土地に縛られず、沖縄と東京を往来し地域創生に奔走
atalas株式会社 主宰 柳瀬正大氏
鳥羽山 康一郎
2017/03/28 (火) - 08:00

大手旅行会社のJTBに勤務しているとき沖縄へ出向し、観光のための戦略立案に携わっていた柳瀬正大さん。しかし、民間主導による雇用創出こそが真の地方創生だ、との思いを抱き独立起業。事業コンサルティングやWebサイトのディレクションなどの傍ら、観光施設等へのアドバイスやウェルネスツーリズムなどの観光事業のプランニングも行っています。東京と沖縄に軸足を置きながら、地域へ利益を還元するためのシステム作りを模索する柳瀬さんに、新しい働き方とは?の観点からいろいろとうかがってきました。

沖縄に行って価値観がガラッと変わったのに気づく

2009年頃、「インバウンド」が今のように叫ばれるちょっと前に、沖縄へ赴任したんです。当時JTBが取り組み始めた「観光のチカラで地域を活性化させる」というミッションのもと、「JTB沖縄 地域交流事業部」に出向しました。内閣府や県、地域行政の関係者と一緒に、沖縄の観光事業にいろいろと関わっていました。まだ外国人観光客も今の20分の一ぐらいしか訪れていなかった時代です。マイアミとかタイとか、海外での商談会にもずいぶん行きました。順調に観光客数は増えていったんですが、もっともっと地元に利益を還元したいという気持ちが芽生え始めたんですね。
沖縄に赴任する前は、広告代理店で販促やプロモーションなどを企画していて、予算達成のために働いていました。それが沖縄に行って、価値観がガラッと変わったんです。地域のために働こうと思うようになったんです。その価値観を持って海外にも目を向けたことが、独立に結び付いたのかもしれませんね。

JTBを辞めて具体的に何をやるかはまだ決めていなかったんですが、まずは英語を覚えようとフィリピンに行って英会話学校に入りました。東京に戻ってからは知り合いのIT系ベンチャーでWeb制作なんかを手伝っていましたが、やっぱり僕は沖縄のために働きたい。地元に利益を、という思いは消えずに残っていましたから。そこで、本格的に独立したんです。2014年でした。

フィリピンにいたとき、あの国はGDPがグンと上がっていきました。なぜかというと、アウトソーシングの受け皿で伸びていったからなんです。世界からコールセンターなどの需要があるわけです。それは沖縄も同じ状況だなと思いました。やはりアウトソーシングの受け皿が主となっていて、結局は本土頼みだし、利益も本土に行ってしまう。だったら起業して沖縄で産業を産むことが必要だなと思ったんです。

女4世代に囲まれて暮らせるのは今だけ、と短期移住

妻は沖縄出身。JTB時代の同僚で、今も勤務しています。2016年5月に第一子となる娘──偶然妻と同じ誕生日なんですよ──が生まれました。そして2017年3月まで育休を取るという。それならば、子育てがてらしばらく住んでみるのもいいだろうと、2016年9月に一家で沖縄へ行ったんです。妻の母、その母が二人きりで沖縄に住んでいますし、妻は一人娘ですから親孝行するにもちょうどいい機会ですしね。私も沖縄県の仕事をしていたので、好都合でした。

沖縄で妻の家族が揃うとなると、実に4代にわたるんです。この4世代の家族が一緒に暮らせる機会なんて、まずありませんよね。今しかない、という感慨がありました。上から下までの女性に囲まれ、すっかりお婿さん的な生活をしていました。知人に「沖縄へ短期移住する」と説明するときには「妻の里帰り子育てにくっついていく」と言いました。
娘を連れて海岸へ行ったり、家事をやったり、イクメンとしても充実した日々を過ごしていました。もちろん生まれたばかりのことなんて憶えていないでしょうが、生まれてすぐ沖縄で4世代一緒に暮らしてたんだよと、ずっと話していくつもりです。東京に戻ってからも、僕の沖縄出張にはできる限り連れて行きます。

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東京でも沖縄でも、拠点は波長の合うコワーキングスペースで

