大学卒業後に就職した東京のテレビ局で、手がけた番組をヒットさせるなど、プロデューサーとしてさらなる活躍が期待されていた入社5年目、地元・桑名市に戻り市議会議員に立候補。政治の世界に飛び込み、それからわずか7年で桑名市長に就任するという、異例のキャリアを持つ伊藤徳宇さん。テレビ番組のプロデュースから街のプロデュースへ、自身の経験や視点を生かした市政への取り組みと、そこに込めた想いをお聞きしました。
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寂れた駅前の景色、かわりゆく地元の姿に転身を決意
桑名市で生まれ育ち、大学進学で初めて地元を離れ東京へ出ました。大学卒業後はフジテレビに就職し、営業セクションに在籍したあとCSの編成を経て、2005年に退社するまで番組プロデュースに携わっていました。CS放送のゲームバラエティ番組「ゲームセンターCX」は、よゐこの有野さんと一緒に制作した番組ですが、どうしたら見てくれる人に届くコンテンツになるか、今でこそ当たり前になっているDVD化など2次利用まで視野に入れ、スタッフ全員でそれはもう真剣に考えました。結果的に何十万本ものDVDが売れる人気コンテンツになって、徹夜が当たり前というくらい忙しい毎日でしたが、仕事そのものは非常に楽しく充実していました。
ゆりかもめでお台場に通勤して、まわりにはタレントさんがたくさんいて、楽しくてキラキラしている。そんな日常を過ごしていると、たまに帰省する地元がどんどん寂れていっていることに気づくわけです。高校時代に部活帰りに友だちとラーメンを食べに行った駅前のショッピングモールがつぶれて、そのまま放置されている。自分が普段暮らしている東京とのギャップに、このままで大丈夫なのか、何とかならないのだろうかと思っていたときに、たまたま、ある区議会議員の方にお会いする機会があって、「地元がどんどん寂しくなって残念だ」と話しました。すると「そんな他人事みたいに言ってはダメだ。自分ごとにして、いかに街をプロデュースするか考えることが大事なのでは?君はテレビ番組のプロデューサーをしているのだから、街をプロデュースするという視点で、地元に帰って政治家を目指してみたらどうだ?」と言われ、ハッとしました。プロデューサーやディレクター、美術スタッフなど関わる全ての人がひとつになって誰もが面白いと思える番組をつくることと、市民の力で自分の住む街を暮らしやすく、より良くしていくのは同じこと。それなら自分でもできるかもしれないとスイッチが入ったわけです。
会社を辞めて地元で政治家を目指すと言ったら、上司や同期のみんなからは呆れられました。仕事に不満はなく楽しくやっていたので、大丈夫なのかと心配されましたし、引き留めてもらいましたが、2005年12月にフジテレビを退職して、翌年11月の市議会議員選挙を目指しました。駅前の街頭演説やチラシ配りなど、ゼロからのスタートでしたが、無事当選して一歩前進です。議員としてはテレビ局で仕事をしていた経験から、フィルムコミッションをつくり、映像関係の誘致を推進するなど、桑名の観光資源を外に向けて発信していくところから取り組みました。議員として活動するなかで日本各地の市長ともお会いして、人的なネットワークも広がりました。面白い取り組みを推進する市長のもとでは、ドラスティックに街が変わっていくのを目の当たりにしたことが、市長を目指そうと思ったきっかけです。
市民がプロデュースする体験イベントで桑名の魅力を発信
地元を一度離れて桑名市を外から見たことで、桑名の良さや魅力が活かされずもったいないと感じたのが、この道に進んだきっかけですから、外からの視点と内からの視点、両方を持っているのは私の強みです。議員になった当初からテレビ局での経験は活かされています。
はまぐりに代表される食や風情ある街並み、歴史的遺構など、桑名にある本物をどんどん生かして、誇りをもって外に発信していこうと、「本物力こそ、桑名力。」をキャッチフレーズに、桑名の本物一つひとつを、市民のみなさんと一緒にプロデュースする取り組みを進めています。そのひとつが「桑名本物力博覧会(ほんぱく)」です。桑名の地域資源を活用した小規模な「地域体験プログラム」の集合体で、市民はもちろん市外の方にも「桑名にはこんないいものがあったんだ」と発見し、楽しんでもらう場になっています。なかには、普段なかなか体験できない芸妓さんとのお座敷遊びなどもあります。宿場街の桑名には、そうした文化が今も受け継がれています。ほかにははまぐり漁の様子や競りの現場など、桑名らしさを面白く見せるために、市民がそれぞれの仕事や得意分野を活かして関わっています。体験した人が喜び感動する様子を目の当たりにすることで、誇らしい気持ちになりますし、体験してもらうことで対価を得られる。最初は否定的だった人も、実際に価値を生むのを実感して、イベントに対する見方も変わり、回を重ねる毎に盛り上がっています。
