働き方を変えるソフトが大ヒット。世界に羽ばたいた福岡スタートアップ(前編)
株式会社ヌーラボ 代表取締役 橋本 正徳さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2019/02/18 (月) - 08:00

注目のスタートアップ企業を次々と輩出している福岡。そのなかでも最も成功した企業の1つといわれているのが株式会社ヌーラボだ。数人のプログラマーが福岡市に小さなオフィスを構えたのは2004年のこと。すると、自社開発したプロジェクト管理ツール「Backlog(バックログ)」が100万人のユーザーを獲得する大ヒット。さらに2作目のビジュアルコラボレーションツール「Cacoo(カクー)」はまず海外で注目され、世界中に300万人以上のユーザーを持つ。わずか15年で、ニューヨーク、シンガポール、アムステルダムにも拠点を持つグローバル企業へと駆け上がったヌーラボ。その舞台裏ではどんなチャレンジが繰り広げられてきたのか。前編では、代表・橋本正徳さんの異色の経歴と創業のストーリーを紹介する。

演劇、音楽、建築業、八百屋…自分探しの旅を続けた20代

―橋本代表は福岡出身でいらっしゃいますか?

そうです。高校まで福岡で、高校を卒業してから数年間は東京で過ごし、それからまた福岡に戻っています。

―現職に就くまでの軌跡についてお聞かせください

高校生の時に演劇に興味を持ち、卒業後すぐに上京し、演劇の専門学校に通いました。そのまま友達と劇団みたいなものを作って活動していた時期もあります。あと、音楽も好きだったので、バンド活動もやってました。全部インディーズで、素人みたいなもんなんですが(笑)。で、20歳になって実家に戻って、建築業を営む両親の仕事を手伝うようになりました。そのあと、もっと自分に向いた仕事がないかなぁ?と右往左往するなかで、八百屋をやってみたり、新聞広告を作る仕事を経験したりしまして。結果的にプログラマーとして派遣会社に採用されて、それから独立しました。

サムネイル

株式会社ヌーラボ  代表取締役 橋本 正徳さん

―20歳の時に地元に帰ろうと思ったきっかけというのは?

20歳になったら大人なので、大人というのは結婚して子どもを持っているはずだ、という考えがあって。16?17歳の時に人生設計みたいなものを描いていて、20歳になったら落ち着こうと決めていました。それで、当時、付き合っていた方と結婚し、それを機に地元に戻ったという感じですね。

―建築業を営んでいるご実家ではどういった仕事をされていたんですか?

家のリフォーム作業だったり、塗装だったり。あとはちょっとした事務作業や管理職の仕事もやっていました。まぁ、少ない人数だったんですけれども。

―そこからの八百屋さんというのが、またすごい振り幅ですね

八百屋をやってみないか?っていう声がけがあって、僕はそこに雇われオーナーとして入りました。従業員はおらず、僕ひとりでしたが。

―そこから新聞広告の制作会社に入られたということですが、実務としては、制作ですか?

はい、制作です。同級生とやってみて、これもどうもしっくりこなくて、すぐに辞めてしまったんですけれども。その頃、子どもも3歳くらいになってきていたので、長く続く仕事を探していたんです。

高校生の頃から好きだったプログラミングの世界へ

―いろいろ模索された後、派遣でプログラマーになられたとのこと。そこも全く違う世界ですが、飛び込んだのには何か理由がおありだったんでしょうか?

長く続けられる仕事と考えた時に、結局、高校時代から特に意識せずとも身近にあったのがパソコンで、それを使う仕事が一番続くんじゃないのかな、という結論に至ったんです。

サムネイル

―プログラマーへの転身が、起業へとつながっていったのですね?

プログラマーをやっているときに、プログラマー同士の仲間を集めた勉強会や、オープンソースの活動などを行っていたんです。でもこのままでは収入もなかなか上がらない。だったら、起業しようかなと。それで当時の仲間たちと声をかけ合い、起業しました。

―皆さんすぐに賛同してくださったのですか?

そうですね。僕自身の中に、劇団みたいにいろんな立場の人がいるような場所で、そういう人たちをまとめたいという思いがありました。

―福岡という地を選ばれたのはなぜですか?

