本州の最西端にある山口県長門市向津具(むかつく)半島の油谷(ゆや)島。まるで海外リゾートのような透明度の高いコバルトブルーの海が広がる、日本屈指の絶景の地だ。この場所で、15年前から自給自足の生活を営み、油谷湾の豊かな海水を使って天然塩を作る人がいる。株式会社百姓庵の井上雄然・かみ夫妻だ。田舎でゼロからビジネスを生み、今では山口県内はもちろん、日本全国に取扱店とファンを増やしている。
田舎暮らしに憧れを抱き移住するも、挫折する人が多い中、彼らはどのように経済を確立させ、雇用をも生みながら生きているのだろうか。農業法人を営む、株式会社GRA社長の岩佐大輝氏とお話を伺った。
旅行会社のトップセールスから一転、働くとは何か
岩佐:井上さん夫妻は15年前から山口県の油谷に移住し、自給自足の生活をしながら手づくりの天然塩を販売する生活をされています。まずは、なぜその生活に至ったのかを伺いたいのですが、井上さんは油谷に来るまで何をしていたのでしょうか。
井上:私は福岡県出身で、大学を卒業後は旅行会社に就職しました。もともとキャビンアテンダントを目指していたのですが、当時は超就職氷河期で、国内エアラインがすべて採用凍結になってしまって。関係性のあるホテルや地上勤務のグランドスタッフの倍率は信じられない高さになっていました。
それでもどうにか旅行会社に入社したのですが、やっぱりやりたかったこととは違っていたんですね。私がやりたかったのは、心からのおもてなしをすること。結局、その後は美容系の仕事や秘書など職を転々としていました。
転機が訪れたのは、28歳のとき。ある旅行会社から声がかかって入社すると、お客さまに対して真心を込めておもてなしができることがすごく楽しくて、トップセールスになったんです。だけど、気付かないうちに体を壊してしまって。医者に、「薬を飲まずに治したいなら環境を変えなさい」と言われました。仕事は楽しいのに体はついてこない。生きるって、働くってなんだろうと考えるようになりました。
そんなとき、「タコを手づかみでとる面白い人がいる」と聞いて、友人と山口県に遊びに行ったんです。その面白い人が、今の主人。ボロボロの家の中にテントを張って、家を修理しながら生きていた。それを見た時に、今までの価値観が音を立てて崩れました。私はお金ですべて解決して生きてきたけれど、彼は家を自分で作り、漁をして、畑で野菜を育てて生きている。「生きるって、働くって、こういうことなんだ」と腑に落ちました。
ミネラル豊富な天然塩づくりに適した山口県油谷島との出会い
岩佐:そもそも、ご主人の井上雄然さんは、なぜボロボロの家で自給自足の生活をしていたのですか?
井上:主人が東京で働いていたある日、自然災害でライフラインが全部ストップしたらしいんです。電車が止まり、ゾロゾロと下を向いて歩く集団の中に自分もいて、「なんてもろい都市なんだ。どんな時代になっても自分で生きていく力をつけよう」と考えたんだとか。そこから地元の山口県下関市に戻って、自給自足生活を始めました。当時22歳くらいだったので、周りからは相当な変わりもの扱いされたと思いますけど。
岩佐:その自給自足生活から塩作りにつながるのだと思うのですが。なぜ、塩だったのでしょう。
井上:人間が生きるために必要なのは、空気と水と塩です。江戸自体の極刑は塩抜きの刑だったと言われるほど、人間から塩がなくなると死んでしまうのです。
ただ、今市販されている塩の多くは、人工的に作られた「塩化ナトリウム」なんですね。日本では1905年まで、約3000社の塩工房が天然塩を作っていました。でも産業の発展のために安価な塩が大量に必要となり、工房をつぶして工場地帯に変えてきた歴史があります。効率よく生産するために、イオン交換式製塩法が用いられ、純度の高い塩化ナトリウム塩が作られるようになったのです。
