埼玉県秩父市出身の井原愛子さんは、地元で国産メープルシロップがつくられていることを知り、自分も関わりたいとUターン。2016年にはカフェを併設した製造工場である「MAPLE BASE」を立ち上げ、活動の発信基地としています。もともと地元に戻ることを考えていなかった井原さんが、地域プロデューサーとして活躍するに至った理由を聞きました。
多様性のある文化に触れた学生時代
埼玉県内の高校を卒業後、都内の大学に進学した井原さんは実家から片道2時間かけて通っていました。
「留学したいと思っていたので、その資金を貯めるために一人暮らしをしないで通っていましたね。2005年に大学を休学してロンドンに留学し、興味のあった音楽業界で起業を目指すコースで勉強しました」
もともと海外のライフスタイルにも興味をもっていた井原さんは、勉強はもちろん、さまざまな人種や文化が入り混じった環境での暮らしに刺激を受け、楽しい日々を送ったと振り返ります。
「交換留学ではなく、住む場所や学校なども自分で決めて手配をしたので、自分で選択をするという経験を積むことができました。その後の人生にもこのときの経験が、間違いなく活きていると思います」
コンセプトに共感したIKEA
大学卒業後は、日本で音楽業界を目指して就職活動をしましたが、狭き門で叶わず、ライフスタイルに関わる企業も並行して受けていたといいます。
「ちょうどIKEAが日本で新卒1期生を募集していたんです。イギリスにいたときにIKEAを利用して、新しいスタイルの販売方法などに衝撃を受けていたので、面白そうだなと思って受けました。そしたらやっぱり面接も単純な質疑応答ではなく個性的で。最終的に多様性を受け入れる姿勢に惹かれて入社を決めました」
新卒で入社したIKEAでは、“コンビ”といってロジスティック(物流)とセールス(販売)の両方を担当する職種に配属された井原さん。
「最初にやったことがフォークリフトの免許を取ることでした(笑)。それも日本にはない背の高いもの。ロジスティックではお店のオープン前に品出しをするために夜中の出社だったりして、正直体力的にキツかったですね。自分でも長く続けられるか不安でした」
当初はそのような状況だったと話す井原さんですが、その後いろいろな部署を経験するなかで、IKEAのシステムづくり、売り場づくり、商品づくりなどそれぞれに面白さを発見し、いつの間にかどっぷりIKEAに浸かっていったそう。
「IKEAはコンセプトがしっかりしていて、サステナブル(持続可能性)を常に意識していたんです。最後にいたのが販売のための企画統括の部署で、マーケティングの楽しさを知って、将来は海外のIKEAでも働いてみたいと思うようになっていました。ただ、新卒から8年弱IKEAにいて、居心地がよくてぬるま湯状態でもあって。この先どうしようかなぁという思いもありました」
はじめて触れた秩父の自然の可能性
そんな将来に対して少し迷いを抱いていた頃、その後の人生を決めることになる、あるキッカケがありました。2013年秋のことです。
「地元でメープルシロップがつくられているというのをTVで知って。驚くと同時に誰がどんな風に活動しているのか気になって調べてみたんです。そしたら地元のNPO法人『秩父百年の森』に行き着いて、彼らがやっているカエデの森に入るツアーに参加してみることにしました」
メープルシロップというと、カナダを思い浮かべる人も多いと思いますが、メープルシロップはカエデの樹液を煮詰めてつくられるもので、実は日本にもメープルシロップをつくっている場所がいくつかあります。なかでも、秩父は日本に28種類あるといわれているカエデの種類のうち、21種類が確認されており、生産量も国内では一番多いといわれているとか。
「地元にいた頃はそこに自然があるのが当り前だったので、特に気にしたことがありませんでした。社会人になって都会で揉まれて私の視点も変わりましたし、改めて秩父の森の豊かさを実感するとともに、地元出身者でも知らない森への取り組みがあることを初めて知りました」
ツアーに参加して益々興味が湧いたという井原さんは、その後、NPOの主催者や、地元のメープルシロップで商品づくりをしている「秩父観光土産品協同組合」を訪ねて話を聞いて回ります。
「知れば知るほど良い取り組みなのに、それを広める活動があまりできていないという実状がありました。それに、参加している人に若い世代がいないので、20年後、30年後にどうなってしまうんだろう…という危機感を覚えて。誰もやる人がいないのなら、私がやりたいと思うようになりました」
井原さんはツアーに参加して数カ月後にはIKEAに退職希望を伝え、半年後には会社を辞めて地元に戻ってきました。そして、秩父の森や秩父産メープルシロップを伝える活動に邁進していきます。
「周りからはやめろとみんなに止められました。NPOの仕掛人の方にも、本業にはならないから仕事は辞めずにやった方がいいといわれましたし。それでも中途半端だと物事の進みは遅いので、自分の中では『いまだ!』と思って仕事を辞めました。フリーになって色々と挑戦ができるタイミングは、人生のうちにそうないと思うので、最悪ダメでもまた就職すればいいと気軽に考えていましたね」
メープルの本場、カナダから学んだアイデアを形に
