「茅乃舎(かやのや)だし」「キャベツのうまたれ」「椒房庵(しょぼうあん)のあごだし明太子」など、福岡から魅力的なヒット商品を発信し続けている「久原本家グループ」は、実は小さな醤油蔵をルーツに持つ創業126年の老舗企業。いかにして地方の醤油屋が、グローカルに展開する食品メーカーへと生まれ変わったのか。代表取締役社長の河邉哲司さんに、挑戦の歩みと成功の秘密をうかがった。
始まりは、村人に愛された小さな醤油蔵
「久原本家グループ」の年商は、現在260億円(2019年2月期)。従業員は1200名を超えた。今や福岡を代表する成長企業に数えられる同社だが、その本社は、福岡市の郊外にひろがる田園風景の真ん中にあった。
ここは、福岡県糟屋郡久山町。福岡市近郊にありながらも、まだまだ昔ながらの農村の雰囲気が色濃く残っている町だ。
そんな町がまだ「久原村」と呼ばれていた頃の初代村長が、創業者の河邉東介さんだった。そして村民たちの支えによって明治26年に開業されたのが、「久原醤油」という醤油蔵。それが「久原本家グループ」のルーツである。
創業者・河邉東介さんと久原村の人々
現在の社長・河邉哲司さんはそんな老舗の4代目にあたる。しかし当初は、家業を継ぐつもりはなかったという。
「姉と私しかいませんでしたので、継がないといけないんでしょうけれども、私は『絶対継ぎたくない』と言っていたんです。どうしてかっていうと、醤油屋は斜陽産業じゃないですか。食事がどんどん和食から洋食に変わっていくなかで、醤油屋じゃあ今後生きていけないだろう、っていうのは誰でもわかる話ですよね。ですから、『なんで継がなきゃならんの?』と言いながらも、無理やり継がされたというのが実情だったんです」
今回お話をうかがった久原本家グループ本社 代表取締役社長 河邉 哲司さん
「夢も希望もないまま継いだ」と振り返る河邉社長。だが、継いだからには、やっぱり売り上げを上げたい。「そのためにはどうすればいいのか?」。悩み、試行錯誤する日々が始まった。
時代の逆風。生き残りをかけた挑戦
河邉さんが入社した頃の醤油屋の営業は、地域の顧客を1軒1軒訪ねるスタイル、つまり宅配が基本だった。
「ネクタイなんかしません。前掛けをして、勝手口から入って、お客様が使ったぶんを補充する。配置薬の営業みたいな感じだったんです」
安定はしていたものの、新規開拓は難しかった。醤油にはどの家庭にも昔から使い慣れた「我が家の味」がある。そう簡単には変えてくれない。そこへ、時代の逆風が吹き始めた。食事の洋風化、核家族化、そして、スーパーマーケットの台頭だ。
「おばあちゃんに料理の権利があるときはまだよかったんですけれど、若い人たちに変わるわけじゃないですか。すると、まず洋風化になるわけなんです。それからスーパーができると、少しでも安いのを買いたいとなる。スーパーだと、安くて、しかも有名メーカーのものも買える。そうやってうちの商売もだんだん下火になってきたんですよね」
もう、醤油だけではどうしようない―。その危機感から思いついたのが、醤油を原料にした小袋調味料の製造だった。餃子や納豆のパックについているタレ、麺屋さんのラーメンやうどんについているスープを指す。さまざまな食品会社との取引が広がり、業績は好転。ニッチな市場に会社の新たな活路を見いだすことができたように思えた。
しかしある日、工場で働く女性のパートにずばりと言われた。
「これ下請けじゃないですか。今は成長しているって言えるけど、いつ切られるか、わからないじゃないですか」
河邉社長は言い返すことができなかった。
「その通りだと思っていましたから。私どもの歴史の中で、2代目の時にすごく華やかな時代があったんです。戦前に大陸に渡って醤油を売っていたんですよ。ところがその後、販路が断たれて苦しい時代に陥ったんです。そのときと同じようなことが、また起こるかもしれない。下請けはいつ切られるかわからないわけですから。それでやはり自分たちのブランドを作らなければならないと思ったんです」
赤字を救った「直販」と「通販」
そこでドレッシングなどに挑戦したものの、なかなかうまくいかない。一度はあきらめかけたときに思いついたのが、明太子だった。明太子は誰もが知る福岡の名物。百貨店やお土産コーナーにいけばたくさんの商品が販売されていたが、ブランド力のある明太子屋は少ないと河邉社長は感じていた。
「あの明太子を買いに来た、といわれる商品が非常に少なかったんです。ですから私は、売場の後ろ側にあっても売れるような明太子を作りたかった。ちゃんと名物になるような、味もパッケージもちゃんとブランドを意識したものを作りたいと思って始めました。それが『椒房庵(しょぼうあん)』という明太子ブランドです」
