も移住を決断している。
「場所」ではなく、「人」を案内する
だがこのツアーの魅力は、決して「無料」だけではない。完全オーダーメイド型であることも大きな特徴だ。1泊2日にわたるツアーの内容は、ひと組ごとのリクエストに合わせてカスタマイズされるという。
「まず最初は職員が空港へ迎えに行って、そこから西条市内へ案内しますが、行先は参加者によって変わります。いろんなお話をしてくれる奥さんがいるところへ行って食事をしたり、放課後児童クラブを見学したり、移住者さんがやっているカフェへ行ったり。会社に就職したいという人がいれば、事前に調査をして、西条市を代表するような企業を会社訪問させてもらったこともあります」
つまり、地元の「名所」を案内するわけではないと柏木さんは続ける。
「私たちが重点を置いているのは、人に会うことなんです。先輩移住者に会う、同じような仕事をしている人に会う、小学生のお子さんがいる人だったら、現役の校長先生、教頭先生と面談をしてもらうとか。そこにエネルギーを使っています」
実現するにあたっては、どんな苦労があったのだろうか?
「まず、人とのネットワークを作るというところが大変でした。そもそも私たちはそんなネットワークを持っていなかったので。外から来るいろいろな人を受け入れ、対応できる人を常に準備しておくのは簡単なことではないんです。企業さんも、地元の人もそうですし、先輩移住者さんもそうなんですけれども、私たちと信頼関係がなければ、動いてもらえませんから。普段から挨拶へ行って、何回も顔を合わせて、私たちの仕事を説明し、それが西条市の人口維持や子どもたちを守ることにつながるんです、という趣旨を理解してもらって初めて、協力してもらえる。そうした人たちを1人1人すくい上げていくというネットワークづくりが大変でした」
最初は地域の理解も簡単に得られたわけではなかったようだ。
「最初は、皆さんが口を揃えて言うのは、『まぁ、そういう仕事だということはわかったけれど、こんな田舎のどこがええんやろかね?』というところから始まりましたね。こんなところのどこがええんや、これで大丈夫?って。あえてこういうところが好きだという若い人もいるし、今がそういうチャンスなんですよというふうに説得してきたんです。そのうちにだんだん、結果が見える形で出てきた。体験ツアーから何人移住しましたよっていう。このあいだ、奥さんが協力してくれたあの二人組、移住しましたよ!とかね。その後のフォローや結果の報告をすると、『やってよかった。また言ってね』という相乗効果が生まれていき、さらに協力してもらいやすい流れができてきました」
関東ローカルのテレビ番組でPR
次に気になるのは、PRの方法だ。そういうユニークなツアーを企画したとして、全国の移住希望者たちに対し、どのように告知してきたのだろうか。
「これもやったことのないことからスタートしたんですけれども、西条市が東京で説明会やりますよと言ったところで集まるわけがないんです。ネームバリューがありませんから。それをどうやって広めていけばいいのか。まずはメディアを活用させてもらいました。テレビ局の関東ローカルの番組にお願いして告知をしてもらったんです。西条市が無料体験ツアーをやっているよ、何月何日に説明会やりますよ、と。すると予想以上に申し込みがありまして。約100組から申し込みがあり、土日で1日3回、全部で9回の説明会を開催しました」
だがその中には、自分たちが思うような申込者ばかりではなかったという。
「こちらとしては、若い30代のご夫婦と、5〜6歳のお子さんがいる家族を4〜5組招待しようと思っていたんです。でも実際は、単身の方もいれば、新婚さんもいるし、すでにお子さんが小学校へ上がっているような人たちもいました。当初は保育園を中心に見せてあげたらいいかなと計画していたんですけれども、小学校5年生のお子さんがいるご家族に今さら保育園を見せても意味がない。せっかくの1泊2日の体験ツアーなのに無駄になる時間ができてしまうな…と思っていたんです」
ところが、想定外の事態が発生した。ツアーを予定していた日に、台風が近づいてきたのだ。だがこれが、「個別型」に舵を切るきっかけになった。
「四国全体に警報が出たので、いったん体験ツアーは中止にすることになりました。でも、やめてしまうというわけにはいかない。そこで、参加が決定していた4組に対し、日程も別々にして、行きたいところもその人たちに合わせて個別に招待することにしたんです。それがすごく好評で。皆さんにもそれがいいと言っていただけましたので、その後も全て個別でやっていこうということになりました」
口で言うのは簡単だが、個別方式のツアー開催にはさまざまな手間が必要だ。
「まずは日程調整ですよね。協力して下さる地元の方々のスケジュールを合わせることが大変でした。また体験ツアーで来る人たちも、10組呼べば、10組いろんなタイプの人がいるし、いろんな希望を持った人がいますので、その人に合うような職員がアテンドをする。自分のスキル、経験、知識を生かして全力を尽くして、その人たちをアテンドさせてもらうという形にしています」
「人」が、不安を払しょくしてくれる
ツアーに応募してくる人々は、その時点で西条市に絞り込んでいる人もいれば、白紙に近い状態の人もいる。そんななか、柏木さんには必ず、説明の場で伝えていることがあるという。
