沖縄県南風原(はえばる)町に本拠を持つ印刷会社で、地域活性の仕事を進めている柴崎貴史氏。33歳の時、仕事がまだ決まっていない状態で、東京から沖縄への移住を果たしました。移住を決行した時のターニングポイントや、今の業務に至るまでの出来事をうかがってきました。
東京でマンションを見て、「これは違う」と移住を決意
柴崎氏は大学卒業後、リクルートに入社。システム部門に配属され、大手小売企業との新規事業などに関わっていました。そして入社6年目に『じゃらん』編集部に異動。旅行代理店の営業やガイドブックなどの編集に携わることになります。
「『じゃらん』はとても楽しかったですね。旅行は嫌いじゃなかったですし。ただ、9年半くらいリクルートにいて、ちょっと次のステージに行きたいなと思ったんです」
そこでリクルートの先輩が経営していたネット関連の会社へ転職。営業部門で働き始めました。その頃結婚を考えていた柴崎氏は、マンションを購入しようと現在の奥様と一緒に物件を内覧。
「マンションて室内に梁がありますよね。それがすごく低い場所があって、頭にぶつかりそうで。『これはないんじゃないかな』と、買うのを止めたんです」
東京の狭い住宅事情が、それ以上の東京生活を見限るきっかけになりました。「東京以外のどこかに行っちゃおうか」という思いを抱くようになり、二人でダイビングに訪れたことのある沖縄が移住の候補地になりました。はじめのSELF TURNポイントと言えるでしょう。
「妻の方が乗り気で、私より先に会社を辞めてきちゃったんですよ」と笑う柴崎氏ですが、そのときはまだ沖縄での就職先も決まっていませんでした。
以前のキャリア関係が、沖縄での勤務先につながる
沖縄での仕事を探さなければと思っていた頃、リクルート時代の先輩から、現在の勤務先である近代美術を紹介されました。実は『じゃらん』の沖縄での代理店をやっていたのが近代美術で、柴崎氏も知っていた会社だったのです。
勤務先が決まり、いよいよ沖縄へ移住。はじめに配属されたのが『じゃらん』の営業部門でした。立場は違えど、再び同じ媒体に関わることになりました。
「半年くらい経った頃、ゆいレールが開業することになり、『だったら沿線誌をつくろう』とフリーペーパーを創刊したんです」
東京の私鉄や地下鉄沿線で配布されているフリー媒体を沖縄でも、と月刊のタブロイド紙を立ち上げた柴崎氏。『じゃらん』で培った経験を役立てて……と思っていたものの、運営に行き詰まってしまいます。
「広告取りの営業から編集、原稿書き、駅のラックへ配布するのまで自分でやってました。まあ未熟なまま始めたんで、うまくいかなかったのかな」
やがてその媒体は発行が休止に。しかし一方でこの媒体を評価してくれた方もいて、その後の仕事の礎になったのでした。
「外の視点」を活かしてヒットシリーズを連発
ゆいレールの媒体を評価してくれた人から声がかかり、観光フリーマガジンの発行をお手伝いすることに。柴崎氏のチームは編集・制作以外に広告代理店的な役割も果たし、うまく回り始めます。その後、離島版などのバリエーションも増えました。
「ゼロから始めて、やっと成果が出せて自信がついてきたなという感じでしたね」
その仕事が軌道に乗ってきた頃、近代美術がある出版社を引き継ぐ形で出版部門をつくることになりました。その出版社で発行していたのが、現在も続いている『OKINAWA 100シリーズ』です。
「沖縄の飲食店系のお店を100個所セレクトして紹介するシリーズ本です。コンビニや書店に販路を持っていたので、その資産を活かせました」
そして、編集内容に移住者ならではの視点も盛り込みます。例えばラーメン。ちょうどその頃内地のラーメン店が少しずつ県内に出店し始めていました。そこに目を付けたのですが、「沖縄なら沖縄そばでしょ」と反対の声も上がりました。しかし、店舗の協力もあって出版。売れ行きは上々でした。
こういう「外からの視点」は、しばしば内部の人間には見えていなかったものを浮き彫りにします。それがヒットにつながった好例でしょう。そして、そのヒットは連鎖を呼びました。
「スイーツの町・浦添」を売り出す
「こういった本を出していると、行政から『観光系の情報に詳しい』と見ていただけます。そんななかで最初にお手伝いさせていただいたのは浦添市の観光情報発信でした」と柴崎氏は」振り返ります。浦添市は那覇市の隣に位置し、柴崎氏も住民です。そこへ観光客を呼びたいという内容でした。基本的に住宅の多いエリアで、これといった観光資源はないように見えます。しかし町を歩いて眺めてみると、カフェやベーカリーが意外に多いことに気づきました。
「じゃあ『スイーツの町』で売っていったらどうだろうと。有名なアイスクリーム『ブルーシール』の本店も浦添にありますし」と、スイーツ店と観光を掛け合わせた情報発信を企画。そして、東京のスイーツ事業者を呼んで『スイーツ観光』に関するシンポジウムも開催し、市民の意識を高めました。
「ちょっと変わったことをやりたいなと思ったんです」と、外からの視点をここでも活かしました。現在でも500円で3軒のスイーツショップを巡ることができる「うらそえスイーツめぐり券」を発売。現在も継続され、好評を博しています。
スポーツによる地域活性化が波に乗る
柴崎氏が備えているアンテナに、また別の観光資源が引っかかりました。それは、プロサッカーチームのキャンプです。もともと沖縄はプロ野球のキャンプ地として人気の地。サッカーも例外ではなく、2017年はJリーグが14チーム、中国や韓国も合わせると22チームが沖縄でキャンプを張りました。
