人生100年時代や少子高齢化社会を迎え、日本人の生き方と働き方は、これからどう変わっていくのか。人生100年時代の到来や第四次産業革命によって、今後10年で、日本人の働き方は大きく変わるはずだ。職業寿命は長くなり、ミドル・シニアの転職は当たり前に。副業・兼業を含むパラレルキャリアや、時間と場所にとらわれない働き方も普及するだろう。本シリーズでは、有識者や第一線のビジネスパーソンに「未来の働き方」を予言してもらった。
人生100年時代を迎え、これからの日本人は、年齢によらず働くことが求められるようになる。第3弾では「40歳定年制」を提唱する東京大学の柳川範之教授に、スキルの陳腐化に対応しながら、キャリアを組み直していくための方法を聞いた。
「スキルの陳腐化」をどう防ぐか
―柳川先生が2013年に提唱された「75歳まで働くための40歳定年制」は、働き方をめぐる日本人の既成概念に一石を投じ、議論を巻き起こしました。
柳川: 私が言いだした当初は、最後の“40歳定年制”という言葉だけが独り歩きして、「40歳になったら使えないからリタイアしろということか」などと誤解も受けました。真意はむしろ逆で、どうすれば誰もが75歳まで、自分の能力を活かしながらイキイキと働けて、社会や経済がうまく回っていくのか――。そのためには個人も企業も、働き方・雇い方を転換する必要があると提言したのですが、当時はまだ、職業人生を一つの会社で全うするのが当たり前。そうすれば老後も安泰と考える人が、依然として多数派だったのでしょう。
ところがその後、国内の電機メーカーが相次いで経営危機に陥るなど、経営環境に不確実性や不安定さが増し、人々の認識も変わってきました。また、仮に定年まで同じ会社で働けたとしても、人生100年時代で「ライフシフト」の必要性が叫ばれるように、寿命が延びれば第2、第3のキャリアを考えざるをえない。社会保障制度も限界ですからね。
―5年前に“予言”した状況に近づきつつあるわけですね。
柳川: さらに大きな要因は、AIブームに象徴される技術革新の加速とそれに伴う急激な産業構造の変化です。仕事に求められる技能や知識も次々と変わり、最新だったスキルがあっという間に古びて役に立たなくなってしまう。
いわゆる“スキルの陳腐化”がかつてないほどに激しさを増し、個人と企業の競争力を脅かしているのです。職業人生が長期化するなかで、必要なスキルも、それを活かすのに適した環境もどんどん変わる。こうした陳腐化やミスマッチを防ぐためには、変化に応じた能力開発が欠かせません。
75歳まで豊かに働き続けたいなら、定年してからと言わず、気力・体力とも旺盛な40歳代までに一度は新たなスキルの取得を行い、その後も二度、三度と自らを磨き直していくべきでしょう。「40歳定年制」の真意は、そこにあるのです。働くことと学ぶことを並走させて、たえずスキルアップしながら、自分でキャリアを組み直していく働き方が、今後は主流になっていくと思いますよ。
経験を普遍化し、使える「武器」に
―スキルアップの取り組みについては、これまで企業内でも行われてきたのでは?
柳川: たしかに、スキルの陳腐化自体は新しい話ではなく、以前は会社に任せていれば、研修などでそれなりに対応してくれました。しかし、昨今の環境変化は、そうした企業の自助努力だけでは追い付かないほど激しい。必要なスキルを組織に導入するだけの余裕やリソースが社内にないから、スキルを持つ人材ごと手に入れる、M&Aが流行っているのです。最近はリカレント教育に関心が向いていますが、まだ具体的な受け皿もなく、何をすればいいのかさえわかっていないのが現状ではないでしょうか。
―では、ビジネスパーソンはいま何をすべきでしょう?
