これまで、いくつかの地域の事例をご紹介しながら、これからの地域の人々の幸せについて考えてきました。私の立論は、稼ぐ力や定住人口、交流人口増加、地域の所得向上などを優先的な戦略目標とし、その方法論を説く多くの論者とは全く異なるものです。誤解の無いように申し上げておくと、人口が増え(あるいは下げ止まり)、地域の所得水準が上昇すれば、それはそれで良いことかもしれませんが、そのようなことは永続しませんし、それらの数値目標をゴールとして設定している計画からは地域の幸福な未来の姿を感じ取ることができません。
「地域」の「活性」とは何か
そもそも「地域活性」「地方創生」の議論には、その地域がどのようになれば、活性や創生状態であるといえるのかの共通認識がありません。設立から10年が経過しようとしている「地域活性学会」でも千人近い研究者、実務家の間で意見が分かれますし、ときに激論となります。
ただ、かろうじて共通認識としてあるのは、日本の地方の置かれた相対的状況がどんどん悪くなっていること、ここで地域の構造的問題をしっかりと捉えなおし、何らかの手を打たないとその状況は加速し、限界化する集落や、消滅する自治体が多発し、延いては日本の国力も…というところでしょうか。
かくいう私も3~4年前まではグローバル競争の中で勝ち残れる地域こそが生き残りの資格があると思っていたところがあります。イノベーションも資本も人も、より稼ぐチャンスのある所に、時として国境を越えて移動し集中しますから、その競争の中で敗者が生まれる、競争に参加不能な地域が出てくるのは仕方ないだろうということです。
しかし、この数年で私自身の考え方が大きく変わりました。それは、例えば「地方創生」の担い手を育成する仕事に関わる中で、求められている人財は、グローバル競争のプレーヤーではなく、地域に根付いて地域の幸福の未来像を描きつつ、そこに向かって周囲の住民を巻き込みながら歩む力のある人財ではないか、ということに気づいたからです。
実際に地域リーダーやそれを支える名脇役の方々とお会いして話をしていると、地域の長い歴史を振り返りながら、20年後、50年後にどんな町村にしていきたいのかが夢を持って語られますし、それはグローバル競争のような文脈とは全く異質なものです。
「人口減少」は「問題」か
私はこれからの地域の幸福を考えるときに、人口減少を前提とした社会の在り方を想像してみることが大切と思います。
地方の人口減少が語られるとき、大抵は東京一極集中との対比、大都市圏への人口流出の結果、このような事態が生じた。だから、その流れを止め、地方に人が還流する動きを作ろうということです。
その考え方自体は間違っていないのですが、ではどのような条件があれば人々は地方に転じようと決断するでしょうか。
近代の市場化がどのようなプロセスを経て東京を中心に進展したか、振り返ってみると分かりやすいと思います。そもそも戦後の日本の地方には一部の産業集積地を除いて一次産業以外にまとまった雇用の場はなかったのですから、高度成長のエンジンとなっていた東京への人の集中はある意味で当然だったと思います。
しかしそれは、個人にとっては田舎の有縁・濃密なつながりの共同体からの逃走でもあったわけです。個人の生活に濃密にコミットしてくる、若者に説教をしてくる、変わり者は排除しようとする文化が至る所にありました。
高度成長期初期に東京に出た若者たちの多くは企業に就職し、日本的な雇用システムの中で、定年まで働き、ある程度の保障のもとにリタイア後の生活に入っています。しかし、ご承知の通り、その後日本型雇用システムは瓦解し、非正規雇用者の増加や正規雇用者の中でのポスト不足などが深刻となり、長期的に見たときに東京での幸福な生活は描きにくくなっているのが実情です。
戦後70年程度で急速に膨張した東京には、基本的にコミュニティの紐帯が弱く、無縁社会といわれてきました。新たなきめの細かい福祉政策や、社会的弱者を支援しようとするNPO、ソーシャルビジネスなどの動きはありますが、それらがカバーできるサイズを完全に超えてしまっているのが今の東京圏です。
人口が増えすぎたことが、社会にマイナスをもたらしているといえるでしょう。 現在首都圏で顕在化しているのが、少子化と高齢化です。後者については、かつて首都圏にこぞって流入してきた人々が一斉に高齢者になりつつあるのである意味当然です。
