近年、経営幹部に対して行うエグゼクティブ・コーチングの需要が高まっています。日本ではまだ馴染みの薄いエグゼクティブ・コーチングですが、組織開発でどのような効果が期待できるのでしょうか。2005年に共著として『エグゼクティブ・コーチング』を出版され、創生期から活躍されている松下信武さんにお話しを伺います。
ゾム 代表
松下 信武(まつした のぶたけ)さん
1944年大阪生まれ。1970年京都大学経済学部卒業。 三洋化成工業入社、学習塾経営、ベルシステム24執行役員・総合研究所長を経て、現在ゾム 代表。 2016年まで約14年間、日本電産サンキョー スケート部のメンタルコーチを担当し、冬季五輪に3回参加。2010年バンクーバー五輪での長島圭一郎選手銀メダル、加藤条治選手銅メダル獲得に貢献する。 日本のエグゼクティブ・コーチングの創生期から活躍。2017年現在、月平均10名以上のエグゼクティブ・コーチングを行っている。 『エグゼクティブ・コーチング』『EQコーチングのスキル』『すごい上司 なぜ人は言われたこともできないのか 部下が自ら動き出す心理学』など著書・監修多数。
経営戦略としてのエグゼクティブ・コーチング
―エグゼクティブ・コーチについて教えてください
エグゼクティブ・コーチ(以下、Eコーチ)は、企業のエグゼクティブ(経営幹部)専門のコーチのことを言います。エグゼクティブ・コーチング(以下、EC)は、質問形式による「コーチング・カンバセーション」を1対1で、数カ月かけて行います。
昨今は社会全体でビジネスの動きが加速していることもあり、悩んでいる経営トップも増えています。でも、部下にはそんな姿は見せられないし、相談する相手もいません。あらゆる苦難が待ち構えているエグゼクティブだからこそ、信頼できるEコーチが必要になります。
Eコーチは、経営の経験者であることが多いですね。
―エグゼクティブ・コーチングで期待できる効果とは?
経営トップにECを行うことで、取り組むべき課題や目標が明確になります。また、精神的な余裕が生まれるため、部下の能力を引き出すことができるようになります。だから、経営幹部にECを行うことで、組織が活性化されていくんです。
日本ではまだECを取り入れている企業は少ないので、将来の役員候補が競合他社へと移ってしまうケースも少なくありません。それではもったいない。役員候補を育てていくことが大切です。経営戦略としてもEコーチが果たす役割は大きいのです。
私のコーチングは「利益第一主義」です。赤字ほど企業を蝕むものはありません。経営者だけでなく従業員にも言います。「とにかく黒字を出さなければどうにもならんですよ」と。給料も出なくなりますからね。
Eコーチは、エグゼクティブがゴールに早く到達するようにサポートをして、企業が収益をあげることに貢献します。
欧米のエグゼクティブ・コーチングの現状。日本との違い
―欧米のエグゼクティブ・コーチングの現状を教えてください
欧米の企業では、経営幹部に社外のEコーチをつけることが多いですね。株主などのステークホルダーからの信頼を得るために、経営能力を向上させることが求められているからです。
欧米の場合はプログラムをきちんと作ります。まず相手の話を聞いて、ニーズを聞いたうえで、どういうプロセスでやっていくかスケジュールをたてます。
スケジュールどおりに行い、途中でアセスメントをしてそれを評価する。そういったプログラムが多いと思います。
非常にシステマティックであり、アカデミックでもある。欧米では必ずエビデンスを求められますが、コーチングでもそう。だから必ずアセスメントはやりますね。
コーチィ(コーチを受ける人)がコーチに対して「ここがいい」、「こうしてほしい」とフィードバックを行うこともあります。双方でフィードバックするんです。これは認知行動療法の影響があるのかもしれません。
―欧米のエグゼクティブ・コーチはどのような方が多いのでしょうか
欧米では、ビジネスで活躍後、大学でコーチングの研究をすることもあり、大学教授がEコーチをすることも多いですね。私の知人のアメリカ人心理学者もEコーチをしています。
経営者としてビジネス界で成功したあとにEコーチになる人もいます。
アメリカのゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GE)の会長兼CEO(最高経営責任者)だったジャック・ウェルチ氏がECに転身したのはよく知られています。
日本の場合は、経営者として大成功した人がEコーチになる例はまだ少ないですね。
―日本のエグゼクティブ・コーチングの現状は?
