レンズ加工という職人技。ご近所とのふれあい。栃木で見つけた、輝ける場所
有限会社小貫光学工業所 砂川 瞬さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2020/01/29 (水) - 08:00

東京から転職したビジネスパーソンがいると聞いて今回訪ねたのは、栃木県。栃木というと、都道府県の魅力度ランキングでいつもワーストを争っているイメージがあるが、どうも実際は違うらしい。例えば空き家バンクの成約数の多さでは、栃木県が2年連続全国1位。つまり県外からの移住者が増え続けているようなのだ。そんな栃木県に移住し、レンズ加工の技術者という全く新しい道を歩み始めた砂川瞬さんが今回の主人公。その後の感想や栃木の暮らしについて語ってもらった。

あらゆる世代に人気の栃木

宝島社から発行された『田舎暮らしの本』によると、2019年度版日本「住みたい田舎ベストランキング」において、全国の都道府県のなかで栃木が、シニア世代で3位、若者世代で2位、子育て世代ではなんと1位に輝いている。

実際に住む場所を真剣に考えたとき、栃木のポテンシャルの高さに気づいた人が多いということだろう。まず評価されているのは、東京都心へのアクセスの良さだ。宇都宮から東京までは新幹線で約50分。東京への通勤も可能なエリアがひろがっているうえ、教育機関も豊富。子育て支援が充実した自治体も目白押し。郊外に出れば、豊かな自然もひろがっている。東京へのアクセスの良さをキープしながらも、さまざまな暮らし方のニーズに対応できるのが、栃木の人気を裏付ける理由だろう。

そんな栃木県の那須塩原市にある「有限会社小貫光学工業所」に、東京から転職してきたのが、砂川瞬さんである。

砂川さんは兵庫県尼崎市の出身。地元のメーカーに就職していたが、東京へ転勤になり、そのまま3年間、東京でSEとして働いていた。

一度も訪れたことのなかった栃木との縁を結んだのは、栃木出身の奥様との結婚だった。お子さんが生まれたのを機に、奥様の提案もあって、栃木へ移住したのだ。

「妻が、『栃木は暮らしやすい』と背中を押してくれたので、私もいいよと賛成したんです」

決断した砂川さんは、勤めていた東京の会社を退職し、さっそく栃木へ移住。その後、栃木で転職活動を始めると、初めて見た仕事に心をひかれた。それが、レンズ加工の仕事だった。

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今回お話を伺った砂川 瞬さん

栃木は全国一のレンズ産地

砂川さんが希望していたのは、ものづくりの仕事。ハローワークなどを利用しながら精力的に活動し、さまざまな業種のメーカーを見学しているうちに出会ったのが、レンズ加工の仕事だった。原料のガラスを鮮やかな手並みでレンズに変えていく職人技に、「おもしろそう!」と直感したという。

実は栃木は、カメラ用レンズや光学レンズの出荷額で日本一の県。全国の5割に近いシェアを誇るレンズの産地なのだ。なかでも老舗格のメーカーが、「小貫光学工業所」だった。

「50年以上の歴史を持っていますし、未経験者OKという条件もポイントでした。皆さんがバリバリやっているその技術を、私も1から吸収してみたいと思ったんです」

「小貫光学工業所」の社員は29名。規模こそ大きくはないが、昭和38年(1963年)にガラスレンズの加工を始め、現在では8Kにも対応できるほどの精緻な開発力を誇る。平成25年(2013年)にはレンズ加工で培った技術を応用して、金属膜事業にも進出。最近では、窒素とチタンを真空中で結合させることによって高い強度や耐久性を可能にする、窒化チタンコーティング事業が需要を伸ばしている。さらに、紙にもコーティングできる技術を活かして釣り用のルアーも開発するなど、チャレンジ精神も旺盛な老舗メーカーだ。

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特殊な形状と真空蒸着という着色方法により設計されたルアーは、釣果も抜群

