地方衰退の大きな問題は、「敵が誰か」を見誤ることから始まることが多くあります。
商店街でも隣近所が「商売敵」だと思ってやっていると、隣近所で互いにいがみ合って消耗したところに、郊外に大きな店舗が出店したり、はたまた見えないところでネット市場に食われて壊滅的な状態になることがあります。
新の敵は隣近所にいるのではなく、もっと遠く、はたまた見えないところにいるのです。
まちは「集積」で競争している
実際まちの競争には、エリア内部の競争の前に、エリア間での競争があります。そもそもそこのエリアに「遊びにいこう」という選択をしてもらえて、初めてそのエリアに人が訪れ、消費してくれます。人が来てくれた上で内部で競争して取り合うことはありますが、そもそも人に来てもらうためには「エリア間」での競争に打ち勝たなければなりません。
他のエリアに対しての競争では協調する必要があり、エリア内部では適切な競争をするという協調と競争の双方が必要になるわけです。
しかし、当然それらが明確に見えることもないために、近くで目立つ儲かる店を皆で「客がとられた」といって批判したり、新規出店のお店に対して「うちの業種と重複する」といって店舗を貸さないように圧力をかけたりして、そのエリア自体の魅力を削いでいくことに熱心に取り組んでしまったりするわけです。結果として競争力のある魅力的な店舗は、そのエリアには出店せず、あまりあれこれと言われずに住む路地裏や郊外に店舗を構えたり、はたまたネットショップをベースに成長させたりする人が地方では多くなってしまったりします。
結果、他のエリアに対する競争力は減退し、エリア内で敵視する相手さえいなくなったシャッター商店街が各地に残されていたりします。
1948年からエリア連帯を行った福岡市天神
現在の福岡市の商業中心エリアは、博多駅周辺が開発されたとはいえ、やはり天神エリアです。戦後急速に開発が進んでいく天神エリアは、百貨店、大型商業施設、商店街、地下街などが複数集積しています。
終戦直後である1948年から百貨店、商店街が一体となり、都心聯盟を組織。各商業施設ではなく、「天神」というエリアでのプロモーションを推進しました。具体的には、大売り出し企画などの実施のほか、専用の宣伝カーやノベルティを作成し、福岡市内のみならず、市街の競合関係にある商業エリアへ、「ぜひ天神に買い物に」と宣伝して回ったのです。岩田屋に来てください、新天町商店街へ来てください、というのではなく、「天神で買い物する」というエリア全体の魅力を全面に出し、福岡市広域都市圏に住む人達に身近な商店街などで買い物を済ますのではなく、週末に出かけて「天神で買い物する」という習慣を創り出そうと挑戦し、見事成功したのです。他の都市の商店街はその時には、地元にある複数の商店街同士、もしくは商店同士で互いになかなか連帯できず、むしろ競合していると考え叩き合っていたところが多かったからこそ、天神の連帯は際立った成果をあげたといえます。
近年では欧米の取り組みが知られ、特定のエリアを複数の企業や自治体が参加して一体的に経営するエリアマネジメントといった言葉が日本でもよく聞かれるようになりました。しかし、天神エリアは欧米でエリアマネジメントが活発化する1970年代よりも前に自ら「天神」というエリアでの競争力を高める努力をしていたのです。
しかもこれらの取り組みは、各社のトップではなく中堅・若手社員たちが互いの会社、組織を越えて議論し、上を説得して取り組み始めたものといいます。戦後の動乱期にも関わらず、将来を見据えた中堅若手が各企業・組織にいたことを物語っています。
バス中心によって九州全域の中枢機能を獲得
さらに、天神は西日本鉄道の大変革によって、福岡都市圏における商業中心から九州全域の商業中心へと進化します。
西日本鉄道はマイカー時代の到来により路面電車の赤字に苦しみ、さらに道路混雑の原因として路面電車が批判の対象になっていました。この際に、路面電車軌道を無償で行政に譲渡するかわりに、天神地区を大きく開発するソラリア計画を推進することを市に提案します。さらに九州全土に高速道路網が整備されていくことを見越して、大分、熊本、長崎、鹿児島、宮崎など各都市中心部から直通で天神までの高速バス路線を開通。結果として、九州各都市の中心から多くの人を福岡市天神へと誘い込み、その人々向けに様々な商業サービスを提供することで天神は九州に中心商業エリアへと変貌を遂げます。
このようにバス、高速道路という人の動きが大きく変わる契機を掴んで、従来になかった九州全土に分散していた人々の消費機会を誘い込み、さらに交通結束点に再開発を組み合わせて商業機会を創り出した上で開発するマーケットイン型再開発もまた、他都市にあるような需要なき開発で失敗してしまう事例とは全く異なる方法です。
鉄道路線とターミナル駅の百貨店開発は、小林一三率いる阪急電鉄が阪急百貨店を切り開き、西日本鉄道も戦前から天神駅に岩田屋というターミナル百貨店を誘致して成長してきていました。1980年代にバスと高速道路網によって新たな集客モデルを作り出し、適切な再開発を進めたのは鮮やかな戦略と言えます。
いまも続くエリア連帯、競合は海の向こう!?
都心聯盟はその後、都心界など名称を変え、We love 天神協議会などのエリア活動にもつながっています。さらに都心界設立70周年を記念する今年は、天神の都心会全体で15の商業施設、約2000店舗が加盟する共同ポイント事業にも取り組むなど、エリア全体としての連帯はさらに進展。そして近年では、東アジアを中心に旅行客も増加し、それらの方々の地元中心商業エリアなどよりも魅力的な消費機会を創り出そうとしています。
福岡市が九州全体の中枢都市である限りは、福岡市自体の人口や経済だけをみて安心はできず、九州全体をみれば人口減少や経済の浮き沈みの影響を受けることは必至です。だからこそ、九州の中心商業エリアは次の時代を見越して、動き始めていると言えるでしょう。
次回は我々が日常的に食べている辛子明太子。その誕生には先進的なオープンイノベーションの取り組みがありました。個人商店が生み出した2000億円市場の挑戦について触れたいと思います。
書名:福岡市が地方最強の都市になった理由
著者:木下 斉
判型:四六判
ページ数:304
発売日:2018年2月16日
価格:本体1,600円(税別)
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