独立しようと思ったとき、コワークオフィスを探しました。まずはWebなどIT関連の仕事をしようと思っていたので場所はどこでもよかったんですが、渋谷などを回ってから豊島区の大塚にあるコワーキングスペースを見つけました。オーナーの熱意に惹かれたというのもあるんですが、曾祖父同士が昔知り合いだったらしいということがわかり、運命を感じたんです。

僕のようなフリーランスにとってコワーキングスペースというのは人とのつながりを作ることができる、絶好の場です。ユニークなメンバーが揃っていて、波長が合って自然にコミュニケーションが取れる。面白い企画を立ち上げたりイベントをやったり、本業以外でもずいぶん幅が広がりました。ここは子育てをしながら仕事ができるスペースも備えているので、近い将来も役立ちそうです。

沖縄移住中は、宜野湾市のコワーキングスペースを探して入居しました。ベンチャー企業やフリーランスが入居しているビルで、東京とほとんど環境は変わりません。時々沖縄市のコワーキングスペースも利用するという感じですね。どちらも自治体が指定管理を委託していて、設備が整っています。僕と同じような環境で仕事をしている人は沖縄にも多いんだと感じました。

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「いつか沖縄で会社を立ち上げる」を目標に

前職・JTBグループでの経験を活かし、沖縄の地域活性関連事業やウェルネスツーリズム関連事業のプランニングをしています。ウェルネスツーリズムとは、リゾート地に出かけて健康の維持や増進を行おうというもので、今とても注目されている動きなんです。沖縄をこのウェルネスリゾートにするため、沖縄県が助成する4つの事業者(宿泊施設、医療施設、観光施設、健康保養施設)に対するアドバイスやWebサイトのディレクションなどが、メインの仕事です。沖縄以外でも、福島や瀬戸内の仕事も引き受けています。

軸足は沖縄と東京です。資金集めやサービス開発などの環境に関しては、東京の方がメリット多いですから。そういった用向きには東京を利用していこうと思っています。沖縄県からいくつかお仕事をいただいているので、沖縄には月に1回程度行き、残りは東京という生活ですね。

現在は、沖縄に関する仕事はフリーランスのような立場ですが、現地に会社を設立したいと思っています。さっきも言ったように、沖縄に産業を産むというのが目的です。本土の会社の支社や支店が沖縄で稼いでも、その利益が地元に落ちるとは限らない。持って行ってしまうケースが多いです。現地法人なら、利益はすべて地元に還元できるでしょう。いつか会社を、とビジネスの種や仲間を探し続ける毎日です。

持っている才能を活かし合える社会が新しい働き方を生み出す

自分で考える仕事の定義は「自分の才能を貢献に変換する作業」です。だから「得意なことでお金をもらう」ことに忠実なだけです。30歳にしてようやく自分の才能がわかってきたので、そこをとことん突き詰めていく人生選択をした結果、今の仕事の仕方になったと思っています。よく「新しい働き方ですね」と言われますが、土地に縛られずに生きている姿がそう捉えられるのではと思います。妻も同じで、昔から海外に渡ったり北海道のリゾートで長期間アルバイトしたり、居住地にこだわらず生きてきました。

僕の場合はたまたまいろいろな幸運が重なり、周囲からのサポートもあってようやく成り立っているのですが、自分の才能がわかっている人であれば会社員を卒業するのは応援したいです。その人の才能を部署異動やなんかで活かせないのは大きな社会損失ですから。みんなが持っている才能を活かせて、みんなが思っている仮説を試すことができる社会だったら、もっとハッピーになると思いませんか。

永続的な安定なんて、もはや神話だと思います。この先どうなるかわからない。本来、僕たちは自由自在で何を決めるのも自分次第のはず。自分の働き方を自分で選べるようになれば、それはきっと後悔しない生き方になると思うんです。
そういう生き方を、子どもにも見せていきたい。ときには二日酔いでボーッとしている姿でも、それはそれで親の生き方のひとつだから、と(笑)。

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atalas株式会社 主宰

柳瀬 正大さん

埼玉県出身。JTB勤務時代、沖縄へ出向して現実に触れ、真の意味での地方創生を目指し起業。東京に本拠を置きつつ沖縄通いを続ける。沖縄出身の妻の出産に伴い、2016年から2017年にかけて沖縄へ短期移住。その後も夫婦で子育てと仕事を両立させながら、土地に縛られない働き方に挑戦。

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