日本では、ECを受けた経験があるエグゼクティブはまだ少ないのではないでしょうか。
新しく経営幹部になった時こそECが必要なんですけどね。
考えてみてください。目の前の仕事をコツコツやってきて、その積み上げで部長になった人が、ある日突然「経営幹部になるのだから会社全体の将来を考えろ」と突き付けられても戸惑うだけでしょう。
経営側にまわったときに、組織として考える仕組みを作る必要があります。そして、リーダーとして成長していく。そのためにECを活用することが非常に大事なんです。
コーチの質問で、漫然とした怖れの対象と目標を明確にする
―エグゼクティブへの効果的な質問を教えてください
エグゼクティブは実は「怖れ(おそれ)」ています。怖れとは、コントロールできない相手や状況に出会い、対処法がわからず逃げ出したくなっているときに起こる感情です。
エグゼクティブは「自分は怖れてない」と認めなかったり、隠すことも少なくありません。でも実際は非常に怖れている。まずは、その怖れに自ら向き合うことが大切です。
私はこれがECで一番重要だと思っています。
住友晃宏さんとの共著『エグゼクティブ・コーチング』にも書いていますが、ECのなかで「怖れ」を抱いているエグゼクティブには以下のような質問をすると効果的です。
「あなたが直面している状況を具体的に説明してください」
「あなたは相手の人とどのような関係になればよいと願っているのですか(ゴール)」
「現在の状況で、あなたが対処できることは何ですか(ゴール)」
「あなたが怖れているものの正体は何ですか(怖れの対象)」
ECでは、相手や状況を直視し、漠然としている怖れの対象と目標(ゴール)を明確にします。そして、コントロールできることと、できないことに分けて考えられるようにしていきます。
「ゴールがあるのに、あなたは何を怖れているのですか」と問うのです。
―コーチングが成功するためにほかに必要なことはありますか?
ECを成功させるためにはマッチングも大切です。
経営戦略を考えたい、チームがまとまらない、海外拠点の作り方がわからない、管理職に向いてないなど、それぞれ立場も悩みも、ECの目的も異なっています。
コーチも得意不得意があるので、聞き取りをした内容によって「この問題だったらこのコーチがいいだろう」と調整をするのが望ましいですね。私が得意とするのは「自己探索」なので、経営戦略を考えたいクライアントの場合はそれを得意とするEコーチを推薦します。マッチングすることで成功率は上がります。
論破は無意味。部下の成長を促すのがリーダーシップ
―リーダーシップについて教えてください
エグゼクティブになると、会社の全従業員を引っ張っていくリーダーになるわけです。
ただ、部下を論破することがリーダーシップだと思い込んでいる人が多い。論破されて喜ぶ人はいません。リーダーシップとはまったく別物です。
エグゼクティブになる人は、頭が良くて、経験も積んでいる。それに論理的です。だから部下を教育しているという気になっているのかもしれません。
でも、上司として、部下が論理的な思考ができるように導くことが重要なんです。
部下が納得して自らの考えで行動するように、部下にすべて任せて、やらせてみるといいですね。
例えば、プロジェクトリーダーを経験させる。そうすると人件費や固定費の計算をして黒字にするための経営戦略を立てるところから始まるわけです。すべて自分で考えて行動しなければならない。でも、ほぼコケるわけです。そこで「なぜコケたんやろ?」と問うて本人に考えさせる。そうすることで部下も成長していきます。それがリーダーシップです。
成長のための「自己変革」。リーダーが変われば組織が変わる
―リーダーとして成長するために必要なこととは?
リーダーとして成長していくために必要なのは「自己変革」です。
優れたリーダーは、自分自身の弱みをよく知っています。人間ですから、やはりどこかに欠点がある。でも、次のステップに進むときには悪い部分は直さなければならない。弱みを知っている人は強みも知っている。だから成長が早いんです。
但し、素直でなければ自己変革はできません。成長していくリーダーはみなさんとても「素直」です。
―自己変革の具体例を教えてください
ある企業の営業本部長Aさんの話をしましょう。
それまで売上目標が未達だったことがない営業のトップでしたが、昇進すると他の部署も見なければならなくなる立場でした。ECを受けるように人事部長から指示されて、本人は「コーチングを受ける理由がわからない」と戸惑っていました。
そこで問題を探るために、営業会議にオブザーバーとして私も参加させてもらうことにしたんです。
会議後に本部長室で「どうだった?」と尋ねられて、私はこう答えました。
「ズバリ言わせていただきます。部下の方々はあなたの話をひとつも聞いていませんよ」と。
営業トップとして絶対的な自信があるので、一方的なコミュニケーションは得意なわけです。でも、双方向のコミュニケーションはしていなかった。本人はしているつもりでしたが、部下は上司の顔色を伺って意見を出していませんでした。
なぜ部下が話を聞いていなかったのか、なぜ双方向のコミュニケーションがとれていなかったのかを考える。それがひとつめの課題となりました。
―何が問題だったのでしょうか?
Aさんは営業のことがよくわかっているので、商品の売れ筋もわかる。「この商品をこの売り方で売れ」と指示したほうが確実に売れます。部下たちの戦略よりも自分の戦略が正しいと信じていました。だから、無意識に、部下たちの意見を聞くことを面倒だと思っていた節があったんです。そこが問題でした。
それがヒラの営業部員だったらいいのでしょうが、他部門を統括する職務であればうまくはいきません。
Aさんはとても素直な方でしたので、その後双方向のコミュニケーションを心掛けるようになり、今でも活躍されています。
問題点を率直に捉えることがとても大切です。素直な方は伸びます。心が開いていないと成長はしません。
たまたま私が「自分探索」をサポートするコーチでしたから、それも良かったのだと思います。
リーダーが変われば組織が変わる。会社全体が変わっていく、私はそう信じてコーチングを行っています。
※参考文献
住友晃宏・松下信武(2005)『エグゼクティブ・コーチング―社長を鍛え、会社を強くする「心の軍師」』 プレジデント社.