使命感をエンジンに、構想の立案から実装まで、持てる力を総動員してゼロをイチにする。縁もゆかりもなかった静岡県浜松市でプロ野球の球団をつくろうと奔走する秋間建人さんに、自ら課題を設定し、その課題に挑む創造的な働き方のリアルを聞いた。
秋間 建人
1984年神奈川県横浜生まれ。静岡県浜松市へIターンして活動する社会起業家。前職の監査法人では、企業の内部統制システム構築やコンプライアンス/ガバナンス態勢整備の支援などに従事したほか、新規事業開発の活動として、スポーツビジネス専門チームの立ち上げに取り組み、Innovation Awardを受賞。学生時代に、DeNA創業者である南場智子氏や、MITメディアラボ所長の伊藤穰一氏と出会い、起業家になることを志す。前々職の米系コンサルティングファームでは、経営戦略に資するIT戦略の立案、体制構築するプロジェクトに従事する傍ら、幾度もボランティアとして東日本大震災の被災地へ足を運ぶ。浜松エリアで静岡県初となるStartup Weekend招致を実現する等、地元企業や大学、行政を巻き込みながらオープン・イノベーションの仕組み創りに取り組む。WIRED Audi INNOVATION AWARD 2016によりNext innovatorに選出。
「次の震災で亡くなる人を一人でも減らすために」
秋間さんが今、大きな関心を寄せるトピックは2つだ。ひとつは、自身が発起人として始動したプロ野球の球団創設に向け、母体となる一般社団法人 静岡県民球団に、球団の運営統括責任者となる「ゼネラルマネージャー」の適任者が現れるかどうか。もうひとつは、準加盟を果たしたルートインBCリーグと本加盟契約に進めるかどうかだ。
ことの起こりは、7年前の東日本大震災に遡る。
「私は1984年生まれで、仕事に社会的な意義ややりがいを求めると言われる世代です。我ながらわかりやすいペルソナだと思うのですが(笑)ご多聞にもれず、27歳の私は、プロフィットドリブンな考えの米系コンサルティングファームでの仕事環境に馴染めず、『自分が果たすべき社会的に意義のある役割って何だろうか』と模索していました。」
そんな中、東日本大震災が起きた。秋間さんは、震災数日後にボランティアとして現地に入った。視界の随所に遺体が横たわる光景が、秋間さんの人生を変えた。
「2万人の犠牲者を出した東日本大震災の現場をこの目で見た立場から、犠牲者が最悪のケースで33万人と想定されている南海トラフ地震を想像したとき、戦慄が走りました。次の大震災で亡くなる人を一人でも減らしたい。減らせる事業ってなんだろう?と考え、思い至ったのが防災減災につながるプラットフォームづくりでした。」
スポーツのマーケティング機能を課題解決に結びつける
白紙に描いたのは、新たにプロスポーツチームをつくり、これを“接着剤(ボンド)”と“増幅剤(アンプ)”にして地域の人的資本を強靱化・可視化するという構想だった。そして、構想のキーとして国民的スポーツである野球の魅力、価値に注目し、プロ野球独立リーグの球団という解に行きついた。日本地図を見渡して様々な地域にフィールドワークに出かけ、球団創設の実現可能性が高い地域を検討した結果、浜松が最適という結論に至った。
浜松は、80万人が暮らす政令指定都市でありながら、メジャーなプロスポーツチームがない一方で、社会人野球の名門チームであるヤマハ楽器野球部のファンの多くは浜松に在住している。そして地元経済界にも野球愛好者は多い。
2013年、秋間さんはまず、市役所へヒアリングに訪れた。すると、スポーツ振興課の課長が野球に造詣の深い市議会議員を紹介してくれた。その人物が現在の静岡県民球団の代表理事となる黒田豊さんだ。この出会いが、計画を一気に前進させることになる。
「昨今の日本大学アメフト部のスキャンダルが耳目を集めている現象は、残念な形ではありますが、スポーツが持つ力の効果を示す現象だと感じています。スポーツには多くの人の話題にのぼる力があります。防災・減災の必要性を説いても、関心のない人にはなかなか耳を傾けてもらえませんが、野球とからめることで訴えかける力が上がるのではないかと私は考えています。スポーツは、コトラーが提唱する『マーケティング4.0』の世界。つまり、PEACEを目的とするマーケティングの友好的な手段なのです。」
秋間さんは冷静に自分が果たすべき役割を意識し、Iターンの“よそ者”の自分だけでは構想の実現はできないと判断する。地域社会に構想を実装するには、“よそ者”の自分と組んで、同じ熱量で取り組んでくれる強力なパートナーが必要だと考えた。
2015年、そのパートナーとなる黒田豊さんを代表理事に擁立し、一般社団法人静岡県民球団が立ち上がった。秋間さん自身も、住民票を移しIターンし、理事の一人に就任した。
「1年のはずが、3年かかった。」BCリーグへの準加盟
そこから地道な草の根活動を続けて3年。2018年4月、静岡県民球団はBCリーグの代表者会議で経営体制などが認められ、準加盟が承認された。ステークホルダーの考えがまとめられず、3年の間には「まさか」の事態が何度も起きたという。
2018年5月17日(木)、浜松市役所での記者会見の様子
BCリーグの村山哲二代表(右)と静岡県民球団の黒田豊代表理事
「Iターンし、地域に現場を持ってみてわかったことは多いです。例えば、StartUpWeekend。東京の感覚では、毎月の様にどこかで開催されていたイベントだったのに、静岡県内では一回も開催されたことがなかった。インターネット社会で情報格差はなくなっているものと思っていたので、最新の情報に触れることのない環境に疑問を覚えました。最先端の知に触れ、人々と交流する機会が極端に少ないことに不安を覚えはじめ、浜松から新幹線で毎週通う形で慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科に入学しました。」
理論的な頭脳先行の構想と、全人的な生活や人付き合いをともなう現実を動かす地域事業のギャップの渦中で、「こんなはずではなかった」ともがきながらも行動し続けた3年間。次なるターゲットは、BCリーグの本加盟承認だ。
BCリーグから本加盟承認を受けるには、年間1億円余りの予算の内のスポンサー契約などを3年分確保した形で計画を立てなければならない。
「都市対抗野球に出場するような企業の野球部は現在、全盛期の半分以下のチーム数にまで減少しています。背景の一つには、一企業で数十億円近くかかるチームの運営費を確保することの難しさにあると考えています。企業が自社のために野球チームを運営するのではなく、地域社会全体のために協力してひとつの野球チームを運営するのだという発想にシフトしていただければ、スポンサー料は決して高くはないし、予算の出どころはあると思っています。」
準加盟までこぎつけ、現在はスポンサー企業への営業に奔走する日々。少しずつだが、ゼロはイチに近づいている。
「浜松には、野球チームを持てるだけの地域の力があると信じています。一言目に『地域のために自分たちがいる。』と自覚的に言えるプロ野球選手がこの浜松から現れ、そういう子たちがセ・リーグやパ・リーグに行って、全国区の記者会見で浜松のことを発信する。それが、スポーツが地域の“ボンド”と“アンプ”になるということだと思っています。その光景を見るまで、満足せずに走り続けます。」
スポーツのマーケティング力と地域の底力を掛け合わせることで、防災・減災に寄与する連帯を生み出すために。秋間さんの挑戦は続く。
一般社団法人静岡県民球団
- 代表理事
- 黒田豊
- 所在地
- 静岡県浜松市中区上島6丁目19?1
- メール
- hamamatsu.baseball@gmail.com
- 設立
- 2015年