集成材国内トップシェアを誇る総合製材メーカーが成し遂げた地域再生
銘建工業株式会社 代表取締役社長 中島 浩一郎さん
GLOCAL MISSION Times 編集部
2018/10/22 (月) - 08:00

「バイオマス産業杜市」を標榜し、官民連携による地域創生を推進する岡山県真庭市。木質バイオマス活用の先進地として全国的な注目を集め、新たな雇用と交流人口の創出にも成功している。この価値ある挑戦を一貫して主導してきたのが、同市に本社を置く銘建工業の社長、中島浩一郎氏。衰退の一途をたどった林業と地域への思い、自社で始めたバイオマス発電が官民共同の本格的なバイオマス発電事業に発展する経緯、また人材採用の現状や将来を見据えた新たなチャレンジについて、中島氏に聞いた。

中国山地の山ふところで

岡山県北部、鳥取県と県境を接する岡山県真庭市は、平成生まれの新しいまちだ。2005年、9つの町村が合併して誕生した。一帯は1000メートル級の山々が連なる中国山地の最深部。広大な市域の8割までを森林が占め、古くから林業と製材業が地域経済を支えてきた。市内に点在する盆地の町々には白壁が映える武家屋敷や商家が残り、四季折々の祭りが彩りを添える。戦中戦後に滞在した文豪・谷崎潤一郎は、風光明媚な中に深い歴史の香りを湛えたその風景を、ことのほか愛したという。

市制を敷いたとはいえ、シンガポールに相当する広大な市域面積に対し、人口は5万人足らず。その静かな山あいのまちに、ここ十数年来、国内外から訪れる視察団が引きも切らない。視察目的は国内、いや世界でも最先端をいく木質バイオマスの利活用状況だ。試しに「真庭 バイオマス」で検索をかけると、たちまち夥しい数の情報がヒットする。その深い情報の森に分け入り、時系列で整理してみる。

1993年 地域の未来を考える「21世紀の真庭塾」発足。
2006年 真庭市がバイオマスタウンの指定を受ける。同時期に「バイオマスツアー真庭」がスタート。また市役所に全国でも例のない「バイオマス政策課」が発足。
2009年 「真庭バイオマス集積基地」竣工。同年、新エネ大賞経済産業大臣賞受賞。
2013年 官民9団体が共同で発電会社「真庭バイオマス発電株式会社」を設立。
2015年 「真庭バイオマス発電所」稼働。出力1万kW。

森林資源を生かした活性化策を…と考える自治体や企業がお手本にしたくなるのもうなずける実績だが、そのすべてのアクションに中心人物として関わり、取り組みを主導した人物がいる。真庭市に本社を置く銘建工業(株)の社長、中島浩一郎氏だ。21世紀の真庭塾で塾長を務め、真庭バイオマス発電の社長も兼務している。

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代表取締役社長 中島 浩一郎さん

発想の転換が、産業廃棄物を宝の山に変えた

銘建工業の歴史は1923年、中島氏の祖父が創業した中島材木店に始まる。1966年には株式会社に改組し、1970年、構造用集成材の生産開始を機に銘建工業に社名変更。現在は集成材とペレット(おが粉やかんな屑などの製材副産物を圧縮成型した小粒の固形燃料)を二本柱に、岡山県内はもちろん西日本でも屈指の規模を誇る総合製材メーカーに成長している。

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本社工場(柱ライン)/主に住宅建築に利用される集成材の柱。月間30万本の柱を製造している 

「祖父の時代から技術面の向上心が強く、製造する木材の評価も高かったようですね。製材技術を競う全国大会のトロフィーがたくさん残っています。親父の代には“自分たちが行くと他社の人が出られなくなるから”と、出場を取りやめたこともあったと聞いています。それから私が中学生の頃、確か1964年の東京オリンピックの前年だったと思いますが、当時の皇太子殿下がうちの製材所に視察に立ち寄られたこともありました。熱心に質問される殿下に、懸命にご説明申し上げる親父の姿を覚えています」。

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広大な敷地にも関わらず、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)が徹底された工場内

中島氏は地元の高校を卒業後、横浜市立大学に進学。気ままな学生生活も5年目に入っていた1976年の春、当時住んでいた目黒の下宿に、ひょっこり父親がたずねてきた。

「たまたま来たと言うんですが、そんなわけはありません(笑)。話してみると案の定、帰って来い、と。家業を継ぐ気はなかったのですが、特にやりたいことがあったわけでもなく…」。

こうした経緯で中島氏は真庭に戻り、父親のもとで製材業をイチから学んだ。木質バイオマス発電との出会いはその数年後、折からの国産材不足を補う方策を模索して訪れたアメリカでのことだった。

