「アラタナ」は宮崎生まれのITベンチャー。ECサイトの構築に特化した技術力が認められ、2015年には「スタートトゥデイグループ」の一員に。宮崎のオフィスには、有名ファッションブランドからのオファーと、優秀な人材が全国から殺到しているという。そんな「アラタナ」の取締役を務める舩山展丈さん自身もまた、Iターンで宮崎に移住した一人。「好きなことを、好きな場所でやりたかった。その先に今がある」と振り返る舩山さんの体験談には、地方で働くことの魅力や、地方企業に人を集めるヒントがちりばめられている。
自分らしく、やりたいことをやる人生にしよう
―まずは、現在に至るまでの経緯を教えていただけますか?
きっかけは、サーフィンです。サーフィンを始めたのは、2011年。実はその頃に離婚しまして。これから何をしようかと考えたときに、そういえば昔からサーフィンをしたかったなぁと思いだしたんです。離婚をして失うものはないし、これからは自分のやりたいことをやる人生にしようと思っていたので、サーフィンをするために宮崎に通うようになりました。そのうちにサーフィンを通じて「アラタナ」の創業メンバーの1人と仲よくなり、転職に至りました。
取締役 管理部長(CHRO) 舩山 展丈さん
―宮崎に移住したのも、当初はサーフィンが目当てだった?
当時はまだサーフィンをやり始めて2年くらいで、めちゃくちゃ下手だったんですけど、もっとちゃんとサーフィンをやりたくなって。とにかくサーフィンをしたくてしたくてしょうがなくて、宮崎に来ました(笑)。
宮崎は、サーファーにとってすごくいい場所なんです。コンスタントに波があるし、人も少ないですし。湘南や千葉でもサーフィンはできますが、都内から片道2~3時間かけて通うのも大変でしたから。
―地方に行くことへの抵抗はなかったのですか?
全くありませんでした。もともとリクルートに勤めていた頃に、広島、高松、静岡での勤務を経験していて、地方で暮らすことのほうが豊かだということがわかっていたので。むしろ、“ものすごくいい場所に行く”というイメージで宮崎に来たんです。だって、通勤地獄はないし、海も車で15分くらいで行けるわけです。食べ物もおいしくて、物価が安くて、暖かくて、僕にとってネガティブな要素は何ひとつありませんでした。ただ唯一あるとしたら、その生活を手に入れるために、つまらない仕事や、やりたくない仕事はしたくない、ということだけ。そんな懸念を払拭してくれる企業(アラタナ)が宮崎にあり、そこに勤める友人とサーフィンを通じて仲良くなれたことが、最大のターニングポイントでした。
―周囲の人の反応は?
僕が宮崎に引っ越して、東京の知人たちに「アラタナっていうITベンチャーに入ります」と言ったら、彼らのほとんどが「え?大丈夫?」「宮崎ってどこ?」という反応でした。宮崎に行ったことがない人にしてみると、まるで海外のようなものなんだな、と。でも宮崎って、皆さんが思うよりずっと都会なんです。東京で暮らしている人は、地方というと“山の中の1軒屋”みたいなものをイメージされるんですが、むしろ、
―実際に来てみると、宮崎はアクセスも便利ですよね。
そうなんです。空港から都心までのアクセスは車で20分ほどなので、全国的にみても福岡に次いで利便性が高いと思います。飛行機に乗っている時間も、羽田からわずか1時間半。サーファーからしたら、都内から伊豆まで車で行くより、宮崎に行くほうがよっぽど楽なんですよね。でもそういうことも、みんな知らないんです。生活という点においても、宮崎は平均年収が全国で2番目に低いんですが、そのぶん物価も安いですから、全く不自由なく暮らせています。そのへんの実態をもっと広く知ってもらい、体験したら、地方に対する考え方も変わるのではないでしょうか。
快晴の宮崎市・木崎浜海岸
入社わずか一年で、未経験の管理部長に
―宮崎への移住を決めた時点で、転職先は「アラタナ」一択でお考えだったとのことですが、具体的にどこに惹かれたのですか?
当時アラタナは、「宮崎に1000人の雇用をつくる」というスローガンを掲げていたんです。地方の人口40万人の都市で、1000人の雇用をつくるって、すごく難しいですよね。僕はずっとクライアントの採用支援に関わる仕事をしていて、自社の採用面接でも3000人を超える人数の人に会ってきました。だからこそ、地方都市で優秀な人材を雇うことがどれだけ難しいか、普通の人より実感をもって理解しているつもりですし、だからこそ、地方で1000人の雇用をつくるというのが面白いなと思ったんです。当時のアラタナは、マネジメント人材が不足していました。僕はこれまでの仕事を通じてマネジメント歴も長かったので、役に立てるのではないかと思い、自ら手を挙げて入社を希望しました。
―実際に入社されてみてどうでしたか?
