長野県飯綱町発~多角化に見る企業としての農家 山下フルーツ農園
嶋 啓祐
2017/11/15 (水) - 08:00

今回ご紹介する山下フルーツ農園にはたくさんの風景があります。まず、東京ドームがすっぽり入るほどの広さをもつりんご畑。そして古民家カフェや土蔵を改築した民泊施設。そして鉢巻をしたお父さん、インテリ風のお母さん、イケメンのご主人、嫁いできたキュートなお嫁さん、育ち盛りのお子さん、そして福岡から戻ってきたご主人の妹さん、最後に山羊のめーこまで数えると、6人と1匹という家族の風景。私は訪れる度にこの家族に惹かれ、そして皆さんがどういういきさつでここに集い、家族になったかを知りたくなり、個別にインタビューをさせていただきました。農業×家族。それまであったもの、その先にあるものは何でしょうか。生き方の多様化が進む現在、地方の家族とビジネスの在り方について考えてみるきっかけになればと思います。

山下絵里~農家の嫁が目指す次の姿

長野県飯綱町。長野駅から車で30分ほどの町はそれ自体がゆるやかな高原になっており、どこにいても爽やかな風を感じる心地よいところ。そこに代々りんご農家を営む山下家があります。駐車場に車を停めると、すぐ横には山羊のめーこのお家があります。多くの方はまずそこに立ち寄るのではないでしょうか。

私が最初に訪れたのは2016年の秋も終わりの頃でした。母屋の裏に広がるりんご畑はそれはそれは居心地のいい場所。なだらかな斜面を上がるとダイニングテーブルやウッドチェア、そしてブランコやハンモックなどすべて手づくりの遊び道具が並びます。思わずブランコに飛び乗り、土を蹴ってゆらゆらと。そのあとはハンモックに身体を沈め、ゆっくりとした揺れに身を任せます。

「ここにくると皆さん、そうされるんですよ。自分の子どものためにつくったものが大人のみなさんに楽しんでもらえるなんて」と話す山下フルーツ農園の代表取締役を務める山下絵里さん。その屈託のない笑顔の中に「農業と家族」というひとつの世界があります。

絵里さんは新潟大学大学院修了後、東京でシステムエンジニアとしての仕事につきます。今でいうと「リケジョ」です。外苑前のオフィスでバリバリと仕事をこなしていた彼女の転機は結婚にありました。学生時代からお付き合いを続けていた一樹さんが意外にも早く家業を継ぐことになり、一気にリンゴ農家の嫁に大変身。

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そこで彼女は自ら機会を見つけ出し、多くの取り組みを始めます。まず専門外の農作業にはほとんどタッチせず、商品であるりんごをいかに販売していくか、という営業、そして広報、経理といったこれまでの農家の活動にはなかった部分を一手に引き受けていきます。Webでの宣伝・広報は試行錯誤を経て徐々に成果が出てきます。かつてのSEでの経験を活かしつつ、卸に頼らない利益率の高い直販のスタイルを確立していくのでした。

話を聞いていると、「農家の嫁」という表現はもう古いのかもしれません。りんごをつくってまとめて卸すというこれまでのやり方ではなく、自ら宣伝・広報を行い、販路を開拓し受発注のシステムを構築してアフターフォローも欠かさない、そのようなビジネスシステムを自らつくり上げて今日に至るのです。

そんな絵里さんをご主人である一樹さんはこう話します。

山下一樹~新しいりんごの世界をつくりだすために

「絵里のおかげで畑での農作業に没頭できるのはとても効率的で、そしてありがたいですね」。一樹さんは絵里さんと同じ新潟大学の工学部出身。その後大学院を修了し、すぐに家業を継ぐことを決心します。

学生時代は家業を継ぐことはまったく考えていなかったという一樹さんですが、アルバイト先の篤農家でその考えは一変。アルバイト先の農家でお手伝いを続けるうちに農業に対する考えが変わって自ら取り組むべき仕事と思うようになったとのこと。りんごの販売会社であるアップルファームさみずの代表を務め、志を同じくするりんご農家と共に特別栽培のりんごの生産・販売、ソースやジュースなどの加工品開発に従事しています。

