熊本県にある人口300人弱の小さな島・湯島(ゆしま)で、ただ1人の「海女ちゃん」として働くのが、姫野千月(ちづき)さんです。湯島で生まれ育ち、一度は島を出て東京の美容室で働くものの、夫・子ども達と一緒に故郷へと帰った彼女。少子高齢化が進む島の中で子育てしながら、若い力を発揮して島に新たな魅力を吹き込んでいます。
夫婦そろって、美容師から漁師へ転職
湯島は、熊本県上天草市の沖合、有明海の真ん中にある周囲約4kmの小さな島です。人口は300人弱(2017年時点)。島内には大きな道路がなく、島にある車はわずか5台(農業用の軽トラ)。家が建て込む中で細い坂道が島内を巡り、昭和のノスタルジックな景色をほのかに残しています。釣りや海水浴客が訪れるほか、最近はウミガメの産卵地として、そして「人よりも猫が多い」猫の島としても人気が高まり、多くの猫派や写真愛好家も訪れる島になっています。また冬には、生でかじっても梨のように甘い希少な大根「湯島大根」の生産地としても人気です。
島民のほとんどが漁師であるこの島で、例に漏れず漁師の娘として生まれ育った姫野さん。 「子どもの頃から海が遊び場で、水泳の授業も海。街の子が公園で駆け回って遊ぶのと同じように、島で海を泳ぎ回って遊んでいました」
漁船が車代わり、遊び場は砂浜か海。のんびりした島時間の中で、海と共にのびのびとたくましく育ったそうです。
湯島には小中学校が1校しかなく、島の子どもは高校生になったら必然的に「本土」へと出ることになります。寮や下宿で1人暮らしを始める場合がほとんど。卒業後すぐに島に戻る若者は少なく、姫野さんも高校卒業後は東京へ上京し美容師として働きはじめました。ここで、同じく美容師だったご主人と出会い、結婚、出産。「自分はずっと東京で暮らしていくのだと思っていた」と姫野さんは振り返ります。
しかし、いろんな流れが姫野さんを故郷へと導いていきます。1つは、ご主人が釣りが大好きだったこと。年末の里帰りなどで湯島に帰ると、姫野さんのお父さんととても話が合ったそうです。
「『姫野』は夫の姓ですが、我が家の漁船の名前が『乙姫丸』である偶然もあって、父は『漁師やってみらんね?』と、夫をこまめにスカウトしていたようです(笑)」
3人姉妹の長女だったため、島で年齢を重ねる両親の世話をしたいという思いも強くなりました。そして、のどかな島で生まれ育った姫野さんにとって、都会での子育てに多少の息苦しさも感じていたのです。
「人との距離が近く、どこにいても誰かが見てくれる湯島は、子どもが育つ環境としてとても恵まれていると、改めて感じていたんです」
「島に戻りたい」、そんな気持ちが徐々に膨らみ、ご主人も「だったら漁師になろう」と、結婚6年後の2001年に家族で湯島に戻ることに。東京で2人、湯島で3人を出産し、二男三女、5人の子育てに励みながら、漁船「乙姫丸」の跡継ぎとしての新しい人生をスタートしました。
女性には難しい、湯島海域での「潜り漁」に挑戦
湯島周辺の海域は潮の流れが速く、潜り漁は男性が行う仕事とされています。島に戻った当初は、姫野さんも島周りの浅瀬でウニやカニなどを拾うだけだったそう。しかし、あるときに島の人に「陸のウニは小さいねぇ」と言われたことが、姫野さんのチャレンジ精神に火をつけることに。「大きいウニを捕ってやる!」と、最初は父やご主人について、次第に独り立ちして潜り漁を始めました。念願の大きなウニは、瓶詰めにして販売もスタート。「海女ちゃん」としての漁の仕事が、次第に波に乗っていきました。
体力的に女性には難しいといわれる湯島での「海女ちゃん」。女性で潜り漁を行うのは姫野さんただ1人です。「島で生まれ海と共に育ったからこそ、できる仕事だと思います。常に命の危険と隣り合わせの仕事ではありますが、海の恵みを自分の手で収穫できる喜びが大きい」と姫野さんは笑顔を輝かせます。
5?8月はウニ・サザエ・アワビ、2?5月にはワカメ、さらにヒジキなどがとれます。潜り漁の時は1人で船を出し、頭から真っすぐに素潜りして1分程の潜水で獲物を獲ります。
