被災地の放課後学校「コラボ・スクール」女川向学館
特定非営利活動法人日本学生社会人ネットワーク(通称JSBN)
2018/07/06 (金) - 08:00

地方で働く意義と魅力とは何か。その働く者を抱える企業はどのような思いで経営しているのか。地方創生、地方が元気になるとはどういうことか。JSBNでは自分の魅力探し、日本人材機構では地方で働く人と会社の魅力という学びの時間をもらった上で、今回の女川実地研修に臨みました。今回の研修先は東日本大震災で未曽有の被害を受けた女川町。文字通り0からのスタートを余儀なくされたこの町で、勉強する場所を失った子どもたちのための学習支援や心のケアを目的として設立されたのが、NPO法人カタリバが運営するコラボスクール、女川向学館です。
町民やスタッフの方々の熱い想いから、私たちは『「働く」ということは何か』を再考させられました。

女川という町にとって、なくてはならない存在

40%と、50%。
これは女川町全体の小学生、中学生における向学館への在籍率です。2017年12月時点、人口たった6500人、小学校、中学校ともに1校ずつの町で、向学館はもはや不可欠な教育インフラとなっていると私は感じました。

女川向学館は旧女川第一小学校の一階を校舎とし、小学生から高校生の放課後の学習支援のための授業や自習室、生徒同士やスタッフと自由に話せるCo-lab(多目的室)を揃えています。勉強をする場であると同時に、悩みを相談したり成果を報告したり、将来について話せる場でもあり、女川を離れ石巻の高校に進学した高校生も訪れていました。2011年7月の設立当初から復興支援としての機能を果たし続ける一方で、今やその枠を超え、子どもが「帰る場所」の一つになっていたのです。

その背景には、女川向学館そして女川町が目指す、次世代のための復興に向けた町ぐるみの教育というものがありました。

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地域のきずなによる教育力

駅前に顔をだせば、向学館の生徒たちがスケボーで遊んでいる。
街に出れば、保護者の方が働いている。
私たちが感じたのは、そこには単なる社交辞令ではない自然な“生きたコミュニケーション”があるということです。
ここで私たちは、向学館は単なる教育機関ではなく、女川町と深く結びついた特別な場所であるということに気づきました。
人口が約6500人であるという物理的要因も確かにあるでしょう。しかしそれ以上に女川のまちづくりや向学館が目指しているビジョンに大きな要因を感じました。

拠点長の渡邊洸さんは、「これからはさらに町ぐるみの教育に重点を置いていきたい」と語ります。

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太田 哲平さん

その実例として3月17日には、『中学生がつくった!女川駅プロジェクトマッピング』というイベントが女川駅前で行われました。これは女川向学館が今年度から始めた、中学二年生を対象に半年かけて行う探究学習の授業の一つです。観客は200名ほど。プロジェクトマッピング自体もとても中学生が作ったとは思えないような素晴らしいものでした。

その成功の裏には中学生や向学館スタッフの地道な努力、そしてなにより女川町民たちの支えがあったからにほかならず、それはお互いの深い信頼関係の上に成り立っているものです。
インターン期間中に私たちはプロジェクションマッピング広報チームのビラ配りに同伴させていただきました。
我々の生活圏において、ビラ配りをしている人に果たして何%の人が真剣に耳を傾けるでしょうか。驚くべきことに女川町は声をかけたすべての方々が時間を作って話を聞いてくださいました。仕事の途中であっても、飲み会を楽しんでいても、道を歩いていても、全員が中学生の話に真剣に耳を傾け、激励の言葉を送っていたのが非常に印象的でした。
それは普段の“生きたコミュニケーション”が町民にとって女川向学館をより身近に感じられるからだと私は感じました。

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「これからを生きる子どものために」向学館スタッフの想い

女川向学館が展開するこうした地域密着型の実践機会を通じた教育は、渡邊さんを始めスタッフの方の想いから実現しています。

渡邊:ハード面の復興が整ってくるにつれて、震災を経験した子たちが心に受けた影響や抱える問題が見えづらくなってきています。だからこそ、明確に顕在化していないようなニーズを見えるようにしていき、人口が半減した町にどのような教育機会が必要なのかを見定めることが、今後必要になってくるんです。
正解のないものを創造していく経験を通して、これからの不確実な社会の中で自ら考え決断し、自信を持って一歩踏み出せる人に育ってほしい。そうして女川出身の子たちが、それぞれの場所で活躍してくれ、それが結果として、いつか女川のためになるのなら。

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渡邊さん

これらの想いを語る渡邊さん、そして探究学習の授業を担当し中学生を見守り続けたスタッフの方からは、これからを生きる子どもたちを想うまっすぐな熱意が伝わってきました。

女川向学館で「働く」ということ

-太田さんにとって、女川向学館で働くこととは、ご自身にとってどのような意味があるのでしょうか?

