人生の幸福や感動の瞬間を捉えるプロのフォトグラファー。山口県光市を拠点に活躍する渡辺美沙さんは「ハートフルフォトグラファー」と自己をブランディングし、起業家としても輝きを増しています。彼女がファインダー越しに追いかけた成功とは? 目に見えない人のオーラを捉える視点から導かれた、その道筋をたどります。
ハートフルフォトグラファーとして自身を確立
渡辺さんが写真で表現を心がけるのは、被写体となる人々の「愛」「光」「神秘性」。結婚、出産、子どもの成長などにおいて、その人自身や家族の「幸せ」「感動」をいかに伝えるか――。プロとしての技量は言わずもがな、目に見えない部分の表現力こそが彼女のフォトグラファーとしての生命線なのです。
人呼んで「ハートフルフォトグラファー」。彼女が自分自身を確立させるために重視したのは、自らのブランディングでした。個人ブランディングのコンサルを受けてまで求めた肩書きであり、今では代名詞そのもの。女性を中心に多くの支持を集める所以を一言で表しているといっても過言ではありません。
しかしながら、デジタル一眼レフカメラの登場で、大きく増加した写真家人口。プロへの間口が広くなったのは確かですが、並大抵の努力だけで生き残れる業界ではありません。
ハートフルな道を拓いた自身の一大イベント
写真と向き合うようになったのは高校入学時。「さして写真への興味があったわけでもなく、誘われるがまま友人と写真部の部室に入り、見学だけのつもりが『面白そう』ということになったんです。本当は新聞部に入りたかったのに」と笑う渡辺さん。
短大進学後も写真サークルへと入ったものの、顧問が元報道カメラマンだったということもあり、やがてその活動は事件や事故現場が主体となりました。新聞社へとネガを持ち込み、実際に記事で使用されることもしばしばあったといいます。
「卒業にあたって、東京で報道カメラマンとして働いてみないかという話をいただいたのですが、事件・事故の被害者にレンズを向けるのは、やはり心が痛みます。報道という分野はわたしには合っていない。東京という大都会で暮らすことも含めて現実的ではないと考えました」
その後、写真とは関係のない地元企業へと就職。地域のサークルに入り、趣味として写真を続けることを選びます。
そんな彼女にターニングポイントが訪れたのは、人生の転機そのものでもある自身の「結婚」でした。挙式、披露宴において、両親と祖父母への感謝とあふれる思いに感極まると同時に、式場で走り回るフォトグラファーにも自身を重ね、「わたしの撮りたいものはこれだ!」という思いが彼女の心を強烈に揺さぶったのです。
撮影修業、会社員、主婦。見習い期間は三足のわらじ
ご主人の理解もあり、渡辺さんはさっそくウエディングフォトグラファーを目指すべく、行動を起こします。自身のウェディングプランナーや友人を通じ、婚礼の撮影に携わるようになりますが…。
「あっという間に壁にぶつかりました。失敗が許されないなかで、暗くなったり、明るくなったり目まぐるしく変わる式場内の光量への対応、ストロボの扱いなど。技術的な知識だけでなく、当時はまだフィルムカメラであり、機材含めて資金的にも限界がありました」
一人でこのまま続けるのはとても無理だと考えた彼女は、結婚式全般の撮影を手がける写真館への入門を決意。家事はもちろん、機材をそろえる資金づくりのために会社勤めは継続し、土日には現場でプロに従い実戦経験を積むという日々が続きます。
「婚礼はとにかく特殊なことだらけ。撮影のノウハウだけでなく、式場でのルールや式の流れ、接客、言葉遣いなど、式中におけるあらゆることを学び、プロとしての心構えまでも身につけることができました」と渡辺さん。
趣味といえども高校時代から約10年カメラに触れ続け、そして、わずかながらも報道という分野に足を踏み入れたことで「写真で伝える力」を自然と培っていた彼女。情熱がさらに後押しし、異例の速さで成長をとげ、1年にも満たない期間で独り立ちが認められました。
プロとしての飛躍は明確な自己ブランディングにあり
こうして、「本当の勝負はこれから」という決意を胸に、2005年にウエディングフォトグラファーとしての歩みがスタート。しかしながら、船出は決して順風満帆とはいえないものでした。厳冬期、そして夏の盛りには式が激減するブライダル業界。式がなければ当然のことながら撮影依頼はありません。
「収入0という月もありました。一生に一度の大切な場面の撮影をプロとして請け負っている以上、失敗は許されません。責任の重圧だけでなく、表現力の乏しさも指摘されるなど挫折の連続でした」と当時を振り返ります。
愛のあふれる場面こそが自身の求める被写体――。人の発する「愛」「幸せ」というオーラをいかに捉え、表現することができるのか、いつしか彼女自身も、撮影相手と心を通わせることに腐心するようになります。
そうしたなかで自然にたどり着いたのが、自己ブランディングでした。世の中に無数に存在する写真家の中で、自身が何に特化しているか、どんなものが撮りたいのかをはっきり示したいと考えたのです。
「“ハートフルフォトグラファー”を名乗ってからは、写真を通じて愛を伝えていきたいという明確な目標が生まれ、実際にもフォトグラファーとしての自身の成長を実感できましたね」と渡辺さん。