アラタナに入った当初は、主に営業をやっていました。年収は東京の時の半分以下になりましたが、もちろんわかった上で入社しているし、生活面では何の問題もありませんでした。ところが入社して1年くらい経ったときに、前任の管理部長が辞めることになり、「後任として、管理部長をやってくれないか」と言われたんです。
―管理業務のご経験は?
いえ、それまでは営業系の仕事ばかりで、管理系の仕事はやったことがなかったんですよ。しかも僕の前任者は会計士で、まさにその道のスペシャリスト。正直、そんな人の後任が務まるなんて微塵も思っていませんでしたが、とにかく自力でいろいろ勉強してきてここまでやってこれた感じです。まさに“キャリアをゼロからやり直す”そんな感じでした。
―望んでいたポジションではなかったにもかかわらず、その事態をネガティブに受け止めるわけでもなかったんですね。
むしろ、ラッキーだなと。管理部門を学べるチャンスだと思っていました。もともとポジティブな性格だとは思います。
好きな仕事を追求した結果、地域に貢献できたらいい
―2015年に「スタートトゥデイグループ」に参画されましたね。
僕が入社した当時はそういう話は1ミリもなかったんです。もともとはIPO(株式公開)をめざしていた経緯があったので、傘下に入ることに対して反対している人もいましたし、何度も話し合いを重ねて、グループに入るという結論に至りました。そして今、スタートトゥデイは時価総額1兆円の会社になっている。僕らもECサイトを作ってきた会社なのですが、「ZOZOTOWN」ってファッションECの中で圧倒的な地位を確立しているわけですよね。そんな会社に「仲間に入らないか」と声をかけてもらって、リソースをはじめさまざまな資源を使うことができて、なおかつ色々なバックアップ支援もしてくれて、最高に恵まれた環境だと思っています。大手の傘下に入ることへの抵抗や、IPOへのこだわりに捕らわれていたら、今はなかったと思います。
―スタートトゥデイの傘下に入ることによって、事業のスケールも広がりましたね。
すごく広がっています。僕たちが単独でやっていたら、絶対に取引できない、相手にしてもらえないような超大手企業とも今は取引させてもらっていますから。そこは、ZOZOというバックボーンがあってこそだと思っています。
―事業を通じて地域を活性化させていきたいという思いもおありだったのですか?
いえ、地域活性化、地方創生っていうのを12年前に濵渦(アラタナ創業者)が考えていたかと言えば、全く考えていなかったと思います。ただ本当に好きなやりたいことを、好きな場所でやるというだけ。アラタナを作った濵渦はもともとアパレルの会社で接客のバイトをしていたらしいんです。そこのお店のECサイトを作ったりしていたから、当然、服も好きだしネットも好き。好きなことで勝負しよう、好きな仕事を宮崎でしよう、と追求してきた結果が、今なんですよね。結果、売上が上がって、利益が上がって、事業が拡大して、雇用を拡大して、納める税金が増えて、地元の人たちにも貢献できたらいい。で、僕らを見て、「宮崎でもできるんだったら他の地域でもできるはず」「自分にもできるんじゃないの」と思ってもらえたらいいと思っているんです。そのへんの考え方が似ているから、ZOZOも僕らのことを評価してくれたんだと思います。ZOZOの本社も千葉の幕張にあるんです。当然、都心に比べたらアクセスの面でも不便なんですけれど、代表の前澤も千葉出身だから千葉に会社を作っているし、スタジアムも「ZOZOマリンスタジアム」に改名し、結果として地域に貢献している。でもあくまでも、彼らは好きなことをやってきただけ。結局、僕もそういうところに惹かれてここにいるんです。
ミーティングルームには宮崎にちなんだネーミングが。社内の随所にユーモアがちりばめられている
労働集約型から付加価値型への変革
―「管理部長」とは、具体的にはどういうことをなさっているんですか?
管理部門の担当取締役なので、基本的には、法務、経理、総務、人事、広報などの総責任者というかたちになります。管理部門なので、事業側のモニタリングをしつつ、支援も行います。事業側に対して、「本当にこれってそれでいいの?」と突っ込みを入れる役割です。メンバーに直接言うことはないですが、部長やマネージャーに対して、常に一歩先を読んで布石を打つべくあれこれ言いながら、支援をする。社長の濵渦は基本、青山にいて、宮崎には月2回ぐらいしか来れないので、宮崎では全般的に僕が会社をみています。濱渦との密なコミュニケーションも欠かさないです。チャット、メール、電話で毎日50回くらいやりとりしてますね。土日だろうが深夜早朝だろうが、お互いにバンバン連絡し合ってます(笑)
―社員は今、何名ですか?