海水には地球上のほとんどの元素が溶けているので、昔ながらの製法で作れば、カルシウムやカリウム、マグネシウムをはじめ、鉄や亜鉛、マンガン、銅などの微量ミネラルを含んだ塩ができます。人間の体には、そうした微量ミネラルが必要なのです。
岩佐:なるほど。そこで、塩化ナトリウム塩ではない、ミネラルをちゃんと含んだ天然塩を作ろうと考えたわけですね。
井上:そうです。それから主人は、塩作りに適した自然豊かな場所を探して、バイクで日本中を走り回り、見つけたのが山口県の油谷島でした。
ただ、見つけて借りた家はボロボロ。周辺は耕作放棄地で荒れ果てていました。今は田畑にしているところも竹林になっていたので、開墾からやらざるを得ない。主人とスピード結婚をした私は「こんなことをするために嫁いだんじゃない」と思うこともありましたが(笑)、農作業で土に触れるうちに、いつの間にか病気が治っていました。医者に言われた「環境を変えなさい」とは、このことだったんだなと思いましたね。
ゼロからビジネスを立ち上げ、現金収入を得るように
岩佐:とはいえ、現金がないと生活は成り立ちません。経済的な面で、どのように生活を立ち上げたのでしょうか。
井上:最初から自給自足をしていたので、食べ物に困ることはありませんでした。お米や野菜はもちろん、目の前が海なので魚を釣り、貝や海藻をとって食べていました。ただ、光熱費など必要最低限のお金はどうしても必要です。
そこで、家を改装して週末に1組限定の民宿を始めました。当時は私たちの暮らしが珍しかったのか、よくテレビで取り上げられていたので、幸いなことに日本中からたくさんの方が泊まりに来てくださいました。取材で、芸能人の方も何人かいらっしゃいましたよ。
岩佐:じゃあ、いきなり軌道に乗った。
井上:そうなりますね。民宿の収入は月15万円程度でしたが、夫婦2人で十分豊かな暮らしができていました。今でこそ儲けはありますが、今と当時の暮らしの豊かさは変わっていません。
岩佐:月15万円の生活以降は、どのように収入を増やしていったのでしょうか。
井上:民宿に泊まったお客さまがチェックアウトするとき、「近くでランチを食べられるところはある?」と聞かれることが多かったのですが、お勧めしようにも飲食店がなかったんです。そこで、主人と2人で敷地内に石釜ピザのカフェを始めることにしました。するとこれも口コミで広まり、こんなに田舎の僻地なのに、行列ができる店になったんです。
岩佐:この場所で行列ができるのはすごい。下関から車で2時間近くかかるし、結構な山道ですよね。
井上:そうなんです。今考えると、自給自足をしている人ってどんな人なのか見たい、というのが動機になっていたのではないかなと思います。今でも、百姓庵には毎日のようにお客さまが訪れますが、みなさん塩を買いに来るのではなく、話をしに来てついでに塩を買って帰られます。その帰り際に、自分も畑を作ってみると言う人や、サラリーマンが人生ではないと気付いたと言い、本当に会社を辞める人はこれまで何人もいました。
そうやって、日々の暮らしの豊かさに包まれた状態で、ゆるやかに経済も充足し、油谷に移り住んで5年が経った頃、ようやく塩作りのための資金ができました。
10社回って9社は門前払いの、どぶ板営業
岩佐:資金を集めて5年後に、いよいよ塩作りが始まったわけですね。
井上:そうです。施設全体に100万円もかかっていないと思います。ただ、主人は職人肌なので、いいものを作れば売れると言っていました。私はそうではなく、きちんと伝えて広めないと売れるはずがないと思ったので、まだ乳飲み子だった2人の子どもを抱えて飛び込み営業を始めました。
岩佐:この話って、のんびりした田舎暮らしに憧れを抱いている人には衝撃的かも知れません。営業活動の結果はどうでしたか?