りんご栽培の現場ではりんご畑に土壌成分などを分析するセンサーを導入。最新の情報テクノロジーを駆使して経験と勘に頼ってきたこれまでの栽培方法からデータを蓄積して病気の予察や適正な収穫期の推測などに役立てはじめました。

一樹さんが力を入れているのは英国りんごに代表されるような加工用のりんごの生産と販売にあります。日本では一般的に生食用の甘いりんごをいただくことが多い反面、デザートなど料理に使われるりんごの生産は多くはありません。見た目も良く、甘さが特徴のりんごは料理には向かないのです。英国りんごを日本で安定して生産しているところは限られています。しかし、病気にも強く栽培に手がかからないのも魅力。「調理用に向いているという特徴を活かして、これからはホテル、飲食店といった分野に拡販をしていきたいですね。そしてもっともっとりんごの美味しさや楽しみ方を広めていきたいと思っています」

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山下勲夫~かつての異端児は現在の先駆者

一樹さんの父である勲夫さん。昭和の激動の時代を生き抜いていまやっと、ほっとした気持ちでいるのかもしれません。「俺はね、中学で浪人してんだよ、浪人。ほら子どもが多い時代だろ、高校がいっぱいでさ、わっはっは」とのっけから豪快に過去を笑い飛ばします。その後、工業高校を経て農水省の全寮制農業大学校で3年間を過ごすことになります。これが勲夫さんにとっても一大転機になったのです。

勲夫さんの父はJAの幹部として50数年前にJAの選果場建設に功績を残した地元では知られた農家。「そりゃ、親としてみたら農業高校に行って早く継げって話ですよ。でもその当時はもっと遊びたかったなぁ。親父の仕事みていて、そりゃ大変だったもの」と懐かしそうに話す。

高校を卒業して農業をしているときに、農業普及センターの指導員の勧めもあって幸運にも農業大学校に入学した勲夫さん。上京して2年間の座学研修を受けた後、農家研修を。全農(当時の長野県経済連)に籍を置き、神田の市場や大阪の市場に行って仲買人の手伝いなどをしながら流通現場での経験を学びながら積んでいったのです。「そりゃ楽しかったね。灘の神戸生協がどんなものをどういうルートで集めて届けているかとか、当時の特殊な流通を間近で見させてもらったねぇ。愛媛のみかんや九州のりんごマーケットなんかも面白かったな」。農作物に関する複雑な流通形態が多くを占めていた時代に勲夫氏が見たものは「直販」の姿。今では当たり前のことが当時としてはとても珍しかったわけです。

卒論は、当時としては最先端と言われていたアメリカのシアーズローバック社を取り上げることに。タイトルは「果樹産業と通販」。先代に反発して自ら異端の道を走りはじめた勲夫氏は新しい成功事例を学び、それを後々に「減農薬栽培と直販」という現在のスタイルに活かしていくことになります。当時は学生運動も盛んで「複合汚染」が話題となり、公害が大きく取り上げられた時代です。農薬や化学肥料を使わない有機農法という言葉もこのころから広がりを見せてきたといえます。

「息子が継いでくれて、こらからは若いものの時代だよ」。穏やかにそう話す視線の先には、自らが育てた多くのりんごの樹々が広がっています。

山下和子~ファミリーを束ねる“お母さん”も事業家のひとり

初対面の印象から漂う知的な雰囲気。伺うと、嫁がれる前は教員をされていたそう。信州大学の教育学部を出たものの、当時はすぐに教員になれるほど甘くはない時代。「やっと小谷村の分校の教員に。25歳だったかしら。そのあと三水小学校に転勤して、そして縁あってお見合いをしたの。28歳の結婚だったので、当時としてはかなり遅かったのよ」と昔話を穏やかに笑い飛ばします。

農家の嫁としてお子さんを4人育て上げただけでは終わらないのがお母さんのすごいところ。1997年にはグリーンツーリズムの現場を見るためにドイツに視察に出掛けます。農家がファミリーを挙げて取り組むツーリズムプログラムを見て、「これは日本でもできるかもしれない!」と思い立ち、農業体験の企画と受け入れをすぐにスタート。それが段々と拡大し、2004年7月より山下家の土蔵を再生し、民泊を開始。思い立ったらすぐに行動し、そしてじっくりと継続していくスタイルは、「決して先を急がず地道にコツコツと実績を積み重ねていくもの」と話します。

