Webサービス運営やCMS構築などを行う「株式会社コミュニティコム」の代表取締役兼、シェアオフィス・貸会議室・コワーキングスペースを提供する「7F」運営代表者の星野邦敏氏。大宮経済新聞編集長の顔も持つなど多彩な星野氏のキャリアを辿ります。
引きこもりから就職、そして法人設立
中央大学の法学部法律学科を22歳で卒業してから、就職をせず5年間自宅に引きこもっていたんですね。笑っていいともが始まる頃起きるような夜型生活を続けていたんですが、27歳になって「そろそろ社会に出ないと」と思い、2006年に税理士法人に就職しました。「どんな小さな会社でも経理とか財務とかの部署はある」と思ったのが理由でした。
そして税理士や公認会計士の受験勉強をしていたんですが、今と違って予備校自体が運営する受験生向けサイトやポータルサイトなど少ない頃でしたので、自分用に税理士受験サイトとか作ったんですね。趣味でそのサイトを運営していたら予備校から広告がつくようになったんです。その後アフェリエイトという方法を知ってからは当時の税理士法人でもらっていた額をはるかに超える収入が入るようになったんです。とはいえ、就職した会社をやめるつもりはなくて。5年間無職でしたので、やっと社会に所属しているという承認欲求がでてきましたし。なので個人事業主として登録して、副業として続けていました。このことは当時の会社の人も知っていました。
そんなあるとき、某大手企業から広告出稿を依頼されました。僕が個人でやっているとは知らなかったようで、「法人じゃないと広告出稿の稟議がおりない」といわれたことをきっかけに2008年、29歳で税理士法人を辞めて法人化しました。
(法人化は)正直成り行きではありましたが、日本は社歴を重視するところがあるので、法人化してよかったと今は思っています。節税の面もありますし。人を雇わないでやるなら個人事業主でもいいと思いますが、法人化してすぐ(創業1~3年)しか受けられない補助金や助成金などもありますし、特に1年目って決算書がないじゃないですか。2年目以降は「この決算書どうなの?」って、実績をもとに話をされますけど、1年目はそれがない分ある意味夢のまま行けるところもありますよね。
ITで起業、そしてコワーキングスペース運営開始
法人化してからは、東京都北区のインキュベーション施設・ネスト赤羽に入ったんですね。もともとIT畑ではなかった人間が、広告収入が増えたというだけの理由で法人化したということで、プログラミングも分からなければ、IT関係のクライアントワークもしたことがない、例えばどうやって見積もりだしたらいいか、どのタイミングで請求書出したらいいかもわからないといった状況。事業者としてのスキルアップをする必要があるなと。当時そこのインキュベーション施設には20事業者くらいいて、情報交換やプライベート含めた交流をしながら、毎日が文化祭のように楽しく働いていました。こういう空間っていいなと思ったのが、今のコワーキングスペース運営のきっかけのひとつにあったかもしれません。
ネスト赤羽で3年間やって、会社が大きくなったのを機に東京都荒川区の西日暮里に移転しました。オフィスは廃校になった中学校の1教室を使っていたのですが、東日本大震災後、耐震の問題でその中学校が建て壊されることが決まったんです。オフィス移転を余儀なくされ、移転候補として六本木や池袋なども考えたんですが、IT事業者として色々なコワーキングスペースに出入りする機会も増えていた中で、生まれ育った埼玉県さいたま市にそういったコワーキングスペースが当時まだ無かったんです。この機会に地元に会社を移し、従来からのIT事業に加え新規事業としてコワーキングスペース運営をして、地域に初めての業種業態を作りソーシャルインパクトのあることをしたいと思うに至りました。
軌道に乗るコワーキングスペース運営
2012年12月にコワーキングスペースの運営を始めて4年半ほど経ちました。このビルの7Fがコワーキングスペース。同じビルで6Fが空いたので、2016年3月に増床してシェアオフィス・貸会議室をやるようになりました。今度8Fが空くので再度増床予定です。
8Fはレンタル教室にする予定です。たとえばプライベートレッスンをやってる人って、家でやるか、どこかを借りるかだと思うんですけど、公民館を借りると(レッスンの)お金を取ることへの制約や、毎週必ず(この曜日・時間)ということが難しいという事情があるんですよね。そういう問い合わせを多くいただくので、事務所を持つほどじゃないけど自分のスキルを誰かに教えているプロの人を応援する空間にしたいなと。創業支援、地域活性の観点からも。できればもう2フロアくらい増床したいなと思っています。