こうして秩父に戻った井原さんは、まずはボランティアのつもりで地元の森の活動に関わるようになります。山に入って測量の手伝いをしたり、メープル採取の手伝いをしたり。土産組合の商品づくりも手伝いました。また、情報収集のためにメープルシロップの本場・カナダにも足を運びます。
「カナダでメープル生産量が第2位のオンタリオ州に行きました。小規模農家が多いので、秩父に合っていると思って。事前にネットで調べて5軒ほどの農家さんを訪ねたところ、どこも『シュガーハウス』と呼ばれる製造工場がありました。また、体験を売りにしているアトラクション型だったり、カフェを併設していたり、森見学と試食をしていたり、さまざまなアイデアを学ぶことができました」
「それから、カナダの視察を通して、秩父のメープルづくりがいかに原始的だったかということも分かりました。量が採れないので、国産メープルというだけでは勝負ができない。だったら教育面からアプローチするためにも、拠点となる場所があったほうがいいなと思うようになりました」
視察から戻り、周りにシュガーハウスのことを話すと、実は土産品組合でもともと構想があったものの、誰も手をつけられずにいたということが発覚。この頃には、当初井原さんの動きに懐疑的だった地元の人たちも井原さんの熱意を認め、シュガーハウスの立ち上げを井原さんが任されることになったのです。
日本初のシュガーハウスが誕生
井原さんたちはまず場所探しから始めます。そして出合ったのが秩父市の「秩父ミューズパーク」内にある1軒のログハウスでした。もともとその場所はゴルフコースのスタートハウスだったそうなのですが、既にゴルフコースは閉まっており空きスペースになっていました。そこで井原さんたちは物件を管理していた秩父市長に直談判し、見事その場所を使わせてもらえることに。
「それまでのNPOや土産組合の実績があったからこそ、シュガーハウスとして使うことを快諾してもらえました。私1人でやろうとしても、到底無理でしたね」
その後井原さんは再びカナダを訪れ、メープルシロップ製造用の機械を輸入。ログハウスの改装の一部は自分たちで手掛けながら、シュガーハウス設立の準備を進めました。そうして2016年4月、カフェを併設したシュガーハウス「MAPLE BASE」が秩父に誕生しました。
「MAPLE BASE」の玄関前にはカエデの小さな苗が植わっており、中に入るとまず、秩父の森についてやカエデについてのパネル展示が目に入ってきます。そして、カフェではメープルシロップを使ったメニューが提供され、秩父産メープルを使ったお土産品を買うこともできます。
さらに、店内にはメープルシロップ製造の様子を見られるようにガラス張りの窓が設置されていたり、イベントやワークショップも行われるなど、秩父のメープルを五感で体験できる場所になっているといいます。
「『MAPLE BASE』を拠点に、山の持ち主やNPOと連携して、スギやヒノキの“伐る林業”と、カエデの樹液を活用する“伐らない林業”の複合化を目指しています。カフェを併設したことで、カフェを目的に来る若い世代にも、秩父の森のことについて知ってもらえたらと思っています」
秩父のオンリーワンをつくっていきたい
井原さんは「MAPLE BASE」の運営と並行して、既に地元でつくられていた商品のリブランディングや、秩父の素材を使った新商品の開発も手掛けています。
「いまあるお土産ものは地元の素材を使っていなかったり、地元でつくられていなかったりすることも多いんです。IKEA 時代に培ったコンセプトをしっかりつくるということを、秩父に戻って実践しています」
「これまでの流れは想像していたよりもうまくいってきました。これからが勝負だと思っています。いまこうして秩父で活動していることは私が一番驚いていますが、これまで自分自身が目を向けていなかっただけで、秩父には歴史だったり森の豊かさだったり、コンテンツがたくさんあります。そうした場所で活動している人と関わりをもつようになって、ここでの暮らしが面白くなりました。人生どこにどういう出会いが転がっているかわからないので、アンテナを張りながら一歩踏み出すことをオススメしますよ」
そう話す井原さんは、今回取材させてもらった翌週もまたカナダに研修に行くと教えてくれました。
「将来は海外にいると思っていたけど、いまの仕事でも定期的に視察などに訪れてヒントをもらうことで海外とのつながりも持てています。これからも、森のことを知っている人たちの知恵を借りながら、秩父のオンリーワンをつくっていきたいですね」
“隣の芝生は青い”ということわざがあるように、刺激や欲求を外の世界に求める人が多いかもしれませんが、身近な場所を見つめ直すことで新たに見えることがあるようです。また、井原さんのようにもともとあった活動に自分自身ができることを重ねることで、生み出される仕事があるということを教わったように思います。
井原 愛子(いはら あいこ)さん
1981年、埼玉県秩父市生まれ。学生時代のイギリス留学を経て、海外の音楽やライフスタイルに興味をもつ。大学卒業後、イケアジャパン株式会社に入社し、物流から販売までさまざまな部門を経験。マーケティングや販売プロモーションなどの企画・プロデュース業務を経て、2013年秩父の森づくりを行っているNPOの活動に参加したことにより、秩父にUターンを決意、2014年帰郷。 山と街をつなぐ秩父の地域プロデューサーとして、持ち前の旺盛な好奇心とフットワークの軽さを生かしてアクティブに活動中。TAP & SAP