株式会社マイヤは、岩手県大船渡市に本社を置く、1961年創業の東北・三陸エリアを代表するスーパーマーケットチェーンです。東日本大震災で4割もの店舗が被災するも、現在は見事に復活し、岩手県と宮城県に18店舗を展開しています。店舗をビジネスと捉えず、商品の提供を手段として地域のお客様の豊かな食生活実現を目指すマイヤは、2018年、代表取締役社長を首都圏の大手スーパーマーケットチェーンの役員だった井原良幸氏に託し、代表取締役社長だった米谷春夫氏は会長に就任しました。新社長誕生はどのような効果があったのか、株式会社マイヤの代表取締役会長 米谷春夫氏にお話をうかがいました。
*この記事は2019年1月15日の記事を編集したものです。
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「家族経営」から「企業経営」に
米原会長は創業者の米谷淳氏から継いで、1991年、44歳のときに2代目社長に就任しました。
「まず家族を役員から外し、社員から6人を登用して「家族経営」から「企業経営」に切り替えました。事業は人によって成り立つものです。足りないと考えれば他の人を入れることを考えました。」
社長になって20年以上が経過した頃から、米山会長は社長を退任しようと考えていたといいます。「ITがどんどん発展し、流通業の環境が激変して全体のパイが縮小していました。そのようななかでも業績を上げていくためには、新しい感性が必要だと思ったのです。それに、社長の定年は70歳と決めていました。自分で決めたことですから守らないといけないと思いまして。」
2011年の東日本大震災の発生で、店舗の4割が被害を受けましたが、6年かけて仮設を含めて建て替えが終わり、そのタイミングで承継することを決めた米原会長。最初は41歳の長男をと考えたものの、時期尚早と思い直し、他の役員を検討したところ、なかなか候補があがらなかったのだといいます。
「三陸出身の社員たちは当地でナンバーワンのマイヤは永久不滅だと錯覚しているところがあります。“井の中の蛙”ではいけません。世の中に置いていかれないためには、新しいことを学ばなければなりません。」
外部から新社長就任
米山会長は新社長に必要な要素は「新しい感性」「グローバル」「1~2段階若い」「人間性」と考えるようになりました。こうして、2018年、新社長に就任したのが井原良幸氏です。首都圏の大手スーパーマーケットチェーンの取締役からの転身でした。
米原会長は井原氏に何度か会い、その人間性に好感を持って、ぜひマイヤの社長になってほしいと必死に想いを伝えたといいます。
新社長の就任は社員たちにとっては想定外でした。
「井原社長がマイヤに入社したのは51歳のときです。当時のマイヤの管理職の平均年齢は52歳で勤続年数も長く、東京の上場企業から自分たちよりも若い社長が来ることに抵抗感があったでしょう。それでも、井原社長はフランクな人柄なので、徐々に警戒心は取り払われたと思います。」
悪しき「ヒラメ型社員」
「当社にはいいカルチャーもあれば、悪しき部分もあります。」という米原氏は、その悪しき部分は「ヒラメ型社員」だといいます。
当時の社員たちは、26年間社長兼オーナーとしてやってきた米原氏の顔ばかりうかがって、直言できるものがいない。つまり、上ばかり見ているヒラメ型社員ばかりでした。
「何とか主体性を持って仕事に取り組める人材に育てていなければならないと考えていました。そして、今は、新社長には直言できるようになっているようです。おそらく、組織作りとしては一歩進んだといえるのではないでしょうか。」
井原社長はパートを除く210人もの社員と30分ずつ、半年をかけて個別面談を行い、社員たちと密にコミュニケーションをとってくれているのだといいます。
「私の場合、オーナー経営者という立場から、社員たちの能力をうまく引き出せませんでした。新社長にはそこを引き出してほしいですね。外部にいたからこそ見えるところがあると思います。社内では当たり前過ぎて、自社の強みであることに気づけていないところを、外部の目でのばしていってほしいと思っています。」