東京で培った広報のキャリアを捨て、2年半の旅を終えて、家族と奥能登・石川県穴水町岩車に移住した中川生馬さん。移住後の初めての仕事は、二度と関わることがないと思っていた広報の仕事でした。いかにして、移住後に仕事を作り、新しいライフスタイルを築いていったのか、田舎バックパッカーを称する中川さんに、引き続きお話をうかがいました。
移住後初めての仕事は、予想外にも広報の仕事
中川さんが、奥能登に移住してからの初仕事は、東京で10年のキャリアを積んできた広報の仕事でした。会社員時代にお世話になった記者から紹介され、東京のスタートアップ企業スタディストの広報業務のサポートをすることになったのです。
実は、中川さんは東京を離れたら、二度と広報の仕事をすることはないと考えていたと言います。「広報は現場にいないとできない仕事だと思っていたし、地方に広報の仕事はないと思い込んでいました。でも、せっかくいただいた仕事ですから、「できない理由」ではなく「やるための方法」を考えようと気持ちを切り替えました。電話やメールでレクチャーしたり、スマホをつないで立ち会ったり、現場スタッフに指示は出せます。どうしても必要なら飛行機で出向けばいいと考えたのです。」
こうして、中川さんはその後も複数の企業から声をかけられ、忙しく働くことになります。「旅の途中で知り合った徳島の上勝町の方からお声がけいただき、月の半分は徳島に行く生活も始まりました。ワゴン車で能登と上勝町の往復だけでなく、妊娠中の妻の里帰り先である青森に様子を見に行ったり、東京の企業にも月に一度は顔を出したりしていました。」
田舎でのライフスタイル実体験サービスで地方創生
中川さんは、田舎のライフスタイルを体験するサービスにも取り組んでいます。プランを組み立て現地の方々と連携して、農業や酪農、釣りや素潜りなどの体験サービスを行い、地元の方々の収入にも繋がる仕組みにしているのだとか。
仕事がなければ作ってしまえばいい
「田舎には仕事がない」という思い込みから移住の決断ができない方は少なくありませんが、中川さんは「仕事がなければ作ってしまえばいい」のだと言います。中川さん自身も、広報のサポートや田舎体験サービスのほか、Web制作やコンテンツ作成、写真、近隣の方々のお悩み事への対応なども行なっています。「田舎にはないものが多いけれど、ないものを作ればビジネスになります。自分のスキルを総動員して武器を増やすことが大切です。また、お客様と対話するなかで、自分では思いつかなかったスキルに気づかされることも多いんです。英語ができるので、海外の人への取材を依頼されたりしました。妻も同じです。東京でずっとやっていたネイルやエステのサービスを能登で提供すればお客様が来てくれますよ。田舎になればなるほど、そういった美容関連のサービスは存在しないので。」
「週に1日の出社でいい人であれば、出社日だけ余裕をもって飛行機を予約しておけば、かなりの低額で乗れます。能登9市町では能登空港の利用促進助成金制度があり、市町民には飛行機代の一部が助成されますから、さらに割安になります。家賃も安く、空き家を1~2万円くらいで借りられることもあります。」
「既にできあがっているコミュニティに外側から入っていくよそ者は排除されると心配する方はいますが、これは都市部でも起こりうることです。」
「田舎だから…」という思い込みは捨てた方がいいと中川さんは言います。自分が自分らしく生きていくためにも、偏見は持たないことが大切で、思い込みを捨てることで、生き方や働き方の可能性が広がるのかもしれません。
「これからは個人個人のリモートワークだけでなく、本社機能も都市部である必要がなくなってくるし、 “自社ビル”の概念もなくなるかもしれません。地方は空き家や土地が多いので、働く場としても地方が活用される時代になるといいと思っています。」
中川さんは、これまで同様、「田舎への旅」と「田舎でのライフスタイル」の二軸で、情報発信し田舎体験のサービスを提供し続けたいと言います。日本の他の地域や海外にも足を延ばし、田舎の魅力を幅広く伝えていきたいと語る中川さん。今後の活動が楽しみです。