太平洋に面した美しい町、宮崎県日向市に本社を構える「株式会社 MFE HIMUKA(2019年日向中島鉄工所から社名変更)」は、お客様の使い勝手や生産効率を考慮した産業用機械メーカー。特に食と環境、エネルギー分野の新商品開発に積極的に取り組んでいます。「信用第一」を経営ビジョンに掲げる地域密着型。子ども達を社内に招き入れてのものづくり教室や出張授業、地域でのボランティア活動なども積極的に行っています。「まず我々地域の中小企業が変わらなきゃいけない」と発信し続ける代表取締役社長の島原俊英さんに、これからの地方企業のあり方、地方で働く魅力を語っていただきました。(2018年の取材を編集した記事です)
突然のUターン。赤字経営に苦しむ企業改革に挑む
島原さんは、宮崎市内の高校から熊本の大学へ進学し、卒業後は山口にある大手企業に就職。そこで13年間、プラントを海外に輸出・建設をする仕事をしていました。37歳のとき、父から「帰ってこい」と言われて戻ったところ、「俺の経営は古いから、お前が考えて全部やれ」と言われUターンしいきなり専務になり、2年後には父と社長を交代。第二の人生が始まったのだといいます。
「日向中島鉄工所は昭和44年(1969年)に創業したのですが、私が戻った頃は、業績が悪化しており、会社は3年連続赤字状態でした。しかも、売り上げは半分にまで落ち込んでいたのに、社員がその状況を把握していませんでした。父が普通に給料を支払っていたので、危機感がなかったのです。」
代表取締役社長 島原 俊英さん
焦った島原さんは一人で企業改革を始めました。しかし、自分の考えだけで改革を進めているうちに、「会社のことを何も知らないくせに」と、温度差が開いていく結果に。終いには「独裁者」とまで言われるようにまでなってしまったといいます。
島原さんは、これまで経営の経験がありませんでした。そこで、経営者の団体に入って先輩の経営を見たり聞いたり、全国に出張する度に「どういう経営をされているんですか?」「経営計画を見せてください!」と、会員さんに聞いてまわりました。
壁を取っ払い見える化を実現
社員との関係がうまくいかない中、島原さんは、工場の真ん中を隔てていた壁を取っ払います。「当時、1課と2課が分かれており、それぞれ違う仕事をしていました。お互い協力することがなく、こっちは忙しく残業をしていても、あっちは帰ってしまうという雰囲気がありました。主体的に動かず、指示待ちで、会社の駒の1つになりきっている社員が多かったと思います。
営業担当の管理者が二人いて、現場に直接ばらばらに作業指示していました。しかも、工場長も工場全体の管理や指導・人材育成をできていませんでした。」
そこで、島原さんは、営業と製造を切り離し、それぞれが1つになって仕事に取り組むように組織改革を実行します。同時に、会社全体のことをみんなに共有するため、「見える化」、「組織としての役割分担と協力体制」などの、仕組みづくりをしていきました。
島原社長の指示により工場の中心にあった壁が取り外され、垣根のないオープンな空間に。物理的な「見える化」で、社員同士のコミュニケーションも円滑に。
経営理念をつくり、理念に基づいた戦略、計画を推進
実をいうと、当時は会社に経営理念がありませんでした。「そこで、父に創業時の思いを聞いたりして、社是や理念をしっかり作り、みんなで目指す方向を明確にして、その理念に基づいた方針、戦略、計画を作っていきました。同時に会社の現状を、経理からオープンにし、今こういう状態だから、これを改善していくために、こういう計画を立てて、経営をしていこうと思っていますというのを、すべて見せるようにしました。」
島原さんは、社員一人一人と面談をして、想いや考えを聞き、自分が思っていることもすべて伝えていきました。計画を立てるところからみんなと話し合い、人事制度や原価管理システム、品質管理システムなど、いろんな仕組みを作っていったのです。
地域の未来のための取り組み
MFE HIMUKAは、宮崎日向市の未来のための取り組みも積極的です。
「自分たちだけで、内側から会社を見ていても、会社はよくならない。他の人の目をたくさん入れていくことが大事だと思っています。そのために自分たちの現状をオープンにしなければなりません。」
