今回の主人公は、埼玉から、福島の地場企業へ転職した和田 圭一さん(50歳)。和田さんが入社した「シオヤ産業株式会社」は、建設資材の総合商社。本社はいわき市の小名浜にある。そう、あの東日本大震災で甚大な被害を受けたまちだ。そんな地域の復興をけん引してきた老舗企業と、海外でキャリアを積んできた和田さんがどのようにして出会ったのか。そのきっかけや、初めての地方企業体験、いわきで見つけた新しいやりがいについて語ってもらった。
視野を地方にひろげて転職活動
和田圭一さんほど、多彩なキャリアの持ち主も珍しいかもしれない。
出身は東京都足立区。大学卒業後は、中国語の語学力を活かし、半導体商社に就職した。そして10年間、大手の機械メーカーや電機メーカーなどに産業用のCPUボードを売り込む新規開拓を担当。海外営業の最前線で実力を磨いた後は、新たな活躍の場を求めて、国際物流会社「DHLジャパン」でのアカウントマネージャー業務や、宇宙・防衛向け部品専門商社である「NASAM JAPAN」での営業マネージャー業務を歴任。福島にやってくる直前は、卵子冷凍保存技術をもつ某企業で海外向け営業の部長として活躍していた。
「卵子凍結保存キットを、ハンドキャリーでアメリカまで持って行ったりしていました。社会的にもこれから認知されていく分野だと考えて選んだ会社だったんですが、正直、社長との意見が合わなくなってきましてね。社長が右と言えば右、左と言えば左…。しかもそれがころころ変わるので、ついていけないなと感じるようになったんです」
ところが、転職活動を開始したものの、当初はなかなか採用に至らなかった。
「いろいろ探してみたんですが、年齢的な部分もあって、なかなかうまく進まなかったんです。どうしようかと一時は悩みまして。それで、ちょっと視野を広げてみようということで、海外と地方に目を向けることにしたんですよ」
すると、3社から内定を得ることに成功。マレーシアの企業、インドネシアの企業、そしてもう1社が、日本人材機構から紹介された「シオヤ産業」だった。
「選択肢は3つあったわけです。でも最終的には、日本の未来を救う、日本人として最も意義を感じられる仕事に就きたいと考えて、シオヤ産業を選びました」
今回お話を伺った、和田 圭一さん
地域と歩んできた百年企業
シオヤ産業の本社がある福島県いわき市小名浜は、歴史ある港町だ。江戸時代には東廻り航路の貴重な寄港地として幕府直轄領にもなったほど。太平洋戦争後は、魚が貴重なたんぱく源として注目されるようになり、小名浜港は全国有数の水揚げ港として賑わった。
シオヤ産業は、そんな小名浜で1914年(大正3年)、「塩屋船具店」として創業した。漁に使う網やロープ、舵、釣り針といった船具の販売から出発し、地域の発展とともに、建築資材へと、商材と規模を拡大させていった。
1962年(昭和37年)、いわき市が新産業都市に指定されると、工場誘致が一気に加速。その需要をつかんだシオヤ産業は、工場向けの建築資材、プラント資材、鋼材、さらには水道機材、住宅設備機器までを取り扱う総合商社へと成長していく。
さらに2005年には太陽光発電事業にも着手。たちまち一般家庭部門では地場トップのシェアを占めるようになった。
そんな順風満帆な歩みの前に立ちふさがったのが、2011年の東日本大震災だった。
小名浜港に押し寄せた津波は最大6m超。市街地になだれ込んだ濁流は、いわき市内にある約2万5000戸を全半壊させた。そんな状況下でシオヤ産業は、得意先の安否確認と支援活動に明け暮れ、休日なしで復旧資材を調達・配送し続けたという。放射線量が高いエリアを塞ぐガードレールも同社の供給品だった。
地域とともに歩んできた老舗企業は、その後も復興の旗頭となるべく、新たなチャレンジを続けた。百周年を迎えた2013年には、新社屋を建設。2017年(平成29年)には相双物流センターを建設し、相馬地区、双葉地区の復興と発展に不可欠な土木資材や鋼材を供給した。そして現在は、福島第一・第二原子力発電所の廃炉作業への資材供給の一翼を担っている。
和田さんは、そんなシオヤ産業に転職を決めた理由をこう話す。
「社長とは5〜6回お会いしました。私が福島へ行ったり、社長に東京に来てもらったりして。廃炉と聞いても、正直よく分からないこともあったんです。言葉では聞いていても想像できない部分もあったので。でも、今後30年から40年かけて廃炉を進めていくにあたって、必ずなくちゃならないものをシオヤが調達しているというところに惹かれましたし、その仕事を自分も誇りにしたいと思ったんです」
復興とビジネスチャンス
しかし、多彩なキャリアを持つ和田さんにとっても未経験の業種。入社後は具体的にどんな仕事を担当しているのだろうか?
