コインランドリーのFC展開で急成長
宮崎県宮崎市は年間晴天日数が全国トップクラスだ。コインランドリーの需要が少なそうなその土地で2002年に誕生したのがコインランドリー“WASHハウス”である。事業拡大にあたり、児玉康孝代表取締役社長が目をつけたのは「フランチャイズ(FC)」展開だった。年を追うごとに出店数は増え続け、2016年12月現在、総店舗数は全国で386店舗(直営店含む)。赤字でたたんだという店が存在しないのだ。
快進撃を支えているのは、店内カメラと遠隔操作を組み合わせたビジネスモデル特許(2004年に初取得)「コインランドリー管理システム」だ。本社のコールセンターでは各店舗に備え付けたカメラや稼働状況をリアルタイムで確認できるシステムで全店舗を集中管理。機械トラブルやクレームに24時間対応できる仕組みを整えている。
すべての始まりは児玉氏の「業界のデファクトスタンダード(=事実上の標準、業界基準)を創造する」というひと言だった。
WASHハウス株式会社
24時間年中無休のコインランドリーチェーンを運営。遠隔で管理するシステムをいち早く取り入れたことで注目を浴びる。創業後、宮崎から始まり、九州・山口を中心に店舗ネットワークを拡大。2015年の大阪支店開設を皮切りに、東京への本格進出も実現。現在は直営とFC加盟店を合わせて386店舗(2016年12月末時点)のコインランドリーを運営。2016年11月には「東京証券取引所マザーズ市場」および「福岡証券取引所Q-Board市場」に新規上場し「日本最大のコインランドリー」との呼び声が高い。
- 住所
- 〒880-0831 宮崎県宮崎市新栄町86番地1
- 設立
- 2001年11月28日
- 従業員数
- 98名(役員を除く)
- 資本金
- 9億9,381万円(2016年12月)
2001年11月 |
WASHハウスの前身となる「株式会社ケーディーエム」を設立 |
2002年12月 |
WASHハウス(城ヶ崎店・大島通線店:宮崎県宮崎市)同時オープン、コインランドリー事業開始 |
2003年11月 |
商標登録第4725446号WASHハウス、商標登録第4727509号 全国コインランドリー管理業協会 |
2004年02月 |
コインランドリー管理システムのビジネスモデル特許取得(特許第3520449号) |
2004年05月 |
初の直営店出店(青葉店:宮崎県宮崎市)情報ステーション(タッチパネル式端末)試験運用開始 |
2004年11月 |
福岡県進出(宗像店:福岡県宗像市) |
2005年05月 |
鹿児島県進出(小野店:鹿児島県鹿児島市)、大分県進出(宗方店・猪野店:大分県大分市)同時オープン |
2005年12月 |
WASHハウス株式会社へ社名変更 |
2006年08月 |
熊本県進出(横手店:熊本県熊本市) |
2007年01月 |
佐賀県進出(鳥栖本町店:佐賀県鳥栖市) |
2007年06月 |
九州アントレプレナー大賞受賞 |
2007年11月 |
商標登録第5092775号 SPOT REMOVER |
2008年03月 |
ハイ・サービス日本300選 受賞、資本金1億4,000万円に増資 |
2008年08月 |
コインランドリー管理システムのビジネスモデル特許取得(特許第4172043号) |
2012年12月 |
本社移転(宮崎県宮崎市新栄町86-1) |
2014年02月 |
大分営業所設置(大分県大分市中央町3-7-21 houzzビル205号) |
2014年05月 |
広島支店設置(広島県広島市東区光町2-9-27 ユーペック光町ビル502号) |
2015年04月 |
大阪支店設置(大阪府大阪市西区靭本町1-10-24 三共本町ビル3階) |
2015年10月 |
東京支店設置(東京都中央区日本橋3-8-16 ぶよおビル7階) |
2016年02月 |
熊本営業所設置(熊本県熊本市東区御領8-5-5 オフィスパレア熊本インターI B3号) |
2016年06月 |
長崎県進出(大村富の原店:長崎県大村市) |
2016年07月 |
東京都進出(新宿7丁目店:新宿区、深川冬木店:江東区) |
2016年08月 |
資本金1億6,138万円に増資 |
2016年11月 |
東京証券取引所マザーズ市場および福岡証券取引所Q-Board市場に新規上場 |
2016年12月 |
資本金9億9,381万円に増資 |
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不動産投資をコインランドリーに置き換える
「コインランドリー事業に切り替えよう」
児玉氏から突然告げられた言葉に、徳田俊行取締役営業本部長は戸惑った。2001年、不動産業の株式会社ケーディーエムとして創業したばかりのことだ。「コインランドリーなんて商売にならないのではないか」と、誰もが思った。しかし児玉氏の意思は変わらず、翌年には宮崎市内に「WASHハウス」の1号店・2号店が同時に2店舗オープンすることとなる。
当時、コインランドリーといえば「怖い」「汚い」「暗い」が当たり前。在庫を持つ必要がなく「取りっぱぐれ」がないビジネスということもあり、店舗オーナーには衛生観念や顧客サービスに対する意識が欠けていた。また、コインランドリーは各家電メーカーの代理店が運営していることが多く「洗濯機を売ること」が目的だったため、誰もが「利用者」の存在に目を向けていなかったのだ。