これからのことを伺うと、「時代は変わったなぁ、と思いますね。大量消費の時代はとっくに終わって、お客さんの顔が見えづらい時代になったよね。りんごの見かけにうるさい消費者が増えているのもとても残念」

しかし、それを彼女なりに変えていこうと考えています。
「農薬を減らして、除草剤も使わずにおいしくて安全なりんごをつくることがまず大事。そしてここで農業体験や宿泊も楽しんでもらって家族みんなでおもてなしをしたいと思っているのよ」

土蔵をリノベーションした民泊「へんぺさんち」に泊まるとクラシックなBBQが楽しめます。現代風のBBQセットではなく、囲炉裏で炭をおこしてお肉を焼き、釜でご飯を炊きます。筆者も楽しんだ農家民泊体験は火をおこして食事を自分たちでつくるという、不便さの中にある贅沢感を感じるものでした。

最後に子育てのコツを訪ねると、「子どもたちは家で育てるものとは思ってないんです。地域のみんなで育てている感じですね」。ファミリーとは三水の地域すべてととらえるおおらかさが、真のファミリーなのかもしれません。

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亜紀~カフェ傳之丞を仕切るアップルパティシエの未来

実家である山下フルーツ農園が民泊を始め、そして家を改造してカフェを始めるというときに、たまたまタイミングよくUターン。一樹さんの妹、亜樹さんは新潟大学農学部を出たあと、公務員を目指すも一度住んでみたかった九州は福岡に。パティシエを目指し、製菓学校に入学し、その後パン屋さんで技術を磨きます。

「まだまだ勉強中なんですよ」と笑いながらアップルパイを焼く姿は、新しく完成したカフェ傳之丞のまさにシンボル。営業日は毎朝3時から仕込みを始め、17時の営業終了までほぼひとりでカフェを切り盛りしています。

古民家を現代風にアレンジして、ところどころに昔といまを散りばめるデザインは落ち着きと安らぎと非日常を感じることのできる空間です。ランチタイムのあとは地元のママたちがお子さんを連れて遊びに来る感覚でアップルパイやカフェを楽しんでいます。

「観光農園ではないので、開店する前は不安でいっぱいだったんです。でも始めてみると長野市から来られる方やご近所の方もたくさん来ていただいて」

営業を重ねるにつれてイートインよりテイクアウトが多かったり、若いママさんたちが思いのほか多かったりと発見の連続とのこと。「この辺りはまだまだ子連れで行けるカフェってないんですよね」

ファミリーでつくったりんごを丁寧にパイに仕上げていく亜樹さん。アップルパイ自体は昔から世界中にある定番のスイーツですが、それゆえに「一番うれしいのは、単純ですが“おいしかった!”のひとことですね」

傳之丞のゆるい空間に浸るとついつい長居をしてしまう理由もよくわかります。

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農家の在り方~多角化に見る企業としての農家

山下フルーツ農園の5人の方々について書かせていただきました。先代に反発し独自の道を歩いてきたお父さん、教員を辞めて嫁いで新規事業を始めたお母さん、そしてそれを受け継ぐ息子と営業やマーケティングの仕組みを模索する嫁、カフェという飲食ビジネスに取り掛かった妹。別の角度から表現しますと、減農薬と除草剤を使わずITを駆使して高品質と多品種にこだわるりんご。直販スタイルを取るマーケティングスタイル、古民家とカフェでつくるコミュニティの運営。ひと言でいうと「りんごを売ってコミュニティをつくる」

世代を縦軸(ファミリー)とするとそこにリンクする横軸(事業)の広がり。ここに、農作物をつくって売るという単純なビジネスから、りんごをベースに「コミュニティ」という新しい領域への仕掛けがあることがわかります。まさにりんごの木のように接ぎ木して増やしていく新しい姿。

先の読めない時代の中、山下フルーツ農園のファミリーから学ぶことはたくさんあるような気がしています。

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