「シオヤ産業のメインである建設資材販売ではなく、お客様の仕様に基づいて製作可能なメーカーを探し、それをお客様に提案するという仕事が多いです。例えば今、東京電力が福島第一原発で廃炉作業をしているのですが、その中で出た瓦礫を入れる鉄の箱(瓦礫箱)や、瓦礫を焼却した後の灰を入れる鋼製の容器(灰箱)を仕様打ち合わせを含めて納めています」
さらに、いわき市から宮城県にかけての「浜通り」エリアには、「福島イノベーション・コースト構想」という経産省主導の巨大プロジェクトも動き出している。津波の被害を受けた海沿いのエリアを、単に復興させるだけでなく、新たな産業基盤を構築させようとする狙いだ。
「廃炉作業、福島イノベーション・コースト構想が一体となり、日本のみならず世界も注視する取り組みがまさに始まったところです。我々が東京電力に提供している瓦礫箱や、灰箱の提供もその一環。ですから我々も加工の依頼先をいわきの工場にこだわっていて、全部いわきで作っています。地場企業であることを意識しながら東電の入札に参加し、東電の想いや、国の想いを、我々が形にしていきたいという気持ちはありますね」
現場で感じた手応えとギャップ
入社後は研修として、さまざまな営業所や倉庫をまわることから始めた。得意先も、商材も、営業所によって違う。それぞれの特色や、社内のネットワークを学ぶ上では、「いい研修だった」と和田さんは振り返る。
「これまでのキャリアも十分に活かせると感じました。前の会社で学んだのは、目の前のお客様が最終のユーザーではないということ。お客様のお客様を見て、仕様や納期を考えるということを叩きこまれましたが、それはここも同じなんです。お客様とビジネスだけを見るのではなく、その製品がどういう風に使われて、どういう風に社会に貢献していくのかというところは常に考えています」
ともすれば社内でも社外でも、「よそ者扱い」されることが不安になりそうなものだが、和田さんはむしろ自ら輪の中に飛び込むよう心がけているという。
「付き合っているメーカーやお客様に対しては、ざっくばらんに話すように心がけています。だから、あまり会っていないような人でも深いところまで掘り下げて聞けるような関係にまでなっています。人から話を引き出すためには、ある程度自分をさらけ出すことが大切。そうすることで相手も話しやすい環境になっていきますからね」
ただ、ビジネスに関しては、ギャップを感じる部分もあるようだ。
「首都圏と違って、こちらはどちらかというと、ガシガシやらないで、みんなで仲良くやろうという感じ。ちょっと緩い感じといってもいいかもしれない。まぁ狭い地域なので、ある程度こちらが折れる部分もありつつ、地産地消という大名目もあって、より良い関係を長く作るというところがありますね」
こんなこともあった。クライアントから、納期や品質についてさまざまな指摘を受けたことがあった。そのたびに、加工を依頼したメーカーにフィードバックするが、なかなかこちらが思うように対応してくれない。歯がゆくなった和田さんは自ら乗り込んで強く言おうとしたが、引き継ぎ役の先輩役員に止められた。
「“僕が行くから”と、その方が行っていろいろ話をしてくれました。私はこれまで、ビジネスってガシガシやりながら、時にはメーカーに厳しく言うこともありながらお客様と一緒に成長していく、というやり方をとっていたので、そこは最初にギャップを感じたところですね」
当初は、社員の意識面の課題も目についた。研修で倉庫に行くと、あちこちに砂ぼこりがたまり、段ボールが散乱していた。「誰かが片づけてくれるだろう」という当事者意識の低さの表れだと感じた。和田さんは何も言わず、自ら掃除をすることから始めたという。
そうした気づきこそ、経営者が和田さんに期待していることでもあった。
「今は気づいた点を日報に記録し、社長にも見てもらっています。その他、こういう意見があるとか、システムが使いづらいとか、在庫システムと在庫数が違うとか。そういうことによって無駄な時間がかかるということなどを、ざっくばらんにお話ししています」
A4サイズのノートにびっしりと書かれた和田さんの“気付き”。入社わずか3ヶ月(取材時時点)にも関わらず、日報の数は4冊にも及ぶ
「ありがとう」が育てる、福島への想い
一方で、都心の大企業では得られないもの、地方企業だからこそ得られるやりがいも感じている。
「地方の中小企業でもこれだけできるんだというのは、入ってみてわかる部分もありますね。小さい会社なので決断も早いですし。そう言った意味ではスピード感があって、仕事もやりやすいです」
やりがいは、地域の人々とのふれあいのなかにも、ある。
「いろんなところで、感謝されるんですよね。『出身はどこですか?』と聞かれるので、答えると、『なんでわざわざ、こんなところに?』って。いやぁ、原発の廃炉のビジネスでこっちへ来ているんですと言ったら、『そうですか〜!ありがとうございます、助けてくれて』と、おっしゃってくれる方がいっぱいいて。病院の人と話をしてもそういう反応がありますし、『貴重な人だから』なんていわれると、うれしくなりますよね」
自然と、福島への想いも強くなる。
「こちらに来て重要だなと思ったのはやっぱり、風評被害の問題ですね。いかにこれを払拭していくか。報道でも、原発の廃炉にはこれだけの費用がかかるとか、マイナスのイメージしか出てこないんですよね。良いイメージの報道がすごく少ないので、福島から発信してもみんなに届かない。それを届かせるためには、どうすればいいか?というのはいつも考えています」
福島県廃炉ビジネスに関して和田さんが日報に記したマインドマップ。“福島の現状、将来の構想。元気な福島を発信!”という文字からも、和田さんの福島への強い想いがうかがえる
いわき市での新しい生活
和田さんの自宅は今も埼玉にある。関東以外での地方暮らしは初めてだ。ご自身や家族に抵抗はなかったのだろうか?