太田:僕は復興を見届けたい。僕が関わった子どもたちが将来復興に関わることによって、10年、20年後も僕自身が間接的に復興に関わることができますから。
もともと建築の分野に関心があったのですが、地震や津波によって跡形もなく破壊された女川町を見て、モノで守れる命には限界があると感じたんです。
そもそもあの震災はモノで命を守れなかった。震災の4年後、大学生のとき被災地に来たら、瓦礫はなかったけど埋め立てをするために更地になっていて、元あった町の面影はなくなっていた。何気ない風景の積み重ねが「ふるさと」ならば、全部ゼロから町を作った時に、人はここを「ふるさと」と思えるのだろうか。そう考えた時、心の復興に携わりたいと思ったんです。
その後、NPO法人カタリバに出会い、女川向学館で働くことを選びました。

-企業からNPOに転職する時、迷いや不安などあったと思うのですが、渡邊さんの決断を後押ししたものは、何だったのでしょうか?

渡邊:前職では、経営コンサルタントとして地方自治体の行政改革や業務改革に携わっていました。…逆に、お二人でしたら何に迷いそうですか?

-ボランティアや学生インターンとは違い、NPOで働くということはそこで生計を立てるということですよね。企業で働く人からすれば覚悟が必要な大きな決断になる。しかしそれを後押しするほどの強い想いがあったから、その迷いを乗り越えられたのではないでしょうか?

渡邊:実は、不安がほぼなかったので、何て答えようかと思ったんです。新卒でNPOに入るなら、もちろん不安はあったかもしれないけど。自分は仕事をすでに5、6年していましたし、食っていける自信はあったから、なんとかなる!という想いで入ったんです。
大学三年生くらいの頃から、地元に戻って町づくりの仕事で生活できたら幸せだろうなと思っていました。そのために大学院で勉強して。そのときから東北に戻って地元で働くことは一つの夢というか、やりたいことでした。そんな中、震災が起き、転職を決意した。
自分も東北出身だから、広く言えば彼らは後輩。自分が小学生のころよりも過ごす環境が悪いことを想像すると、『ありえねぇな』と思いました。

震災から7年が経った今、女川の子どもたちが過ごす環境づくりに、確かに向学館が一躍買っている!と感じられる瞬間が何度かありました。そういうとき、この人生を懸けてやって良かったと思えるんです。

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次世代のために本気な大人たちがたくさんいる「女川」の町

太田さんが言うように、復興により全部ゼロから作られたこの町を「ふるさと」だと思うことができずにいる人はいるかもしれないし、そう思えるまでにはもっと時間がかかるのかもしれません。町を出て、戻る予定のない人もいるでしょう。
しかし、女川という町の一体感は、都会で育った自分がこれまで地元で感じたことのないものであったし、それだけ女川そして次世代のために本気な大人たちがたくさんいる、熱くて暖かい場所なのだということが、肌で感じられました。

「女川には面白い人たちがたくさんいて、その人たちと繋がりながら新しいことにチャレンジできる環境にいるのがすごく楽しい」渡邊さんはそう話していました。
女川の人口は今後も減少していくことが予想されています。その中でも、いま目の前にあることに真っ向から向き合うその姿勢は、シンプルにかっこいい。
目の前で起きていることがあり、そこに対していま自分がやりたいと思ったことがあり、それを実現する場所が「ここ」にある。そこには地方であること、NPOであることが、そもそもさほどハードルになっていないということを向学館で知り、私たちは「働く」ということの本質を考えさせられた気がします。

皆さんにとって「働く」ということは、どのような意味を持っているでしょうか。

一人一人がこの問いに対して納得した答えを持ち、働くことができれば、きっと明るい未来が待っている。そう確信した三日間でした。

執筆:新瀧舜、石丸萌(JSBN)

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