児玉氏は「コインランドリー投資」という考え方でまずビジネスを組み立てた。前職の不動産業では「不動産投資」が専門。不動産業は不動産会社、大家、入居者がそろってこそ成り立つ。この図式をそのままコインランドリーに生かそうとひらめいたのだ。FC展開に事業拡大の糸口がある。そう確信した。
独自の管理システムでFC展開を成功に導く
「FC展開をして成功する確率は30%といわれています」と、徳田氏は話す。しかし、児玉氏が考案したWASHハウスの「一括管理方式」であれば店舗網を拡充しても絶対に失敗しないという自信があった。機械の保守点検や清掃をはじめ、顧客への対応、売上金の回収などの業務はすべて本社スタッフが代行する。FCオーナーに運営の手間はほとんどかからない。業界では難しかったチェーン店の品質維持を実現できている理由はここにあるのだ。
さらにクオリティーを高めている要因は、2004年に初めてビジネスモデル特許を取得した「コインランドリー管理システム」だ。本社には35台のモニターが置かれ、24時間365日、全店舗の様子をリアルタイムで確認している。必要に応じて店内のスピーカーから利用者に呼びかけることもでき、無人店舗でありながらそれを感じさせない安心感を生むことに成功した。機械トラブルは遠隔操作で迅速に対応することでコストを節減している。
「お客様からは日々さまざまな意見が寄せられます。これはWASHハウスを支える重要なビッグデータです。声をもとにハイアール・グループ(旧・三洋電機株式会社)と業務用洗濯機などの開発を進めています」
「布団を洗う文化」をつくりたい
2005年、社名をWASHハウスに変更し、本格的にコインランドリー事業に乗り出した。「九州アントレプレナー大賞」や「ハイ・サービス日本300選」に輝くなど、業績は確実に世間からも認められ、2016年には東京進出も果たしている。WASHハウスは一躍「コインランドリー業界のトップ」とうたわれるようになった。
しかし、徳田氏は否定する。「システムを使ってサービスを提供することが私たちの本質であり、たまたまその対象がコインランドリーだっただけです。他社とはまったく違うカテゴリを走っている。つまり、競合がいないのです。私たちが新たな業界の基準をつくっているという認識です」
2016年は東証マザーズに上場したが、まだスタート段階にすぎない。たとえば今やトイレのほとんどには温水洗浄便座が備わっている。これは「用を足したあとは洗浄をすること」が「当たり前」になった結果だ。同様に、WASHハウスは「布団を洗うこと」が「当たり前」になる未来を想定している。「毎日使うものなのに布団を洗濯する発想はほぼ持たれていません。WASHハウスが全国に広がれば、きっとそれを可能にできる」と、徳田氏は意気込む。
これこそが、児玉氏が提唱する「コインランドリー業界のデファクトスタンダードを創造する」を形にした未来なのだ。
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競争相手がいなければ基準をつくることができる
証券会社、外食チェーン産業、不動産会社勤務を経て児玉氏は独立を決意。当初は投資用のアパートやマンションの売買を事業としていた。転機はすぐに訪れた。顧客が、コインランドリーを開業したのだ。調べてみると「けっこうもうかる商売かもしれない」と感じ、コインランドリー事業に乗り出すことを決意した。
「競争率の激しい業界で戦うのは大変ですが、競争相手がいなければ自分の指針がデファクトスタンダードになります。どうせ商売をするならそっちのほうが楽しいと思ったのです」
今後、人口が減少の一途をたどることは自明の理だ。不動産業の高い利用率も、人口減少にともない必然的にその数は下がるだろう。これは、飲食業にしても製造業にしても避けては通れない道である。一方でコインランドリーの利用率は当時3%。この少ない数字で売り上げが成り立っているとしたら、利用率を上げることができれば、人口が減っても売り上げが維持できるはずだ、という結論に至ったのだ。
さっそく社員総出で市場調査に出かけたり各メーカーに提案したりと慌ただしい日々が始まった。
前職の経験を生かし、FC展開の問題を克服
児玉氏はかつて外食チェーンのFC店舗で働いていたことがあり、その際にFC事業の仕組みに疑問を抱いたという。売り上げが悪いと本部は加盟店の技術不足のせいに、加盟店は本部の仕組みのせいにする。同じ事業のはずなのに、必ずといっていいほど対立をしてしまうのが、FC事業が失敗をする大きな理由の一つだったのだ。
しかしコインランドリーは設備投資で償却が大きいため、FCで展開をしなければ続かない。児玉氏の描く理想を実現するにはFC展開は絶対だったのだ。だからこそ、外食チェーン産業勤務時代の知識と経験をもとに、オーナーにとって満足度の高い仕組みを考案するに至った。株が市場で高く評価される理由はそこにあるのではないかと、児玉氏は推測する。