「椒房庵」の明太子の最大の特徴は原料にあった。国産(北海道産)のスケトウダラが激減しているなか、国産の魚卵のみを使用。自社醸造の醤油とうまみ豊かな昆布だし、辛みだけでなく風味とうまみのバランスのとれた唐辛子で作った特製タレに付け込んだ。
しかしスタートして9年間は赤字続きだった。味がよい「椒房庵」の明太子は評判が高く、よく売れた。それでも、赤字を脱出できなかった。
「辞めるわけにはいかない。じゃあどうしたらこれを黒字にできるか?と考えたときに、2つ方法があることに気づいたんです」
1つは、自前で本店を作ることだった。「椒房庵」は原料にこだわっているぶん、原価が高い。そのうえ当時は福岡市の一等地にある百貨店「岩田屋」や空港で販売していたため、場所代が高かった。しかし本店を作り、定価で販売すれば、利益は出ると考えた。
久原本家 総本店。『茅乃舎』『椒房庵』流通向けブランド『くばら』など、久原本家グループの商品が豊富に揃い、郊外にありながら連日多くのお客様で賑わう
そしてもう1つの策が、通信販売だった。
「なぜ通信販売を思いついたかというと、お客様から電話で注文が入るようになったんです。うちは福岡の岩田屋さんとか、空港店で売っていましたのでね。明太子は、お土産やギフト用なんですよ。だから日本中に広めてもらえるし、おいしいと思ってもらえたら、電話が入る。それがスタートだったんです。本店と通販。この2つによって、10年目に黒字化するようになった。これがすごく大きかったんですよね。ここで勉強できた。『椒房庵』で苦しんだ経験が、次の『茅乃舎』にすごく役立ったんです」
臆病ゆえの先読みが生み出した「茅乃舎」
「椒房庵」が軌道に乗ってきた平成11年には、2つ目のヒット商品が生まれた。「キャベツのうまたれ」だ。
福岡の焼き鳥屋に行くとまず、ざっくり切ったキャベツが出てくる。それをつまみにビールを飲み、焼き鳥を待つのが、福岡スタイルだ。各店に自家製のタレが用意されているのだが、家庭用の市販品はなかった。そこで、自社の醤油を使って作ってみたら、大ヒット。
「そのおかげでやっと、『久原醤油』としても自社ブランドを持てるようになったんです」
だが、河邉社長はそこで満足しなかった。
「普通だったらそれでよしよしで終わるんでしょうけれども、私は臆病者なので、常に先読みをするんですよ。確かに1本目、2本目とうまくいっているけれども、いろんな死角があると。そうである以上、これだけでは危ないんだと思って、3本目の矢を作る必要があると考えました。3本目を何にしようか?と考えていく中で、今度は間違いなく安心・安全の無添加というものが絶対求められるなということを確信したので、茅葺きの古民家でレストランを作りまして、そしてスタートしたのが『茅乃舎(かやのや)』というブランドなんです」
山里にひっそりと佇む自然食レストラン「茅乃舎」。すぐそばを流れる川に蛍が飛び交う自然豊かなロケーションでありながら、数ヶ月先まで予約でいっぱいになるシーズンもあるという
レストラン「茅乃舎」の手間暇をかけた料理はたちまち評判を呼んだだけでなく、レストランから生まれた商品「茅乃舎だし」も大ヒット。「茅乃舎ブランド」は同社の大きな柱へと成長した。
手軽に本格だしがとれると大人気の「茅乃舎だし」。これ一つでどんな料理も美味しく仕上がる
「いいね!」と危機感が、エネルギー
レストラン「茅乃舎」が開業したのは平成17年。今でこそ古民家というコンテンツが注目されているが、当時としては先駆け的な挑戦だった。ヒントをくれたのは、大分県の人気温泉地・湯布院だったという。
「湯布院には、古民家を利用・再生した旅館が作られていたんです。素敵だねぇ、と思ったのがきっかけなんですよ。社員にもよく言うのは、自分がいいね!と思ったことはすぐ真似しなさいと。だから正直言って、私が独創的に作ったものは何もないんです。そんなものないですよ、私にそんな頭はないですから。そうではなくて、自分の夢とか、自分が『こんなものあったらいいね!』というものを具現化すればいい。特に食品はそれで商売が成り立つと思っています」
そのために、社員にはまず自らの感性を高めることを求めている。
「嗅覚を鋭くし、これ面白いねという感性を鋭くすることで、人よりも先に気づかなければならない。それが後で考えたら時代の先端だったねということになると思うんです」
