そのまちらしさを守るために。地方と人をつなげる新たな仕組みをつくりたい
愛媛県西条市 山中 裕加さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2020/06/22 (月) - 07:15

愛媛県西条市は、今年1月に発行された雑誌「田舎暮らしの本」(宝島社)の「2020年版 住みたい田舎ベストランキング」の大きなまち・若者部門で全国1位に輝いたまち。
そんな注目のまちに東京からたった1人で移り住んだ女性がいる。山中裕加さんだ。山中さんは、学生時代から海外や日本全国の「地方」を渡り歩いてきた経歴の持ち主。実際に暮らして感じる「地方」の魅力や、西条市のリアルな住み心地について伺った。

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表面的な「まちづくり」への疑問

山中さんは、愛媛県松山市の出身だ。東京の大学で建築を学んだ後、イギリスの大学院へ進学。帰国後は東京で5年間、不動産の企画や建築デザインの仕事でキャリアを積んだ。そして一年前、愛媛県西条市に移住。新たな人生を歩み始めている。

大学時代から、1人旅が好きだった。まとまった休みが取れると、貯めていたバイト代をはたいて海外旅行へ。その行き先も、内容も、いわゆる普通の女子旅とはひと味違っていた。

「1人でよくわからないまちへ行って、ひたすら、まちじゅうの人たちを眺めるっていう、すごい根暗な旅をしていたんです(笑)。でもそれが私にとっては面白くて。当時からそういう、観光では見えないところや、そのまち独自の文化にすごく興味がありました」
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今回お話を伺った、山中 裕加さん

就職していた時も個人事業主として動き始めた時も、いわゆるまちづくりと言われるプロジェクトに関わることも多かった山中さん。だが次第に、ある疑問が大きく膨らんできた。当時、東京の不動産業界、建築業界では、まるでトレンドのように、「まちづくり」という言葉が盛んにうたわれていた。山中さんにはそれが、表面的なもののように映ることも多かったようだ。

「まちのためにやっていると言っても、そのまちの問題が本質的に改善されているんだっけ?っていうのをずっと思っていて…。自分の中で何度も自問自答していました」

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やがて山中さんは会社員を辞め、個人事業主として活動を始めた。と同時に、1つの場所にとどまらない無拠点生活を始めた。東京で業務委託の仕事を請け負いつつ、東京と地方を行き来するようになる。地方を転々としながら各地の知り合いを訪ね、行きたい場所に行く生活を1年ほど続けていたという。

「そのうちに、1回、地に足をつけて自分で事業をやりたいなという気持ちが湧いてきたんです」
と同時に、地域に何かを生み出し、本当の意味でまちづくりに貢献できる仕事がしたいと思い始めたのだという。

「そんなときに、祖母の家があるまちで、地域おこし協力隊という制度を使って起業をサポートする、という取り組みがあるのを知りました。小さい頃からよく遊びに行っていたまちでしたし、応募してみることにしたんです」

そのまちこそが、愛媛県西条市だった。

お手本は、「ワークアウェイ」

愛媛県西条市は、松山市の東にある地方都市である。県庁所在地・松山市の人口が約52万人であるのに対し、西条市の人口は約10万5000人。四国の最高峰・石鎚山と美しい瀬戸内海に囲まれた、のどかなまちだ。その自然豊かな環境や充実した教育環境などが注目され、株式会社宝島社が発行する「田舎暮らしの本」(2020年2月号)で発表された「2020年版 住みたい田舎ベストランキング」では、若者世代が住みたい田舎部門の全国第1位を獲得。エリア別ランキングにおいては、全部門(総合・若者世代・子育て世代・シニア世代)で2年連続四国第1位の評価を受けている。

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だが、山中さん自身は、西条市のそんな人気ぶりを全く知らなかったという。祖母以外の人脈もゼロに等しかった。

「不安ですか?そうですね、すべてを1から作り上げるっていうことだったら、私も怖いなっていうのもあったかも。でも祖母の家がありましたし、地方でやりたいなという想いもあるしなっていう、そこの安心感はありましたね」

