以前は「コザ」という市名だった、沖縄県沖縄市。大規模な米軍基地を抱えていることで知られますが、それだけに頼らず、地元にチカラを蓄えるための施策が数々なされています。それらの推進役となっているのが一般社団法人沖縄市観光物産振興協会。その事務局長を務めている山田一誠(かずせい)氏は、沖縄では知られた人物です。大阪出身の山田氏が、なぜ沖縄市のために働いているのか。かつてリクルートなどで培ったバックボーンが大きな影響を与えていました。
飛び込み営業から始まった修業時代
いつでもアロハシャツという山田一誠(かずせい)氏。沖縄にあってもパッと目を引くアイコンとなっています。お話をうかがったとき(2017年8月)は沖縄市の観光物産振興協会で事務局長を務めていますが、社会人キャリアのスタートは、リクルートでした。
「大学では材料工学専攻だったんですが、好奇心が旺盛でいろんなジャンルの会社を受けていまして。で、リクルートに引っかかったわけです。人材系部門に配属されたんですが、要は飛び込み営業。大阪の下町エリアが担当で、朝7時くらいから回ってました」
広いエリアでしたが、エリア内の企業のことはだいたいわかるように。営業成績もめきめきと上がっていったそうです。その後『カーセンサー』へ異動。ちょうど自動車メーカーで中古車のデータベースが構築され始めた頃で、それをカーセンサーのサイトへ転載することでマネタイズを図りました。
「そしてもうひとつ、ディーラー系以外の中古車店で構成されている組合とタッグを組んで、カーセンサーに掲載されているのは安心な中古車ですよ、という訴求を行いました。中古車の不正がいろいろあって、組合も信頼回復の施策を採っていた頃だったんです。そこがうまく回って、広告出稿料も大きく増えました」
カーセンサーには6年半在籍。車はもともと好きだったのですが、担当を続けるうち車にまったく興味を持てなくなった、と笑います。
SELF TURNポイント① 今につながる「じゃらん」に異動
※「SELF-TURN(セルフ・ターン)」とは:
自分の生きがいという本質を探すこと。本来の自分に帰って(TURN)、自分を じっと見つめ、自分を生かせる場(PLACE)を見つけ出すことを意味します。
営業マンからキャリアをスタートさせた山田氏、カーセンサーではマネージメントのポジションだったので、営業現場が恋しくなりました。そこで、営業スタッフを求めていた『じゃらん』の事業部へ。
「カーセンサーは男臭かったけれど、じゃらんは旅行だし楽しそうだな、と(笑)。複数の部署と担当を兼務して、マネージメントも営業もやるという形でした」
営業では沖縄と北海道エリアを担当。そして、沖縄と深い縁を結ぶきっかけとなったのが、『じゃらんネット』でした。ネットで宿を予約する時代を迎えていたときです。その周知のためテレビの報道番組で採り上げてもらえるよう活動し、新聞などでも採り上げられて契約宿泊施設の数は一気に増えました。その後「15離島物語」という企画を立て、あまり知られていなかった離島にスポットを当てました。
「仕事に遊び心がほしかったんです。今までスポットの当たっていなかった、渡嘉敷島とか南大東島といった離島の魅力を発信しましょうと、県庁に提案書を出しました。それらを中国の富裕層にもアピールすることも考えて、セールスにも行きました。まだ富裕層の存在がほとんど日本では知られていない頃、2000年代の前半でした。『15離島物語』は今でも継続されていますよ」
この先取りの感覚と沖縄県とのつながりが、後のキャリアに大きく影響を与えることになります。
SELF TURNポイント② IT系人材育成事業を沖縄で受託
2005年、早期退職制度を利用してリクルートを退社。ネット系人材会社などを経て、人材育成事業も営むトランス・コスモス株式会社に入社しました。リーマンショック後の対策として厚生労働省が創設した緊急雇用基金を活用するための、人材育成を担当。じゃらんで関わりが深まっていた沖縄県の雇用対策を企画し、運営責任者に。
「沖縄県は特に雇用対策が大変だったんで、若年者ジョブトレーニング事業というものを提案して受注しました。那覇市でIT系人材育成事業も受託したり、WebやDTPクリエイターの育成事業も運営したり」
沖縄県庁のプレゼンテーションは4連勝という滑り出しだったそうです。そこで信頼を培い、新たな事業に広げていきました。「県庁の方と親しくなると、異動した先の部署とも面識ができるので、新しい案件にもつながるんです」と山田氏。リクルート出身というキャリアが、「人材系のプロ」のブランドを創ってくれています。さらに、当時(2011年)はAR技術を活用したスマートフォンアプリを使って埼玉県で観光プロモーションも行い、「IT系にも強い」という色も付けてくれました。いよいよフリーランスに踏み出そうとする山田氏の、強い味方となったのです。
SELF TURNポイント③ 沖縄でフリーランスとなることを決意
2013年、山田氏はトランス・コスモス社を退社。その理由は「東京への異動辞令が出たから」でした。
「東京はもうしんどくて。次は沖縄に移住しようと思っていました。東京で人脈を一から作り直すより、4年間どっぷり漬かっていた沖縄の人脈を頼った方がいいんじゃないかと。それまでの僕のキャリアは、東京より発揮できるチャンスがあると思いましたし。沖縄の方が自分の利用価値があるというか」
「SELF TURN」には、東京や大阪などの都市部で培ったキャリアを地方で活用するという意味合いも含まれています。山田氏はまさにSELF TURNを実践して沖縄でのスタートを選んだわけです。それにあたり、会社員として勤めるのではなく、業務委託などで自治体や企業と契約する方法を採りました。
