都心での華やかなOL生活から一転、山梨で自然農中心の暮らしへ 「風と土の自然学校」、森の共同保育「はねこっこ」主催の梅崎奈津子氏
大橋 真生
2017/09/11 (月) - 08:00

便利でモノに溢れた現代、都会の消費生活に違和感を感じながらもどうして良いかわからず、身動きのとれない方もいるのではないでしょうか。味の素株式会社で正社員として東京勤務をしていた梅崎奈津子さんが今身を置くのは、山梨の青い空の下。持続可能なライフスタイルと、人と人、人と自然のよりよい関係作りを学ぶ「風と土の自然学校」をご主人と共に、ご自身は森で遊ぶ共同保育「はねこっこ」を主宰しています。都会の会社員だった奈津子さんが、山梨で「自然との暮らし」を見つけるまでに何があったのでしょうか。

充実していた味の素時代、転機は「青年海外協力隊」

会社員時代は季節ごとに服にお金をかけたり、仕事後は流行のレストランで食事をしたり、OL生活を謳歌していたという奈津子さん。しかし、そんな消費の日々を「“本当は疲れる”と感じていることや“周りに合わせている自分”にあんまり気づかないようにしていたんだと思います。モヤモヤはしていたけれど、その正体が何かわからなかった…」と当時を振り返ります。

そんな彼女が社会人3年目のこと。様々な価値観に触れる必要を感じるようになっていた奈津子さんは、他部署の先輩と食事に行ったり、大学の公開講座に参加したりと、“多様な価値観に触れること”を意識的に実行してみることにしたそうです。

そのうちの一つが、たまたま会社の近くで開催された「青年海外協力隊」の募集説明会への参加でした。7歳からガールスカウトとして活動していた奈津子さんは、日頃から社会の課題、とりわけ、ODA(政府開発援助)やNGO/NPOの行う開発援助について関心を持ってはいました。しかし、説明会に参加するまでは青年海外協力隊というのは「自分とは縁遠いもの」と感じていたそうです。説明会に参加してみて、質疑応答のやり取りが気さくで「自分にも応募できるかもしれない」との思いが初めて芽生えたと言います。

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青年海外協力隊を意識しはじめたものの、味の素では人事部に配属され、採用や研修を担当。仕事は楽しくやりがいを感じていました。この時の奈津子さんは25歳。2年の任期を終えて帰ってきたら27歳…という女性ならではの悩みと言える結婚や出産のリミットも頭をよぎったといいます。迷いながらも、奈津子さんは「国際協力」や「途上国の開発援助」について学びを深め、1年後、思い切って協力隊に応募したのです。すると、結果は見事「合格」でした。

そうして青年海外協力隊員として、2年間ホンジュラス共和国で活動した奈津子さん。入国早々、ホームステイ先で生肉による腸炎になったり、発砲事件に遭遇したり、配属予定の職場で暴動が起きたために着任が取り消されたり、様々なトラブルに遭いながらも無事任期を終えて帰国します。

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そんな青年海外協力隊で奈津子さんが身につけたことの一つが、「多様性を受け入れること」でした。日本を出れば、髪の色や肌の色も含めて「みんな違うのが当たり前」。ホンジュラスでは、自分とは異なるものを受け入れるキャパシティが広く、奈津子さんが黒髪の日本人である物珍しさも手伝ってか現地に受け入れられ、街中でもバスの中でも気軽に挨拶を交わす生活でした。この経験は、「島国である日本で育ち、人と違うことに敏感になっていた自分のキャパシティを広げてくれた」と奈津子さんは話します。

第2の転機は「パーマカルチャー」との出会い

奈津子さんは帰国後、ユニセフ(UNICEF:国連児童基金)関連の仕事に携わった後、自身も7歳から活動していたガールスカウト運動の日本の事務局「ガールスカウト日本連盟」に勤めることに。そして、ガールスカウトとして2005年開催の愛知万博の「地球市民村」に出展することになったそう。そこでパビリオンの設営や運営を学ぶ勉強会でプログラムデザインの講師として呼ばれていた人こそ、後のパートナー・梅崎靖志さんでした。靖志さんは「安曇野パーマカルチャー塾」の運営にも関わっていた環境教育の専門家でした。