現在、宮崎でのコインランドリー利用率は35%まで上げることができた。この数字をたたき出すために欠かせなかったのは宣伝広告である。児玉氏いわく、通常、通販会社を除く一般企業は年商の3%程度しか宣伝広告に使えないといわれている。しかし、WASHハウスは10%以上使用している。ここまでの拡大を見越したうえで、創業当初から「広告費を惜しまない」という姿勢はぶれていない。
ゴールはまだずっと先にある
しかし、児玉氏が思い描いているビジネスプランの5段階のうち、まだ1段階にも到達していないという。海外に進出したり、洗剤工場を建設したり、ガスの供給を始めたりと、やるべきことはたくさんある。まずはWASHハウスのコインランドリーを日本国内で2万店舗まで増やすことが目標だ。
「WASHハウスは成長過程にある会社です。これから多くのステージが待っています。でも、同じ社員だけでは成長し続けることは不可能です。だからこそ、新しい風を吹かせることが大切なのです。業種は関係ありません。一緒にチャレンジしてくれる人を待っています」
WASHハウス株式会社 代表取締役社長
児玉 康孝
1965年生まれ、宮崎県出身。1988年に新日本証券株式会社(現・みずほ証券株式会社)に入社。その後、株式会社石橋、日本マクドナルドを経て2001年にケーディーエム(現・WASHハウス)を設立。
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東京暮らしに終止符を打ち宮崎へ
機械部品のシステムエンジニアとして東京で働いていた経営企画チームの前田健一氏。朝は早く出社し夜は終電で帰宅する毎日が続いた。結婚して、二人の子どもにも恵まれたが、家族との時間がとれない日々。しかし、大きなプロジェクトをまかされていたので自分が退くわけにはいかない。この仕事が落ち着いたら転職を考えようと思っていた。
「私も妻も実家は鹿児島なのです。できるだけお互いの両親の近くにいたいし、子どもには自然豊かな場所で生活をしてほしいという思いもあり、生活の拠点を変えようと決意しました。妻も賛成してくれたので話は早かったですね」
8年かけてようやくプロジェクトが幕を閉じたところで、前田氏の転職活動が始まった。そんなときに知ったのがWASHハウスだ。
「地方の企業は閉鎖的なところが多いのに、WASHハウスは『全国、そして世界へ』と、ポテンシャルの高さを感じました。宮崎にこんなに勢いのある会社があるなんて知らなかったので、一気に興味がわきました」
WASHハウスはシステムづくりで発展している企業だ。ここならこれまで培ってきた自分の力も試せる。前田氏は信じて疑わなかった。
田舎暮らしと充実した仕事の両立を実現
2016年11月1日に入社。移住先には宮崎県の綾町を選んだ。自宅から会社までは車で30分と決して利便性は高くないが、自宅そばには小川が流れ、釣りや山登りが気軽にできる。東京に住んでいたころからは考えられない自然に満ちあふれた生活をおくっている。
「宮崎に来てよかったと思うのは、生活にメリハリがついたことです。平日は仕事に打ち込み、休日はしっかり休む。当たり前のことだったのに、以前はできていませんでした」と、前田氏。地域の人々も優しく、東京から来たと言うととても親切に世話をしてくれるという。
現在は経営企画チームの一員として主に制度や仕組みを見直している。入社してすぐに提案制度をつくることに成功した。これまで社員たちの「気になっていたけど機会がないから言わずにいた」意見を拾い集め、月に2回の会議で申請するというものだ。
実現したものは、たとえば店舗内の自動販売機の位置。自動販売機が死角になり、迷惑行為をする人がいるという意見が出たのだ。「位置をずらせば済むだけの話なのですが、言われなければ誰も気づかなかったかもしれません。このように、埋もれていた声に耳を傾けることで業務はもっと進化するのだと感じました」
会社とともに成長していける
WASHハウスの魅力は「未経験者」が働きやすいという点にある。多くの人はコインランドリーの販売は未経験だ。なかには不動産業の経験者もいるが、たいしたアドバンテージにはならない。児玉氏自身が「さまざまな仕事のやり方を持ち込んだ」ことで、ここまで会社を成長させたからこそ、どんな業種でもチャレンジできると身をもって伝えているのだ。
「社長は経営者として信念が一切ぶれません。何か新しいことに挑戦するときには、まず自らやってみせてくれるので信用できるのです。WASHハウスは地方から世界を目指せる会社です。ともに成長していける喜びを感じています」
上場も果たし、目指す先には海外進出など、さまざまな夢が広がっている。前田氏自身の今後の展望は「自分の手で新規事業や戦略をつくり、会社の基盤となること」だ。
まだ入社1年未満。一体どんな未来が待っているのか。前田氏の瞳はまっすぐと輝いていた。
WASHハウス株式会社 経営企画チーム
前田 健一
鹿児島県出身。大学進学を機に上京し、システムエンジニアとして東京の会社に入社。手掛けていたプロジェクトが一段落したことを機に、2016年11月、WASHハウスに入社。以前から希望していた「田舎暮らし」を実現するため宮崎県綾町に移住し、生活している。現在は経営企画を担当。
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