そんな会社に、令和元年(2019年)5月、砂川さんは未経験のまま、飛び込んだ。

「卒業なし」といわれる職人の世界

配属先は、研磨課。芯取(しんとり)という工程からあがってきたレンズを、研磨機を使って透明に磨いていく工程だ。予想はしていたものの、それは特別な技能を要する仕事だった。

レンズ加工の世界には、こんな言葉があるという。
「研磨の仕事に、卒業なし」

そういわれる研磨の難しさは、レンズの材料の違いによって、研磨剤や磨き方を微妙に変えていかねばならない点にある。機械まかせでは、美しい透明感は出せない。

「研磨剤は粒子の違いによって6種類あります。一応、目安の研磨剤はあるんですが、目安通りにやってもうまくいかないことが多々あるんですよ。機械も、レンズによってセットの位置を変える必要があります。だから、磨く人によって仕上がりが変わってくるんです。本当に奥が深い世界。自分はその、ほんの入口に立ったばかりです」

そう話す砂川さんだが、すでに前職以上のやりがいを感じているようだ。

自分自身の手と五感をフルに使って、1つのものを作り上げていく難しさと手ごたえは、今までの仕事では味わえなかった喜びだ。そして完成したレンズは、カメラやプロジェクターなどに搭載され、社会のさまざまな場面で多くの人々の暮らしに役立っていく。
「こんなのどこで使うんだ?っていう小さいレンズもあって、そういうところに使われてるんだ!っていううれしい驚きもあるんです。東京でやっていたSEの仕事より、全然楽しくやれています」と砂川さん。

今そう言い切れる理由は、新天地の働きやすさにもあった。

未経験者を育てていく職場の力

「前の職場は、相談できる人がいなかったんです」
と砂川さんは振り返る。
「上司に『わからない』と質問しても、『自分で考えろ』と言われるだけ。だから1回失敗すると焦ってしまい、精神的に落ち込んでしまっていました。1日中デスクワークということもあって、毎日かなりのストレスを感じていました」

だが、今度の職場は違った。

職人の現場というと「見て、盗め」的な厳しい世界を想像するが、初心者だった砂川さんに対してまず用意されたのは、先輩社員による丁寧な講義だった。
レンズの種類や加工のプロセスなど、レンズ加工の基礎を座学形式で学習。続いて現場へ行き、実際に作業の様子を見せてもらった後、次はその通りに自分でやってみる。当然、最初はうまくできない。
「でも先輩がつきっきりで教えてくれたので、ありがたかった」と感謝する砂川さん。

でもそれがこの会社では当たり前の風景だった。実は社員のほとんどが未経験で入社。そして砂川さん同様、1から学び始めて、熟練工へと成長しているのだ。

「先輩たちも未経験から手探りでやってきているので、こういう時はこうだった、という経験を話してくれて、なるほどーと思うことがたくさんあります。失敗したときも、こうしたらどうだ?とアドバイスしてくれる。そういう雰囲気だから、こちらからも質問しやすいし、すごく仕事がやりやすいです」

現場では社員同士が意見を出しあい、会社がそのアイデアを吸い上げることも多い。
「研磨剤はこういうのがいいんじゃないですか?とか、レンズが白く濁ってしまうトラブルが発生した時も、次はこうしてみようと、各自が知恵を出し合いながら切磋琢磨する風土が根付いています」
と砂川さん。

さらに、月に一度行われる勉強会では、普段とは別の工程も勉強できるという。自然と、いろいろな知識や技術を身に付けることができる。

小貫社長はこう話す。

「栃木には、一級研磨技師という人たちがいるんだけれど、1から10まで全部できるかといったら、たぶんできない。だからうちのような中小企業の技術者のほうが、よっぽど幅広い力を持っているかもしれません。だって、なんでもやらないといけないからね」

