人口わずか600人足らずの限界集落へ移住し、ハロウィンかぼちゃの生産者となった吉田信一郎さん。元々は、マーケティングリサーチの会社でバリバリ働いていた吉田さんが、このような転身を遂げた背景には一体何が?
実は有名?限界集落の利賀村
世界遺産の合掌造りで知られる、富山県五箇山地方。ここに吉田さんが移住した利賀村(とがむら)はあります。非常に険しい峡谷地帯の中にある、人口わずか544人(2017年5月31日現在)の限界集落です。
実は利賀村、演劇界では世界的に知られた村で、日本を代表する劇団「SCOT」の拠点が置かれ、毎年夏には世界中から劇団と演劇ファンが集結し、合掌造りを改修した劇場などで、演劇祭が催されます。
そんな利賀村に吉田さんが移住したのは、2016年のこと。特段、演劇ファンというわけでもなかった吉田さんは、演劇の村というのも移住してきてから初めて知ったといいます。元々、友人やツテがあったわけでもない利賀村に、一体どのようにして辿り着いたのでしょうか。そこには、吉田さんなりの移住ストーリーがありました。
自分自身が仕掛ける側でありたい
富山市出身の吉田さんは、大阪の大学へ進学後、そのまま大阪で就職。マーケティングリサーチの会社で、仕事内容はクライアントへ調査データを提供することでした。それはそれで面白かったという吉田さんですが、段々とこんな想いが芽生え始めます。
「自分が納品したマーケットデータを使って、社会に仕掛けているのはクライアント。自分も社会に仕掛ける側にいたい」
そう思うようになった吉田さんは、社会に対して仕掛けるためには、自分自身に何か武器を作らねばと考えるようになります。
そんな折、実家の祖父母の体調が崩れたこともあり、富山へ帰郷。しばらくは職につかず、祖父母の面倒を見ながら、何で勝負するかをじっくり考えていたそうです。
そこで出したのが「農業」という結論でした。三十路そこそこからの転身ということで、他の業界では遅いといわれる年齢でしたが、農業界においては若手と呼ばれる年頃。 「農業ならまだまだやれることがある」そんな風に考えたんだそう。
まずはその土地に慣れ親しむ
農業という道が決まっても、場所もなければ作物も決まっていません。新しく農業に従事することを新規就農といいますが、そのための第一歩は、セミナーに参加したり、地域行政の窓口で相談したり、ベテラン農家さんの下で修行したりと様々。
数ある選択肢のなか、吉田さんが選んだのは「公益財団法人 利賀村農業公社」への就職でした。一旦、農業関係の法人に勤めることで農に携わり、その間に自分の仕掛ける作物を見極めていこうと考えたのです。
仕事内容は、利賀村にある遊休農地を活用して農作物を作ったり、高齢者の手が回らなくなった農地をお手伝いしたり。仕事の過程で、自然と利賀村の方たちと触れ合うことができたそうです。
最初は、富山市から車で利賀村まで通っていた吉田さんですが、1年間通うなかで、利賀村に愛着を覚えるようになっていったといいます。「今考えると、知らない土地に慣れ親しむにはとても良いアプローチだったかもしれませんね」と振り返ります。
ペポかぼちゃの可能性を感じる
だんだんと利賀村にだったら移住しても良いかな、と考えるようになっていった吉田さんは、同時に自身が手掛けたい作物も絞っていきます。
「山合の利賀村では、大型農機による大規模農場はできません。また、12月~4月中旬頃まで雪に覆われてしまうので、自ずと作物は限られてくるんですよね」
実は利賀村は、知られざるかぼちゃの産地。「白爵かぼちゃ」と呼ばれる、甘くてまろやかな白いかぼちゃは、5月に種まきし9月には収穫を迎える、利賀村の自然環境にあった農産品でした。
冷蔵庫などない時代、雪で閉ざされる利賀村において、常温で貯蔵が可能なかぼちゃはとても貴重な食料として重宝されてきたんだとか。
ここ数年、秋になると世はハロウィン一色になります。その様子を見た吉田さんは、ハロウィンに欠かせないペポかぼちゃが、意外に高値で売られていることを知ります。同時に、日本での生産が少ないことも。というのも、ハロウィンかぼちゃの種子は輸入する必要があるため、参入障壁が高いのです。
「ハロウィンかぼちゃなら勝負できるかもしれない!」 ペポかぼちゃに可能性を感じた吉田さんの腹は、固まっていきました。
移住、そして就農へ
しかし、村に慣れてきたとはいえ、よそ者がいきなり得体の知れないものを作りたいと言い出しても、相手にしてもらえるはずもない…。そんな心配は、利賀村においては杞憂でした。
「演劇祭や、大学のゼミ合宿がよく行われているせいか、村の人たちの気質がとても開放的なんです。同じ富山県出身とはいえ、よそ者の僕にもとてもオープンで、よしやってみろ!と、すんなり受け入れてくれました」
家も畑もすぐ貸し手が見つかり、種子の輸入会社との話もついて、2016年晴れて吉田さんは利賀村へ移住。いざハロウィンかぼちゃの生産が始まったのでした。
「これだけすんなりスタートが切れたのも、通いで仕事をする中で、村の人たちとの関係性が作れていたことが大きかったですね。かぼちゃの作り方にしても、村の人たちから色々と教わっています」
現に、これまで失敗することなく、毎年、順調に生産が出来てきているという吉田さん。無農薬・無化学肥料栽培なのも、その必要がないからで、「使わなくても作れるなら、それに超したことない」と、あくまでも肩肘張りません。
利賀村全体を盛り上げたい
村の消防団に駆り出され、畑の管理がまったく出来ない期間もあると嘆くこともありますが、それだけ吉田さんが村に必要とされる存在になっていることの裏返し。今はそんな村の暮らしを大いに楽しんでいるようです。
実際、ハロウィンの時期には、「ランタンコンテンストin利賀」と称し、自身の武器となったハロウィンかぼちゃを使ってのランタンづくりコンテストを開催するなど、村を盛り上げています。
「ハロウィンといえば仮装して行進するのが今の日本での楽しみ方ですが、ハロウィンかぼちゃをランタンにしたり飾ったりする楽しみ方をもっと広めたい」と話すように、利賀村が起点となって、ハロウィンの新しい楽しみ方が日本で広まる日も近いかもしれません。
しかし、ハロウィンはあくまでもフックと考えているという吉田さん。
「ハロウィンかぼちゃをきっかけに、利賀村がかぼちゃの産地ということを広められれば本望です」
吉田さんのゴールは利賀村全体を盛り上げること。地方に移住し、新しいことを始めるには、地域と共に歩み、地域と共に成長していくという気概が必要ということを、吉田さんの姿勢からは感じずにはいられませんでした。
吉田 信一郎さん
1979年、富山市生まれ。大阪の大学へ進学後、そのまま大阪のマーケティングリサーチの会社へ就職。自分自身が仕掛ける側にありたいという想いから、農家へ転身を決意。人口544人の富山県利賀村へ移住し、ハロウィンかぼちゃの生産に精を出す。