流通業界や食品業界を中心に数々の大手企業で活躍。その後、51歳で大学院に進み、MBAを取得した異色の経歴を持つ吉川康明さん。そんな吉川さんがキャリアの総決算として選んだ仕事は、茨城県水戸市に本社を置く地場企業「亀印製菓」の再生。そして今、吉川さんが積み重ねてきた経験や人脈は着実に、江戸から続く老舗企業を生まれ変わらせようとしている。
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キャリア総決算の地は水戸!転職と大学院で培ったノウハウを、老舗企業の改革に注ぐ(前編)
上から目線ではなく、自分から入り込む
実際、現場を変えていくのは大変なことだ。当初は苦労もあった。
新設したマーケティング本部で毎週月曜に製販会議を行うよう決めたものの、なかなか定着しなかった。また会議の中で言いたいことをちゃんと言わず、後になって言ってくることも後を絶たなかった。そのたびに会議の意義を説き、チーム全員で情報を共有する大切さを辛抱強く説いた。
製造と販売の風通しをよくするために、オフィスのレイアウトも工夫した。吉川さんのデスクの側に、製造の工場長、隣に営業部長という配置にしたのだ。と同時に吉川さんは、必ず自分から話に行くように心がけている。
「普通は上司はどうしても待ち姿勢になります。『ちょっとちょっと』と部下を呼びますが、そういうことをしないんです。逆に私の方から行くようにします。そうすると相手も逃げられなくなりますので…(笑)」
部下からすれば、ありがたいような、ちょっと面倒くさい上司。しかしこうした「自分から行く」姿勢こそが、人間関係を築いていくうえでも大いに役立っている。
「地方に転職する際は、そこの人間関係や文化になじめるかが不安…という話も聞きますが、それは地方も都会も関係ないと思います。違う会社から来たら、所詮よそ者なんです。私も以前親会社から系列の子会社に移った経験がありますが、その時もそのように感じましたから。でもやり方ではないかと思います。私はとにかくすっと入り込んでしまう性質なんです。しかしそこを入り込めずに、上から目線で命令口調になりがちな人たちは摩擦を起こしてしまいます。そういうのを間近で見ていましたので、とにかくそれは絶対にしないようにしようと。第一、自分は会社のことがわからないんだから、いきなり偉そうなことは言えない。自分が逆の立場だったら、わからない人が上に来て、いっぱいいろんなことを言われたら嫌なので(笑)。それは一番気を使った部分ですね」
亀印製菓株式会社 マーケティング本部 本部長 吉川 康明さん
人生でこれほど期待されたことはない
一方で、吉川さんは地方企業ならではの魅力も感じている。
「まず、お客様との距離が近いですよね。組織も非常にコンパクト。良いことも悪いこともすぐ聞こえてきます。そのため解決するスピードが早ければ、改革や再建もどんどん進めていくことができると思っているんです」
また吉川さんの強みは、フットワークの軽さ。それを活かす環境が今の会社にはあるようだ。
「社長は40代で、私よりもひと回り以上も若いです。私のこともよく受け入れてくださり、自分の方からどんどん声をかけてくれるので、ありがたいです。だから私自身も、自分から動くということをやり続けています。待ちの姿勢で社長から言われるのを待っていても物事は進みません。また自分にそんなことを求められているわけでもないので、自分で問題点を見つけて、どんどん解決していく。そのほうが早いですから」
しかし、仕事の幅は広く、課題は盛りだくさん。だからこそ、
「数年後にこうしたいというイメージと、その企業への情熱がなければ、この仕事はできない」と吉川さんはいう。
「社長は若いですが、非常に頭脳明晰な方です。会社のために本当に汗水流してやっていらっしゃいます。そんな方に信頼していただけているので、非常に意気に感じているところがあります。その期待に応えられるように、亀印をいい会社に変えていこうという気持ちが強くあります。これほど期待されていることは、今までの自分の人生ではないので、この期待に応えないでどうする!という気持ちで日々働いていますよ」
そう言って、吉川さんは目を輝かせる。
人を動かしたいなら、後ろから押せ
そして今、吉川さんが蒔いてきた改革の種は、少しずつ芽を出しつつある。
「仕掛けたものが少しずつ成果が表れてきて、数字が上がってきています。手をかけたら、かけた分だけ答えが出るという手ごたえを感じているところです。やっていける!という可能性を感じています」
心配していた従業員たちも、吉川さんの改革案を受け入れ、新たな取り組みに素直に取り組んでくれているという。なにか、人を動かす秘訣があるのだろうか?
