すべてを受け容れることで見えた、新しいキャリア! 「鹿児島マルヤガーデンズの仕掛け人」とは
城山観光株式会社 常務取締役 玉川 惠氏
鳥羽山 康一郎
2018/05/15 (火) - 08:00

鹿児島市の中心部・天文館に、2010年グッドデザイン賞を受賞した「マルヤガーデンズ」という集合施設がある。百貨店跡地の再生商業施設で、ファッションブランドやインテリアショップ、雑貨関連ショップが入居していることに加え、各フロアに「ガーデン」と呼ばれるコミュニティギャラリーを設置、地域のNPO法人や民間団体が活動できる場所を提供する「ユナイトメントストア」だ。以前は三越百貨店が入居していた建物を再生させ、「鹿児島を変えた」といわれるほどのインパクトを与えた。実現させたのは、東京で公認会計士として監査法人や外資系企業でのキャリアを積んだ後にUターンした前社長の玉川惠氏だ。輝かしいキャリアの中での大胆な転身の理由を、当時の鹿児島を振り返りつつ産みの苦しみ、開業後の模索、これからのビジョンなどを含め語っていただいた。

「家族との暮らし」が優先順位の最上位であることに気づいた

鹿児島は「マルヤガーデンズ前」と「マルヤガーデンズ後」ではまったく違う時代だ──こう評する鹿児島市民がいる。それほど鹿児島の街にインパクトを与えた存在が、マルヤガーデンズだ。中心部の繁華街・天文館に建つ地上8階、地下1階のビルに、数々のファッションブランドや高感度な雑貨・インテリアショップ、飲食店などが入居している。これだけを採り上げればポピュラーなファッションビルだが、マルヤガーデンズは市民等によるコミュニティの場所をも孕(はら)んで誕生したという、少し変わった経緯をもつ。そして、開業時の社長だった玉川惠氏は東京からUターンしてきた人物である。

「東京で監査法人や外資系企業に勤めていたんですが、あるとき鹿児島の母が急死し帰郷しました」

公認会計士の資格も持ち、キャリアを築き上げてきた玉川氏だが、父親の一言で人生が変わる。

「お葬式が終わった日の夜、父親が『お前は帰ってきてくれないか』とポロッと呟きました。私はそのとき転職したばかりで、東京にマンションも買い、生活の基盤も据えて落ち着こうとしていたんです。でも、父の一言で『東京の仕事っていくらでも代わりはいるけれど、そばにいることを求めている家族の存在はすごく重い』と気付きました」

外資系企業にいたときはくるくる回されるハツカネズミのような存在だったと、振り返る。しかし、精いっぱいチャレンジしてきたという自負もあった。そのような日々を経て、「家族との暮らし」が優先順位の最上位に来た。鹿児島滞在の数日間で、仕事を辞めることを決めていた。

鹿児島では、外資系監査法人の鹿児島支社に勤務。1年が経ち生活のペースに慣れてきた頃、実家の会社を手伝わせてほしいと申し出る。かつて天文館で「丸屋」という百貨店を経営していた会社だ。その建物は当時三越に貸しており、不動産管理や関連会社の事業を見ることになった。2004年10月のことだ。

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『場の価値』を守ることが、街を守ること

2008年9月、鹿児島に大きなニュースが流れた。鹿児島三越の閉店である。丸屋と三越が業務提携した1973年以来、鹿児島で存在感を放ってきた。しかし郊外型ショッピングセンターやJR鹿児島中央駅の開業などで買い物客が分散し売上が減少。ついに2009年5月に閉店となった。この状況を間近に見ていた玉川氏は、「来るときが来た」と思った。そのときは、兄の逝去により既に丸屋の代表取締役社長となっていた。

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「天文館が地盤沈下していたときにリーマンショックも起こり、地方百貨店衰退の縮図のように閉店しました。ではその後をどうするか。まずは実家の会社をしっかり守らなければと思いました。兄や父から引き継いだ会社のバランスシートを、少しでもよくして次に渡さなければという使命感です。三越に貸していたビルを処分する選択肢もありましたが、天文館のあの場所は東京では銀座四丁目のような存在です。ビルを所有したまま『場の価値』を守ることが、街を守ることにつながるんだと思いました」

天文館が華やかだった頃に比べ、人出は悪化していた。同じエリアには山形屋という創業200数十年の老舗百貨店があるが、地域を挙げて活性化を図っていく姿勢を明らかにし、三越時代には合同イベントも開催している。天文館への思い、危機感は共通だった。

