日本のものづくりに携わりたい!海外で見つけた新たな夢を、長野で実現
宮下製氷冷蔵株式会社  柴田 亮之介さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2020/03/06 (金) - 08:00

柴田亮之介さんは、元大手コンビニチェーンの社員。海外店舗の立ち上げにも手腕をふるい、帰国後も順調にキャリアの階段を駆けのぼっていた。しかし、いつしか柴田さんには新しい夢が芽生えていた。「世界に誇る日本のものづくりに携わってみたい」。やがてめぐりあったのは、長野県の小さなまちにある中小企業。そこは、どこにもない氷製品づくりに挑み続ける、日本でも稀有なメーカーだった。

大企業の小さな歯車で終わりたくない

長野県の最南端。下伊那郡にある人口約4000人の「軌跡の村」下條村。ここから車で約30分かけて、飯田市にある「宮下製氷冷蔵株式会社」へ通勤する。それが、柴田さんの現在の日課だ。

少し前までは、東京で暮らす、大手コンビニフランチャイザーのエリート社員だった。そんな柴田さんがなぜ今、ここにいるのか。そこにはまさに、なにかに導かれたとしか思えないような不思議な縁があった。

柴田さんは、大手コンビニチェーンを展開する企業でキャリアを積み上げていた。30代半ばからは海外事業を担当。40歳までを海外で過ごした。するとある疑問が頭に浮かんだのだという。
「世界の素晴らしさはわかった。じゃあ、日本の素晴らしさ、世界に誇れる日本人らしさって何なんだろう?」

そしてたどり着いた、自分なりの答えがあった。
「今は日本人もグローバル化しているので、当然世界で通用することはいっぱいあるんですけれど、その中で自分が一番感じたのは、ものを作るときの考え方やこだわり。それこそ、日本の素晴らしさなんじゃないかと思ったんです。」

会社には不満はなかった。しかし、新たなステージを求める自分に気づき始めた。
「日本に帰国後もいい仕事をさせてもらっていました。経営戦略、人財開発…。本当すごく恵まれた環境ではあったんです。でも自分のその先の人生設計を考えた時に、大企業の1つの歯車という形ではなく、何か自分自身がものづくりに携わることができないか?と考えるようになっていました」

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今回お話を伺った、柴田 亮之介さん

「氷」が結んだ、長野との縁

そして選択肢を日本全国にひろげた柴田さんは、2019年1月に東京で開催された移住セミナーに参加する。いろいろな候補地があったなかで目に留まったのが、長野県南信州だった。

実は柴田さんのふるさとは、愛知県。幼い頃から家族で「山へ遊びに行く」といえば、行先は隣接する長野県の南部、いわゆる南信州だった。リンゴの収穫シーズンになると、親戚一同で南信州へリンゴ狩りに行くのが楽しみだった。

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幼い頃、親戚と遊びにきた南信州での一枚(写真は柴田さんとお母様)

また東京暮らしが長かった柴田さんは、「都会もある程度近くに欲しかった」と話す。
「長野にはリニア中央新幹線の計画もあるんです。実現すると、東京まで1時間。自分の老後を考えた時にいろんなバリエーションが広がるじゃないですか。ずっと田舎暮らしではなくて、田舎も都会も味わえる。それも長野に興味を持った理由の1つでした」

なかでも熱心だったのが、長野県「飯田市結いターン移住定住推進室」だった。地元を代表する老舗企業を紹介してくれた。それが「宮下製氷冷蔵株式会社」との出会いだった。

同社は、120年の歴史を持つ氷メーカーだ。日本有数の花崗岩地帯である伊那谷から湧きだす良質な天然水を使い、昔ながらの方法で高純度の氷を製造。その氷は透明で溶けにくいだけでなく、ふわふわのかき氷ができるという。その他、鮮度保持用の氷冷材のOEMから、氷彫刻などのイベント企画まで幅広く手がけている。

