【木下斉】「明治維新以前の地域文化性と現代の技術で稼ぐ」 /ポストものづくりの地方成長戦略・第2回
木下 斉
2017/10/13 (金) - 08:00

明治維新以前から続く、その土地の食文化を守り・育んできた農林水産業を中心とした地域が今、話題となっています。
「ポストものづくりの地方成長戦略」のシリーズ第2回目は、均質的な都市開発を行わず、その地域でしか提供できないサービスで、地域活性化の取り組みに成功している事例について解説します。

「成熟化時代の地方発サービス産業の可能性」/ポストものづくりの地方成長戦略・第1回

イノベーション産業集積が作り出す、職住接近型都市の時代/ポストものづくりの地方成長戦略・第3回

工業化に取り残された地域の3つの利点

従来の製造業誘致による地域成長を目指した時代は一巡し、今後は外貨獲得を含めてサービス産業の高度化が地方の大いなる可能性となっていることを前回<https://www.glocaltimes.jp/column/1216>書きました。そのような中で、工場立地を達成できず、かつては負け組とされた農林水産業を中心とした地域にチャンスが回ってきています。

むしろ工業が栄えなかったことによって豊かな環境と生産物が守られ、かつて明治維新以前にあった多様な地域文化性の名残を活かしたサービス産業で新たな稼ぎを生み出すアプローチが成果を収め始めています。

なぜそのような一時代前であれば「負け組」とされたような地域が、むしろ今後サービス産業で外貨も稼ぐ時代には強いのか。その理由には大きく3つの視点があります。

(1) 過大に供給されなかった小規模な集落の幸福

私は都市部のエリア再生事業に取り組むことが多いですが、従前型の工業はオートメーション化が1970年代以降進んでいったとはいえ、それでも日本の豊富な労働力を背景にして「沢山の人を雇用して働かせる」ことを前提としました。特に戦前からの工業都市はなおさらです。そのような地域では、数十万人が居住することを前提として都市開発が行われてきました。

一時期はそれだけの人口を擁していたので良かったのですが、近年では一年に数百人、数千人と人口が減少していく局面にたち、十万人、二十万人規模の都市機能が余ってしまっています。道路でも、公共施設でもすべてのものが過剰供給となり、それらの維持費が減った人口の頭割りで負担としてのしかかり、高負担構造になってしまう問題があります。

しかしながら、工業立地などがあまり進まなかった地域では、そこまで大規模人口を前提とした都市整備が行われなかったことによって、今後の人口減少局面では低コスト体制で都市が運営できているため、そこまで大きな余剰都市機能の維持問題はありません、小さな空き家問題などはもちろん例外なく発生しますが、小規模な集落ほどそれらを活用するという視点での需要喚起はできますし、たとえそれらを放置したとしても、数十万人の都市機能を再編することを考えれば、地域全体の大きな問題にはなりにくい利点があります。

(2) 土壌汚染の低い環境による生産物の高い品質

工場などがあった跡地利用は、土壌汚染の問題が多くの場合発生します。アメリカなどでもブランフィールドの再生という議論が常にエリア再生でも取りざたされるように、工場跡地でいきなり農業をやろうというのは、あまりにハードルが高かったりします。

ですが工業集積があまり進まなかった地域は、そのような問題への配慮をあまり行わなくて済みます。多くの自然があることは、後進的であるとされた時代もありましたが、今ではむしろその地域の自然環境を活かした作物の栽培が可能になったり、もしくは、そこで採れる、自然が生み出すもの自体を活かすビジネスを創出することも可能だったりします。

その地域の土壌を活かした生産物があるからこそ、「そこの地域に、その季節に行かなくてはならない」というものを作り出すことが可能になり、独自の競争力になります。

(3) 分権時代の地域文化性の強み

工場立地などが進まなかった地域は、ある意味明治維新以降で殖産興業政策において強い優位力などを持たなかったところも少なくありません。しかし、逆に言えば、中央集権システムに組み込まれていく時代に、相対的に集権化のうねりに巻き込まれずにすんだという前向きな考え方もできます。

明治維新以前から、もしくは江戸より前から続く伝統行事が未だ根付いていたり、食文化なども古くから続く独自の醸造文化が残っていたりするところもあります。

均質的な都市開発が行われ、どこの地域も同じような風景になってきてしまったところがあります。しかし、それでもなお、かつての地域独自の食文化や歴史的建造物などが残っている地域は、それを活かすだけでも、現代においても「新しい」サービスのあり方が追求することが可能になります。

地域文化を活かした新たな地域の美食[ローカル・ガストロノミー]で攻める里山十帖

そのような工業化に立ち遅れたことを利点に変える取り組みが地方で続々と立ち上がっています。その筆頭格の一つが、新潟県南魚沼郡にある「里山十帖」です。

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里山十帖は、かつてこの地域に広がっていた豊かな食文化をベースに、また南魚沼郡は、言わずも知れた米どころとして有名です。その土地を活かした米や地野菜などの農作物の復活、山菜やキノコなど季節のものを活かしたまさに「地域の美食路線を攻める宿」です。さらに、工場立地などが進めばとおの昔に壊されていたような大自然のど真ん中にある、大きな木造建物を活かした宿泊施設となっており、夜になれば満点の星空を眺められる立地でもあります。

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しかし昔の感覚からすれば、新幹線で越後湯沢までいって、さらに在来線に乗り換えて無人駅で降りるわけですから、「こんなところには誰もこない」と言いたくなってしまいがちです。しかし、現代においては「こんなところに、このような素晴らしいものが」となれば、普通に人は移動します。日本人だってわざわざヨーロッパまで10時間以上かけていくわけですから、それは国内の日本人も、また外国の方であっても同じなのです。利便性より目的性が重視される時代です。

里山十帖は、宿を開設する前から近隣の宿泊施設、飲食店舗、そして地域の方を巻き込んで地域伝統の食文化研究会を開催し、失われそうになっていた醸造技術の復活、地野菜の作付けの再開などをして、今日に至っています。それだけにここで出てくるものにA5級の肉はないし、マグロもありません。しかし、ここの地域でしか出せない食が提供されます。まさに地域の美食、ローカル・ガストロノミーです。

前回紹介したサン・セバスティアンなどもサン・セバスティアン空港はプロペラ機しか乗り降りできない貧弱なインフラで、バスク地方の中心都市であるビルバオまで飛行機でいってそこから車でいくのが良かったりする大変不便なところです。それでも人は多数訪れるわけで、便利だから人は移動するのではなく、他にないものがそこにあるという特別な目的があれば、人は利便性無視で移動します。

里山十帖にも、昨年私が訪問した時も台湾などアジア圏からもわざわざ訪れるお客様が多数来られていました。工業などで発展していない、一次産業集落を何も無いなんて言ってはいけなくて、むしろ中央集権型社会で均質化されてきてしまった多くの地方の中で、まだ独自の文化性を残し、土壌含めて食で勝負することが可能な環境が残されたと前向きに捉えることもできます。

そのような従来の価値観だと立ち遅れた地域こそ、実はサービス産業が今後適切に伸びていけば、人口が少なくとも、所得を向上させていくことが可能になります。むしろ一番厳しいのは、大規模人口が溢れ出して形成した中途半端に発展してしまった中核都市の周辺に広がる数万人程度の衛星都市だったりするのです。それらより、実は地域性が残るエリアのほうが適切な質的成長への期待が高まります。

次回は都市部側のサービス産業成長について、アメリカにおける職住接近傾向の強まりとサービス産業の関係から、日本の近未来を考えます。

参考:
里山十帖<http://www.satoyama-jujo.com/>

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