「宮崎牛」のおかげで畜産のイメージが強い宮崎県ですが、黒潮が流れる日向灘を有し、イワシ、マグロ、カツオなどが回遊する好漁場でもあります。県北部に位置する門川港近くにオフィスを構え、ITを導入し“漁業で稼ぐ”人がいます。幼い頃から漁港で働く人を見てきた佐々木大樹さんが、福岡、東京でまったく別の職業に就き、なぜ故郷に戻り勝負することを決めたのか。お話をうかがいました。
漁業ではなく「都会に出たい」と思った少年時代
佐々木さんの出身地は宮崎県延岡市のその名も「鯛名町(たいなちょう)」。名前のとおり、漁業と縁のある沿岸地域で、祖父も地元の大手企業で勤めた後、伊勢エビ漁をしていたといいます。しかし、佐々木少年は漁業にあこがれを抱かず、むしろ冷静な目で見ていたそう。「苦労して獲ってきた魚をただ市場に出しても、生活はそれほど豊かにならない」そんなことに中学生のときには気づいていたそうです。
早く都会に出て働くことを目指し、延岡高校を卒業後、福岡県の大学へ。その後、外資系ホテル、人材派遣会社で勤務し、チーフとして福岡の拠点を任されるまでになります。そんなとき、あるIT企業の社長に見込まれ、ヘッドハンティング。東京に移り住み、社長のそばで働くことで経営者としてのあるべき姿や、経営そのものに関するノウハウを学びます。
起業のきっかけは偶然見た「宮崎」「直送」の文字
社会人として東京で十二分に経験を積んでいた佐々木さん。そんなとき、街で「宮崎県延岡市から産地直送」と書かれた居酒屋ののぼりを見かけます。ここで「宮崎」「延岡」「直送」「魚」といった今のビジネスにつながるキーワードを目にします。
「実はその店は直送でもないし、延岡の魚でもなかったんですが(笑)。都会の人が新鮮な魚を欲しがっていることがわかりました」と佐々木さん。自分の故郷の海がもたらす美味を都会の人も食してみたいと思っていること。そして、それが大きな売りになることを知ったといいます。この瞬間が「故郷に帰って漁業でビジネスをする」という佐々木さんの思いのきっかけになったのです。
漁師も消費者も喜ぶサービスを実現
鮮魚は通常、漁師である生産者が地元の市場に出し、そこから地方の卸売市場、さらに東京や大阪などの大消費地の卸売市場に出され、それらが小売店に並び、消費者のもとへ届くという流通経路を辿ります。この方法だと宮崎県の港を出た魚が、首都圏の消費者の口に入るまでに3日、長ければ5日という時間がかかってしまうことも。東京のスーパーで宮崎県の魚がほとんど手に入らないのは、さまざまなコストがかかった上に、新鮮さが損なわれてしまうためです。
しかも「この仕組みでは、魚価を生産者が決めることはできない」と佐々木さんはいいます。「価格は市場に決めてもらうのではなく、売り方を考えて漁師など地元の人間が決めていくようにしなくてはなりません。そうしないと、魚価は上がらない。生産者が自分たちで魚の価値に見合う値段をつけて売る。そして時にはブランド化して、プレミアム感を生んでいくことを自分たちで考えなくてはいけないんです」と力を込めます。
従来の市場を使った流通ではなく、直接消費者に魚を届けるような仕組みをつくれないか。さらには「漁業という第一次産業にITを活用することで、魚価を上げる」、これが彼の出発点となりました。
それから、3人の出資者に半年間プレゼンし、無事に資金調達。故郷へ戻り、2016年3月、宮崎県門川町に「デナーダ」を設立します。ITと漁業をつなぎ、各地域の漁場で行われる入札の状況をリアルタイムに配信するなどして、鮮魚を売買する「CHOKSEN(ちょくせん)」のサービスを開始しました。東京や大阪など都市部の飲食店から依頼を受けて、欲しい魚を直接漁師から仕入れる「入札代行」の「CHOKSENマーケット」と、同社が厳選した旬の魚介類を「産地直送」で販売する「CHOKSENバイヤーズ」が同社の二本柱です。
いま、これらのサービスで取引する飲食店は東京、大阪など合わせて200店。「けれど、まだまだの数字です」と佐々木さんは厳しい顔で答えます。
