数多くのIT企業を誘致し、シャッター通り商店街を再生させたことで注目を浴びてきた宮崎県日南市。しかし活力を取り戻すための施策は、これらで終わるわけはない。今チカラを入れているのが、「飫肥(おび)地区」の町並み再生だ。その先頭に立って進む、日南市飫肥地区まちなみ再生コーディネーターの徳永煌季(とくなが こうき)氏を訪ねた。
「ワクワク感」を感じる場所を探して
宮崎県日南市の飫肥地区──関係者でもないと「おび」と読むのは難しいかもしれない。ここは江戸時代飫肥藩が置かれた由緒ある城下町である。石高は5万1千石。強大な薩摩藩の脅威に直面しながら、明治維新まで280年間存続した。現在でもその町並みはきれいで、「小京都」の呼称もある。この伝統的な街区(伝統的建築物群保存地区=伝建地区)を保存するとともに、日南市の新たな価値を創生していく施策がなされている。その指揮を執るのが「まちなみ再生コーディネーター」というポジションの徳永煌季氏だ。
徳永氏は中国出身。9歳で日本に来て、18歳で日本国籍を取得した。早稲田大学を卒業後、国際的な投資銀行に入社し、金融の最前線に身を置いた。しかしそこで、「ちょっと虚しくなった」と言う。
「4年半くらい経った頃、形のないものを右から左に動かすより、リアルビジネスの方に興味を持ったんです。金融機関を退社して先輩とともに小さなプロジェクトを興しました。その後、日南市で面白そうなことをやっていると人づてに聞いて、ちょっと視察に来てみたんです」
そこで知ったのが、まちなみ再生コーディネーターの公募だった。2015年6月に初めて日南を訪れ、7月に公募を受け、採用決定後の8月には引っ越してきた。2か月で人生をガラリと変えた。その根底に流れていたのは「ワクワク感」だという。
「大きな街や空港からも離れたいわば『陸の孤島』でも、面白いことを始めればメディアに出るし、海外からも注目される。東京でビル1棟建ててもそうはなりません。自分がプロデュースしたものが地域にリアルなインパクトを与えているのを実感できるんです。このワクワクドキドキ感がたまりません」
金融マンとしての確固たる実績と日南市が求める方向性とが掛け合い、伝統的建造物が並ぶ静かなエリアを沸き立たせた。
国際金融の最前線よりも飫肥の「ワクワク感」を選んだ
町並み再生は、金融業界のノウハウで
まちなみ再生コーディネーターとして徳永氏が採ったのは、金融業界時代のノウハウを活用したアプローチだった。通常、こういった伝統的建造物を保存する場合は自治体と国とで補修費などを半額ずつ負担し、公開施設とする。入館料は数百円。しかしそれで補修費の元が取れるはずはなく、多くは赤字に喘いでいる。
「そうではなく、民間でどれだけ頑張れるかやってみたんです。地域経済活性化支援機構(REVIC)と宮崎銀行から資金を調達し、武家屋敷を上質な宿泊施設にリノベーションしました。その他、東京・渋谷に本社を置く広告・デジタルコンテンツなどの制作会社が飫肥に日南オフィスを構えました。そこは自己資金で古民家を買い取ってリノベーションしています」
さらに、「地域おこし協力隊」制度を利用して若い人材を採り、より強力で多機能なチームに仕上げた。この制度は地域おこしや地域での暮らしに興味のある都市部の住民を受け入れ、地域ブランド品や地場産品のプロモーションなどを行ってもらうという、総務省が進めている施策だ。徳永氏が日南で興した法人から業務委託料も支払い、東京との収入格差を補う。
「金銭面での体制を整えてから受け入れようと思っています。その人の人生を預かるわけですから」と徳永氏。都会から移住する以上、ボランティア精神だけで協力者を募るわけにはいかない。日南市では、民間からもやや高額な委託料が発生するケースも増えてきたという。
「いつも『お金がない』と市長は言ってるんですよ。だから民間のお金を引っぱってくることができそうな奴、ということで採用されたんじゃないかな」と徳永氏は笑うが、元勤務していた金融機関のネームバリューがプラスに働いているのは間違いない。伝統建築物の修復には、多額のお金がかかる。民間でそれを実行するには金融機関との組合せは非常に重要なのだ。世界金融の最前線にいた徳永氏の手腕が、飫肥で花開いた。
地方へ来てもらうからには経済的な保証も必要、と徳永氏
小さな成功体験が好循環を生む
国際的金融機関に勤務していた徳永氏は、建築にもデザインにも観光業にも、さらに町づくりにも門外漢だった。自治体との接点は、住民票を取りに行くときくらい。だからこそ、「金融」というまったく異なる手法で町並み再生に取り組むことができたのだ。
「来たばかりの頃は、何から手を着けたらいいのかまったくわかりませんでした。それでも最初の案件を地元のメディアが採り上げてくれて、やる気が出る。またメディアに採り上げられて、またやる気が出る。このサイクルが原動力になるんです」