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地元の人たちが集う場を守る道は『自力再建』

自力で再建を決め、他の街で行われた地方百貨店再生のケースを調べた。実際に足を運び、視察もした。

「業態を変えたり再開発したりというところを参考にしようと思ったんですが、逆に反面教師をたくさん見ることになりました」

こうはなりたくない、と思ったそうだ。三越撤退後、コンサルタントからも数多くのアプローチがあった。このビルを手放さないと決断したからには、いい形で再生させたい。地元の人たちが集まるのだから、顔の見える館、誰が何を思ってやっているのか見える場所にしたい。ならば誰かに委ねるのではなく、自分たちでやるしかない。リーシングはどこに頼むか、改修工事はどうするか、運営はどこがやるかと、さまざまな業務が走り始めた。当初は、大手デベロッパーと協働する可能性もあった。しかし、改修を頼んでいた建築設計事務所「みかんぐみ」パートナーの一人である竹内氏の言葉によって、「自分たちで」の意思はさらに強まった。

「みかんぐみさんは、丸屋さんと直接仕事をしたいといってくれたんです。大手の駒になるのではなく」

ハツカネズミから脱却した自分の思いと重なったのかもしれない。

こういった決断を聞きつけ、地元の金融機関や行政サイドも協力してくれた。

「冷静な経営者ならとてもしないことを決意し、リスクを取ったからでしょうね。地元企業を支えなければ、応援しなければと」

大事なことは勘で決める──それが未来につながる

改修工事を任せることにしていた「みかんぐみ」は、遠く離れた横浜にある会社だ。

「横浜で設計事務所をやっている友人の所へ遊びに行ったとき、同じビルに『み』と書いてある看板を見つけてやはり設計事務所だと聞き、面白そうなんで『こんにちは』と入っていったんです。まるで飛び込み訪問のように(笑)」

設立パートナーの一人と雑談しているうちに、鹿児島のビルの耐震改修に話題が及び、じゃあ今度お願いしますということになった。まだ鹿児島三越時代だ。玉川氏がみかんぐみの実績を知ったのはその後のことだ。

「うわ、こんな大きな仕事をやっていたんだ、と。でも改修のお願いは、そのとき私の勘で決めたんです。それまでも大事なことは勘で決めてきましたから」

その勘が、マルヤガーデンズの未来につながった。
再スタートを目指してテナントのリーシングに奔走していたとき、なかなか決まらなかった雑貨関連ショップをみかんぐみから紹介してもらったのだ。デザイナー・ナガオカケンメイ氏率いる「D&DEPARTMENT」だ。ロングライフデザインをテーマに、家具や雑貨とともに地域の商品も発掘し、並べる。「雑貨店」と言い切ることのできないコンセプトショップだ。しかしナガオカ氏はそのオファーに対し、これではうまくいかないと断わる。ではどうすれば、と問う玉川氏に「コミュニティの場を入れるべき」と返し、最終的にナガオカ氏に全館のディレクションを任せることとなった。オープンに向けて最終コーナーを曲がりかけた頃のコンセプト変更。ロゴも筆記体に変わった。地域コミュニティを核にして地域振興を手がけている「Studio-L」の山崎亮氏も紹介され、館内に入ったところに広いコミュニティスペースを取るという、異色のショッピングビルがオープンした。三越撤退から1年後、2010年4月のことだった。

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城山観光株式会社 常務取締役

玉川 惠(たまがわ めぐみ)さん

鹿児島市生まれ。東京大学経済学部卒業。公認会計士。リース会社、監査法人、外資系企業経理部などへの勤務を経て2003年に鹿児島へUターン。2004年、株式会社丸屋本社入社。2007年同社取締役社長に就任。2010年マルヤガーデンズ開業。2016年より城山観光株式会社へ。2018年現在常務取締役。鹿児島経済同友会の副代表幹事も務める。

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「命をかけて働いた」マルヤガーデンズ

鹿児島市民が慣れ親しんだ場所でのマルヤガーデンズは、当然のことながら大きな話題となった。玉川氏が「ユナイトメントストア」と呼ぶように、「つながり」を意識したスペースが特長だ。地域のコミュニティグループに低料金でスペースを貸し、ワークショップや勉強会、PR活動などを行う。主立ったデベロッパーや百貨店関係者も相次いで視察に訪れた。しかし、経営者にとって最大の責任事項である「採算」が大きく立ちはだかった。