山中さんが西条市で取り組もうとしている仕事。それは、「人と地方」をつなぐ新たなビジネスモデルの構築だという。

「無拠点であちこち飛び回っていた時にも、地域には可視化されていない魅力がたくさんあるなと感じていました。そこを繋ぐ役割を担いたいなと思っているんです」

1つのヒントがあった。
外国を旅していた頃、山中さんは「ワークアウェイ」という仕組みをよく活用していたという。ワークアウェイとは、旅人が労働力を提供する代わりに、ホストが宿泊場所と食事を提供する仕組みである。世界中の旅人の間で普及しており、ネット上には専用のマッチングサービスもある。

山中さんは、このワークアウェイの仕組みや考え方を、地方と人を結ぶ新たな方法として活かせないかと思いついたのだ。

「西条市にワークアウェイの拠点みたいなものを作って、人に滞在してもらい、クリエイティブなスキルで地域に何らかの還元をしてもらう、という仕組みを作れないかと考えています。例えば、商品開発。“このまちにはこういう資源がありますよ”と私が発信して、いろんな人に商品開発をしてもらう。そんなプラットホームができないだろうかと」

発想の原点になったのは、自らの体験だという。

「ワークアウェイでネパールの小さな村に行った時に、ホストに『君にできることをやってくれたらいいよ』と言われたんです。その村に、金属でアクセサリーを作っているおじさんがいて、英語とか全然話せない人だったんですけれども、その人の動画を撮ってYouTube用に渡してあげたらすごく喜んでくれて。ここでやりたいのも、そういうイメージですね。それぐらいの、自分でできる感じの何かを見つけて、やってくれたらいい。地方へ来て、自分でできることをみつけて、やってみたいという人が増えたらいいなと思っているんです」

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移住してみて気づいた、西条市が抱える課題にも正面から取り組もうとしている。
「環境の持続可能性に疑問を感じるようになったんです。祖母の家の周辺の環境だけを見ても、小さい頃とはずいぶん変わってしまったなと感じるんですよ。単純に川の水が減っているし、竹林が鬱蒼と繁っていて、里山としての環境が悪くなってる。水の問題は、産業にも関わることですよね。環境が壊れていくというのは地域にとっても長期で見るとマイナスなんじゃないか。そう思っているので、今は人工林と竹林、棚田を商品開発のテーマにしています」

今後は新しいメディアを自分で立ち上げ、そこで商品開発などのアイデアを募集していく予定だ。

うわべだけの提案では伝わらない

東京時代と職種は異なるが、東京での経験も大いに役立ちそうだと感じている。

「自分の得意なところは、人と人、人と資源を繋ぐということ。建築のデザインも不動産の企画も、いろんな人と接する仕事でした。特に私は全体を見渡して各所をつなぐような立ち位置に入ることが多かったので、どうしたらみんなが気持ちよく関係性を持てるかということを、いつも仕事の中心に置いてきました。一方、地方には、こことここを繋いだら面白そう、うまくいきそうなのに、と感じることが多いのですが、そこを繋ぐ人が圧倒的に少ないと思う。だからこそ、東京で培ってきた経験を十分に生かせそうな気がしています」

だが一方で、地方には「閉鎖的」というイメージもある。いくらノウハウがあるとはいえ、東京から来た人間の言葉がすぐに受け入れられるものだろうか。

「確かにそうですね。西条でも、『地元の人間は、外からきた人が企画や短期的なイベントだけして帰っていくことに、疲弊しているんだ』という声を聞いたことがあります。でも、私はそうではないんだよと。うわべだけじゃないテーマがあって、ここで一生懸命事業をやっていくんだよということを伝えるよう心がけています」

地元の人々との間にある、見えない「壁」。それをなくすために最も大事なのは、じっくり時間をかけて、相手の話に耳を傾けることだと山中さんは考えている。

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「だから私はとことん聞きますね。しつこいぐらいに(笑)。つなぎ方がうまくない人は、相手の話をよく聞いていないと思うんですよ。私は相手が本質的に困っているところを聞き、『そうだよ、ここに困っていたんだよ』っていう細かいところまで拾ったうえで、どうですか?と提案するようにしています。うわべだけの提案じゃ、聞いてくれるわけないですから」