井上:来る日も来る日も、道の駅や、スーパーなどを周りました。だけど、10社行っても9社は門前払いで、1社にかろうじて話を聞いてもらえても、塩は置いてもらえなかった。無名の私や塩に振り向いてもらうのは難しいことでした。そんなとき、「萩しーまーと」という道の駅のレジの女性が応援してくれて、レジの一番いい場所に塩を置いてくれたんです。それが一つ売れると、徐々に口コミで広まるようになり、3年が経ったころ、最初は断られていた県内のスーパーや道の駅から「塩を置きたい」と連絡が入るようになりました。
おかげさまで、一昨年から生産が追い付いていない状態ですが、今は県外にも販路を拡大していて、東京ではGINZA SIXの酒屋・いまでや銀座さんに置いてもらっています。日本酒と塩のマリアージュが都会の方に支持され始めていますよ。
塩の個人事業主から、株式会社百姓庵へ
岩佐:少しずつ経済が立ち上がった今、現金収入に苦労はない状態でしょうか?
井上:苦労はないです。今は儲けを投資にまわしていて、2017年1月に借り入れゼロの無借金のまま、百姓庵は法人化しました。農業のベンチャー企業ですね。
岩佐:体一つから会社を興したのは、本当にすごいと思います。まさに生きる力。お話しを聞いていると、民宿もカフェも塩も、全部口コミで広まっていますが、広告宣伝費はかけなかったのでしょうか?
井上:広告宣伝費はかけていません。
岩佐:塩は美味しいから広まったのはあると思いますが、それだけではないような気がします。なぜここまで口コミで広げられたと思いますか?
井上:きっと、どんな人がどんな思いで作っているのかを見て、共感して買ってくださっているのかなと。クラウドファンディングの感覚に近いのかも知れません。特に、ここ5年くらいで人がモノを手に取るときの考え方が変わったように思うのです。本当に安心で安全な、本物の商品を求めている。私たちは15年前から変わらずやってきたのですが、それが時代にマッチしてきたのかなと。
岩佐:僕ね、経営者がすべきは、自分がいなくても仕組みとしてビジネスを回すことだと思っていたので、30代前半のとき、万能な経営学を学ぼうとMBAを取りに行ったんです。だけど、東日本大震災後に農業をはじめてからは、モノが売れるのは仕組みではなく、仕組みの裏側にある人の情念だと分かった。「この人はこういう思いで作っているから、その思いや人に触れてみたい」という心の動きが、モノを買う動機になっている。仕組みはその延長で作れるのかなと、最近思います。
井上:特に女性は、情念に突き動かされてモノを手に取るケースが多いと思います。ビジネスに数字はもちろん大事ですが、かつて旅行会社でトップセールスだったときも、数字を追うのではなく、目の前のお客さまに精いっぱい心を込めて接していた結果、数字がついてきました。私にとっては、旅行なのか塩なのかの違いでしかなくて、目の前のお客さまを心から大事にする、ご縁のあった方と商品を介して心を通わせる。それはずっと変わらないです。
法人化の理由は、田舎に雇用を生むため
岩佐:これから、百姓庵の事業はどのように拡大されますか?
井上:焦らず、徐々に大きくしたいと思っています。釜を増やしたり、製造量を増やすための敷地面積を増やしたり。途中の工程を機械化すれば生産量は倍以上になりますが、今後もオートメーションを入れずに365日、手仕事を続けたいと考えています。
岩佐:ということは、量産するための工場などは作らない。
井上:それはやらないです。工場なら百姓庵じゃなくてもできますから。百姓庵を法人化したのは、収益を増やすためではなく、1人でも雇用を増やすためなのです。なぜなら、せっかく油谷に移住してきても、生活が成り立たなくて戻ってしまう人が大勢いるから。それなら、ベーシックインカムのような最低限の収入を月給として私たちが保証できれば、みなさん戻ることなく理想の生活を実現できるのではないかと思ったのです。
この5年くらいで油谷は耕作放棄地だらけになりました。棚田は作りにくいうえに、後継者がいなくて荒れ果てています。だから、自給自足生活を望む人が油谷でその暮らしを実現し、耕作放棄地が生まれ変わればいいなと思っています。
岩佐:自分たちの暮らしだけでなく、同じように自給自足生活をしたい人たちのための基盤となり、耕作放棄地を蘇らせたいと。素晴らしいですね。今も従業員は抱えているのですか?
井上:今は2人いて、1人は農業研修生で、もう1人は社員になるための見習いアルバイト中です。どちらも20代の若者ですよ。
自給自足なら、月の生活費は10万円で足りる
岩佐:移住者が生活を成り立たせるために必要な金額はいくらですか?