柴田さんを驚かせたのは、そんなビジネスモデルのユニークさだけではなかった。柴田さんにとって氷は、学生時代に亡くなったお母様との忘れられぬ思い出の品でもあったのだ。
「母はカフェを経営していたんです。小さな店でしたが、コーヒーも紅茶も母がこだわって淹れていました。そんな店のもう1つの看板メニューが、かき氷だったんです。フルーツを搾って手作りのシロップをかけたかき氷は、40年前で1000円。それでもおいしいからと行列ができ、よく売れていました。氷の会社を紹介されたときに、母のことを思い出したんです。不思議な縁を感じました」

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お母様が経営していた40年前の喫茶店

丁寧な仕事で多くの客を喜ばせてきた母の姿と、氷に実直に向かい合い続ける老舗企業。そして、日本が誇るものづくりに携わりたいという自分の思い。すべてがつながったような気がした柴田さんは自然と、転職への決意を固めていたという。

急成長中の会社で自分のキャリアも開拓

入社後は、総務部に配属。しかし仕事の幅広さは、地方企業ならではだ。
「財務、経理、人事、それから法務的なことまで、すべてをやる。それがこの会社の総務というポジションなんです。過去にやっていたその仕事だけ、というわけにはいきません。会社の経営の中枢となってやらせていただいているポジションなので」

柴田さんが大忙しなのには、もう1つ理由がある。会社の業績が急成長中なのだ。食品事業(肉まん、かき氷生シロップなど)が氷に次ぐ柱として伸びていることに加え、数年前に大手コンビニチェーンに氷の新商品を供給するようになってから一気に注文量が増えた。
「工場も毎年広げていかないと間に合わない状況。ですから総務として入りましたけれど、本当に何でも屋なんです」

しかしもともとの専門は、経営戦略や人財開発。手に職を持っているわけではなかった。
「自分にできることは、会社の組織をどう動かしていくか、というところ。この会社だったらその長所が生きるんじゃないか」と。
そう考えて入社を決めただけに、当初は戸惑いがないわけではなかった。

しかし今はむしろ、未知の領域を開拓していくやりがいを感じている。
「私も会社も、今までの常識が常識でないという状況。仕事がとても面白いですよね」

実は、前職での経験もしっかり活きているようだ。海外事業を担当していた時代には、日本人がほとんどいないような海外のまちに、日本式のコンビニを開業するのが仕事だった。まずは現地に会社を設立し、ときには工場のラインに入って現地スタッフと一緒に商品をつくり、陳列棚に並べながら、ゼロベースで1号店を立ち上げる。そんなプロセスを経験してきた。
「大変でしたが、非常に面白かった。あの経験が私を変えたと思いますね。あのやりがいをもう一度、日本でできるんじゃないかという夢と希望を、今この会社で感じているんです」

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移住者が増えるまち。社員が辞めない会社

数年前までは30名程だったという社員も、現在は80名。2019年だけで19名が新たに入社した。
「正社員だけで19名ですよ。パートさんは別です。だから僕だけではなく、東京や名古屋から本当にたくさんの方が、この会社とともに成長したいと集まってきているんです」

移住者が増えている背景には、行政のバックアップもある。
長野県および県内55市町村では令和元年度から、東京圏(埼玉県、千葉県、東京都及び神奈川県)と、愛知県、大阪府から長野県内に移住し、県が開設・運営するマッチングサイトに掲載する求人に応募して採用された人に対して、移住支援金を支給する制度が設けられている。

「単身の方だと入社の時に60万円、家族持ちだと100万円支援してもらえるんですよ。私の頃はなかったんですが、直近で入社された方たちはこの制度をうまく利用しているようです」

また内定者の辞退率が低く、一度入社すると、離職率も低いのが、宮下製氷冷蔵の自慢。その秘密は、経営者の熱意あふれるリーダシップと、家族的な温かい社風だと柴田さんは分析する。
「私の面接も3時間だったんですよ。その間、私は聞かれることに答えるくらいで、ほとんどしゃべっていないんです。社長と、社長の奥様である取締役兼総務部長、このお二人が会社の歴史や採用について、熱い思いを語ってくれました。その熱意に心打たれて入社を決めた部分もありましたね」

