岡山県真庭市は、2005年9つの町村が合併して誕生しました。市域の8割を森林が占め、林業と製材業が地域経済を支えてきました。「バイオマス産業杜市」を標榜し、官民連携による地域創生を推進。木質バイオマス活用の先進地として全国的な注目を集め、新たな雇用と交流人口の創出にも成功しています。
自社で始めたバイオマス発電を官民共同の本格的なバイオマス発電事業に発展させたのが、真庭市に本社を置く銘建工業です。同社のチャレンジはどのようなものだったのか、銘建工業(株)の社長、中島浩一郎氏に伺いました。
代表取締役社長 中島 浩一郎さん
産業廃棄物を宝の山に変える
真庭市に本社を置く銘建工業株式会社は、1923年に中島材木店から始まり、集成材とペレットを二本柱として成長してきた西日本屈指の総合製材メーカーです。現在は3本目の柱となる、ビル建築にも使える高強度の木質新建材・CLT(クロス・ラミネーティッド・ティンバー)の生産も行っています。
「1966年に株式会社になり、構造用集成材の生産を開始したのを機に1970年に銘建工業に社名変更しました。」そう語るのは、銘建工業(株)の社長、中島浩一郎氏。「21世紀の真庭塾」の塾長を務め、真庭バイオマス発電の社長も兼務しています。
本社工場(柱ライン)/主に住宅建築に利用される集成材の柱。
木質バイオマス発電との出会い
中島氏は地元の高校を卒業後、横浜市立大学に進学しました。学生生活も5年目に入った1976年の春、突如、岡山から父親がアパートに訪れ「帰って来い」といわれたことから、真庭に戻ることに製材業をイチから学ぶことになったのだといいます。
真庭に戻った数年後、中島氏はアメリカの製材所を視察したときの話です。「敷地内の小さな小屋から発電のタービンの音が聞こえてきました。製材所が自前で発電する発想に驚きましたが、燃料は製材所で出る木くずだと聞いて、さらに驚きました。製材の過程で出る大量の木くずは、従来から木屑焚きボイラーの燃料にして、蒸気を木材乾燥の熱源に利用していたのですが、集成材の生産量増大に伴い、ボイラーの能力不足が顕著になっていました。アメリカで見た自家発電は、24時間運転する木材乾燥室の電力に利用できます。そこで自分でもやってみようと準備し、1984年に最初の木質バイオマス発電所を稼働させました。」
出力は1時間あたり175kwでしたが、これだけで木材乾燥機の夜間電力費を賄い、2年で初期投資を回収できたといいます。
2015年に稼働した真庭バイオマス発電所。銘建工業だけでなく、真庭市や地域の森林組合など官民9団体が一緒になり設立
その後、1998年には2基目となる出力1950kwの発電所を稼働させます。「建設に10億円を要しましたが、自社の全電力を賄い、廃棄コストを解消しました。」2002年以降は売電も加わって、早々に減価償却を終えたといいます。
また、発電に用いても残る木くずを活用した木質ペレットの製造が2004年に販売開始。順調に売り上げを伸ばし、現在では国産ペレットの約4分の1を占めています。
今の延長線上に、未来はない
高度成長期以降、日本の林業と製材業は衰退し、真庭市内の製材所は厳しい経営を強いられていました。バブル崩壊後、危機感を持った真庭の若手経営者たちは「21世紀の真庭塾」を立ち上げます。その塾長を引き受けた中島氏でした。
「景気は厳しいし人口も減っています。現状の延長線上に地域の未来はないから、新しい挑戦を始めなければいけない、というのが塾生の共通認識でした。自主研究会や有識者の講演会、環境産業の事業化研究、シンポジウムの開催などの活動を重ね確信したことがあります。それは、目の前にあるものを生かすのが一番ということ。よそから何かを持って来てもうまくいきません。ネットワークも含めて、地元にあるものをどう生かすかです。このことは塾生や真庭全体で共有し、バイオマスタウンやバイオマスツアー、バイオマス発電などのように形にしました。目の前にあるものを生かした成果の大きさは、経済効果を見ても明らかです。発電所や集積所は多くの雇用も生みました。」
1952年に真庭に新しい木材市場を開いた人々や、真庭木材事業協同組合の努力、ネットワークの下地があったからこそ、こうした活動ができるし応援もしていただけるのだと中島さんはいいます。
「地域のDNAが新しいネットワークを形成する核となり、エンジンになるのだと思います。今の延長線上では事業は続きません。当社が生き残ってこれたのは、どこかで新しい商品を作り、事業の方向性を大胆に変えてきたから。常に新しいことをやるべきです。どんどん挑戦して地域に新しいDNAを根付かせたいですね」
工場内には巨大なCLTが収められている。構造用木質材料の製造から構造設計・施工まで一貫で対応できるのが銘建工業の強み。
完成した製品は、毎日50台以上のトラックで全国へと出荷される
北欧やドイツ、オーストリアなどの林業先進国では、多数の企業の取り組みによって、木質バイオマスが一大産業に育っています。一方、日本では政策がなかなか定まっていません。それでも、中島氏は前だけを向いています。「林業を元気にするためには、まず動くこと。やるべきことはいくらでもあるのですから。」
日本の林業を担っていく、銘建工業のこれからに目が離せません。