井上:油谷で、一人で自給自足生活をするなら、月に10万円あれば充分です。
岩佐:10万円ですか!
井上:はい(笑)。この場所は本当に自然に恵まれているので食べるものには困らないんです。それに、自分に適した仕事をすれば、田舎でもそれくらいは稼ぎ出せます。
これまでの15年間で、100人以上の居候や研修生を受け入れて痛感しているのは、人は環境さえあればぐんぐん伸びていくということ。信頼して任せていたら、適材適所にはまって伸びていく。そうやって、好きを伸ばして現金収入を得ながら理想的な暮らしをできるって、本当に幸せなことです。そのためにも、私たちがいかに従業員の適性を見抜いて配置できるかが大切だと思っています。
百姓庵の「百姓」とは、百のものを生み出す人という意味です。会社としても、百のものを生み出せる会社になりたい。百のものを生み出し、100人の雇用を生み出す。たとえばトマトの栽培が好きな人にはトマト事業を任せるなど、その人にあった事業を立ち上げていく。大きな会社を作るのが目的ではなく、100年続く会社をつくる人材を育てたいですね。
岩佐:お話を聞いていると、すべて「人」が軸にあるのですね。
井上:そうですね、人が好きです。そこに塩がマッチしました。空気と水の次に人間に必要なのが塩で、百姓庵は人の役に立てる天然の塩を作っている。主人の夢は私にとっても天職でした。
ネバーランドは幻想。田舎暮らしに必要なのは「覚悟」
岩佐:地方で自分の生活を立ち上げたい人は少なくないと思います。でも、田舎暮らしへの憧れだけでは食べていけません。最後に、田舎での生活を成り立たせるために何が必要かを教えてもらえますか?
井上:抽象的かもしれませんが、大事なのは「覚悟」です。今まで、移住後に戻ってしまう人をたくさん見てきましたが、その人たちに足りなかった共通点は「覚悟」でした。たとえば油谷なら、「油谷に根を張って生きていく」という覚悟。それさえあれば、背に腹は変えられないから、どんな泥臭いことでもやるはずなんです。
たとえば、私の新婚生活は、耕作放棄地の開墾生活でした(笑)。背の高さ以上に竹や草がびっしりの田畑を1年以上開墾し続けたので、なんだか怖いものなしになったんです。それに、農作業は結果が目に見えて分かるから、これまでの人生で味わったことのない達成感を得られた。覚悟があれば、そういう次のフェーズに進めるのだと思います。
それから、田舎に都会的感覚を持ち込むと挫折しますね。都会のように、お金に困ったらコンビニでアルバイトをするなんてことができませんから。だから、田舎に過度な幻想を抱いて来てはダメです。
岩佐:やはりそうですよね。百姓庵までの道でコンビニに寄りたいと思っていましたが、見つけられませんでした(笑)。「田舎でのんびりライフ」という憧れは危険ですよね。
井上:そう。ネバーランドみたいな場所はないですから(笑)。ご縁をいただいた土地に根を張る覚悟を持って、目の前のこと一つひとつを味わう生活を積み重ねる。そういう覚悟さえあれば、田舎での豊かな暮らしを手に入れられますし、どんな時代になろうが、どんな場所だろうが、力強く生きていく力が身につくと思います。
百姓庵
野山に四季があるように、海にもまた四季がある。
百姓庵では春夏秋冬で違う味を楽しめる塩をつくっています。
- 住所
- 山口県長門市向津具下1098-1
[interviewer] 株式会社GRA 社長
岩佐 大輝さん
宮城県山元町生まれ。GRA代表取締役CEO。大学在学中に起業し、現在日本およびインドで6つの法人のトップを務める。2011年の東日本大震災後には、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的にGRAを設立。先端施設園芸を軸とした「地方の再創造」をライフワークとするようになる。イチゴビジネスに構造変革を起こし、ひと粒1000円の「ミガキイチゴ」を生み出す。著書に「99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る」(ダイヤモンド社)、「甘酸っぱい経営」(ブックウォーカー)。