と同時に、社長の新しい時代に向けての発想力の凄さにも驚いたという。
「単なる夢ではなくて、ビジネスとしてすごく現実的に考えられているんです。今まで会ったことのない経営者の考え方で、この方と仕事をすると自分はどうなっていくんだろうという高揚感を感じました」

アットホームな社風を支えているのは、社員から「お母さん」と呼ばれている、取締役兼総務部長。社長の奥様であり、柴田さんの現在の直属の上司でもある。
「この方は社員80人に対して本当に平等に“母”なんです。いつも優しい目でみんなを見ているんですが、時には厳しい目でも見る。しっかりと大事なことを教えてくれる方です。その周りにいる経営陣の方々もすごく社員に近い距離で、僕たちに仕事をさせてくれます。本当になんでも言いやすいし、数字だけじゃなく、それを支えている一人ひとりを大切にしてくれる。そんなアットホームな雰囲気が、この会社にはあるんです」

しかし東京から、華々しいキャリアを引っ提げてやってきた柴田さんが、プロパー社員との壁を感じたことはなかったのだろうか?

「全く感じなかったと言ったら嘘になります。やっぱり感じたことはありますよ。でもそこは、会社でも地域のなかでも、遠慮しないで、私は新参者なんだという気持ちを持って入っていけば、たぶん大丈夫なんじゃないかと思いますね」

また社内にいた他の移住転職者たちの存在も大きかったという。
「東京や愛知の有名企業や中小企業で頑張っていた人もいます。それぞれがいろんな夢を持ってここへきているなかで、東京や愛知ではこうだったねとか、そういう話ができるのは心強かった」

だからこそ、これからは自分が採用の窓口に立ち、都会からの移住転職者の味方になろうと柴田さんは考えている。

地方だからこそ得られるやりがいと成長

地方に転職してみて、柴田さん自身のネットワークも広がったそうだ。

「会社の窓口になることが多いので、いろいろな方々とおつきあいできるようになりました。例えば、当社は経済産業省から『地域未来牽引企業』の認定をいただいています。その関係で毎月、経産省の方がいらっしゃるんですよ。そして経営指導をやっていただける。経産省の方といっしょにプロジェクトとして動くというのは、初めての経験。自分が組織の先頭に立たせてもらい、そういう方々と直接やりとりができて、知り合いが増えていくというのは、今までの会社ではなかった経験ですね」

120年の歴史を持つ老舗企業は、地域との絆も太い。毎年8月に飯田市で開催される飯田のまつり「飯田りんごん」では、普段は卸販売に徹している会社が、かき氷の店を出店。その日は部署も役職も関係なく、社員総出でかき氷をかく。
「社長も取締役も、総務部も販売部も工場のメンバーも、みんなでやらないとさばけないくらい、長蛇の列が続くんです。でも販売目的ではなくて、飯田市のみなさんにうちの氷のことを知ってもらいたい、食べていただきたいという気持ちで始めたと聞いています。社内的にも、普段話すことのない、異なる部署の社員同士が交流する貴重な機会になっています」

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「飯田りんごん」に出店した宮下製氷冷蔵のかき氷に並ぶ長蛇の列

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長蛇の列をさばくため、社員一丸となってかき氷をかく

水は、会社の地下から湧く南アルプスの水を使うという。その水質の良さと豊富な水量こそが最大の強み。まさしく「信州の大地と生きる」という基本理念通りの企業だ。
「いい水は、いい氷になります。だから冷凍庫が普及して、氷屋さんがどんどんなくなっていっても、うちは生き残ってこれたんです」