もしこれからもう1フロア空いたとしたら、フロア全体を100人規模の会議室にしたいですね。今うちは50人規模までしかできていないんですが、検定試験とか大学の就職説明会など100人規模の会議室への需要があって、問い合わせも多いんです。それから、無人で安いところでは帰りにゴミが捨てられないといった問題もありますが、僕たちは今スタッフが17名いて、常に受付に人がいるという体制ができます。6Fがシェアオフィス・貸会議室、7Fがコワーキングスペース、8Fがレンタル教室、そして今後さらに増床して大きな会議室という展開にできれば、空間を使う選択肢の幅が広がって相乗効果も得られると思っています。
コワーキングスペース×大宮経済新聞で実現したいこと
大宮経済新聞の編集長としての顔もあります。大宮経済新聞は、ヤフーニュース等にコンテンツを提供する「みんなの経済新聞」の地域ネットワークのひとつです。今でこそ浦和・川越・熊谷・本庄もありますが、僕が始めた2013年当時は埼玉地域のネットワークが1つもなかったこともあり、大宮経済新聞をスタートし毎日大宮地域の街ネタ記事を発信しています。
なんでこの大宮経済新聞をやっているかというと、次のように考えているからなんです。 コワーキングスペースやシェアオフィスでは、産業を作る⇒そこから仕事ができる⇒売上が上がる⇒雇用が生まれる、という流れを実現させたいんです。そして人が根付いた後、どんなイベントがあるとか、こういうお店があるならいってみようとか、そういった地域活性につながるような記事を淡々と毎日大宮経済新聞で出すことで人の流れを作りたい。この両輪でやっているんです。ライターは主婦の方が多く、ちょっと空いた時間で取材に行ってもらって。ご主人は働かれているケースが多いので、扶養の範囲内で地域との接点もできるわけです。
今後の展望
会社は好調です。IT事業とコワーキングスペース・シェアオフィス・貸会議室事業とで、売上比率はだいたい半々です。相乗効果も出ています。
僕は今38歳なんですね。遊休耕作地が増えてきていて、埼玉県の就農年齢が70歳を超えている現実もありますので、40代の前半には近郊農業で少し変わった野菜を作ったりすることを考えています。そして、人口減少地域のモデルケースを作りたい思いがあります。
また会社として、二地域居住の制度を設けたいなと思っています。実は僕自身、お試しで半年、長野県上田市で空き家を借りて生活したことがあるんです。新幹線で大宮まで一本、1時間で行けますからね。色々模索していて、今度は鹿児島に行こうかなと…あとは和歌山とか静岡とか。
二地域居住をやるということは、属人性が少し減るはずなんです。優秀で人柄も良いけど介護や子育てなど何かしらの理由で一般的な会社勤めが難しい人を、うちなら受け入れられると思っています。そういう働き方はこれからの時代に合っていると思います。地方にいる優秀な人を教育できれば、うちとしてもメリットがあります。今うちにはいませんけど、東京が疲れたという人も、これからでてくるかもしれませんし。
これから副業、起業を考える方へのメッセージ
ITが分からない人間がITで起業したので、初めの数年は無下にされました。起業が29歳と若かったので、色々アドバイスはもらえたんですけどね。でも、やるのは自分ですし責任なくアドバイスしたいだけの人もいますから、そのアドバイスを全て真に受けていたら今の自分はないと思います。そして、出る杭は打たれますが、出過ぎた杭は打たれません。また打たれたことを覚えていて、自分が大きくなった時に見返してやろうという気持ちでした。現にITが分からなかった人間が今では18冊WordPress(というCMS)の本を出しています。初めはなんでお前が本を出すんだといわれましたが、今は言われなくなりましたし。
副業をやろうかどうしようか迷っているなら、まずはやってみたらいいと思うんです。そう思うようになったきっかけが、Back to the futureという映画の中にあります。主人公マーティのお父さんは現世(1985年)ではうだつの上がらない会社員ですが、タイムスリップした学生時代には趣味でSF小説を書いていたんですよ。息子であるマーティはタイムスリップするまで知らなかったわけですが。で、現世に再び戻ってきたらその小説が本になっている。その時のシーンで「やるかやらないかだ」といった字幕が出てたんですよ。それって、副業や起業にも通じる考えじゃないかと思うんです。やらない後悔よりも、まずやってみることの大切さではないでしょうか。
星野 邦敏さん
1978年生まれ。埼玉県さいたま市出身、中央大学法学部卒業。大学卒業後5年間のニート生活を経て、2008年Webサービス運営やCMS構築などを行う「株式会社コミュニティコム」を設立、代表取締役に就任。シェアオフィス・貸会議室・コワーキングスペースを提供する「7F」運営代表者、大宮経済新聞編集長としての顔も持つ。