「危機感があるからゆっくりできないんですよ。だって今だって思っているんです。明日から茅乃舎だしが売れなくなったらどうしよう?と。みんなそんなことないだろうと思っているかもしれないけれども、それはわからない。そういう危機感がすごくあるんですよ。その危機感で、もっと新しい商品がないかな、もっと喜んでもらえるものはないかな、と追い求め続けているんです」
デザインにも接客にも、魂をこめる
同社のもう一方の特徴は、パッケージへのこだわり。社内に専任のデザイナーとコピーライターがいるほどだ。
「まずは私が好きなんですよね。『花を見て、美しいと思うあなたの心が美しい』とよく言いますが、やっぱりいいものを見て、『あ?いいね!』と思うし、そういうものをやりたいと思うんですよ。だから『椒房庵』のときに考えたのが、まずは優秀なデザイナーを社内に入れて、育成したいと。それからコピーライターも入れて、クリエイティブチームを作ったんです。そんなの外注すればいくらでもあるし、バカだなぁと言われますよ。でも商品を開発するときにすごい労力を使うのと同じように、社員が一緒に苦労しながら、作るときの思いも含めてデザイン化していく、ということが大事だろうと思っているんです。これが私はすごくよかったと思います。『椒房庵』のブランドがすごく素敵なものになりましたから」
同社の成功により、似たような見た目のパッケージや広告物を作ろうとする会社も現れるようになった。だが、同じものは作れない自信があるという。
「一見同じようなものはできますよ。でも内容は全然違う。当たり前ですよ。それはね、心が入ってないから。外注でさっと聞いて作るのと、本当に社員が心を込めてやるのとは全然違うんです。そこの違いは大きくあると思いますし、ブランド形成において大きな意味があったと思います。コストを安くすればいいという話じゃない。ブランドを作り、保つためには、逆にコストをかけなきゃいけないんです」
豊かな田園風景に佇む本社工場(敷地面積1万7750㎡、2階建て延べ床面積8530㎡)。発電量100kWの太陽光発電システムを設置し、燃料に液化天然ガスを使用するなどエコ対応仕様となっている
現在では、自社商品を販売する直営店も全国に26か所になった。これだけの店舗数になると接客マニュアルも必要になってくるが、河邉社長はあえて、「マニュアルを消化すべきではない」と社員に語りかけているという。
「そこは、悩んでいます。我々は醤油やたれを作るのが本業だと思っているので、直販と飲食は経験が浅いんですね。そこは整備されていないし、まだまだだなと思いますけれども、ただ私は売り上げではなくて、お客様に寄り添いなさいと言っているんです。もちろんマニュアルは必要なんだけれど、マニュアルを超えた言葉を発しないと人は感動しない。例えばファーストフードチェーンの店だったら、何回行っても『いらっしゃいませ』としか言われないでしょ?そこに、『〇〇さん、いつもありがとうございます』という言葉が加わったら、どれだけ気持ちが違うか、ということなんです。そういうことをみんなで考えながら、お客様と切っても切れない関係を作ることが非常に大事なんじゃないかなと思っています」
自分たちらしい接客サービスの在り方は、今も試行錯誤中だ。
「例えばお見送りをやってみたり、無料のコーヒーを高いコーヒー豆で提供したりね。そんなバカなことは普通はしないと思うんです。でも、それをするということが、素人なりのブランド形成のやり方なのかなと思っています」
(11月16日配信の後編へと続きます。)
久原本家グループ本社 代表取締役社長
河邉 哲司さん
昭和30年(1955年)福岡県久山町生まれ。福岡大学を卒業後、昭和53年(1978年)に家業である「久原調味料㈱」に入社。入社とほぼ同時に実質的な経営を任され、平成8年(1996年)から現職。「椒房庵」「茅乃舎」といったヒット商品の生みの親であり、日本では初めてともいわれた調味料のブランドビジネスを成功させた。
株式会社久原本家グループ本社
1893年(明治26年)創業の醤油蔵を原点に持つ、福岡発の総合食品メーカー。「製造小売り業」というビジネスモデルが強みで、食品メーカーでありながら、直販と通信販売が売上の大半を占める。現在は、レストラン「茅乃舎」から生まれた化学調味料・保存料無添加の調味料・食品ブランド「茅乃舎」、明太子ブランドの「椒房庵」、「キャベツのうまたれシリーズ」などを販売する「久原醤油」という主に3つのブランドを持つ。直営店は全国の主要駅や空港、ショッピングモールに26店舗。ベトナムにもレストランを2店舗。アメリカにもECサイトを展開中。従業員数1237名(2019年1月末)。売上高約260億円(グループ連結2019年2月期)。
- 住所
- 福岡県糟屋郡久山町大字猪野1442番(本社)