「ちょうど娘たちの教育費がかさむ時期だったんです。何とか今までの収入を確保するためには、その方法がベストでした」
それまでのキャリアと人脈を活用して、沖縄と東京の数社と契約を結びました。民間からの委託内容は、沖縄県とのパイプを通すことがメイン。県庁内で築いた人脈が功を奏しました。企業には、行政との接し方や予算取りの方法までレクチャーしていたそうです。
沖縄でのビジネスは「ノウフー(Know who)」がモノを言う
沖縄におけるビジネスの課題は3つあると山田氏は言います。
「雇用系、観光系、IT系です。僕はその3つとも経験しているんです。雇用系はリクルートでの営業経験。観光系はじゃらんでの経験。IT系はトランス・コスモスでやっていた沖縄でのコールセンターやWEB開発。だからどの話題になっても対応できます。それぞれのプロとして受け止めていただけるので」
キャリアを棚卸しすると、その3つに対応できる実績を重ねてきたわけです。リクルート勤務の年月が、そこに大きく関わってきました。
「ノウハウがなくても、ノウフー(Know who)、つまり誰に訊けば正確で最新の情報が入ってくるかがわかっていること。これがあれば、大丈夫です。リクルートには感謝していますね」
その人脈が、沖縄市に開設された「スタートアップカフェコザ」ともつながります。これは、沖縄市で起業する人たちのために開設されたコワーキングスペース。先端の技術や情報が集積され、沖縄からアジア、世界を目指す起業家たちが集まってきている場所です。
「リクルートで一緒にやっていた人間に紹介されて、スタートアップカフェコザの主宰者・中村まことさんと会ったんです。そこから関わらせてもらっています。沖縄は狭いので、一人と知り合うと相当な人数にコミットできると思います。僕はFacebookも基本的にオープンにしてますから、初対面の垣根が取り払われている状態でスタートできます」
自身のパーソナリティもありますが、話が進む速さはノウフーに理由がありました。
東京と同じスピード感が信頼を生む
よく「沖縄はのんびりとした時間感覚」と思われがちですが、ことビジネスに関しては当てはまりません。そして、山田氏はさらに東京や大阪と同じペースの仕事を心がけています。
「沖縄だから遅い、という内地の人のイメージと裏腹に、東京と同じスピード感と納期、そしてコミュニケーション量で仕事することでストレスをなくしてあげられるんです。仕事の早さは、誠意だと思っています」
さらに、山田氏のフットワークのよさ、軽さも光ります。神出鬼没、という表現も浮かんでくるくらいじっとしている時間が少ないのです。
「僕はいま観光物産振興協会にも籍を置いていますが、基本的にフリーランスのつもりでいます。フリーランスというのは、自分で情報を取りに行かなければならない。動かなければ何も入ってきません。ですから、いろんな情報にはビビッドに反応して、お金と時間が許す限りは会いに行こうと思っています」
東京でも大阪でも、放っておいても情報は入ってきます。しかしフリーの立場になれば、それが限られた状況であることがよくわかります。しかも沖縄という距離的には隔絶された島。積極的に「出てくる」ことが、必須となります。
「アポイントで人と会うついでに、『ところで』みたいな感じでほかの情報も入ってくるんです。クチコミでの伝わり方は、ネットより早いですから。SNSで見た情報を実際に会って確認することもよくしますね」
スピード感とフットワークが、今の山田氏を形づくっています。
人生の選択権は、自分で持っていたい
リクルートでは、「100万分の1の人間になれ」という教えをうけたと山田氏。何か一つの分野で100人のうちのトップになる。もう一つの分野でも100人中トップになる。1万分の1の存在。もう一つの分野で100人のトップになれば、100万分の1です。
「まだ僕はそこまで行ってませんが、極力かけ離れた分野で1パーセントになれと若い頃はよく言われていました。これは、セルフブランディングに通じるんです」
沖縄にいること自体がブランディングになります。観光分野で、行政分野でトップになっていけば強力なブランディングに結び付くわけです。
「東京の人が沖縄で何か行政案件をやりたいと思ったら、山田に相談しろということになってきています」
現に、取材時には自動車、アウトドア、スポーツのイベントが3本同時進行していました。「社会人生活の中で今が一番忙しい」と言う山田氏。そのゴールはどこにあるのでしょうか。
「ゴールは自分でつくるべきだと思っているんです。自分の中でイメージは持っていて、今のゴールだったらこの観光物産振興協会がDMOの認定を受けることかもしれません。自分で適任だと思えばその代表の辞令は自分で出しますし、他に適任者がいたら自分に退職の辞令を出すでしょうね」
山田氏は、いろいろな場面で自分に選択権を持っていたいと語ります。これは、フリーランスならではの特権です。自身(そして家族)の人生を選択するということは、重い責任も背負うこと。いや、既に背負っているのでしょうが、その重さは山田氏からは微塵も感じません。「沖縄へ来るときって、みんなウキウキしちゃうんですよね」という言葉にその理由が隠されているのかもしれません。沖縄の不思議なチカラ、吸引力を垣間見せていただきました。
山田 一誠
1989年、大学の工学部を卒業後リクルート入社。関西就職情報誌事業部で営業職として大阪府東部エリアを担当。カーセンサー、じゃらんを経て2005年退職。人材系、IT系の会社を経て2013年にフリーランスとなり沖縄へ。顧問・コンサルタント・契約社員として県内外の企業と契約。現在、沖縄市観光物産振興協会にて事務局長も務める。