パーマカルチャーとは、「暮らしのデザイン」とも呼ばれ、持続可能で環境負荷を減らし自然と関われるように暮らし、社会、地球をデザインしていくという考え方。靖志さんから刺激を受けた奈津子さんは「安曇野パーマカルチャー塾」に通うようになります。そこには、消費を中心とした都会的な暮らしに対する違和感、会社員時代に抱えていたモヤモヤへの答えがあったのです。それは、「今の自分」だけを見て「消費だけをし続けていたこと」でした。

奈津子さん曰く、「パーマカルチャーとの出会いはいつも『今、自分が便利か』ということだけを優先せず、今、私の選択によりどこかの誰かが傷ついていないか、また後々も誰かが傷つかないか、不利益を被らないかという『空間的、時間的な視点の広がり』を常に意識し、今の行動を選べたらいいな、と考え方が広がったきっかけ」だったそう。

パーマカルチャーの考え方に触れた奈津子さんは、自分の暮らし、ひいては人生を自らデザインする楽しさに魅了されていきました。

結婚と独立。山梨の地で「風と土の自然学校」をスタート

その後、2009?年に靖志さんと結婚した奈津子さんは、知人に紹介された山梨の空き家に移住を決めます。元々環境教育をライフワークとしていた靖志さんは、既に「風と土の自然学校」の屋号で活動をしていました。そこで、拠点となる場所を探していたのです。ここなら、自分たちも田畑を耕し自然を感じて暮らしを作っていける。

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東京のマンション暮らしから山梨へ。田んぼと畑、小さな家を見つけた梅崎夫妻は自然団体や自然体験関連団体へのメーリングリストへの投稿や自分のブログ、チラシなどで、年間講座等の参加者を募集しました。参加者は順調に集まり、いよいよ新天地での「風と土の自然学校」の出発となりました。

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「風と土の自然学校」、森の共同保育「はねこっこ」とは?

「風と土の自然学校」は、持続可能なライフスタイルと、人と人、人と自然のよりよい関係作りをテーマにした自然学校です。自然農とパーマカルチャーを軸に循環する暮らしを自分の手で作る楽しさを伝え、実践するための知恵と技術を学ぶ場です。

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「環境のため、自然のために努力するのでは、なかなか継続するのが難しい。でも自分の手で暮らしを作る楽しさを伝えることができれば、楽しいからついやってしまうし、続けるための努力もいらない」

このような思いから、奈津子さんは暮らしの中での“農”を大切にしており、梅崎家の暮らしを通して共に学んでいきたいと思っているそうです。

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また、風と土の自然学校の全ての講座が「自分らしく生きる」ことをサポートする視点で開かれているのも大きな特徴です。参加者は20?50代と幅広く、通ううちに自分の大切にしたい価値観を再確認、発見し、向き合うことで働き方を見直したり、田畑を始めたり、新たなステップに進んだり、移住を決めた人も多いそうです。

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もう一つの「はねこっこ」は、毎週開催の共同保育。奈津子さんの暮らす都留(つる)市の羽根子(はねこ)地区にちなんで「はねこっこ」と名付けられました。「はねこっこ」では、親子の集いならではの「手遊び」や「ゲーム」「工作」などはありません。その代わりに親子で森に行きます。

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毎週、淡々と自然の中を歩くと、そのときにしかない自然に出会うことができます。森へ入ると、子どもも大人も五感が開かれ、心が自由になります。子どもたちは、その時々の森の中に命を見つけ、遊びを見つけ、生き生きとします。一方で、見守る大人たちはお互い向き合う状況になります。そこには、「母親達が関係性を深め、子育て期に助け合える仲間を見つけていくことが子育て支援になる」という奈津子さんの思いがあるのです。