「ここ(近代美術のある南風原町)は名古屋グランパスのキャンプ地です。見に来るお客さんをグラウンドまで送迎したり、警備をしたりしていたんですが、お客様に来ていただくきっかけとして『名古屋めし』に着目しました。地元の飲食店に名古屋めしをつくってもらってメニューに加えていただきました。食べたお客さんには抽選券を渡してキャンプ会場でのくじ引きに来てもらったりして、エリア内の回遊性を高めました。2年目には名古屋の有名老舗飲食店さんとも連携し、メニューのアドバイスもいただいたりして幅が広がりました。でも何より飲食がきっかけで、サッカーキャンプの見学に気軽に足を運んでもらえればと思います」
柴崎氏のチームが進める「スポーツ×観光」事業はこれだけにとどまらず、地元のサッカーチームのFC琉球とハンドボールチームの琉球コラソンのコラボレーションも企画しています。プロチームはもちろん、大学生や高校生のスポーツチームがスポーツを通じて沖縄に来てくれる機会を創出できないか、新しいスポーツツーリズムが作れないか等、会社の事業として検証を進めているそうです。
高校生による高校生の案内役を立案
沖縄は、修学旅行先としても絶大な人気を誇ります。県内各地、いかにして地元に来てもらうかのアイデア勝負となっている中、柴崎氏は浦添商業高校に着目しました。浦添を訪れる修学旅行生を、生徒たちが案内したら面白いのではと思ったのです。同様の試みが、石川県金沢市でも行われていたのもヒントになりました。
「県の観光協会に話をしたらとても面白がってくれて、東京と大阪で開かれる修学旅行の商談会に生徒を連れて行ったんです。旅行代理店と高校の先生しか来ないところで高校生たちが営業したものだから、やっぱりここでも面白がってもらいました」
この12月、宮城県の高校を初案内することになったそうです。
「浦添には首里の前の王朝があり、その石垣が残っています。アメリカ映画の『ハクソー・リッジ』はそこを舞台とする太平洋戦争中の実話をもとにしたもので、アカデミー賞を受賞しました。そういったことも絡めて、沖縄の歴史を案内するプログラムをつくりました」
沖縄の高校生が内地の高校生に歴史を伝えていくことにも、意義を感じます。
子どもの「あがっ!」で沖縄が故郷になったことを実感
今でこそ沖縄に融け込み、地域活性のさまざまなアイデアを実現させている柴崎氏。移住当初、苦労したこともあったそうです。
「『柴崎』が沖縄にはない苗字なので、移住者ということがすぐにわかるんです。でも移住者が増えた今は、そんなに気にされなくなりましたね。移住して3年くらい経つと、出張で東京へ行くと人酔いするようになりました。迷子にもなりますし(笑)。帰りの飛行機に乗るとホッとする自分がいて、『ああ俺はもうこっちなんだな』って」
柴崎氏は千葉、奥様は横浜の出身ですから、いわゆる「田舎」はありません。子どもに田舎をつくってあげたかったというのも、沖縄移住の動機のひとつでした。
「上の子が保育園の時、足を壁にぶつけて『あがっ!』と言ったんです。沖縄で『痛い』という意味で。それを聞いたとき、沖縄が故郷になったのを実感しました」
沖縄に限らず、地方への移住は子どもの教育に対する心配が付きものです。しかし柴崎氏はそれよりも、環境の素晴らしさに重点を置いています。
「ちょっと行けば海がある。高速に乗れば小一時間で山原(やんばる)に行ける。内地にはない、いろいろな楽しみがあります。
都会人のアドバンテージを活かせる場はたくさんある
柴崎氏の場合は観光旅行系、新規事業立ち上げ、営業経験といったキャリアすべてが有効に絡み合い現在の仕事につながっているのですが、移住を考えている都会人はどのようなキャリアを求められているのでしょうか。
「都会でビジネスをしてきたこと自体、アドバンテージだと思います。それらを活かせる場所は、沖縄にはたくさんある。武器を持ってないと思っていても、実は気づいていないだけということも多いです。特に、観光領域などは内地人の視点は必須です」
沖縄県では将来の沖縄のあるべき姿を描いた「21世紀ビジョン」を掲げ、実現に向けて民間との共働を進めています。その中は、文化的な交流拠点を目指すというビジョンがあります。
「それに絡めた例を挙げると、イベント経験者が足りません。映画賞やCM賞、モーターショーなんかを運営していた人が求められていますね」
自身も関わっている領域ですから、切実な実感です。それ以外の分野でも人手不足という話はよく聞きました。柴崎氏は、自信を持って沖縄に飛び込んできてほしいと言います。ただ、モラトリアムのつもりで来て、すぐ帰ってしまう人も。「やっぱり内地出身者は」と言われる原因にもなります。沖縄の給与水準はやはり低く、それに反して生活コストは高めです。それでも移住者が増えているのは、おカネだけでは計りきれない生きがい・やりがいがあるから。沖縄の役に立ちたい、自分を成長させたいという意思を持っていれば、都会からのSELF TURNは成功するでしょう。
「引っ越しの時、荷物をほどいていたら部屋に知らない人がいるんですよ。上の階に住んでいる大家さんの親戚で(笑)。驚きました。でも雨が降ってきたら洗濯物を取り込んでくれたり、もずくを採ってきたからと届けてくれたり。この人と人の近さが沖縄なんですよね」
柴崎 貴史(しばさき たかし)さん
千葉県生まれ。リクルートにて新規事業立ち上げ、『じゃらん』編集を経験後、株式会社アイ・エム・ジェイを経て沖縄県南風原町の株式会社近代美術へ入社。地域活性課にてコーディネーターを務める。最近では那覇市の飲食店約70店舗で使用できる「バルウォーク」を実施。2児の父。現在の趣味は潮干狩り。