「81年か82年だったか、アメリカの小規模の製材所を視察した際、敷地内の小さな小屋からウイーンと、聞きなれない音がするなと思って訊ねたら、発電のタービンの音だ、と。製材所が自前で発電する発想だけでも驚いたのに、燃料は製材所で出る木くずだ、と聞いてさらに驚きました。これはいい、ぜひ自分もやってみようと思ったんです」。

製材の過程で出る樹皮、木片、かんな屑といった大量の木くずは、従来から木屑焚きボイラーの燃料としており、その蒸気を木材乾燥の熱源に利用していた。集成材の生産量増大に伴い、ボイラーの能力不足が顕著になったこととから更新を考えていた時期にアメリカで垣間見た自家発電は、24時間運転する木材乾燥室の電力として利用できる妙手だった。中島氏はさっそく準備にかかり、1984年、記念すべき最初の木質バイオマス発電所を稼働させた。

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2015年に稼働した真庭バイオマス発電所。銘建工業だけでなく、真庭市や地域の森林組合など官民9団体が一緒になり設立

「出力は1時間あたり175kw。現在の発電所の1万kwに比べたら微々たるものですが、これだけで木材乾燥機の夜間電力費を賄い、2年で初期投資を回収できました」

その後、1998年には2基目となる出力1950kwの発電所が同社敷地内で稼働。建設に10億円を要したが、自社で使う全電力を賄い、廃棄コストを解消し、電力会社が自然エネルギーの買い取りを義務づける「電気事業による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」が成立した2002年以降は売電も加わって、早々に減価償却を終えた。 木質バイオマス効果はまだある。発電に用いてもなお残る木くずを活用した木質ペレットの製造だ。中島氏が社長に就任した2004年に販売開始後、順調に売り上げを伸ばし、同社の経営を支えた。現在では国産ペレットの約4分の1までを占めるトップメーカーになっている。

今の延長線上に、未来はない

高度成長期以降、日本の林業と製材業は衰退の一途をたどった。真庭も例外ではなく、市内の製材所は一様に厳しい経営を強いられていた。そしてバブル崩壊後、将来に危機感を持った真庭の若手経営者たちが「21世紀の真庭塾」を立ち上げた。その中心に、塾長を引き受けた中島氏の姿があった。

「景気は厳しい、人口も減る。現状の延長線上に地域の未来はない。何が何でも新しい挑戦を始めなければ。それが塾生の共通認識でした」

通算80回に及ぶ自主研究会、識者を招いての講演会、環境産業の事業化研究、大規模なシンポジウムの開催など、精力的な活動を重ねる中で、中島氏は確信する。

「目の前にあるものを生かすのが一番だろう、と。取ってつけるように、よそから何かを持って来たってうまくいかない。歴史や人のネットワークも含めて、地元にあるものをどう生かすか知恵を絞る。それしかない」

この確信を塾生はもとより真庭全体で共有し、形にした実践例が、冒頭で触れたバイオマスタウンでありバイオマスツアーであり、バイオマス発電だった。目の前にあるものを生かした成果の大きさは、経済効果を見ても明らかだ。

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この「環境まちづくりシンポジウム」は、地元の地方紙をはじめ、読売新聞や朝日新聞、日本経済新聞といった全国紙でも大きく取り上げられた。

「かつてはトラック1杯で産業廃棄物として3万円の処理費がかかった樹皮が、逆にカネになるわけですから。みんな大喜びですよ。発電所や集積所は多くの雇用も生みました。官民一体の取り組みだから真庭全体の空気も明るくなるし、会ったこともないご婦人に道端で“あんた、頑張ってよ”と応援されたこともありました。忘れてはならないのは、先人たちの存在です。私が生まれた1952年にこの地に新しい木材市場を開いた人々や、発電所の株主にもなっている真庭木材事業協同組合の長年の努力、そうしたネットワークの下地があったからこそ、今なんとかこうした活動ができるし、応援もしていただける。地域のDNAが新しいネットワークを形成する核となり、地域を動かすエンジンになる。そういうことだと思うんです」

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バイオマス発電所の敷地内には大量の木くずが。木質バイオマスにより、廃棄物ではなく活きた燃料となる

山に木がある限り、未来は明るい

バイオマスの活用で真庭再生を担った銘建工業の名声は、人材市場にも広くとどろいている。同社では毎年5~8名の大卒社員を採用し、中途採用も随時行っているが、入社希望者の大半が県外在住者だという。