柳川: 年齢や経験によって能力開発のニーズは多様ですから、それぞれ違う処方箋を書かなければなりません。20代の若手であれば、大学に入り直して、まったく新しい分野の知識や技術を習得することも可能ですが、キャリアを重ねた中高年が、AIブームだからといって、いまから大学でコンピュータサイエンスを勉強して新しい職に就くというのは現実的でないですよね。もったいない話です。むしろいままでの蓄積を活かす形でスキルアップを図るほうが、活躍の場は広がるでしょう。
そこで必要なのは、培った経験を別の環境で発揮できる応用力。裏を返せば、どんなに経験豊かな人でもその部分の能力開発は必須であり、単純にいままでやってきたからというだけでそのまま転職しようとすると、たいていうまくいきません。
日本企業の場合、ベテラン社員の蓄積には、その会社でしか通用しない個別的な知識や情報も多く、普遍性・一般性に乏しい傾向がありますからね。
また、いろいろな“武器”を雑多に詰めこんできて、自分でも何が得意かよく分からないという人も多いでしょう。個別性の高い特殊能力を普遍化・一般化すること、武器を棚に並べて使えるように整理すること―新しい知識を覚えるよりも、こうしたスキルの磨き直しをやるかどうかで、次のキャリアでの活躍度は大きく変わってくるのです。
―培ってきた経験やスキルを普遍化・一般化して、他の環境でも使える“武器”にするためにはどうすればいいのですか。
柳川: お勧めしたいのは「学問」ですね。意外かもしれませんが、経済学や経営学、法学といった社会科学系の学問は、じつはそのためにあるといっていい。実際、経営学などに触れると、このケーススタディはまさに自分が経験した話じゃないか、自分の仕事はこういうふうに解釈できるのかといった発見が得られるものです。会社個別的な知識や情報を抽象化し、普遍性・一般性を引き出すプロセスとしてすごく有効だと思いますよ。
人生を“多毛作”で豊かに生きる
柳川: もっとも、日本の多くのビジネスパーソンは、スキルアップを云々する前に、そもそも職業人生に対するマインドセットから変えていかなければなりません。いま在籍する会社に何から何まで依存し、会社だけが自分のアイデンティティの帰属先になっていないでしょうか。そうした意識のままでは、働き方やキャリアを自律的に再構築しながら、人生100年時代を謳歌することは難しい。
大切なのは会社の価値観を離れ、自分の頭で考える癖をつけることです。
手始めに毎日5分でいいから、いまの会社にいない自分が、別の職場で別の仕事をしている様子をイメージしてみてください。できるだけ具体的に。自分自身を見つめ直すきっかけになるはずです。
ただ、自分のことは、自分独りだとよくわからない部分も少なくありません。一つのステップとして、会社以外にコミュニティを持ち、そこで「バーチャルカンパニー」を作ってみるのもいいでしょう。バーチャルカンパニーは、必ずしも実際に起業する必要はなく、集まったメンバーで何ができるかを検討することに意義があります。お互いに他者の視点を通して、自分の能力や市場性を再発見したり、客観的に評価し合ったりできますからね。「自己開発におけるオープンイノベーション」といえるかもしれません。
―人々の働き方や学び方が変わっていく中で、企業には何が求められますか。
柳川: 一つの会社に依存して定年まで勤めあげる日本的なモデルでは、スキルの陳腐化にとても対応できません。人生を“多毛作”するように、いくつになっても自ら学び、能力開発をくりかえしながら、より長く、広く働いていくべきなのです。「広く」とは、次のキャリアへの足かがりとして、いまの職場にいながら他に活躍の場を広げるという意味。いわゆるパラレルキャリアや、副業・兼業も当たり前になっていくでしょう。
企業側からすると、こうしたニーズを縛り、働き手を囲い込もうとする会社に優秀な人材は惹きつけられません。副業・兼業の解禁はもちろん、もっと多様で柔軟な働き方を認め、促進すること。人生100年時代に向けた競争戦略は、これに尽きるのではないでしょうか。
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東京大学大学院 経済学研究科・経済学部 教授
柳川 範之(やながわのりゆき)
1963年埼玉県生まれ。幼少期よりシンガポール、ブラジルで過ごし、88年慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業。93年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。
93年慶應義塾大学経済学部専任講師、96年東京大学大学院経済学研究科助教授、2007年同准教授、11年より現職。専門は契約理論、法と経済学。主な著書に『法と企業行動の経済分析』『日本成長戦略 40歳定年制』『東大教授が教える 知的に考える練習』など。