120人です。男女比は6:4ぐらいで、平均年齢は30歳ぐらい。職種は、プログラマー、デザイナー、ディレクター、システムエンジニアといった、広い意味での“作る人”が半分(5割)を占めています。営業やマーケティングコンサルタント、コールセンターといった非エンジニアが4割ぐらい。あとの1割が管理部門、という構成です。
―今、管理部門のトップとして力を注いでいる課題はありますか?たとえば、先ほどのお話にあった「1000人雇用」など。
いえ、それはもう前面には掲げていません。宮崎で1000人の雇用をつくるのってすごくわかりやすくて、キャッチーなんですが、事業方針の変更に伴い、目指す方向が少し変わってきたためです。当時は“労働集約型”のビジネスモデルだったので「1000人の雇用をつくる」イコール「それだけの売上を作る」という目標であり、「他の人たちが簡単にはできそうもない途方もないことをやる」という意味でのスローガンだったわけです。でも、ZOZOのグループに入った時点で労働集約型からの離脱を図ってきました。この3年は、付加価値型のビジネスモデルへ変換を行ってきたので、今はむしろそんなに人数はいらないんです。労働集約型だった昔は、売上を増やしたければ、人を増やす必要がありました。でも宮崎では簡単に人を採用できない。だから売上も伸びないっていう頭打ち感もあったんです。それを、人数は大きくは増やさないけど、1人1人が高い付加価値を発揮して、売上を3倍、5倍、10倍にしていきましょう、という考え方に変えていっています。
―付加価値型に転換したことで生まれたメリットは?
今年の4月から、初任給を18万から25万にしたりとか、フレックスにしたりとか、副業オッケーにもしているんですが、それも付加価値型に転換したからこそできることなんです。従来の労働集約型だったら、手を動かした分しか売上になりません。それでは給料を上げることの難易度は高いし、副業もなかなか認められないし、フレックスにもしづらい。でも付加価値型ならば、僕らが手を動かした分だけじゃなくて、クライアントのサイトの売上が伸びた分だけ、僕らにも報酬が入ってきます。だからフレックスにもできるし、副業オッケーにもできる。そこも従業員にもきちんと説明しています。これからは付加価値型に変えていくし、変わってきたからこういう制度も実現できているんだよって。
―労働集約型の文化から一転、社員の意識を変えていく難しさもありますか?
メンバーの中には手を動かすことに喜びを持つ人も多いですからね。でもあなたがどれだけ手を動かしても、評価するのはあくまでも成果だけですよと。だったらできるだけ短い時間で成果を出したほうがいいよね、という風に声をかけながら、みんなの価値観を変えられるよう努力しているところです。おかげで残業もずいぶん減りました。労働集約型だった頃はおのずと残業もすごく多かったんです。月の残業時間が60時間を超える人も数多くいましたが、今は全社員平均で月に10時間ほどです。
―アラタナ流の「働き方改革」ですね。
最近、その言葉をよく聞きますが、ビジネスモデルを変えない限り、働き方は変えられないと思います。僕が入社したときの社内はまるでIT工場みたいでした。人件費が安いからと、お客さまからいただくお金も安く抑えられて、そこのコスト優位性も1つの武器にして…っていうのが昔のアラタナ流。でもそういうやり方には行き詰まりが見えていたのも事実です。そんなときに、ZOZOのグループに入るというチャンスが巡ってきたわけです。「働き方改革」が目的なのではなく、とにかくガムシャラに会社が生き残ることが至上命題でしたし、そのために、ビジネスモデルを変える必要がありました。「働き方改革」はその副産物として捉えています。
宮崎で目立つ。それが、採用成功の秘訣
―県外から移住・転職してきた社員の方はどれくらいいらっしゃいますか?
宮崎出身者が約7割、宮崎以外の九州出身者は2割ぐらい。九州外も1割くらいいます。宮崎以外の人が来る理由としては、奥さんが宮崎や鹿児島出身者だからとか、関東で子育てしていて生活するのがしんどいから、安心安全なところで生活をしたい、ストレスなく生活をしたい、といったところですね。みんなほぼ自分で当社を見つけて応募してくるため、自社サイトで8割くらいの採用をまかなえています。
―それはすごいですね。何か秘訣が?