「いつも言っているのは、今までと同じことをやっていてもうまくいかない、ということです。会社を変えない?自分たちでもうちょっと良くしたいと思わない?といつも語りかけています。社員の意識を引き上げるのが私の仕事。といっても、人間は引っ張っても動きませんから、後ろから押すイメージでやっていますよ。ガーンとね(笑)」
初めて地方の企業で働いてみて、いろいろな人に支えられているという実感もあるという。
「お客様や従業員だけじゃなく、行政や銀行にまで支えてもらっている会社は、本当に貴重な存在だと思います。なかなかそういう会社にはなり得ない。だからこそ、なんとしてでもこの企業を再生したいと思うんです」
東京育ちの吉川さんだが、自然と水戸への思いも高まってきたようだ。
「茨城県は知名度が低いといわれているので、県や市もイメージアップに必死です。そこには全面的に協力したいと思っています。本社の建物もロケーションが良いと思われていてて、テレビや映画、ミュージックビデオを作るときに時々、撮影の申し込みがあります。亀印製菓という会社はそういう意味でも水戸のちょっとしたシンボル的な存在になっているんです。これからも活力のある地元づくりに貢献していきたいですし、水戸にはこういう会社があって、そこのお菓子は絶対買わなきゃ損だよね、と言わせるぐらいにしたいなと思っています」
会社を再生し、再び成長軌道に乗せることが、地域の活性化にもつながる。そんな新たなやりがいも、吉川さんを動かす原動力になっているようだ。
仕事と趣味が一致する幸せ
商品開発においても、どんどんアイデアを出しているという吉川さん。実は吉川さん自身も食べることが大好きで、料理もよく作る。
「いろんなスーパーや百貨店へ足を運び、商品を見にいきます。例えば、ある店で700円するケチャップが瞬く間に売れているのを見たりすると、やっぱり値段じゃないんだな、お客様は商品の価値を見ていらっしゃるんだなと思います。今は、安くしないと売れない時代ではない。マーケットが求めるものであれば売れるんだと」
商品と顧客の動きや会話をつかむことがマーケティングならば、東京の「デパ地下」は格好のマーケティングの場だ。水戸に移住してからも、思い立ったら東京へ足を運ぶ。
「都内にサッと行けるのは水戸の魅力だと思います。都内に行けば食べ物についてだけでなく、いろんな情報がありますので勉強になります。やっぱり最先端をいってますから、刺激になります」
気になる商品があれば、味を確認し、次の商品企画のヒントを探すとか。
「この間も自由が丘に行って、モンブランの元祖を買って帰りました。会社のみんなで食べて研究しようと思いましてね。そんなことの繰り返しで体重が増えてしまいました(笑)」
そう話す幸せそうな笑顔からも、趣味と仕事が融合する現在の充実ぶりがうかがえる。
本当にやりたい仕事が、東京にあるとは限らない
出身は神戸だが、物心ついた頃から東京で育ってきた。水戸には30年前に仕事で3か月ほど駐在していたことがあるくらいで、本格的に暮らすのは今回が初めて。だが移住によるマイナスを感じたことはないという。
「今はインターネットの環境も進んでいますし、通販もありますし、テレビも東京と同じキー局の番組が映ります。スポーツクラブに行っても東京の施設と何ら変わりません。今の時代はなんでも標準化されています。生活に困ることはありません。むしろ自然がプラスされているだけ、暮らしやすい。私は水戸の中心地に住んでいますが、うちのそばでもウグイスが鳴いてます。茨城にもいいところがすごくいっぱいあります。大事なのは、自分自身でそういうところを探しながら、いかに都心にいた時のペースに持っていけるかだと思います」
その土地を楽しむポイントも、自分から動くことだと話す吉川さん。
しかしその一方で、転職の決断をする際はあくまでも仕事の充実に重きを置くべきだとアドバイスしてくれた。
「24時間の中で一番多くを占めているのが仕事です。ただし、自分が本当にしたい仕事は何なのかを、確立すべきだと思うんです。東京にいてビジネス街を颯爽と歩くのはかっこいいですけれど、それは仕事ではありません。そこがきちんと確立できたら、地方でも全然問題ないと思います。むしろ地方のほうがやれることがいっぱいあるかもしれない。やっぱり東京は組織がものすごく大きい会社が多く、思い通りにいかない部分もかなりあると思います。でも地方だと発展途上の会社が多いです。その会社の何かを変えていこうというときは、自分が持っている引き出しをいくらでも引き出すことができるはずです。」
転職は決して後ろ向きな決断ではなく、自らを磨き、自らの力を活かすチャンス。そのチャンスを呼び込むためにも、今目の前にある仕事に貪欲に取り組み、自分の引き出しを増やしていく大切さを、吉川さんの体験談は教えてくれている。
亀印製菓株式会社
吉川 康明(よしかわ やすあき)さん
「亀印製菓株式会社」マーケティング本部長。1961年神戸市生まれ。東京で育ち、大学卒業後、大手流通小売業に就職。その後、百貨店、コンビニ、高級食材スーパー、業界誌、菓子メーカー、ドーナツチェーン、喫茶店チェーンなどへの転職を経験。店舗のオペレーションから、販売促進、商品開発、購買・物流システムの構築、新規事業の立ち上げまで、幅広い業務を経験。2012年には慶應義塾大学大学院経営管理研究科に入学し、MBAを取得。2019年から茨城県水戸市の「亀印製菓」に入社し、社長のパートナーとして経営再建に取り組んでいる。