話を聞く場所は、仕事の現場だけとは限らない。山中さんは、仕事とプライベートの垣根なく、「いろんな人たちと会うようにしている」とも話す。

「西条市の人はよく飲むんですよ(笑)。お祭りがあるので、ひたすら飲んでいるみたいな印象。飲む場所ですか?まちなかの居酒屋さんに行ったり、あと、西条はスナックがすごく多いんです。それからシェアハウスですね。我々のメンバーが4人ぐらい住んでいるところがあるんですけれども、そこに集まっていたら近所の人とかが入り乱れてきて、宴会が始まるみたいな。お酒好きな人は西条市は絶対合うと思いますよ(笑)」

飲み会の場では、仕事の話はほとんどしないという。それでも、そこでつながった関係性やたわいもない会話が、仕事も含め、この地で長く暮らし続けていくための土台になっていくのを山中さんは感じているそうだ。

コーヒー焙煎、焚火。できることが、増えた

東京から西条市に移住してきて、1年が経過した。
収入は東京時代から半減したという。それでも山中さんに後悔はない。

「移住後も東京の会社から業務委託を受けていたのですが、だいぶこちらの事業の比重も大きくなってきて、今後の契約形態について話しているときに、自分の事業に集中したいと思い契約延長は断りました。こちらでは家賃もかかりませんし、生活のコストも少なくてすみますからね。最悪、お腹が減って死にそうになったら、庭に生えている大根を食べればいいのかなって思っているので(笑)。東京の仕事を中途半端に受託するより、自分がゼロから作り上げられる仕事で利益を出したい、という気持ちの方が強かったです」

実際に1年間暮らして感じた、西条市の住み心地についても聞いてみた。

「食べ物が安くて美味しいです。あとはありきたりなんですけれども、人との距離が近い。それが鬱陶しいという話もあるんですけれど、私はポジティブになれます。まわりが自分のことを気にかけてくれる、みたいな。近所の人も普通に野菜を縁側とかに置いていってくれるんです。これがめちゃくちゃ助かる(笑)。私が住んでいるのは10世帯ぐらいの小さな集落なんですけれど、私が帰ってきたことを嬉しいと言ってくれるんですよ。私にいろんなことを教えたり、応援したいと思ってくれているみたいで。小さい頃に遊んでもらったおじちゃんとかもいるので、それは本当に素直に良かったなと思います」

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地方に移住したからといって、仕事自体は必ずしも、忙しさから開放されるわけではない。山中さんも、自分で事業を立ち上げようとしていることもあり、夜遅くまで仕事をしている日も少なくないそうだ。それでも、「上手な息抜きのレパートリーは増えた」と山中さんは移住後の生活を振り返る。

「東京時代と比べると、自分の手でコントロールできるものの存在が近くになったなと感じますね。考えごとをしたい時や、なんか頭が疲れているな…と思った時には、畑で草を抜くとか、薪で風呂を炊いてみるとか、近くの山へ行ってみるとか、選択肢がいろいろあるんです。でも東京では、オフィスで仕事が捗らないときの逃げ場ってカフェしかなかったんですよ。そこにかかるコストも減りました。東京で『疲れたから今週末どこか自然がいっぱいある場所へ行こう』と思ったら、交通費と宿泊費がすごくかかるじゃないですか。でもここにはそういう場所が身近にあるし、自然の楽しみ方が得意な人も多いので、『一緒に釣りに行こう』とか、ハンモックを持ってきてくれて、『山の途中で寝ていいよ』とか、誘ってくれるんです。西条は農業も盛んなので、農家さんと友達になったりすると、普通に畑仕事の手伝いにも行けますし」

東京から地方へ移住したことで、できることは逆に広がったと山中さんは話す。

「東京のマンションではできないことができるようになったから、範囲が広がったな、できることが増えたなと思いますね。例えば、コーヒーを自分で焙煎したり。薪も、山から拾ってくれば、すぐに焚き火ができます。アウトドア好きの人が仕事の仲間にいるのもあって、火を見ようっていう機会が多くあるんですよ。今日焚火する?みたいな。よく考えたらすごいですよね。東京だと、わざわざお金を払って豊洲のキャンプ場へ行くじゃないですか。そういうのがその辺でできるんです、河原とかで」