「そうですね、家族は『行きたければ行けば』って、そんな感じでしたね(笑)。ただ自分としては、海外は住んだこともあるし、ある程度わかる部分はあったんですけれど、地方は同じ日本でもその土地の習慣であったり、感覚が違っているところもあると思うし、多少不安はありました。でも実際に来てみて、困るようなことは何もないなということがよくわかりました」
年収は転職前より3割ほど減ったという。だが、仕事の成果が給与に直結するスピード感は現在の方が早い。以前と同じレベルの収入になる日も遠くはなさそうだ。
「首都圏で働いていた時は、基本給イコール給与でしたが、この会社は基本給が固定で、そこにいろいろな手当てが積み上がっていく仕組みなんです。実績を出せば昇給はするので、新規の入札などを獲得していけば、もっと上がっていくと思います」
現在はまだ、ホテル暮らしを続けている。社内の同僚に情報を聞きながら、新しい住まいやこの地域の楽しみ方を模索し始めているところだ。
「いわきの印象は、静かで落ち着いている、ですね。全体的にあんまり急いでいない。それが首都圏との一番の違い。あと、物理的なことで言うと、温泉が近くにあるんです。楢葉町にある『天神岬』という温泉で、昨日も行ったんですけど、結構いいですね。海沿いにあって、海を眺めながら温泉に入れるんです。広野町という隣町には大きなショッピングモールもあります。ただ全体的に店は少ないですね。天ぷらがおいしいお蕎麦屋さんは見つけました。あと、道の駅の隣にも豚丼がおいしい店があるらしい(笑)。飲み屋も少ないので、好きなお酒を安い酒屋で段ボール箱で仕入れてきて、車の後ろに積んであります(笑)。それから、こちらにきて本をよく読むようになりました。自宅がある所沢に帰ったときに本をいっぱい買って、部屋に持ち込んでいます」
福島県双葉郡楢葉町にある「道の駅ならは」。隣地から湧出する温泉を利用した温泉施設、レストラン、売店などが併設され、道路利用者や地域の方々の憩いの場となっている
ホテル暮らしのため近所づきあいはまだだが、社内の同僚やホテルの従業員とのふれあいを通じて、「人」の魅力は伝わっている。
「シオヤ産業に入社して感じるのは、社内も、取引先も、地域も、お互い助け合うという強い想いや意識を持っている人が多いということ。それに、福島県外から来た人に対しては、すごく優しく接してくれます。泊まっていたホテルもあまり大きくないところなので、ホテルの従業員との距離が近いというか、食堂で食事をしていたら気軽に話しかけてくれたり、朝は『行ってらっしゃい』、夜は『おかえりなさい』と声をかけてくれて、とても親しみやすかったです。あと、先ほども少し話しましたが、まちの人たちも歓迎ムードで、『よく来てくれました』『ありがとうございます』と感謝の言葉をいろんなところでいただけるんですよね。私としてもそうしたことが一つのやりがいにつながっているのかなとも思います」
個人のM&Aも可能。現地で気づいた地方の可能性
最後に、地方への移住転職を考えている読者の皆さんにメッセージをいただいた。
「地方の中小企業は、首都圏と違って、高いビジネススキルを持っている人がそんなに多くないんです。だから首都圏でそうしたスキルや実績を培ってきた人を欲している企業はたくさんあると思います。ただ、個人に求められるミッションも確実に増えます。組織の見直しが必要だったり、業務の改革が必要だったり、新規のビジネスの創出が必要だったり、やることがいっぱいで大変だとは思うんですが、企業を再構築していくためには通らざるを得ない道。頑張ってほしいなと思いますね。それと、今少し流行っている個人のM&A。そのチャンスも地方のほうがあると思っているんです」
個人のM&Aと地方。どういうことなのか?
「後継者問題ですよ。地方の企業には後継者がいないケースも多いんです。そういった企業を個人で買って、そこからまた自分が新しいビジネスを作っていき、さらに発展させていくということもできるんじゃないでしょうか。そこには大きな喜びがあるはずです。シオヤ産業の周りのメーカーや製造業などで関わっている企業の中にも、後継者不足という課題が出てくるかもしれません。そういった時は企業と企業のマッチングをして、地元に企業を残すような取り組みをしていきたいなということも、個人的には考えているんですよ」
地方企業にはさまざまな課題がある。だが、その数だけ、活躍のステージと新たな可能性が広がっているようだ。
「自分の実力を試したいとか、地方創生をして地方から全国や世界へ発信したいという強い意志を持っている方は、ぜひ挑戦してもらいたいなと思いますね!」