しかし、氷は奥が深い。わずかでも不純物があれば、氷の真ん中が白くなってしまう。それをどこまで透明にできるかという課題に、同社は挑み続けてきた。
「うちは全社員の1割が研究スタッフなんです。メーカーではなかなかないと思うんですよ。本当に純度の高い透明な氷、日本になかった氷をつくるために、どんどん研究に取り組んでいますし、最近は生シロップの開発にも力を入れています。着色料や人工甘味料を使わず、本当においしいものを作りたいと、こだわって開発しているんです。まだまだ規模は小さいですけれど、本物を作っているということで、売上も右肩上がり。有名なメーカーさんや東京都内のお店にもたくさん使っていただいています。これをなんとか氷に次ぐ柱に育てたいと思っています」 と熱く語る柴田さん。

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世界初!省エネ自然冷媒CO2システムを導入した自動冷凍倉庫。オゾン層破壊・温暖化にほとんど負担をかけず地球に優しい

入社後は常に、経営者の近くで仕事をしてきた。だからこそ今は、入社する時以上にやりがいを感じているという。
「特に、みんなのお母さんと呼ばれている取締役兼総務部長には、入社した時からいちばん近くにいてくださって、いろいろなことを教えていただいてきましたからね。今は入社した時とはまた違う、新たな挑戦の気持ちでやらせてもらっています」

70㎡の2LDKで家賃3万4000円。手厚い移住支援金も

現在、柴田さんは、会社がある飯田市中心部から約15キロほど南の下條村で暮らしている。
「マンションの最上階を借りています。村営住宅なんですけれど、70㎡の2LDKで家賃は3万4000円。都内だと15万円じゃ住めないと思いますね。駐車場も2台無料で付いているんです。役場の方に相談したら、いちばん景色のいい部屋があると紹介してもらえました」

気になる経済面はというと、
「ありがたいことに収入は前職時代とほぼ変わりませんし、家賃をはじめ生活コストもこちらはかなり安いですから。ただし、車を持たなければならなくなった、というのは考えないといけません。東京と違い車が必要です。そこは生活をする上で計算していかないといけないでしょうね」

しかも柴田さんが住んでいる下條村は、村独自で移住支援金があり、小学校、中学校の入学金の支援があるほか、事前に村内の自然や施設、学校の見学もさせてくれる。
「村の案内も職員自らやってくださいました。協力してくれる方が本当にたくさんいるということを素直に受け入れて、素直にお願いすると、素直な答えがすぐ返ってくる。下條村役場の方には本当に温かくサポートしていただけています」

弁当作りが趣味に。長野で出会った、新しい自分

長野に来て、自分でも意外なライフスタイルの変化もあった。それは、「弁当男子」になったこと。

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「今まで基本外食だったんです。でもこちらは食材が豊富で、面白い食材がたくさんあるので、弁当を自分で作っているんですよ。40歳を過ぎて自分で作ったお弁当を会社に持参するとは思ってもいなかった(笑)。地元のスーパーをうろちょろして、いろんな新鮮食材で作ってみる、というのを楽しんでいます」

もう1つの趣味は、ゴルフ。いちばん近いゴルフ場はなんと、車で5分の場所にある。車で2~3時間かけて行っていた東京時代がウソのような近さだ。
「練習するにしても、練習場の広さも混み具合も違うので、本当にのびのびと楽しませてもらっていますよ」

あえて不便に感じた点を聞くと、
「店が閉まる時間が早いことかな。早く食べに行かないとお店が閉まってしまうんですよ。店の数も都内と比べると少ないですよね。でも同じお店に通っているうちに、自然と常連になり、お店の方と仲良くなれます」

柴田さんにとってはむしろ、うれしいギャップの方が多かったようだ。
「移住セミナーでは、周りの方とお付き合いするのは大変ですよと聞いていたんです。でもそんなことはないということに逆に驚きました。今住んでいるところもマンションなので、若い住人が多いんですよ。東京とあんまり変わらないかなと思いました。」

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「都会とこうした地方を両方知っていることが大事だと思っているんです」
のびのびとした環境で、会社と共にどんな成長が待っているのか。柴田さんは胸を高鳴らせ、これからの長野県の生活をとても楽しみにしている。

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