これは、前述した「ワクワク感」にもつながる。地方で、飫肥でやるからこそ、注目されるのだ。
外から来た徳永氏たちが、公的資金に頼らず頑張っている──それを見て、地元の人たちも刺激を受けた。ある地元の若手経営者は金融機関から多額の融資を受けて古民家を買い取り、飲食店を開業した。以前から町おこしイベント等を開いてきた人も、物件を取得して修繕しゲストハウスをオープンさせる予定だ。徳永氏の手を離れたところで、いろいろと動き始めたのである。まちなみ再生コーディネーターの、波及効果と言えよう。
「武家屋敷を改築した旅館などができ始めると、夜間の滞在者が増えます。そうなると夜の町でご飯を食べるニーズが生まれるので、飲食店にも波及効果があります。今、お客さんの約半数弱は外国人なんですよ。地元のお店に顔を出すと、『この間は台湾人のカップルが来た』『韓国のファミリーが来た』と教えてくれます。私もスーパーでフランス人の夫婦が地元の食材を買っているのを見ました」
日本の伝統建築が残っている町で、しかも少し隔絶された場所にあって……と来ると、外国人の旅ごころにアピールするのかもしれない。
飫肥城址にも植えられている飫肥杉。生育が早く油脂分が多いのが特徴
若い人たちが能動的に働ける町に
2018年3月に、「DENKEN WEEK」というイベントが開かれた。伝統的建造物群を舞台として、アート・音楽・食・マルシェ・トークなどのコンテンツを盛り込んだものだ。県内外から12,000人の来場者を集めた。
「お祭りやイベント等でも何か新しい風を、という﨑田市長の思いから『城下まつり』という40年くらい続いていたお祭りをリニューアルしました」
伝建地区にデザインが掛け合わされ、町に新たな魅力が加わった。それが若い世代の耳目も惹き付ける。
「飫肥の交流人口を増やすことにも注力しています」と言う徳永氏は、当然若い人たちの雇用を重要視している。「ここで働きたいと思う何かをつくらなければ。公開施設の窓口に座っている仕事だけでは、若い人たちは絶対に来ません。訪れてくれた人たちにどうやって魅力を発信して、面白いものを提供できるかを、能動的に考えられる場所でないと」
徳永氏自身、金融の世界に身を投じ20代後半でターニングポイントを迎えた。そして東京では味わえない「ワクワク感」を感じる飫肥にやって来たのだが、「自分で何かつくり出したい人は地方に惹かれるのかもしれない」と分析する。「都会の会社に入れば決められた業務さえやれば会社は回ります。でも地方には基本『困りごと』しかありません(笑)。空き家に困っている、観光客も来ない。そしていざ予算が付いてイベントを仕掛けたくても人がいない。困りごとを解決してから人を採用すべきか、人材不足を解決してから一緒に困りごとを解決すべきか、というジレンマがあります。でも、結局両方やらないと進みません」
ここで起きているさまざまな変容を伝えて、若い人口を呼び込む。飫肥地区の再生が、うまく回していく鍵を握っているとまちなみ再生コーディネーターは考える。日南市マーケティング専門官の田鹿倫基(たじかともき)氏は、事務職を求める若い層を呼び込むためにIT企業を誘致して成功した。徳永氏は、観光という切り口でアプローチしているのである。
2018年3月に開催された第1回「DENKEN WEEK」の様子。伝統的建造物群を舞台にしてさまざまなアトラクションが行われた。第2回目は2018年10月13日?21日に開催
c2018 Kazuhiko Watanabe
足並みの揃った景観づくりのために
日南市を車で走り、飫肥地区に入ると空気感が変わる。窓の外に見える色彩が、茶色っぽくあるいは黒っぽくなるのだ。この地区に建つ古民家や武家屋敷の外観色であることはもちろん、新しい家屋や建物の外壁もその色に合わせられている。「景観条例があるから」と徳永氏は説明してくれたが、問題も内包しているようだ。
「派手な看板や建物の高さ制限など、伝建地区のルールはあります。でも実は日南市の景観条例というのは強制ではないんですよ。家は茶色になど最低限の決めごとはありますが、補助金を使わない場合は近代的な家を建てられるんです」
確かに、伝建地区との境界に建つコンビニなどは微妙な存在だ。それはやはり建てる側の意識にかかっている。町並みの景観は、意識レベルが揃っていないと保てないのである。
「日本は協調性や和の精神が強いと言いますが、実は建物に関してはバラバラでもよしとしているんです。ピンクや緑の家を造ったり。そこだけ切り取れば格好いいんですが、地域全体で見ると統一感は失われます」
市の条例をより強化して守ってもらうようにすることは可能だ。その場合は住民からの反発が予想されるので、行政の強い意思でやり通せるかどうかにかかっている。自分の家や建物だけ自由にさせてくれという言い分はあるだろうが、景観は地域の財産でもあり商機にもつながる。それを壊すということを、しっかりと知ってもらう必要がある。
