M&Aを手掛けてきた手腕とマーケティングの観点を東北の事業推進に活かすファシリテイター
岩手県北自動車(通称 岩手県北バス)副社長 鈴木拓さん
BizReach Regional
2017/07/10 (月) - 08:00

大学在学中から公認会計士を。監査法人就職後にMBAを。常に将来を見据えてステップアップしてきた鈴木拓さん。米国留学帰国後は、大手証券会社にて中小・大手企業のM&Aを体験。さらにファーストリテイリングでのM&A業務等を経て、現在、岩手県北自動車・ 副社長に就任されています。アドバイザーから事業主体でM&Aに関わり、さらに事業自体に関わる仕事を選択してきた軌跡。きっかけや想い、自らを〝ファシリテイター″と評し、事業を通じ東北の活性化に貢献する日々について聞きました。

常に目標をかかげ、公認会計士を。さらに米国留学でMBAを取得

実は私は、大学時代に就職活動というものをしていません。将来ビジネスの世界で生きていくには、どんな業種に就くにしろ会計士という資格が武器になると思い、資格を取ってから社会人になろうと思ったのです。そこで、大学1・2年生の間は学生時代を謳歌し楽しんでから、3年生になった時点で公認会計士の資格取得の勉強を開始。ゼミにも入らず毎日専門学校へ行って猛勉強し、大学卒業後に2次試験に合格し、あずさ監査法人(当時は朝日監査法人)に入りました。普通の学生らしい楽しさは失われたところもありましたが、目標を設定し、そこに向けて目指していくスタンスが意外と自分に合っていました。目標に向かって進んでいることの充実感が常にありましたね。

社会人になって監査法人で働きだしてからも、次の目標を設定し、3次試験に受かって公認会計士の資格を取得できたら、監査法人を辞めようと最初から決めていました。当時はベンチャー企業の育成に関わる仕事を目指しており、監査法人で会計監査などの経験をしておいたほうが将来自分にとって役立つだろうと思っていたのです。ところが担当した企業の約半分が外資系で、語学スキルの重要性を感じることになりました。そこで、公認会計士の3次試験合格後に海外留学を目指して専門学校に通い始め、今度はMBA取得のために米国ピッツバーグ大学へ留学しました。

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留学時代に出会ったM&A。帰国後は数々のM&A事例を間近で

MBA留学中に、がぜん興味が出てきたのがM&Aです。アメリカでは特に大きなM&A事例がたくさんあり、様々なケーススタディをいろいろ勉強していくうち、非常に興味を持ちました。アライアンスや資本業務提携、合併、持ち株会社を作るなど、企業戦略として企業が強くなっていくうえでダイナミックに状況を転換し、企業の成長を目指していくという側面に惹かれましたね。

帰国後は、三菱UFJ証券(当初はUFJつばさ証券)のM&A部隊に入り、4年半ほどアドバイザーとしてM&Aを担当しました。MUFGグループになってからは、三菱グループ企業のM&Aに数多く携わりました。大手物流企業の持ち株会社化によるグループ内再編、製紙会社や大手百貨店の経営統合などにも関わり、企業の競争力強化に向けた事業再編等をサポートすることにやりがいも感じていました。

M&Aは時間との勝負です。大きな案件であればあるほど、発表まで外部にもれないよう情報管理をしながら様々な交渉を重ね、無事に達成するのが重要。当時は仲間たちとみんなで、昼夜を問わず熱意を持って仕事に携わっていました。

アドバイザーから事業主体でM&Aに関わる仕事へ。さらに事業自体に関わる仕事へ

そんなふうに様々なM&Aにアドバイザーとして関わっていましたが、やはりあくまでサポート。次第に、もっと自分が主体的に事業に近い立場から、M&Aに関わっていけたらと思い始めました。そこで、M&A事業展開を積極的に行っていたファーストリテイリングへの転職を決意しました。