「たとえば、鮮魚の県別の売上額を見てみると、長崎県が3000億円なのに対し、宮崎県は300億円なんです。宮崎の魚は県内消費されているだけだからです。地産地消はけっして悪いことではありませんが、それでは宮崎の人の所得は増えません。もっと県外や、さらに海外にまで出ていくべき。“外貨”を稼ぐ必要があるんです」
2017年からは延岡市北浦で約30年養殖されている「ひむか本サバ」のブランド化にも注力しています。「このサバは刺身で食べると非常にうまい。魚の価値を上げ、本当のプレミアム感を生んでいきたい」とも。
「宮崎の鮮魚を海外へ」アジアのほか、米、豪にも
2017年7月、宮崎銀行などが資金調達手段を提供する「みやぎん地方創生1号ファンド」からの投資が実行され、業務を拡大する同社。CHOKSEN のシステムを使い、精肉や花きなど宮崎県産の農作物を直送販売するサービスも始める予定だといいます。
「地方銀行の『地元をなんとかしていかないといけない』という強い思いを感じています。東京での営業もやりやすくなりました。デナーダはこれから『宮崎県営業部』となって、国内だけでなく海外にもいろいろな特産品を出していきたい。宮崎自体の価値をどんどん上げていきたいんです」
現在、鮮魚は台湾、韓国、タイなどと取引を始めたほか、クウエート、シンガポール、アメリカ、オーストラリアなどとも商談が進行中。また、宮崎県西都市のブランド牛「都萬牛( とまんぎゅう)」の販路拡大にも着手しました。
「宮崎をなんとかしたい」という熱い思い
新しいビジネスを興すために、Uターンすることに迷いはなかったという佐々木さん。 「僕はUターン以外だったら移住はしなかった。親やじいちゃん、ばあちゃん、友だちが住む町が衰退していくのを見ていられなかったんです。宮崎をなんとかしたいと思いました」と熱い胸の内も明かしてくれました。
JターンやIターンといった移住スタイルも生まれている昨今、移住を将来の選択肢の一つに考える人にはこんな本音を投げかけます。
「やりたかったら、やればいいと思うし、しないと決めたならしなければいい。ビジネスチャンスと思って移住する人、ゆっくりしたいと思って移住する人などいると思いますが、苦労はすると思います。苦労する覚悟があれば、移住すればいいんです。いままでの自分の人生で培った経験を全部持って移住する。人脈でもスキルでも使えるものはすべて使う、それが移住して成功するために必要なことではないでしょうか」
第一次産業におけるITの活用で注目されている佐々木さんのもとには、宮崎はもとより、福岡などから視察が来たり、「販売チャネルを広げたい」「ホームページをつくってほしい」などの相談や要望が舞い込んだりしているとのこと。また、地元の高校で授業を行ったり、2018年度には高校生のインターシップ受け入れも始めたりと活躍の場を大きく広げています。
ホップ・ステップ・ジャンプ…起業して3年目の2018年は、佐々木さんにとってまさに飛躍の年になりそうです。「まだここではいえないのですが、いろいろな展開や事業を考えています。この会社で定めたゴールは上場すること。それが達成できたら、僕の役目は終わりです。他にもまだまだやりたいことがあるので」
最後にこんなことも話してくれました。
「宮崎にいて、まだ僕のライバルになりそうな人には出会っていません。だから、移住したいと思っている人の中に、ライバルになってくれそうな人、僕と一緒に働きたいといってくれる人がいたら、ぜひ来てほしい。切磋琢磨していきたい」
将来を見つめ、ゴールに向かって走り続ける佐々木さん。数年後には違うジャンルの違うビジネスで注目される存在になっている…そんなことが起こっているかもしれません。
株式会社デナーダ 代表取締役
佐々木 大樹(ささき だいき)氏
1977年宮崎県延岡市生まれ。県立延岡高校卒業後、福岡の外資系ホテル、人材派遣会社、東京の大手IT企業などに勤務。2016年3月に同社を創業し、同8月、門川町に本社を構える。鮮魚の産直サービス「CHOKSEN」を始める。独身。社名のデナーダ(De nada)はスペイン語で「どういたしまして」という意味。