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そう言って笑う小貫社長の言葉に、砂川さんも思わず相槌を打つ。
「ほんとにそうですね。自分もいつも驚きながら先輩たちを見ています。あの先輩、こんなこともできるんだって」

使用する機械の多くも、社員が自分たちで開発したり、改造を重ねた自社製だという。

「そういえば、砂川君、調子の悪かった機械を直してくれたこともあったよね。入社したばかりで、すごいよ」
と小貫社長が感心して声をかけると、
「いえいえ、たいしたことじゃないです」
と砂川さんは照れ臭そうにしながらも、
「でも、得意分野を活かせるならば嬉しいですし、なんでもやってみたいと思っています」
と目を輝かせる。

家賃は半分、部屋数は3倍に。栃木で叶えた理想の暮らし

栃木に来て、働き心地だけでなく、暮らし心地も大きく変わった。

砂川さん自身は栃木で暮らすのは初めて。まず感じたのは、東京との空気の違いだったという。
「空気がおいしいと思いました。東京はもちろん、私が生まれた尼崎市もとても車が多かったんですが、こちらは澄み切った自然の匂いと牛の匂い(笑)。思い切り深呼吸したくなるような空気で、朝が気持ちいいんです」

現在の住まいは賃貸の集合住宅。東京時代は1ルームで毎月の家賃が約9万円だったが、
「今は、部屋が3つで5万円ちょっと。家賃がほぼ半分になって、部屋は3倍。この家賃でこんなところに住んでいいの?って驚きました(笑)」

家族を連れて地方へ移住するときには、子どもの教育環境も気になるもの。でも栃木の場合、心配はなさそうだ。
「私が住んでいる栃木市内だけでも、公立の高校が7校、私立も1校あるんです」
と砂川さん
「スーパーなども、1キロ圏内には揃っています。車さえあれば、生活に不便は感じないですね」

しいて不便な点をうかがうと、
「夜にコンビニへ行きたいなと思っても、車を走らせないといけないことですかね。近くにもあるんですけど、ずっと外灯があるところで生活していたもんですから、暗いのが怖くて(苦笑)。近くても車を出さないといけないのは、少し面倒ですね」

本物の自然と本物の体験が織り成す、豊かな子育て

砂川さんが栃木に来て驚いたことがもう1つ。それは、近所づきあいのあたたかさだ。

「近所に畑を作っている人がいまして、ときどき野菜をもらえるんですよ。東京の集合住宅に住んでいたときは、隣の人とあいさつを交わしたこともなかったので、ご近所との会話があるんだってことがまず新鮮。ましてや野菜をもらえるなんて、びっくりですよね。え?もらえるの?って(笑)。栃木の人はほんとにやさしいと思います」

週末も、子どもと共に人生で初めての体験ができた。
「家族と牧場に行って、初めて馬に乗ったんです。楽しかったですねぇ。栃木には近場に入場無料の牧場が何か所かあるんですよ。子ども連れで遊びに行ける場所が多いのも、栃木のいいところ。都会にあるような作られた人工の自然じゃなく、ちゃんとした本物の自然がありますから」

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地方転職で得た、収入アップとストレスフリーの生きやすさ

これから転職をめざす人へ、経験者としてのアドバイスをうかがうと、こう答えてくれた。
「あんまり理想を高く持ちすぎないことですかね。もっと肩の力を抜いてチャレンジしてもいいんじゃないかな」

例えば、地方への転職を考えたときに最初の壁として立ちはだかるのが、「収入が減ってしまうんじゃないか?」という不安だろう。しかし砂川さんの場合、収入よりも暮らしやすさを優先して、まず行動。そしてふたを開けてみたら、東京時代よりむしろ給与が上がったそうだ。

「しかもね、こちらにきて、明日会社に行くのがつらいなと思うことがなくなったんですよ。それがいちばんうれしいかも」

そう話す砂川さんの笑顔は、栃木の風景のようにおだやかで、とても明るかった。

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