愛知県から宮崎県日向市へ。サーフィンをこよなく愛し、医療法人に勤める三村隆之さんは、移住して7年、奥さまと小学4年のお嬢さんと日向での何気ない暮らしを楽しんでいます。決意してから3年、もどかしい時間を経たからこそ、今から移住したいと考える人たちに、率直に自分の話をしてくださいました。
“安定した”県庁職員から一転、移住を決意した理由
三村隆之さん、37歳。2011年に宮崎県日向市に移住して7年がたちました。お倉ヶ浜、金ヶ浜、伊勢ヶ浜など同市は日本有数のサーフスポットをもつ町。サーフィンをやる人間なら一度は来てみたいという場所です。
自治体としても「リラックス・サーフタウン日向」と銘打ち、サーフィンがきっかけの移住を推進しています。2016年からは「ヒュー!日向」というキャッチフレーズのもと、PR動画を作ったり、東京や大阪で移住説明会を行ったり、波という魅力的な資源を活用した町おこしをしています。
説明会に出向き、移住希望者に直接語りかけることもある三村さん。自分の経験を踏まえ、自分が知りたかった情報を参加者に伝えたいと思っているそうです。
波のいい場所に住み、日々の生活の中でサーフィンを楽しみたいと考えたとき、そこに迷いや戸惑いはなかったのでしょうか?
「高校を卒業し、1年ほどはサーフィンをしながらアルバイトをするような生活をしていました。『このままではいけない』と愛知県庁に就職して、行政事務を11年間やりました。やりがいがあったし、きちんと評価をしてもらっていたし、辞めたいと思ったことはなかったんですが、日向のお倉ヶ浜の波を知ってしまい、30歳までに転職しようと思いました」
波を求めて移住へ たった一つのネックは…仕事
三村さんも、やはり「波」が移住への第一の理由でしたが、その陰には奥さまの存在が大きく関係しています。
15年ほど前に奥さまの弘子さんと出会ったのは、日本のサーフカルチャー発祥の地、湘南。三村さんがサーフトリップに来ていて、友人の紹介でボディボーダーの弘子さんと知り合います。真っ黒に日焼けした弘子さんはその頃すでに、海を中心にしたライフスタイルを実践していました。新卒で就職した会社は辞め、湘南のウェットスーツメーカーに勤務。そこで縫製を担当し、いい波が来たら社長の号令のもと仕事を切り上げ、社員全員で海に繰り出すような会社でした。
「波があるときには波乗りして、波がない時には働く。台風が来ている時などはみんなソワソワして社長のGOサインを待っている。もう目の前が海岸だったので」(弘子さん)
そんなサーファー憧れの環境で暮らしていた弘子さんと結婚することになった三村さんは、弘子さんの実家・宮崎県日之影町(日向市から車で1時間の山間部)に挨拶に行った際に、はじめて日向の海に。そこでお倉が浜の波に魅了され、夏休みや連休を使って通うようになっていきます。
結婚してからは、弘子さんと愛知県で暮らしながら、週末サーファーとして全国のスポットに出かけてサーフィンを楽しんでいましたが、日向に通うようになって3年ほど経ったときに、お倉が浜でばったり出会った友人サーファーからこう言われたそうです。
「奥さんが宮崎・県北の出身だったらなんで日向に住まないの? 俺だったらぜったいそうする」
それまで愛知を離れることは考えていなかった三村さんですが、週末だけのサーフィンではなくて、もっと生活の中に海がある暮らしを実現したいなと思っている時期でした。そこで帰りの車の中で、運転しながら弘子さんに日向に移住する話を振ってみたそうです。
そうしたら「移住しよう」とあっさり二人の意見が一致。娘の美月ちゃんがまだ1歳になる前でしたが、そこから三村さんの日向での仕事探しがスタートしました。当時勤めていた職場に電車で1時間半かけて通勤していた三村さんは、行き帰りの電車の中で、毎日、日向市周辺の求人情報を携帯でチェック。検索エンジンで「日向市」と「求人」というキーワードで探すものの、三村さんが希望していた経理職の情報は皆無。建設業や看護師の資格が必要な職種の求人ばかりで、結局、日向での仕事を見つけるまでに3年の歳月を費やしました。
「自分の性格上、営業職などは向いていないと思ったので、職種を限定していたのも原因ですが、自分が自信をもってできる、やりたいという求人がこんなにもないものか、と思いました。それでもあきらめずにハローワーク以外の求人情報を求めていたら、たまたま医療系の求人サイトで今務めている病院の医療事務の募集が出ていて応募しました」
街中の人と繋がれそうなコンパクトさ、距離感
無事、日向市の医療法人に転職できた三村さん。移住前は不安もあったそうですが、日向市に7年暮らしてみて、理想と現実のギャップなどはあったのでしょうか?