一応、妻には相談したんです。もう一度東京に行って働いて起業するか、他の地で働いて起業するか、それとも福岡で今起業するかって。プログラマーといえばシリコンバレーとか有名な場所もあるので、もちろん海外という選択肢もありました。でも、そうは言っても子どもは小学校に上がったばかりだし、両親や祖父母もいる中で、なかなか引っ越しのハードルは高く。遠くには引っ越せないということから、福岡で起業することにしたんです。

サムネイル

ユーザーに愛着をもってもらえる、特別感のあるグループウェアをつくりたい

―「Backlog」もそうですけれども、チームのコラボレーションを促進するということをサービスの基点にしていらっしゃいますよね。このテーマにたどり着いた背景は?

オープンソースをやっている時に、Backlogの原形のようなものを作っていたんです。僕が主導で作っていたわけじゃないんですけれど、これは商品化に値するなぁと思っていて。実際世の中に出すなら、同じような既存のツールよりももっと、使っていて楽しいものを作りたいと思っていたんです。

―その考えに至ったルーツは?

僕の原体験にと或るメールソフトがあります。数多あるメールソフトの中でもそれは特別で、コミュニケーションの新しい楽しみ方を提供している。ビジュアルも可愛いですし。何かそういった特別感というか、とっつきやすさが欲しいなと思っていたんです。
そういったグループウェアだとか、バグトラッキングシステムだとかを作りたいという想いは、起業をする前からもともと根底にありました。

ターニングポイントは、自社製品に絞った2013年

―設立当時の市場背景や課題についてもお聞かせください。

設立当時あまり苦労は感じなかったのですが、やっぱり地方には仕事がない、という点が課題でした。僕が起業した時は、Java言語というのを使っていて、それなりに新しいものだったんですけれども、地元にそういうものを必要とする仕事がなかったので、東京の仕事を受注するようになったんです。でもおかげで東京に行く機会も増え、広い範囲で活動ができるようになりました。そう考えると、悪くはなかったのかなとは思います。Backlogも、東京の企業と仕事をした際に、バグ管理のためのツールとして作成したのがきっかけです。

―今の最終形態になるまでに、いろいろと試行錯誤されたのでしょうか。

はい。現在の形になるまでに2つ、同じようなバグトラッキングシステムで作っています。一番最初に作ったものは、派遣先からのリクエストだったんです。それは、ヌーラボを立ち上げるだいぶ前の時期です。アウトプットにオリジナリティが出てきたのは、その頃からですね。

―今や福岡で最も成功されたスタートアップ企業ともいわれているのですが、そこまで大きく成長されたターニングポイントはなんだったのでしょうか?

自社製品が売れ出したことが、ターニングポイントだと思いますね。それで自社製品だけに絞ったのが2013年。世の中の変化も僕たちの追い風になったと思います。リモートワークの推奨など、働き方改革もいい感じで味方になってくれているので。

―先見の明がおありだったのでしょうか。これからは場所を選ばない働き方が人々に受け入れていくだろうと予想されていたのですか?

いや、それはないですね。これからそうなっていく、じゃなくて、僕らがそうだったんです。場所を選ばずに働くために、今も課題解決をやっていっている感じですね。

―自社製品が売れるようになったきっかけは?

同じような製品が、国内にはなかったんです。それもあって、注目されたんだと思います。日本語に対応しているし、そこがまず有利な点だったと思います。
と同時に、長く続けていたということ。自社製品の利益が伸びなくても、経営はずっと続けていた。粘り勝ちというところですかね。

サムネイル

ユーザー目線での課題解決から生まれた自社製品たち

―「Backlog」のユーザー数はどのように推移してきたのですか?

BtoBなので、そんなにぐんぐん伸びるというものでもないのですが、昨年100万人を突破しました。伸び率は高まっています。

―2作目が「Cacoo」。ユーザーは全世界に広がっているとのこと

ブラウザ上で図を描くツールですね。Backlog から派生した製品なんです。Backlogの中に「Wiki」というドキュメント共有機能があって、テキストはみんなで触れるものの、イメージ画像などは触れないという点が、課題だったんです。そこで開発したのが「Cacoo」。テキストでは伝わらないようなイメージも、図を使えば伝わることがあります。みんなで同じエディタ(作図画面)を使って作図することができるのも、チームワークを加速させますね。

―貴社商品の「Typetalk(タイプトーク)」についてもおうかがいしたいのですが

BacklogとかCacooを使っているユーザー様が、気軽な会話の手段としてSkypeを使っていらっしゃることが多かったんです。ところがSkypeは当時、個別で話すとみんなが会話を見られなくなってしまうため、知らないうちに個々の間だけで話が進んでしまうなど、課題もたくさんありました。そのための解決策として開発したのが、Typetalkです。

―すべて実体験に基づいていらっしゃる。そこがサービスの質を向上させる上ですごく強みになっていらっしゃいますね

そうですね。自分たち自身がユーザーであるというのは強みだと思っています。

―実際のユーザーの声を集めて改善につなげる、ということもやっていらっしゃるのですか?