テレビ番組のプロデュースでも言えることですが、プロデューサー1人では何もつくれません。みんなを巻き込んでアイディアを出しあった方が、発想も広がり良いものが生まれます。最近では私が何もしなくても、みんながやってくれる。そういう街に少しずつなってきていると感じています。
前のめりに楽しむ「求心力」のある街づくり
何事においてもそうですが、人がワクワク前のめりに楽しんでいる現場では、確実によいものができあがります。求心力があるかないかで、全然変わってしまう。もともと桑名に愛着のなかった人たちを、どんどん巻き込んでいくことも必要です。
その取り組みのひとつが、広報誌。市や区など行政機関が発行する広報誌は、事務的でつまらないものが多いと思うのですが、桑名ではフリーペーパーのような体裁で巻頭に「本物力特集」を組み、桑名のすごいもの、すごい人を紹介しています。地元の人でも「こんなの知らなかった」という記事も多く、大変喜ばれています。2018年10月号で「東海道五十三次の桑名宿」を紹介していますが、かつて桑名宿で大名や要人が宿泊した本陣は、明治に料理旅館となりました。その料理旅館が第二次世界大戦による焼失後の再建を経て、現在はリノベーションで昔の姿に復元していることは、知らない人も少なくありません。市内5万6000戸に配布していますが、これまで読まれずに捨てられていた広報誌が、フリーペーパーにしてから読んでいただく割合が高くなり、効果を実感しています。市内の企業や団体も自分たちの仕事が取り上げられることを楽しみにしてくれています。鋳物の製造工程を紹介した記事で、働く姿のカッコよさをライブ感のある写真で伝えたところ、「自分たちの仕事を取り上げてもらえた。カッコイイ写真で付加価値がついた」と喜んでもらいました。これも桑名の良さ、本物力を感じてもらうツールとして有効に使われています。
桑名市広報誌「くわな」(発行:桑名市役所秘書広報課広報広聴係)
桑名の「本物力」アップに向けた、3つの戦略
いかにして桑名の本物力を高めていくか。現在、力点を置いているのが「魅力発信による地域イメージの向上」「観光客の誘致促進」「首都圏における桑名市の魅力発信」の3つです。例えば「魅力発信による地域イメージの向上」に関しては、現在放送中の大河ドラマ「いだてん」で桑名市の「六華苑」がロケ地として使われたのは、対外的にはもちろんですが、市民にとっても大きな意味がありました。多くの市民がエキストラとしてドラマの撮影に参加したことで、地元の名所に対する見方も変わりましたし、どんどん外に向かって発信してくれるだろうと期待しています。
観光にとって一番大事なことは、まず一度来てもらうことです。どこに行こうか考えたときに、1800近くある市町村の中から選ばれるには最初の1歩が肝心です。どのような方法で桑名の魅力を発信し、イメージアップにつなげるか。「六華苑」に代表される文化遺産や伝統文化が残されていることはもちろん、昔ながらの商店街があり田舎の雰囲気も楽しめること、名古屋に近く交通の利便性に恵まれていること。実は全国2位の動員数を誇るテーマパークがあることも桑名の魅力です。このようにいろんな価値を総動員して人に来てもらえる場所にしていこうと考えています。
「首都圏における桑名市の魅力発信」については、複数社からご提案いただいたなかから、発信方法を含め従来のものとは全く異なる内容にクオリティの高さを感じたポニーキャニオンの案を採用しました。「食・物産」「歴史」「祭」をテーマに2018年度から3年に渡って桑名市の魅力を発信していくのですが、桑名の「魅力みつけびと」として、3名の方に就任いただきました。「食・物産」は小説家の柏井壽さん。「歴史」RHYMESTERのラッパーでプロデューサーのMummy-D(マミーディー)さん。「祭」は文筆家・美術評論家の白洲信哉さんです。「魅力みつけびと」の3氏には、桑名にお越しいただいて、体験取材をしていただき、感じたことをリアルに発信していただく予定です。