いちばん大きいのは、結果的に九州で目立てていることだと思います。まず、地方で当社のような規模のITベンチャーって、あまりないんですよね。少数でやっているような会社は福岡にもいっぱいあると思うんですけれども、自社プロダクトをきちんと持っていて、受託でいわれたものをつくるだけじゃない会社で100名を超える規模でという会社が、実はあんまりないんです。そのうえZOZOグループに入ったことによっても目立っている(笑)。だから熱烈な人が自分で見つけて応募してきてくれる状況ではありますね。
唯一工夫していることとしては、ブログを作って発信すること。その中身も部活動だったり、勉強会だったり、アラタナという会社の実態がわかるようなコンテンツを外部にむけて発信することを心がけています。
550坪もある広々としたオフィス。開放的な空間でコミュニケーションも円滑に
―東京で目立つのはなかなかハードルが高いけれど、宮崎では目立ちやすい、ということですね。
圧倒的にそうだと思います。ZOZOの前澤も「競争が嫌い」と言っていますけれども、東京でベンチャーを作って資金調達してPRして…って、東京の方が効率的で便利なこともあるんですが、ライバルが多くて、埋没しちゃうんですね。その反面、宮崎は圧倒的にライバルの母数が少ない。宮崎のなかで目立つと、おのずと九州でも目立つようになるし、九州でトップレベルになれば、その強みは持続していける環境だと思います。
ITの活用で実現する「いいとこどり」
―採用活動の際にはどのようにアピールしているんですか?
新卒を採用するときによく言うのは、ドアを開けて一歩会社の中に入ったら、東京のIT企業と全然変わりませんよと。ひょっとしたら東京のIT企業よりも変化が激しいし、スピードも速い。その分、エキサイティングな仕事ができます。でも、一歩外に出たらそこは宮崎なので、通勤時間は短いし、食べ物も美味しい。そういう「いいとこどりの欲張りな会社です」、と説明しています。でも、地方都市ってどこでもそういう環境だと思うんですよ。日本全国、だいたいそうなんです。宮崎でできるんだから、他の地域でできないわけがない。ITを活用すれば、どこでもそういう働き方やビジネスが可能になると思います。
―ITだったら、距離や場所にとらわれない、ということですね。
ええ。実は、僕らのクライアントも9割は東京なんです。やり取りはメール、電話、テレビ電話を駆使しますが、対面で会う機会は限られています。なぜかというと、僕らのクライアントもECサイトを運営しているので、Webで商売しているわけです。つまり、非対面で商売している。だからビジネスをする上で、対面で会うことがイコールコストだとわかっている人たちなので、物理的な距離が支障にならないんです。自分たちが思い描くサイトのデザインが形になり、きちんと機能を備えたECサイトができて、売上がぐんぐんあがっていくのであれば、アラタナの所在地が宮崎だろうがどこであろうが、全く構わないという考え方をしている方が多いです。クライアントのそういう認識にも助けられて、事業を継続できている、という側面もありますね。
働きやすい環境づくり。その鍵は、マネージャーの育成
―転職者に対し、移住に伴うサポートはどんなことをされていますか?
入社する前に、必ず一度は会社に来てもらっています。その交通費はもちろん負担します。よく、1次面接も2次面接もスカイプで、という話を聞くのですが、お互いに「入社したい」「入社して欲しい」となったときに、最終的に不安が募ると思うんです。だったらそこは交通費を全額負担してでも、必ず一度は宮崎に来てもらって、実際に会社を見てもらって、話をするようにしています。引っ越し費用も、会社が負担します。地方企業が本気で採用に取り組むなら、最低でもそれぐらいはする必要があると思います。
壁一面の大きな窓から降り注ぐ日差しが印象的なこの空間は、社員の憩いの場に
―「働きやすい環境づくり」にも注力されているかと思うのですが、具体的な施策はありますか?
直近でいうと、給料を上げる、フレックスにする、ということなのですが、ベースは事業構造の変革であり、マネージャーの育成だと思うんですよ。働きやすさって結局、上司との関係性だったりするじゃないですか。だからこそ、意思決定について自分の言葉でメンバーにおろすことができるマネージャーや、メンバーの意見を吸い上げて経営陣にフィードバックできるマネージャーを育成することが大事。もちろん、メンバーと経営陣との距離感も縮めることもセットです。ところが、マネージャーの育成に時間とお金をかけるのって、なかなか大変なんですよね。マネージャーもマネジメントだけに集中できるほどの余裕がなかったりもしますし。人事制度だけをどれだけ作りこんでもだめで、
―というと?