はい、やっています。最近だと、ネット上での“ユーザー会”があるんですよ。「Japan Backlog User Group」。略してJBUG(ジェイバグ)と呼んでいるのですが、そこで生の声を聞いたり。他にもソーシャルを使ったり、お客さんのところにうかがって聞いたご意見などを、改善に取り入れたりしていますね。

―JBUGの会員さんはどのように募っていらっしゃるんですか?

Backlogのユーザーさんであれば、どなたでもかまいません。イベントをするというときに、ブログで公開しています。ユーザーの方が運営するものなので、来てくれた方が「自分も運営メンバーに入りたいです」みたいな感じで会員になって、違う拠点でイベントをやってくださったりもしています。

―JBUGはユーザーが運営しているわけですね

そうです。僕らが用意するものではなくて、ユーザーさんが主導でやってくれています。
弊社には営業メンバーがいません。ですがJBUGが、広義な意味で、営業活動を担ってくれているのだと思います。ユーザーの方が「Backlogはこういうところがいいよ」とか、「今はこういう使い方はできないけれど、こういう使い方をすれば、作業が楽になるんじゃない?」っていうのを我々に代わって、言ってくださる感じですね。

―まさにユーザーさんがファンになって、育ててくれる。コンテンツサービスにおいて、理想的な展開ですね

はい。ファンの力はすごく大きいものだと思っています。

仕事の「楽しい化」が、開発の原動力

―橋本代表ご自身の、働く上での信条はなんですか?

特にないですね(笑)。でも、1日のうち働いている時間が占める割合は大きいのだから、少しでも楽しくした方がいいかなと。つまらなく働いていると、生産性も悪いですしね。楽しく働けることが一番だと思っています。

―Backlogを使うと、より密度の濃いコミュニケーションが図れたり、可視化することでみんなが目線あわせできるというところがいいですよね

職場って、テキストでのやりとりになりますよね。テキストを読む時って、学生の時に習ったと思いますけれども、筆者はどう考えているか?って推測しないといけないじゃないですか。で、関係性が悪いと「ごめんなさい」の一言が、これ嫌味なんじゃないかな?皮肉なんじゃないかな?って感じてしまいますよね。そういう誤解を生まないようにしたかったんです。しかもBacklogだと絵文字が使えて、エモーショナルな部分もちょっと伝わる。電子メールやテキストだけのやり取りだと、そこがうまく伝わらなかったりするので。職場ってみんなが気持ちよく、楽しくやれている方が絶対にいいですから。

(後編へ続きます。)

サムネイル

株式会社ヌーラボ 代表取締役社長

橋本 正徳(はしもと まさのり)さん

1976年福岡県生まれ。福岡県立早良高等学校を卒業後上京し、飲食業に携わる。劇団主催や、クラブミュージックのライブ演奏なども経験。1998年、福岡に戻り、父親の家業である建築業に携わる。2001年、プログラマーに転身。2004年、福岡にて株式会社ヌーラボを設立し、代表取締役に就任。株式会社ヌーラボは、現在、チームのコラボレーションを促進する3つのWebサービス[Backlog][Cacoo][Typetalk]を開発・運営。また、福岡本社のほか東京、京都、シンガポール、ニューヨーク、アムステルダムに拠点を持ち、世界展開に向けてコツコツ積み上げ中。

株式会社ヌーラボ

2004年、福岡市でソフトウェア開発企業として創業。「チームのコラボレーションを促進する」をテーマにした自社製品を開発。プロジェクト管理ツール「Backlog」、ビジュアルコラボレーションツール「Cacoo」、ビジネスチャットツール「Typetalk」が次々と国内外でヒットしている。現在は本社のある福岡のほか、東京、京都、ニューヨーク、シンガポール、アムステルダムにもオフィスを構える。

住所
福岡市中央区大名1-8-6 HCC BLD(本社)
会社HP
https://nulab.com/ja/

Glocal Mission Jobsこの記事に関連する地方求人

同じカテゴリーの記事

同じエリアの記事

気になるエリアの記事を検索