長男出産後の2010年には、ウエディング以外でも愛あるシーンを求めるべく「フォト・オフィス・マザーリーフ」を設立。現在に至るまで、マタニティフォト、ベビーフォト、ファミリーフォトなど、自身の人生と照らし合わせるかのように活動の幅を広げています。
その表現力は、国内有数の美術展覧会「二科展」の写真部門においても審査員を唸らせる(2013年全国5位、2014年同3位)こととなります。
「知人のつてで出展しました。プロとして“確実に撮る”ことばかりを心がけてきましたが、“作品としての撮影方法”を学ぶことにつながりました。自身の新たなステータスにもなり、何よりもお客さんに喜んでもらえたのがうれしかったです」
フリーペーパーで広がったビジネスチャンス
さらに渡辺さんは、商品撮影など、フォトグラファーとしてのビジネスチャンスを広げるために、2007年より自らが編集長となり、フリーペーパー「マザーリーフ」をおよそ年2回(妊娠、育児のため一時期中断)のペースで発行。単なる広告の羅列ではなく、クライアントの雰囲気を写真中心で伝え、フォトカタログのように見せるお洒落な誌面に仕上がっています。
「どうして、フリーペーパーを自分で始めてしまったのか…。まさか、自分が飛び込み営業をするなんて思いもしませんでした」と彼女は苦笑い。クライアントとの打ち合わせ以外にも、広告営業、制作デザイナーの手配など、いざ始めてみてから誌面づくりの大変さに気付かされたのだそう。
「発行の度に大変な思いをしていますが、プロモーション、そして収入増にも結びついています。紙媒体が減少する中で、成長し愛されるフリーペーパーとして続けていきたいですね」
写真撮影とともに起業家のブランディングを応援
プロフィール写真の撮影依頼が寄せられるなかにおいても、親身に話しを聞くことでその人の愛のあふれる表情を引き出すことを心がけているという彼女。特にそれが起業家であれば、「応援したい!」という思いは否応なしに高まります。
「地方においても女性経営者は増えています。プロフィール写真の撮影時に『起業したものの…』という相談を受けたのをきっかけに、その人が本当に光り輝く将来像を、ファインダーを通じて引き出したい、そして撮影を通じて理念や経営ビジョンなどアドバイスできればと思うようになりました」
このほど女性を対象とする「ブランディング講座」を開講した渡辺さん。募集開始から数日のうちに満席となり、人気ぶりが伺えます。身をもってその重要さを知る彼女の言葉は、肩書きの通り“ハートフル”。参加者の心に響かないわけがありません。
「一人だけで考えていては、将来像があやふやなままで経営を進めてしまう可能性があります。女性経営者を応援し、地域、山口県、そして日本をも元気にしたいと考えています」
あふれる愛の先に探し求める「魂が喜ぶ仕事」
現在、フォト・オフィス・マザーリーフの事務所兼スタジオは、渡辺家のリビングを改装してのもの。現実的な目標として、自宅兼ではなく、県内のどこかにスタジオを設けたいという思いを描いています。
「スタッフを増やして、写真を通じてさらに多くの人を喜ばせ、心を豊かにしていきたいです。そして、『自身の魂が喜ぶ仕事』を見つけたい」と話す渡辺さん。実は彼女自身、目指すゴールはまだ模索中だというのです。
「ウエディング、マタニティ、ベビーフォト…、それが何の延長線上にあるのか、まだ分かっていません。『写真はこういうときのためにあるんだ!』という出会いが、すぐそこにありそうな“勘”を感じているのも確かなのですが…。障がいを持って生まれた子どもや病気と闘う子どもたちを中心に『命の証』をテーマとする撮影に取り組むようになって、特に強く意識するようになりました」
筆者の渡辺さんへの面会は、5年前に続いて2度目。奇しくも当時の彼女が語った5年先の目標は「愛の伝道師になっている」というものでした。
有言実行はおろか、現時点の到達点はそれ以上のものといえます。経営者として地域でも一目置かれる存在となり、フォトグラファーとしても確固たるブランドを築いた渡辺さん。これから彼女が紡ぐハートフルな仕事、そして生み出される写真に興味が尽きません。
フォト・オフィス・マザーリーフ代表
日本ウエディングフォトグラファーズ協会理事
二科会写真部 山口支部支部員
日本写真療法家協会ファシリテーター
渡辺美沙(わたなべみさ)さん
1977年、山口県下松市まれ。熊毛北高校での部活動をきっかけに写真を始める。宇部短期大学(現宇部フロンティア大学短期大学部)環境衛生学科へ進学し、写真サークルへ入会。顧問の意向で報道写真に携わる。地元企業でのOL勤務を経て2005年にフリーランスのウエディングフォトグラファーへ転身し、2007年からは自らが編集長を務めフリーペーパー「マザーリーフ」も発行開始。2008年、日本ウエディングフォトグラファーズ協会へ入会。2010年には自宅を事務所として「フォト・オフィス・マザーリーフ」を設立した。妊娠中の女性を撮影した作品で二科展写真部門において2013年全国5位、2014年同3位2013入賞。現在ではフォトグラファーとしてだけでなく、山口県内で活躍する起業家女性としても注目を集める。