桑名市の「食」にまつわる魅力を掘り下げるイベント(Dig K)。都内で行われた会場には、マスコミ関係者や旅行関係者が多数集まった
田舎と都会のいいとこどりで、ストレスなく暮らせるまち
働くまち、暮らすまちとしても桑名はとても魅力的です。実際に東京から桑名に戻って、なんて暮らしやすいところなんだろうと思いました。私事になりますが、自宅から市役所までは歩いてわずか12分。名古屋へ通勤する場合を考えても、電車の本数が多く、道路のアクセスも良いので、ストレスなく通勤できるのではないでしょうか。食生活に関しては、海も山も平野もあって、大体なんでも揃います。ほどよく街の要素があり、ほどよく田舎の風情もある。演劇の公演やクラシックのコンサートなど文化的なものに触れたいときは、名古屋に行けばいいわけで、田舎と都会のハイブリットでバランスのとれた環境といえるでしょう。名古屋へは電車で20分ほど。2027年開業予定のリニアに乗れば東京まで約1時間です。するしないは別にして、通勤も可能です。新築マンションの売れ行きが好調なのをみても、暮らしやすいまちとして注目度が高まっているのではないでしょうか。
桑名には毎月3と8がつく日に開催される朝市「三八市」に代表されるface to faceの文化が根付いています。東海道五十三次の宿場町で人の往来が多く、お金が落ちて豊かだったことや門前町で城下町でもあるという土地柄から、町衆の間に強固なネットワークが生まれたと考えられています。「桑名石取祭」などユネスコの無形文化遺産に登録される奇祭を、絶やすことなく受け継いできたことからも、町衆の結束力の強さがうかがえます。
理想の桑名市像を追求。全人口14万2000人がプロデューサーに
―今後のビジョンについてお聞かせください。
まちづくりのビジョンとして掲げる「本物力こそ、桑名力。」をカタチにするために、市民一人ひとりが桑名の魅力に気づき、その魅力を高めるためにアクションを起こす。何かの日本一を目指すのではなく、市民一人ひとりが桑名をよくするために、意志をもって活動する。そういう市民が100%になることが夢であり目標です。
抽象的で分かりにくいかもしれませんが、私たちが追究するのは「より理想の桑名市像」。「みんなが思う桑名を、みんなでつくっていこう!」ということがテーマです。どこかと比較して一番を目指すのではなく、桑名がより理想に近づくために足りないことはなにか、そのために必要なことはなにか、みんなで考え、ともにつくっていくこと。その過程も含めて大切なのです。
私がかつて言われた言葉、「人ごとではなく、自分ごと」として考えること。桑名のあらゆることが自分ごとになっていけば、見方も考え方も変わって、横のつながりもできるでしょうし、どんどん楽しくなっていくと思います。自分の暮らしをよりよくするために、桑名のいろいろなフィールドで活躍していただけたら嬉しいですし、みんなが高まっていける環境を整えることが私の使命。
プロデューサーが14万2000人いるまち。それだけプロデューサーがいれば、私がいなくてもまちはどんどん元気になるでしょう。みんなが動いて頑張って、楽しくしようと思える。桑名をそういうまちにしたい。そうなると最高ですし、最強ですよね。
―最後に、まちづくりを牽引するトップとして心がけていらっしゃることをお聞かせください。
顔を合わせること。そして受けとめること。寄せられる意見のなかには、反対の声もあります。そうした声も受け止めて、桑名のためにどうしたらいいかを考えます。まちのなかにもどんどん出ていきますし、市民の近くにいるよう心がけています。市長に就任した6年前に比べると、桑名を好きになってくれる人が増えていると感じます。これからも桑名を好きになる人がもっともっと増えて、その人たちがどんどん動き出してくれると嬉しいですね。
三重県桑名市長
伊藤 徳宇(いとう なるたか)さん
1976年、三重県桑名市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、2000年(株)フジテレビジョン入社。プロデューサーとして番組制作に携わったのち、2005年退社。2006年桑名市議会議員選挙に立候補し、当選。2010年11月桑名市議会議員選挙に再選。2012年11月桑名市長選に立候補し、当選。 2012年12月桑名市長に就任し、現在2期目。