「開業年の秋から始まったローン返済に向け、キャッシュが回るかどうかとても厳しい状況でした。数字を上げるため、コミュニティスペースを売り場に転換することも行いました。カード会員を募集するなどの企画や、不動産の組み替えも。正直、命をかけて必死に働きました」

東京の外資系企業で「ハツカネズミのように」揉まれて働いた経験も、地力や自信につながっていた。ナガオカ氏が関わっていることで、雑貨やファッションブランドからのオファーも増えた。徐々に、今の色が付いていく。マルヤガーデンズ全館を見ると、規模の大きなセレクトショップのような印象だ。「玉川さんのセレクトでは?」と水を向けると、「それは他の皆さんのおかげ」と一歩引く。話題の人としてメディア登場も多かったが、一緒に取り組んできた人たちへの感謝は尽きない。

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(左上)マルヤガーデンズの基本コンセプトを決定づけたD&DEPARTMENT(右上)マルヤガーデンズ7階「屋上庭園ソラニワ」はウッディな中に池や植栽が(左下)ソラニワには「天文館みつばちプロジェクト」によりミツバチの巣箱が置かれ都市養蜂の拠点となっている(右下)結婚式場やパーティ会場が備わる。また、7階にはミニシアターも

「中の人」には見えない魅力を発信

こうやって軌道に乗ったマルヤガーデンズだが、開業後丸5年経ったのを機会に社長をもう一人の兄に譲った。

「兄の逝去という思いがけないことで家業を背負ったわけですが、長く代表の座にいるとは思っていませんでした。タイミング的にもちょうどよかったし、一区切りの意味もあり」と、一線から身を引いたのだ。そして、縁あって現在の城山観光株式会社へ取締役として移る(2018年現在は常務取締役)。こちらも鹿児島を象徴するSHIROYAMA HOTEL kagoshimaを経営している会社だ。

「ホテル業界は素人ですから、女性スタッフの応援団長的な立ち位置になっています。また、ここは鹿児島の顔ですし、きちんとしたホテルらしい接客とかしつらえとかも整えて。鹿児島のいいものを情報発信していければと思います。桜島が噴火して錦江湾があって、というのが日常の景色で、地元の人はそれが当たり前だと思っています。東京から帰ってきた私はそれがすごいと思うんです」

地方創生に取り組む際、まずその地域の観光資産や歴史資産といったポテンシャルを探すが、紹介しきれないほどの資産がここには揃っている。「玉川セレクト」の魅力を発信してくれる日は近いはずだ。

「受け容れる」人生だからこそ、新しいものが見えてくる

玉川氏は現在、株式会社ソラシドエア(宮崎市)と日本特殊陶業株式会社(名古屋市)の社外取締役も務めている。いずれも、縁があって声がかかった。

「エリアも業種も、会社の規模も違います。取締役会に出るときはしっかりと頭を切り換えて行かなければ」と笑う。しかしマルチな興味をもち、どんどん前へ出ていくタイプと思いきや、まったく反対だ。

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「私の人生のテーマは、『受け容れること』。目の前に降ってくることをすべて受け容れ、それから逃げずに取り組んできました。鹿児島に戻ったのもマルヤガーデンズをつくったのも、そこを離れたのもたまたま。受け容れて前に進めば、必ず新しいことが見えてきます」

その時々で出逢い培った人々とのつながりも、いろいろな場面で絡み合っている。そこからまた新たな関係性も生まれてきた。あのまま東京で働き続けていたら、おそらく得ることのできなかった経験ややりがい、チャンスなどをそのつながりによって引き寄せ、玉川氏の今がある。それと同時に、地域のニーズや市場環境の変化は「外からの目」が敏感に捉えた。東京でのキャリアがあったからこそ、成功の芽を大きく育てることができたのだ。とはいえ──

「東京から地方へ行くとき、あまり考えすぎてもしょうがないと思います。やってみて、やりながら考えていくのがいいんじゃないでしょうか」

目の前の事態から逃げず、全力で取り組んできたゆえに醸し出せる柔らかさで玉川氏は語る。彼女もまた、鹿児島が育んだ資産のひとつなのかもしれない。

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城山観光株式会社 常務取締役

玉川 惠(たまがわ めぐみ)さん

鹿児島市生まれ。東京大学経済学部卒業。公認会計士。リース会社、監査法人、外資系企業経理部などへの勤務を経て2003年に鹿児島へUターン。2004年、株式会社丸屋本社入社。2007年同社取締役社長に就任。2010年マルヤガーデンズ開業。2016年より城山観光株式会社へ。2018年現在常務取締役。鹿児島経済同友会の副代表幹事も務める。

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