入社後は、グループ事業開発のスタッフとして、国内外企業のM&Aや海外生産工場との合弁会社作りに。よりラインに近いところで仕事をして、実際に消費者に向かい合う仕事をしたいと思うように変わっていきました。私自身のキャリアは、最初はアドバイザーからのスタートでしたが、ファーストリテイリングで事業主体のM&Aに関わり、そこからさらに別のステージで事業自体に関わる仕事を手掛けたいと思うようになっていったのです。

40歳を前に東北への貢献を目指し転身。岩手のバス会社の副社長に就任

さらにこの頃、私は福島出身なのですが、「40歳を前に地元東北で自分の経験を生かして、何か社会貢献できる仕事があったらな」という思いも湧いてきました。ファーストリテイリングを辞めた年の3月には「経営共創基盤」に入社。その100%子会社で、公共交通機関の経営再建を行う「みちのりホールディングス」に、ちょうど岩手県北バスが傘下に入るというタイミングだったのが転機となり、4月には現職に就くことになったのです。

当初はバス事業に対する知見もほとんどない状況で盛岡へ来ました。岩手県北バスは民事再生になっていて、今でも再生会議といって週に1回幹部を集めて会議をするのですが、この民事再生による社員のマインドチェンジがあったのが良かった。再建のための新しい展開への抵抗があまりなく、非常に皆さん柔軟で、比較的私が入りやすかった環境だったと思います。また、岩手県北バスはもともと観光など、外から人を呼び込むための様々な取り組みを継続してやってきていたこともあり、新しいことを受け入れやすい環境にあったのでしょう。

就任後最初の数か月は、事業部別の月次決算やPDCAサイクルをしっかりと回していくための全体の仕組みづくり。さらにいろいろな人たちから新経営陣が意見を直接聞けるように、目安箱的なメールのアドレスを作るなどの対応で追われていました。PDCAにおいては、期初に立てた予算に基づいて、毎月毎月の対予算、対前年に対する差異やKPIの分析から。その中で課題を見つけながら施策を考え、策を打っています。

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マイナスからの脱却。成熟産業でも発想を転換し、マーケティングでプラスに

そんな日々で思い起こされるのが、ファーストリテイリング時代に学んだことです。もともとアパレルも路線バスも同じ成熟産業ですが、ユニクロは成長を続けています。成長はなかなか厳しいという視点を経営者が持ってしまったら、その時点で思考は止まってしまいます。人口が減るのでバス利用者が減るのが当たり前だと思うと、その時点で施策も当然出てこないですよね。でも、そこを見方をひとつ変換し、利用者のニーズを掘り起こすことが肝心。バスの場合でしたら、当面は高齢者が増えてくるわけですから、公共交通の利用ニーズは高まっていくわけで、ニーズにマッチしたサービスが提供できれば利用者も増えていくことになります。現在は多くの自治体でコンパクトシティー化によるあらたな街づくりの取り組みが進められていますが、住居や人が集まる施設をある程度集約していけば、そこを結ぶ公共交通の充実を図ることにより公共交通の利用者利便性を高めることもできるでしょう。

要するに、顧客視点でどういうサービスが求められ必要なのかを考え、利用しやすいものができれば、当然、人は利用するということで、マーケティングの観点が重要になります。PDCAを循環させていきながら、いかに良いサービスを作り、どう訴求していくかを考えていけるマインドや仕組みを、会社の中にしっかりと作っていくことが重要と考えています。

震災後により深く理解した、社会的使命。地域の課題解決こそが地域の活性化と共に会社の成長に繋がる

地方のバス会社というのは公共交通と観光の両方やっていますので、地域の活性化に向けて非常に重要な役割を果たす立場なのです。地域の住民の快適な生活基盤の提供を担うと共に、首都圏や海外等の地域外の人々を呼び込むインフラの役割も担っているわけですから、その社会的使命をしっかりと果たすことができれば、地域の定住人口や交流人口の拡大を通して、地域の活性化へ繋げていくことができます。東日本大震災では公共交通機能もマヒしたわけですが、それに対して首都圏から秋田空港経由で盛岡さらには岩手沿岸を結ぶ交通インフラを確保すべく、秋田空港と盛岡を結ぶバスを運行するなど臨機応変な対応を行っていく中で、バス会社の社会的使命をあらためて強く認識する機会にもなりました。