工場には、年間を通じて、小学生から中学生、高校生、大学生、学校の先生や一般の方までが工場見学に訪れます。「特に告知はしていませんが、問い合わせがあったら断らずに全部受け入れています。それで見学者や研修希望者が広がっていったんでしょうね。」
小学生から高校生までの工場見学では、会社の中を歩いて見学してもらい、島原さんが「働くということはどういうことなのか」「生きるとはどういうことなのか」といったテーマで話をします。その後は一人ひとりが、設計図を見ながら自分のロケットを製作。その過程で、わからないことを質問してもらい、「モノづくりをするうえで大切なこと」や「協力をしてモノをつくることの大切さ」などを説明するのだといいます。
「最後は会社の空き地で打ち上げです。材料はプラスチックと紙ですが、火薬も入れるので、時速200キロで飛び出します。150メートルの高さまで飛んで、パラシュートが開いて降りてくる。自分たちが作ったロケットを実際に飛ばすと、子ども達の目が輝くんですよ。地面に10メートルの円を描いておいて、その円に戻ってきたらプレゼントをあげます。風を計算して発射させないといけないので、ほとんど成功しません。それでも、速度や重力などの物理の法則の話をして、ちゃんと教えます。」
工場見学で子どもたちとつくる、ミニチュアのロケット。時速200キロ・高さ150メートルまで飛ぶ
島原さんがこうした取り組みを続けるのはどうしてなのでしょうか。
「弊社でも高校生や大学生を採用していますが、自分の目標をしっかりと持っておらず、怒られると気持ちが萎えて、辞めてしまう子もいます。そこで、学校にだけ任せておいたらいけないと思いました。」
人が育つ条件は様々ですが、マインドセット(思考様式、パラダイム、価値観、信念)が、非常に重要だという島原さん。自分がどういう考え方を持って、起きたことにどういう捉え方をするかができていないと、起こった出来事をネガティブに捉え、他人や環境のせいにしがちになる。
「社員には前向きな姿勢や態度、価値観を作る必要があると考えています。生き方をしっかりと確立することができて初めて、仕事を通じて学べるし、自立もできる。そこが人材育成の基本だと思っています。」
「そこで、子どもたちを対象に、ものづくりに対する興味を引き出したり、この地域で働くことの意味や、社会に出てからの自分の役割を考えることの大切さを伝える活動を始めました。小さい頃から地域や働くことの意味、生き方を考える機会を提供できるように、地元の企業がもっと関わらないといけないと思っています。」
「日向というまちは、人材に対する危機感が強くあります。地域を活性化させるためにはまず企業自体が新しいことにチャレンジをして元気になっていかなきゃならない。そのためには、そこで働く人材を育成することが大事だと思っています。」
地域の子どもたちを対象とした「企業による出前授業」の様子
人口の減少は地方の大きな課題です。中小企業は、そのなかで自立していくべきですが、どうしても大企業に寄りかかってしまい、仕事を“いただく”立場になりがちです。
「自分たちで“新たな仕事を作り出す”という風になっていかないとダメ。いろんなところと連携してネットワークを作り、自ら動いて情報や仕事を取りに行く。それができる企業の育成を、行政とも一緒に進めていくことが大事だと思うんです。」
島原さんは、経営者の団体や業界団体に所属したり、自分たちから公設試や大学に働きかけて共同研究をお願いしたり、地域の中に「日向地区中小企業支援機構」という法人を作り、中小企業を支援する仕組みづくりにも取り組んできました。
「情報は発信した人にしか入ってこない。いろんな動きをするなかで、繋がって、情報をいただいて、それを次のところで発信したら、また返ってきて…。それが面として広がり、どんどん拡大していくのです。私たち民間は比較的自由に「媒介」になれます。いろいろなところへ飛び込んでいける。それが宮崎ではすごくやりやすいんです。中小企業のいいところは、自分たちの決断次第で、フットワーク良く動けるところ。そしてその結果が跳ね返ってくるスピード感も、ものすごく早い。それが地方でビジネスを展開する上での醍醐味だと思います。」