「もっと苦労するのかなと思ったんです。給料がそれまでと比べて半分近く下がって、幼稚園に入る前の子どもを育てながら、共働きでやっていくって世の中そんなに甘くないだろうなと思っていましたし。でも、実際に引っ越してきたら、意外と困らずにすごく楽しく生活できてしまって。最初の頃は平日休みがあったので、そんなときは妻と一緒に海に入れたし、波も良いし、住む町の雰囲気も良いし、『こっちに来てよかったよね。100%良かったよね』っていつも話していたぐらいで。逆にこれ本当に困ったな、ってそういうのは思い当たらないです」
三村さんは今、地元のお祭りや地区の集まりごとにも積極的に参加しています。
「愛知にいるときは、地域に貢献することなんてほとんどなかったけど、こちらに来たらイベントや祭り、ボランティアなどに参加することが急に増えました(笑)。それだけ、地域がコンパクトでまとまりがいいからだと思います。昨年の秋も、地元の祭りの仮装パレードに参加して、思いっきりはじけました。地元の人が温かくて、面倒見が良くて、歓迎してもらえるので、いつの間にか自然と地元のコミュニティに入り込んでいました」
日向の魅力は、そうやって知り合った人たちと、日常生活でも顔を合わせる距離感だと三村さんは言います。
「都会だったら永遠に会わない人がいると思うんですけど、人口6万人ぐらいの街だと、道を歩いていたらばったり会うことなんて、普通にあるんですよね。スーパーとか海の中でとか。知り合いの知り合いをたどると、日向じゅうの人と繋がりそうなその距離感。人間らしい人とのつながりを求めている人にとっては、すごく居心地よく楽しめますね」
移住する前の職場に地下鉄で通勤していた三村さんは、見知らぬ人がみんな疲れ切った顔で出勤していた光景をふと思い出すことがあるそうです。それに比べて、日向での生活は買い物に行けば誰かに会うし、仕事をしていても地域の人に会うし、誰かと誰かがつながっている感覚があり、安心できると言います。だから、仕事もやりやすいとのこと。
「都会では、仕事とプライベートは全く別って感じですよね。僕が名古屋で働いていたときは、事務職だったので1日中行政の職場にいるんですけど、パソコンと書類の中で仕事をしていました。現場に出ず、地域と関わらない人間が地域のためにといろいろな計画を立てて、イベントなどをやってしまっているという感覚がずっとぬぐえず、ちぐはぐしていたことを覚えています。真のニーズを捉えられないから『去年あそこでやったから、今年も同じ場所で、同じことやればいいんじゃない?』みたいなことばっかり。地域のためといいながら、地域のことなんか何も考えていなかったことに、こちらに来て気づかされました」
地域に根差す生活が板について、今では小学校のPTA会長も務めています。
スタバはないけど…「おもしろい店はたくさんある」
移住前、インターネットで情報を調べてもリアルな街の情報が出てこず、「わからない」ということが不安の原因だったといいます。東京や大阪などの都会では当たり前のグルメ情報サイトも、店名と住所が載っているだけという店のほうが大半。職探しも家探しもネットで済んでしまう感覚は地方ではけっして当たり前のことではないのです。
奥さんいわく「マニアック」な三村さん、「グーグルマップの衛星写真をよく見ていました(笑)。街の様子を見てみたり、海を見て白波がたっているからここはサーフィンができるかなと思ったり」。だからこそ、移住説明会に登壇したり、その他、SNSで繋がった見知らぬ人からの会いたいという誘いに気軽に応じたりしているのだといいます。
「たとえば、スタバがなきゃ嫌だと思っている人は日向みたいな地方で暮らすのは無理かもしれません。でも、スタバよりおもしろい店があるんですけどね。個性的なじいちゃん、ばあちゃんがやっている店だったり、驚くような安い値段でおいしい定食を出す店だったり。娘を連れて入った店のお客さんがほぼ知り合いだけというようなこともあって、『こっちに座れよ』って感じで一緒に食べたり、娘も親戚のおじちゃんと遊ぶような感じだったり」(三村さん)
一人っ子の美月ちゃんですが、コンパクトな街のおかげで他人とのつながりができ、まるで親戚のように付き合う家族も多いようです。弘子さんもママ友に「女子会があるから」と美月ちゃんを預けたり、逆に近所の子どもたちを集めてプールに行ったりすることも。自然の豊かさとともに、気安く子どものことを頼めるという意味でも子育て環境の良さがあるようです。
「自分の人生、何がしたいかを突き詰めれば、移住すべきなのか、しないほうがよいのかわかると思う。親の近くにいてやりたいと消極的に考えることもあるかもしれませんが、それなら親も一緒に越してきたらいい。実際にそういう人が日向にもいるし、結局は親も息子や娘がやりたいことをやったほうがうれしいのではないかと思います」
「一度きりの人生」とはよくいう言葉ですが、やっぱり後悔はないに越したことがないもの。三村さんと話していると障壁だと思っていたものも考え方しだいで、取り払うことができるということを強く感じました。
医療法人勤務
三村 隆之さん
1981年愛知県知多郡武豊町生まれ 愛知県立半田高校卒業後、1年間のフリーター生活を経て、愛知県庁に入庁。2011年にサーフィンをきっかけに宮崎県日向市に移住。妻、小学4年の娘との三人暮らし。