「地元の新聞やテレビ局から取材を受けた時などに、そういう話をしています。飫肥の価値を高めるためにも、早くコントロールしなければという状態です」
伝建地区の中でも、商家のエリアは白と黒が基調で武家エリアは茶色が基調だという。家を新築するときは、そこまで気を遣う必要があるのだ。
大通りに面した家並みも白と黒を基調とし、景観への配慮がうかがわれる
大切なのは、基本に忠実ということ
前述の、イメージの統一された町並みは例えばヨーロッパの田舎町を彷彿とさせる。先日、徳永氏はイタリアのドロミテ地区を訪れる機会があった。世界自然遺産にも登録されている、避暑地としても高名な場所だ。
「大自然の中、ものすごくきれいな町並みでした。リゾート地なんですが、斬新なことをやっているわけでもなく、アクティビティはハイキングや乗馬、サイクリングにパラグライダー。冬はスキーです。自然に寄り添って、ベーシックな物だけ提供しているんです。基本、ホテルと別荘しかなくて」
ドロミテ地区の町はほぼホテルと観光向けの施設だったという。「基本に忠実にやっている」と徳永氏。この場合「基本」とは、その町が本来持っている売り物をシンプルに提供することだ。
「飫肥も基本に忠実にやっていれば、ドロミテのようになれると思いました」
徳永氏たちが再生しようとしている空き家の中に、「飯田(はんだ)医院」という洋館がある。改装費だけで数億円かかってしまう大型の案件だ。すべてを民間だけではまかなえず、行政に任せると公開施設になってしまう。
「両者のバランスをうまく取りながら、でもちゃんと民間のビジネスとして回していくように進めています。ビジネスのリスクを取らないとダレてしまいますからね」
まだアイデア段階だが、オーベルジュのような形で再生したいと話す。「ヨーロッパのように、ちゃんとしたレストランへ車で3時間かけて出かけるといった存在にしたいんです」
オーベルジュだから当然宿泊施設も付帯する。外国人観光客の連泊も期待できる。
観光に柱を置いた町並み再生は、日南市にとって「一石三鳥四鳥五鳥」だと言う。空き家が修繕されてきれいになり景観が改善される。多額の修繕費が地元工務店に入り経済効果となる。宿泊客が増えると飲食店の収益が向上し地域に還元される。雇用人口、特に若い人口が増加する──これから大きな規模へ育っていく前夜のワクワク感が、こちらにも伝わってくる。
飫肥地区の町並み再生が日南市にもたらす経済効果には期待しかない
グローバル人材がローカルで活躍する快感
国際金融業界から宮崎県日南市へ。東京での仕事しか知らない人が聞いたら、頭に疑問符がたくさん付くかもしれない。しかしローカルからグローバルへ、刺激的な発信を続けている徳永氏の現在を見ればそれはじゅうぶんに納得できる。
「この間母校の早稲田に行って、大学関係者に今やっていることを話したんです。そしたら『グローバルな人材がローカルで活躍するというのは、まさに早稲田が目指していることですね』と言われて。なるほど自分もそんなキャリアパスなんだと再認識しました」
当サイトの名称「GlocalMissionTimes」と、何と整合性のあることだろうか。
まちなみ再生コーディネーターのミッションは3つある。1つは飫肥の伝建地区が抱える空き家の利活用。2つ目はそれ以外の地区にある伝統的建造物の再生利活用。3つ目はそれらの再生に付随する仕組みの構築だ。徳永氏が着任してからも、空き家は次々に出てくる。つまり、「素材」には事欠かない。仮に、まちなみ再生コーディネーターというポジションがなかったとしたら、それらの伝統的建造物は取り壊されるか公開施設となって自治体の赤字の源となるかだ。また、伝統的建造物の保存には建築関係者が関わるのが一般的であるが、飫肥地区では金融出身者がリーダーシップを取っているところが特徴と言える。
「飫肥だけで完結していた空間を、より多くの人に関わってもらう。短い観光でもいいし、宿泊に持っていければもっといい。民間のお金を回し、若い人の働く場所をつくり、これからの飫肥を頑張ってつくっていこうと思っています」
特産品である飫肥杉の太い幹を見上げながら、飫肥城址の静謐な空間で語られる言葉は、とても熱かった。
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日南市飫肥地区まちなみ再生コーディネーター
徳永 煌季(とくなが こうき)さん
1987年生まれ。早稲田大学卒業後、国際的金融機関に入社しセールストレーダーとして金融市場の最前線で活躍するも、リアルビジネスの可能性に興味を持ち退社。2015年、日南市のまちなみ再生コーディネーターに就任。飫肥地区を中心とした伝統的建造物再生と活用を推進する。「どこにいても仕事はできる」というフリーなスタンスで各地を飛び回っている。