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「新しいことや自分の知らないことを体験するのが大好き」と自己分析する山中さん。それは、地方で活躍する人の共通点なのかもしれない。

自ら「仲間」に入る

話を聞けば聞くほど、山中さんがわずか1年でかなりのネットワークを構築してきたことがよくわかる。そのあたりのコツも聞いてみた。

「仲間を増やしたかったら、自分から仲間に入れ、っていうけれど、本当にそうだなと思っています。私は、その人がやろうとしていることを1つの情報として取りに行きたいっていう気持ちが強いので、遊びに行かせてください!ってすぐに行っちゃうんですよ。仕事だけじゃなくて、遊びに行くみたいな感覚で。その方が構えられたりせず、本音が聞けたりもしますし。」

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とかく不安視されがちな、「ご近所づきあい」についても、山中さんはこう前向きにとらえている。

「近所の人はよく見ているなぁと思います。夜中の2時ぐらいに代行タクシーで帰ってきたら、『夜中に帰ってきただろ』って言われるんです。あと、ゴミの日に出せないものをゴミ袋に入れて出してしまったことがあるんですよ。そうしたら回収されていなくて、即『だめだよ』と言われちゃいました(苦笑)。いろんな目が光っているなと思いますね。でもそれってある意味、安心感。見慣れない車が止まっていたり、変な人が入ってきたら一瞬で、口コミが広がりますから」

地方ならではの口コミは、良い面もたくさん含んでいるのだ。

「仕事の面でも、『山中さんがいてくれて良かった』っていう口コミが広がることで次の集客に繋がると思っていますし、逆に失敗しても、一生懸命がんばっていればフォローしてくれる口コミ力も、地方にはあると思います。」

と山中さん。そしてこうも続けた。

「いい意味でも悪い意味でも、地方には口コミ力があるからこそ、自分のことだけ考えていると、見透かされる気がします。東京みたいになんでもお金で割り切ってやっているわけではないし、もし私が変なことをしたら近所の人から囁かれると思うから、自分に恥じない生き方をしなければと思うようになりました」

課題があるからこそ、チャンスもある

山中さんは以前、「消滅可能都市」と言われる自治体と仕事をしていたそうだ。

「そもそも、地域ってなくなっちゃっていいんだっけ?とよく考えるようになりました。すごい額の税金を投入して地方促進をやっているのにそこの本質が自分の中で見えなくなってきて…。私の中の一つの解答は地方は独自の文化や、独自の生活様式があるのに、それが廃れていってしまうのが単純にもったいないという思いと、そこをなくしてしまったら、均一化して私が各地でみてきた面白い世界がなくなってしまうんじゃない?という危機感があって」

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だからこそ、今、地方の可能性も感じている。

「うまく言えないんだけれど、そこが課題であるのであれば、チャンスもあるんだろうなと思うんです。だったら私は、地域の『繋ぐ人』になりたいなと。つくる人もやってみたいけれど、東京時代に、上には上がいるなっていうことを実感しましたからね。何かを生み出す時に、天才だなって思う人がいっぱいいたんです。そういう人たちの力を、地方へインプットしてもらうにはどういう仕掛けが必要なのか?ということを今はよく考えています。私は、そういう人たちがここへ来たくなるような、つなぎ役になっていけたらいい」

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最後に、これから移住や転職を考えている方へのアドバイスももらった。

「最初から、『ここに骨をうずめるぞ』という気持ちじゃなくてもいいと思うんですよね。私も最初は半々くらいの気持ちでしたから。こっちでも生活をしようかなっていうぐらいの気持ちで来たんです。結果として今、移住しているっていう感じ。来てみて、その土地が自分に合っていれば居続けたらいいし、合っていなかったら辞めたらいいと思います。失敗してもそんなにリスクは高くないんじゃないのかな。家賃や初期費用を含めて、資金的なところでも。逆に、何かを生み出したい人にとっては、地方は面白いんじゃないかなと思います。お金を稼ぐということだけでいうと目劣りしてしまうかもしれませんが、課題をちゃんと見つけさえすれば、地方には面白いことができる余地があると、私は感じています」

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