結局、制度ってハードの部分じゃないですか。重要なのは、成長感だとか、居心地の良さといったソフトの部分。居心地がいいというのは決してぬるいってことではなくて、適切な評価がされて、適切なフィードバックがされるということ。そうしたソフトとハードが、働きやすさを生み出す両輪だと思うんです。その両輪を動かしていくためのキーマンがマネージャーです。マネージャーの育成がメンバーの育成につながるので、特に育成やコミュニケーションには力を入れています。
ゆったりと寛げる共有スペースには、大きなキッチンやエスプレッソマシンも完備
東京にはない出会いが、地方にはある
―Iターン・Uターンで転職されてきた方の、転職後の暮らしぶりはいかがですか?
おおむねうまくやっていると思いますが、1割ぐらいうまくいかない人もいます。それこそサーフィンじゃないですけれども、趣味があったほうがいいと思いますね。特に県外から来る人は、縁もゆかりもないわけじゃないですか。知り合いがいない。会社の中にしかコミュニティがない。もし仕事で落ち込むことがあったり、何かにつまづいたとしても、会社とは全然違うコミュニティがあれば、そっちでストレスが発散できるので、ぐっとラクになるんですよね。
また、地方は「刺激や勉強会が足りない」と感じる人もいるようです。東京だとエンジニアの勉強会が数多くありますから。でもそう思うんだったら、自分が主催すればいいっていう話なんです。あるいは自分が東京に行って勉強会に参加すればいいわけで。そしてみんなにフィードバックして、みんなの役に立てば、みんなのレベルも上がりますし。うちのエンジニアはそのへんを言い訳にせず、主体的に動いているメンバーが多いですね。宮崎だからできないっていうことは、今の時代、もうないと思います。
―すべては自分次第だということですね。
そう思います。要は“自分のやりたいことにどれだけ本気で向き合うか”っていうことなんですよね。「平日の仕事前にサーフィンできるなんていいね」とか「地方って楽しそうだね」なんて言ってくる人もいるんですが、誰だってやろうと思えばすぐできるよっていう話なんです。自分で勝手にハードルを上げてしまっている部分が大きいんじゃないかなぁと。
―東京での働き方と比べて何かが変わったということではなく、舩山さんの場合はむしろ、地方に移ったことでさらに経験も視野も広がっているということですね。
それは自信をもって言えますね。たぶん東京にいたままだったら出会えなかったであろう人に、宮崎だと出会えるんです。サーファーの中にも企業の経営者とかがたくさんいるので、彼らが宮崎にトリップしにきて仲よくなったり、「宮崎でIT系だったら舩山くんがいるよ」と紹介してくれたり。そういう出会いがいっぱいあるんです。いちばん劇的に変わったのはそこかもしれないですね。僕はただ単純にサーフィンしたくて移住して、そこで出逢った縁から今こうしてIT企業に勤め、結果として人脈も仕事の幅も広がっている。東京にいたら埋もれて気づけないことが、地方へ行くと強みに変わるわけです。結果、出会いの数も増えるし、質も上がる。だからもう、東京に帰ろうとは全く思っていません。これからもこの宮崎の地で、自分らしく、やりたいことを謳歌していきたいと思っています。
アラタナ取締役 管理部長(CHRO)
舩山 展丈(ふなやま のぶたけ)さん
埼玉県出身。2001年、新卒でリクルートに入社。3年目からマネージャーに抜擢され、新事業の立ち上げなどに携わる。その後、サーフィンをきっかけに2013年に宮崎市へ移住。同年、株式会社アラタナに入社。2015年から取締役 管理部長(CHRO)として同社の急成長を支えている。
株式会社アラタナ
2007年、宮崎市に設立。資本金9900万円。従業員数約120名。ECサイトの立ち上げから、マーケティング、運営効率化までワンストップでサポートできるIT企業。その実力が認められ、2015年にはファッションECのポータルサイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイグループの一員になった。これまで構築してきたECサイトは800を超え、2017年の年間流通総額は250億円を突破した。
- 設立
- 2007年5月1日
- 従業員数
- 取締役・執行役員 9名
監査役 1名
社員数 120名
- 住所
- 宮崎県宮崎市橘通東4丁目8番1号 カリーノ宮崎7階(宮崎本社)
東京都渋谷区神宮前5丁目52-2 青山オーバルビル3階(青山オフィス)
- グループ紹介
- 東証1部上場
スタートトゥデイグループ(https://www.starttoday.jp/)