少子化はどのように捉えればよいでしょうか。一般に赤ちゃんの数は出生可能年齢の女性人口とその女性が産む子供の数により決まりますが、若い世代にその前提となる家庭形成そのものを避ける、先延ばしにする晩婚化、非婚化の現象が広まってきています。
例えば待機児童問題の深刻化、子ども食堂やその支援者の広がりなどを見ると、お母さんたちが安心して子供を育てられる環境がどんどん脆弱になってきており、「結婚はしたい、子どもも育てたいけれど、今の東京では無理ではないか」ということかと思います。
ダンバー数を起点に地域を捉えなおす
「ダンバー数」の定式化で知られるイギリスの人類学者、ロビン・イアン・マクドナルド・ダンバーは、人間にとって、平均約150人(100-230人)が「それぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」であると述べています。
皆さんはこの数字をどのように捉えますか。顔と名前が分かるだけでなく、その人の性格や人柄もある程度分かる、どんな技術や特技を持っていて、困ったときにどんな相談なら応じてくれそうか、そんな人が自分の住む地域の周囲や、少し離れていても何かの形で助け合える関係が、もし100人いれば、その人や十分幸せに生きていく条件を持っていると思います。
そしてそれは、無縁社会を修復しようとしている東京よりも、地方や田舎の方が構築しやすいと感じています。
地域における「ソーシャル・インクルージョン」をもとに未来を描く
ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)という言葉があります。もともと社会政策、障害者福祉などから広がってきた概念ですが、私はこれをこれからの日本の地域、田舎に当てはめていくことが必要かと思っています。
1970年代のフランスでは,移民の増加などによる産業構造の変化から長期の失業のために貧困から抜け出せなくなる労働者が多数発生し、この状態をソーシャル・エクスクルージョンと呼びました。ソーシャル・インクルージョンは,ソーシャル・エクスクルージョンや貧困などの問題をより広く解決するための解決策として位置付けられています。
(中略)
日本では「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」ことをソーシャル・インクルージョンとしている。対象者をすべての人々としている点や健康で文化的な生活の実現を目的としているなど広くとらえている点が特徴的である。
2006年に採択された障害者権利条約では、地域社会へのインクルージョンとして、障害者が居住地を選択できること、必要な在宅サービス・居住サービス・その他の地域社会支援サービスを利用できること等を挙げている。ここでは、対象者を障害者に限定しているのは当然としても、サービス利用に着目している点が特徴的である。
(出所:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会)
かつて多くの日本の田舎が異質なもの、よそ者に対して排除的だったのに対して、このガチガチの有縁社会をいったんカッコに入れて、どうすればよそ者や若者が入って来やすい空間を作るかということがポイントです。
うまくいっているという噂の地域に行って、少し立ち入って話を聞いてみてください。その町村の歴史の中で、誰かが起点となって抵抗をし、自由な空間づくり、土壌づくりとその先にある地域の未来について語り始めています。
それは、地域の歴史を振り返りつつも、単純にその延長ではなく、他者の視線で居心地の良い空間とは何かを結構周到に、それこそ戦略的に自分たちの頭で考えてきています。
そこに最初にあったのは、人口を増やそうとか観光客を増やそうとか、地域所得を拡大したいとかの数値目標ではなかったはずです。自分や周りの人々の将来の幸福、次の世代にこの地域をつないでいくためにどうしたらよいのか、そちらの方が大切と思います。
>>>こちらもあわせてご覧ください。
「地方創生」の意味と条件について考える/第1弾
「地方創生」の意味と条件について考える/第2弾
「地方創生」の意味と条件について考える/第3弾