実は「はねこっこ」は、娘さんの「友だちづくり」も兼ねてはじめたものだとか。それは、娘さんを幼稚園へ通わせない選択をしたためでしたが、そこにも「家庭を暮らしの中心としたい」という思いがあったそうです。「はねこっこ」は初回こそ、知り合いだけでの開催でしたが、口コミでどんどん広がっていきました。

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視野を広げれば、可能性がみえてくる

東京都出身の靖志さんと埼玉県出身の奈津子さん。縁もゆかりもない山梨に移住し、お互いに会社勤めをせずフリーランスでやっていくことに不安はなかったのでしょうか。 奈津子さんは「思い込みってあると思うんです。わたしもあったのですが、そこを外すだけで楽になりました」と言います。

「暮らしの場を変える時、特に都市部から地方へ移住する際、経済的なことが心理的なハードルを上げていることが多いように思います。例えば、数十万なければ暮らせないとか。でも、アウトプットを減らして必要な金額が減れば、意外にいけるかもしれない。一つの会社に勤めていなければいけない、東京にいなければいけない、収入源はひとつ、というのも思い込みのひとつですよね、どこの会社に勤めていても今の時代いつ潰れるかなんてわからない、それならまずその常識から降りることで、自分で仕事を作る、という選択肢も見えてくるわけです。この事は主人から教わりました」

とはいえ、奈津子さんにはキャリアがあり、青年海外協力隊でスペイン語を習得したりと専門的な知識を持っている「特別な人」にも見えます。

「そんなことは全くありません。例えば、私もスペイン語が話せると言っても日常会話程度。海外では2ヶ国語以上話せる人がざらにいて、上には上がいるのを知っていたので、それを踏み出さない理由にしていました。けれど、だれでも“その人ならではのオリジナルのもの”があって自分を棚卸しすることで見えてくる“好きなこと”があります。好きなこと単体では全くお金にならなそうでも、“現在のスキル”と掛け合わせたらすごい強みになることもあります。私もそんな風にして、東京ではスペイン語を教えていました。自分で仕事を作り、必要な金額を積み上げられたら暮らしていけるものです」

この場所には、都内からも地元からも面白い人が集まってきます。今ではその面白い人たちに話を聴く講演会を開くのも、奈津子さんが楽しみとする仕事のひとつです。

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この土地に来た時には1歳だった梅崎さんご夫妻のお子さんも小学生になり、梅崎さん家族はすっかり地域に馴染み、今日も季節の移ろいを感じながら暮らしています。悩みながらも、いつも自分の気持ちに正直に進む方向を決めてきた奈津子さんの言葉は、優しく力強く、迷う人の背中を後押ししてくれるのではないでしょうか。

「山梨の人は、全部食べ終わる事を“食べきる”と言うのですが、最近はそれが深いなって思っていて。それは、やりきる、生ききる、ということにつながるんですよね。『はねこっこ』でも、子どもは大人が気づかないような小さな虫を本当に満足して『もういい』ってなるまで見続けている。わたしも、せっかくもらった体をめいっぱい動かして手を使って、やりきったと思える瞬間が積み重なることで、『生ききったな』と言える人生を送れたらいいなと思っています」

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梅崎 奈津子(うめさき なつこ)さん

1971年生まれ、埼玉県ふじみ野市出身。短大卒業後、味の素株式会社入社。本社人事部で採用や新人研修などの業務を担当。1996年に退社。同年より2年間、青年海外協力隊員としてホンジュラス共和国に派遣(職種:青少年活動)。帰国後、ガールスカウト日本連盟、青年海外協力隊(派遣先:ドミニカ共和国、職種:プログラムオフィサー)などを経て、2009年結婚。長女を出産後、山梨県へ移住。家族で「風と土の自然学校」を運営。2011年より森の共同保育「はねこっこ」を主宰。2017年11月に開催される「森のようちえん全国交流フォーラムin東京」にて文科会『森のようちえんの視点と日々の暮らし』を担当予定。

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