「私は息が長く続くタイプではないので、その分回数をこなしてたくさんの漁をします。ウニやアワビなどは楽ですが、ワカメ漁は重さがあるのでとてもハードです」と姫野さん。漁の最盛期には体重が10kgは減るのだそう。アスリートのようなストイックな仕事です。
「でも、とっても楽しい!私にとって海に潜ることは、仕事であると共に、ストレス解消やリフレッシュの時間でもあるんです」
釣り船を営んだり漁に出ているご主人も、時には一緒に潜り漁を行うこともあるそうです。「どうしても島育ちの人に比べたら潜れる時間や漁に差は出ますが、本人は気にせず楽しんでいるみたいですよ」
ゆっくりした時間の中で、夫婦共に好きなこと、生きがいを仕事にできている喜びが、姫野さんの笑顔からあふれ出ているようです。
島で当たり前のものが、実は大きな観光資源に
冒頭でも紹介したとおり、湯島は数年前から「猫の島」としての人気が高まりはじめました。従来は釣り客や海水浴客が主流で、島にあるのは4軒の民宿と雑貨店、あとは自宅の軒先で海の幸を売るお家が数軒のみ。民宿では予約すればランチも食べられますが、写真撮影や猫と戯れに来た観光客がご飯を食べる場所が、湯島にはありませんでした。
「島に来てくれたお客さんが、食事したりゆっくり休憩できる場所を作りたい」と思った姫野さんは、漁港近くの空き家を借りて、「海女ちゃん食堂 乙姫屋」をオープンしました。2014年のことです。
こちらで出されるのは、ご主人が釣った魚や姫野さんが潜り漁でとった旬の海の幸をふんだんに使った定食や、お好み焼きなどの軽食。また、海水浴や釣りの帰り、定期船の時間を待つまでの休憩時間としても開放しています。
最初は「海女の仕事の合間にちょこっと食事も出せれば…」との考えで始めたそうですが、いざお店の情報が広まると島外のお客さんから人気を集め、忙しい日々が始まりました。お店で出しているのは、姫野さんが島で子どもの頃から普通に食べていた家庭料理。でも、島外の人はこれを「すごいご馳走」と驚き、愛してくれる。そんなお客さんの反応を見て、姫野さんは大きな発見をしたそうです。
「島では普通のことでも、外に発信すれば大きな観光資源になる。人を呼ぼうと無理に何かを変えようとするよりも、当たり前に湯島にある魅力を広く知ってもらうことが、一番大事なのかもしれない」
ウニやカサゴ、タイなど四季折々の新鮮な海の幸、たくさんの野良猫、昔のままの細い路地裏道、そして島民の優しく穏やかな雰囲気。これらがかけがえのない財産であると、改めて気づく結果になりました。
姫野さんの子どもたちの内、上3人は進学のため島を離れていますが、それぞれ水産や調理関係を専攻しているそう。ゆくゆくは学んだことを島で生かしてくれるかもしれないと、姫野さんは期待を寄せています。
「子ども達が『乙姫丸』3代目として漁で活躍したり、『乙姫屋』で腕をふるってくれたら、これ以上嬉しいことはありませんね。もっとお店を大きくできたら人も雇えるし、湯島にももっとお客さんや働き手を呼べるかもしれない。あるがままの島の魅力を生かし、守りながら、少しずつ進んでいければと思います」
若者や働き盛りの人は島外に出てしまい、日本がやがて直面する少子高齢化社会の縮図のような湯島ですが、最近では若い移住者も少しずつ増えてきていると言います。これも、姫野さんをはじめとした若い島民の頑張りと情報発信の賜物。増え続ける空き家の活用や、この島に来る人を受け入れるための場所・仕事づくりなど課題はまだまだありますが、湯島に大きな変化が起こっていることは確かです。
姫野 千月さん
1975年生まれ。熊本県上天草市大矢野町湯島出身。高校から島を出て熊本県内の高校で服飾デザインを学び、高校卒業後は東京に上京し美容師となる。同じ職場でご主人・優さんと出会い結婚、出産。その後家族皆で湯島に戻り、釣り船・漁船「乙姫丸」の運営や、島唯一の「海女ちゃん」としての潜り漁を始める。2014年には「海女ちゃん食堂 乙姫屋」をオープン。上は21歳から下は9歳まで(2017年7月時点の年齢)、5児の母親でもある。