「西条市が開く説明会ですから、どう考えても西条市のいいところばかりしか説明しないわけです。私たちはウソは言いませんけれども、仕事ですからいいことしか言いませんと、説明会の冒頭に言うんです。だから本当に移住を検討されている方は、体験ツアーに来ていただいて、先輩移住者さんや地元の人と話をして、そこで判断してください、という説明をしています」
判断の材料は、移住希望者によって異なる。だからこそ、例えば、子ども連れの参加者の場合は、子どもの年齢が近い母親たちが集まる交流会に案内する。そのなかには先輩移住者も招いておき、困ったこと、よかったことを、体験者の立場から語ってもらうのだという。
「実際に、すごく喜んでもらったことがありました。先輩移住者さんのお子さんが病気になった時、保育園に預けられない、でも自分は仕事へ行かなければならないという状況になったことがあったそうなんです。でも移住して来ているわけですから、頼れる親や親戚も近くにいませんよね。そのときに、西条市の病児保育サービスというのがあったのですごく助かった、という経験談を話してくださったんです。体験ツアーの参加者も『あのお母さんの話が一番良かったです』と言ってくださいました」
また、ある夫婦は、奥さんのほうがカフェの開業を希望していた。ツアーのなかで、カフェができるような空き家や、空き工場、空き店舗を案内して欲しいというリクエストがあったという。一方、カフェを始めたとして、本当にお客が来るのか?という不安もある。そこで西条市内で実際に営業し、人気を呼んでいるカフェも案内したそうだ。
その夫婦を案内した篠原さんはこう振り返る。
「私たちは当たり前のように西条市に住んでいるんですけれども、参加者はそもそも西条市に来たことがないという方が99%なんですね。こんなまちだよと説明しても、行ってみないとわからない部分がほとんどだと思うんです。そのご夫婦も、まだ若いということもあって、『西条市に自分たちと同じような若者が本当にいるのか?』というところから不安に思われていました。私たちとしてはそういう点も踏まえて、できるだけ若い方、小さいお子様がいらっしゃるような移住者さんと交流してもらうようにし、不安を取り除きながら、実際に生活するイメージをしてもらえるよう心がけました」
同じく今回お話を伺った、西条市移住推進課の篠原 彩さん
そのご夫婦は体験ツアーから9か月後に、西条市に移住してきたそうだ。
「一貫してサポートしてくれるところが心強かったと言っていただけました。本当に1組1組を、移住していただくまでお手伝いするというのは、もちろん労力はかかるんですけれども、そのときに初めて、やってて良かったなと思いましたし、仕事をしていてこんなに感謝をされるんだなと、逆にびっくりしました(笑)」
と、篠原さんはやりがいを話す。
「その他にも、私は、シングルマザーの参加者を担当したことがありました。今年の1月に移住されたんですけれども、お子さん1人、自分1人で、全然違うところから地方へ引っ越してくるというのは、やっぱりかなりハードルがあったと思うんですよね。でも、同じように1年前に移住してきたシングルマザーの方にホスト役になっていただいて、家族で交流していただいたんです。そうしたら、『いろんな方がこれだけ自分に関わってくれて、面倒みるよっていうあったかい雰囲気があったから、私は移住を決断することができた』と言っていただけて。私たちの取り組みが移住するきっかけになっているということがありがたいと思っています」
知らない地方への移住を考える場合、大きなネックになるのが、人脈やネットワークだといわれる。それが不安要素となり、最終的には移住を踏みとどまってしまうケースも多いなか、まさにその不安を払しょくし、移住後のネットワークまでサポートしている点が、西条市の成功の秘密といえるかもしれない。
足を運び、自分の肌で感じる大切さ
だが、移住推進課の挑戦もまだ始まったばかり。西条市、そして移住推進課の課題は山積みだと、柏木さんは話す。
「大きな課題はとにかく人口減少です。特に若い人、子どもたちの減少が著しい。そこで、若い人を集める、子どもたちを守っていく、というところに今後はエネルギーを注いでいきたいと思っています。新しい取り組みとしては、移住という言葉の概念の中に、結婚支援や子育ても加えて、移住推進課の中で取り組めないかと考えているんです。具体的には、市外の女性に西条市に来ていただいて、西条市の男性と結婚してもらって西条市で生活してもらう、家族を持ってもらう。長期スパンにはなるんですけれども、そういうサポートも進めていこうかなと思っています」
最後に、移住転職を考えている読者へのアドバイスを柏木さんにお願いした。
「移住を考えている方のなかには、いろんなビジョンを持っている方もいれば、持っていない方もいらっしゃると思います。私たちとしては、最初に『こういうことがしたい』といってくださる方のほうがご案内はしやすいです。でも、『とにかく今の現状を変えたい』『今とは違った生活を送りたい』という方も多いはず。そういう方々も、まずはいろんなところを見てもらって、地元の人とふれあってもらって、そのまちを肌で感じてもらうことが大切なのかなと思います。そしていろいろ検討してもらって、最終的に西条市を選択してもらえたら、うれしいですね」