デザイン経営で、日本美を表現した家具を世界に発信
株式会社カンディハウス 代表取締役社長 藤田 哲也さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2022/09/08 (木) - 17:00

北海道の中央に位置し、産業や文化の中心となる旭川市は、古くから家具づくり産業が根付いています。広大な森がひろがる旭川の産業をリードし、世界レベルでものづくりを続けているのが、株式会社カンディハウスです。デザインを基軸としたものづくりと、世界への挑戦について、同社の代表取締役社長 藤田哲也さんにお話しを伺いました。


営業から社長へ就任

藤田さんがカンディハウスに入社したのはアメリカ進出の2年前(1982年)。学生時代、インテリアデザインを学んだ藤田さんは、札幌営業所の営業職に配属しました。当時、日本はバブル前。カンディハウスの業績も右肩上がりで、札幌営業所は全国トップの好成績だったといいます。しかし、バブル崩壊後は、売上が激減。なかでも売上が半分にまで落ち込んだ横浜営業所の立て直しのため、藤田さんは所長として異動することになりました。

数年かけて横浜営業所の事業回復に尽力するなか、藤田さんは自分でも事業をしてみたいと思うようになります。こうして1998年、ガンディハウスを退職。グループ販売会社としてカンディハウス横浜(横浜みなとみらい)を設立します。日本経済はどん底でしたが、藤田さんは「あとは上がるだけ」とポジティブ思考で事業を軌道にのせることに奔走しました。

そして、2007年に専務取締役営業本部長も兼務で取締役に、2013年にカンディハウスの社長に就任することになります。就任後は、海外戦略と組織改革に注力し、台湾やオーストラリア、中国、香港、シンガポール、インド、タイといった、アジア・オセアニア地域へ進出を実現しました。

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「自ら各地に赴いて、市場調査、ディーラー調査を行い、JETROや日本大使館・領事館、現地に住む日本人から話を聞くことを徹底しています。国内外問わず、販売店契約などを結ぶ際は、相手側の社長か、同等の権限を持つ人に来日してもらい、理念が合う場合のみ締結します。必ず私が相手側の社長と握手して契約することを徹底しています。」

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社員の声を吸い上げ、組織改革

この先も強い組織でい続けるため、藤田さんは外部コンサルも入れて、組織改革にも注力してきました。社長就任後の数年、毎日のようにランチミーティングを行い、社員の声を吸い上げ、小さなことでも改善すべき点がみつかればすぐに改善してきたのだといいます。

「カンディハウスは国内複数の拠点と海外の現地法人やパートナー、そして国内外の契約デザイナーなど、多様な人が集う組織です。強い組織を作るために、さまざまな人の意見を吸い上げるボトムアップ型が必要だったのです。」

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カンディハウス 社長 藤田哲也さん

藤田さんが社長に就任した2年後の2015年。1968年、カンディハウスを創業し、北海道功労賞などの功績を遺した長原實氏が逝去します。

長原氏は、北海道旭川市の隣、東川町で生まれ育ち、学校を卒業後、家具職人の世界に飛び込みました。ヨーロッパの家具の勉強に打ち込んでいた頃、旭川市がドイツへ派遣する、将来の木工業界を牽引する若手人材3人の募集を始めました。これはチャンスと長原氏は応募。ドイツで3年半の技術研修を受けることになったのです。

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ドイツに渡った当時の長原さん

長原氏は、ドイツで世界トップクラスのものづくりを学びながら、休日には美術館や博物館、北欧でデザイン性の高い家具を見て回り多くの刺激を受けました。そんなある日、長原氏は、港で多くの木材が運ばれている様子を見かけます。近寄るとその木材には「OTALU」の焼印が…。

北海道の木材がヨーロッパに運ばれ、ヨーロッパで加工されて、世界に輸出されていたのです。この事実に衝撃を受けた長原氏は、北海道で、地元の木材を使用して家具を作り、世界に輸出したいと考え、帰国後の1968年、旭川にインテリアセンター(現・カンディハウス)を設立しました。

「しかし、当時の日本の家具は衣装箪笥が主流で、ヨーロッパで学んだデザイン性の高い家具は見向きもされなかったそうです。それでも長原は、暮らしを豊かにする家具を広めたいと、独自の販売ルートを探し求めました。転機となったのは、創立10周年記念で行った「Hockファニチャーショー」でした。

日比谷の日生会館で新作展を開催すると脚光を浴び、横浜や東京にショールームを開設。1984年にはサンフランシスコに現地法人を設立し、現地のデザイン事務所とチームを組んで、アップルやスタンフォード大学、バンク・オブ・アメリカなどとの取引につなげていったそうです。

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アメリカの現地法人、現在の様子

 “世界で売れるものづくり”が本格化したきっかけは、2005年に初出展した「ケルン国際家具インテリア見本市(ドイツ・ケルンで開催)」でした。ものづくりには自負があったので、日本で売れている製品を出品したのですが、各国からは「なぜ北欧家具の真似をしているんだ」と、一件も商談につながらなかったのです。「世界で勝負するには、日本らしさを追求しなければならないことを痛感しました。」

こうして、カンディハウスは「ケルン国際家具インテリア見本市」に再挑戦することになります。

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2005年のケルン国際家具インテリア見本市

まず、ケルンで知り合ったドイツの著名なデザイナー、ペーター・マリー氏に新デザインを依頼し、来日してもらって日本を案内しながら特性を共有しました。そして誕生したのが日本美をヨーロッパのデザイナーが表現する「tosai LUX(トーザイ ラックス)」シリーズです。そのデザインをカンディハウスの職人が形にし、翌年のケルン国際見本市に出品した結果、ヨーロッパで認められることになりました。

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tosai LUX(トーザイ ラックス)シリーズ


旭川を世界的な家具づくりブランドにしたい

「わたしたちが目指しているのは、家具を通して日本の生活文化を向上させること。世界に日本の美意識を伝えること。そして、「家具ブランドといえば旭川」と認識されるような、世界的ブランドです。」と藤田さんは語ります。

旭川には、ものづくりの教育機関やデザイン協議会など、行政も関与したバックアップ体制があり、世界的に大規模な家具づくりのインフラが整っています。このインフラを生かし、旭川家具工業協同組合が中心となって開催されているのが、「国際家具デザインフェア旭川(IFDA)」です。

1990年から3年ごとに行われる、世界最大級の木製家具デザインコンペティションで、世界中のデザイナーやメーカーと交流でき、旭川を世界的なブランドにし、次世代のクリエイティブ人材の育成にも繋がるのだといいます。

「旭川をこの先、100年、200年続くものづくり大国にするために、カンディハウスはこれからもずっと、挑戦を続けることでしょう。

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2017年の国際家具デザインフェア旭川(IFDA)



インタビュー出典元:
https://www.glocaltimes.jp/4291


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