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(左)本社工場/集成材の梁の製造工程の様子。銘建工業の主力製品で月間18,000m3を製造している。住宅用がメインで、国内製造におけるシェアは20%

「みんな優秀ですよ。入社3年目のある若手はドイツ語と英語を自由に操り、最近は中国語も勉強中です。先日は、インターンシップに来た学生からお礼状をもらいました。こんな山の中のよくわからない会社に、若い人がいっぱい来てくれる。うれしいですね」

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2018年5月にはヨーロッパ視察を実施。木造建築の先進地であるドイツ、オーストリア、スイスの3ヵ国を訪問し、現地の企業や大学、木造建築などを訪問した

中島氏に経営者として大切にしていることを尋ねると「成功は失敗の母。今の延長線上で発想していては、事業は続かない」と、真庭塾の取り組み姿勢に重なる言葉が返ってきた。

「多くの同業が消えていく中で当社が生き残ってこれたのは、どこかで新しい商品を作ったり、事業の方向性を大胆に変えてきたからです。でも明日どうなるかはわからない。会社も地域も、シュリンクする市場環境の中でただやみくもに頑張るのではなく、リスクはあっても常に新しいことをやるべきだし、やらなきゃいけない」

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その言葉の通り、銘建工業では今、集成材とペレットに続く3本目の柱づくりを進めている。中高層建築、つまりビル建築にも使える高強度の木質新建材・CLT(クロス・ラミネーティッド・ティンバー)の生産だ。

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工場内には巨大なCLTが収められている。他にも構造用木質材料の製造から構造設計・施工まで一貫で対応できるのが銘建工業の強みだ

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完成した製品は、毎日50台以上のトラックで全国へと出荷される

「エッフェル塔が建った19世紀は鉄、エンパイアステートビルの20世紀はコンクリートの世紀でした。では21世紀は何かといえば、循環的に利用できる資源、つまり木の世紀になると私は思います。木の持つ“軽い”という21世紀的な価値に着目した製鉄会社やゼネコンからのオファーも続々と寄せられています。どんどん挑戦を重ねて、地域に新しいDNAを根付かせたいですね」

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あの金沢駅東広場 鼓門にも、銘建工業の木質構造材が使用されている。ただしこれは全国に点在する建築事例の中の、ほんの一例に過ぎない

銘建工業と真庭市は、目の前にある資源を生かして元気を取り戻した。だが日本の林業の未来は、いまだ五里霧中だ。北欧やドイツ、オーストリアといった林業先進国では、多数の企業の取り組みによって、木質バイオマスが一大産業に育っている。「それにひきかえ…」と、国レベルでは一向に定まらぬ政策に苛立ちをのぞかせつつも、中島氏は前だけを向いている。

「林業を元気にするためには、まず動く。そのためには人も要るし、勉強も必要。そのスタンスさえ忘れなければ、できるこど、やるべきことはいくらでもあります。山に木があるんですから」

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銘建工業株式会社 代表取締役社長

中島 浩一郎さん

1952年、岡山県勝山町(現・真庭市)生まれ。横浜市立大学卒業。1976年、祖父が創業した銘建工業に入社。2004年より現職。革新的な施策で同社を集成材国内トップシェア企業に押し上げる。同年より木質ペレットの生産も手掛け、国内トップシェアを確立。2010年からは新素材CLT の開発製造に乗り出し、木質高層建築材として用途・販路拡大を進めている。2013年、真庭バイオマス発電株式会社の代表取締役社長に就任。

銘建工業株式会社

ぬくもりのある質の高い木質構造材を届けることをテーマに、住宅用の柱や梁桁から大規模木造建築物の構造部材まで、幅広く顧客のニーズに対応。構造用集成材と質の高い乾燥材(製材品)の製造・販売を軸に、木材のエネルギー利用をはじめ、木材を利用しつくす新しい仕組みづくりに挑戦している。

住所
岡山県真庭市勝山1209(本社)
設立
1966年7月(創業1923年)
従業員数
286名 (2017年12月)
資本金
3780万円
許可登録
建設業 国土交通大臣許可(特-25)第 22662号
銘建工業株式会社一級建築士事務所 岡山県知事登録 第14130号
ISO9001:2008 登録番号Q1594
FSC:ロゴライセンス番号(FSCRC105749)
認証番号(SGSHK-COC-008712)(SGSHK-CW-008712)
PEFC:ロゴライセンス番号(PEFC/31-31-27)、認証番号(SGSJP-PCOC-0831)
MKラーメンシステム 財団法人日本住宅・木材技術センター認証番号:新工法NSK2a1
グリーン購入法事業者認定 日集協第055号
会社HP
http://www.meikenkogyo.com

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