つまり、交通・観光事業者という立場から、その社会的役割を果たすことにより、地域の課題解決への貢献を通して、地域の活性化と共に会社の成長を実現していくということ。これが経営陣という立場から私に求められている大きな仕事なのですが、私自身は経営者というよりはむしろ自分の立ち位置というのは、ファシリテイターだと思っています。社長をはじめ幹部、社員の人たちがそれぞれ役割を持って動いていくわけですが、みんなが動きやすい環境を作ることや、みんなが同じ方向に向かって動いていけるように、現地責任者として全体をファシリテートすることが私の重要な役割であると考えています。今、会社が向かっている方向に対して、全体をうまく動かすために、常に自分が動いていく。そこに、私自身のM&A時代の経験が生かされているような気がします。

そのような中で、ヤマト運輸さんや東北電力さんとの提携も生まれました。バスを使って物を運んだり、災害時の電力インフラ復旧に向けて優先的にバス提供をするなど、地域の課題や地域が求めていることに高いアンテナを張り、その中で自分たちができること、自分たちが持っているハードやソフトのリソースでできることを考えながら動く。そういったことが地域活性化へ繋がることだと思っています。

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週末は温泉へ。満員電車通勤もなく、子育ての環境も恵まれている盛岡

私の場合、妻の実家がたまたま青森で、盛岡へ来ることへの抵抗があまりなかったのは幸いでした。地方出身者の人はとくにそうだと思いますが、やっぱりみんな地元に対する愛着がありますよね。地元に帰ると懐かしい気持ちにもなるし、ちょっとうれしい気持ちにもなるでしょう。盛岡は私にとって故郷・福島と同じ東北ということもあって、同じような思いでやってきました。
そんな盛岡は生活環境としても非常によくて、週末になれば気軽に行ける温泉がたくさんありますし、子どもを遊ばせるところも自然もいっぱいあって生活環境面は実にすばらしいです。満員電車に毎日乗る必要もないですしね。

地方で働くことの一番の問題は、相応の賃金と安定した雇用、やりがいをもてる仕事が確保されるかどうかだと思います。一定レベルでその人がやりがいをもって働くことができて、子どもがちゃんと育てられて、不自由のない生活を送ることができる。そういった仕事があれば、地方へ戻ってくる人は多いのではないでしょうか。

当社のようなバス会社でいうと、ルートダイヤの最適化や観光利用促進などを図りながら移動需要を増やすことで乗車密度を高め、労働生産性を改善し収益性を上げていくことにより、労働分配の増加による賃金アップが図られる。また、震災後に当社が行った臨機応変なバス交通対応やボランティア輸送のような社会的使命を果たして地域の課題を解決し活性化させるということをやれば、必ずそこに確固としたやりがいも生まれます。あとは、地域の活性化や生産性を上げることに寄与したいという強い思いがある人が、首都圏等からもっと来てくれれば。私自身は、地方で働いてその伸びしろを実感しており、大きな期待を抱いています。

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岩手県北自動車(通称 岩手県北バス) 副社長

鈴木 拓さん

福島県出身、47歳。平成5年、慶應義塾大学経済学部卒。在学中から公認会計士を目指し、平成6年、朝日監査法人(現あずさ監査法人)勤務。さらに、米国にてMBA取得後、平成15年、三菱UFJ証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)投資銀行本部M&Aアドバイザリー業務を担当。平成19年にはファーストリテイリングM&A及びグループ事業開発へ。平成22年、(株)経営共創基盤に入社し、現在の岩手県北自動車、取締役副社長に就任。

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