新型コロナウイルスショックなどでなかなか明日のことも考えにくい昨今ですが、世界も地域も幾多の戦争、ウイルスなどを乗り越え今日があります。それを考えれば、先人たちがそのような大きな激変にどのように対応してきたか、ということは大変学び多いものがあります。
地方創生においても、地域産業の活性化は一朝一夕には達成できるものではなく、何より一時期は活性化していても、その後に衰退してしまうことは少なくありません。工業都市は特にその傾向は強いです。特定産業集積で優位性があった地域も、その後は国際的な競争などに巻き込まれて負けてしまうと、次の打ち手がないままに衰退してしまうということが多くあります。これは欧州でも、アメリカでも、日本でも大差はありません。かつて鉄鋼で栄えた都市が衰退したり、自動車で栄えた地域が衰退したり、エレクトロニクスで栄えた地域が衰退したり、造船で栄えた地域が衰退したり、と並べ始めるとキリがありません。
しかしこの中でも長く地域で継続しており、地域を移動できないからこそ、特定の地域が活力を失わないという特性を持つ産業の一つとして「農業」があります。しかし、一般的に我々が考える農業というよりは、極めて経営的、産業的視点を持つ農業です。それを担うのは、地域で時代を跨ぎ代々続く農家、昔で言えば庄屋などの大地主の家系であったりします。
地方創生において、確かに外からの挑戦者も貴重ですが、しっかりと地域における歴史と経営力を培ってきた実業タイプの方とそのような方が出会うことこそ、より一層大事だったりします。
というのも、百年単位での蓄積を続けてきている産業は簡単には真似できないものであり、だからこそ「この地域でなくてはならない」という必然性を生み出します。そういった地域の文脈となり得る産業のバトンをつないできた方と、外からの挑戦者が出会った時に、大きな力になることが多々あるからです。
先日山梨県甲州市勝沼エリアに行った際に、養蚕とワインという産業の系譜を見たのですが、さらにワインツーリズムなどの昨今の取り組みとの連鎖で考えさせられる“地方だからこその産業のバトンリレー”について、今回は取り上げたいと思います。
養蚕で栄え、ワインにつなげた勝沼
山梨県甲州市勝沼といえば、昨今ではワインのイメージのほうが強いかと思います。明治から始まった甲州ぶどうで作られる白ワインは高く評価されておりますが、実はその前に栄えた産業として養蚕があったのです。
いわゆる蚕を育てて生糸を生み出す産業は、化学繊維がない時代においては、非常に貴重な衣服の原材料であり、歴史的には中国から世界へと広がっていったとされます。日本にも伝来し、江戸時代から積極的に輸出品として生産されるようになっていきます。山梨県甲州市も養蚕を積極的に推奨し、特に横浜港が開港してからは、地政学的な優位性も働き、外国へ生糸を輸出する甲州商人が続々と現れたと言われています。そういう意味では、甲州は外に開かれた産業を農業地域から生み出すことに非常に積極的だったと言えます。産業革命後に紡績産業が拡大した際には、イギリスなどが優位だった養蚕ですが、その後に日本が追いつき追い越し、長らく日本の輸出品として外貨獲得に貢献したものでもあります。しかし、戦後徐々に中国韓国などとの競争で衰退し、別産業へと山梨甲州はシフトしていくことになります。
その中で、山梨県甲州市は明治時代から養蚕と共に取り組まれてきたワイン生産が見直されるようになっていきます。ワインとしての評価を高めていく道のりは簡単ではなかったものの、養蚕業で地域の中核を成していた人々がワインにしっかりと投資し、今日の礎を築いています。
ワイン自体は膨大な投資規模がかかり、農地も求められる上、時間をかける必要があるため、運転資金も必要になる産業です。そのかわり一定のアドバンテージを作れてしまえば、時間が経てば経つほど資産の価値が上がっていくという特殊な産業でもあり、資本は常に高い利回りで回り続け、経営は非常に楽になります。立ち上がりに大変苦労する分野といえるでしょう。そういう意味では、養蚕で形成した資産が、ワインに投資されているというこの適切な産業のバトンリレーこそ甲州市勝沼エリアの先駆者たちに見られる非常に優れた点と言えます。
養蚕とワインが持つ、3つの共通点
養蚕もワインもいくつかの共通点があります。
ます1つ目は、付加価値が高い加工産業であることです。養蚕もワインも農地を活用し、そこで粗蚕を育てたり、醸造したりという加工が加わるものですが、非常に付加価値が高いものです。ヨーロッパのワイン生産地でも、かつては養蚕が積極的になされていたという話が聞かれるように、農業経営においては非常に投資が必要な一方、リターンも期待できる分野と言えます。
2つ目は、輸出産業にもなり得る分野であることです。もともと山梨県甲州市の養蚕が海外への貿易目的であったという性質も非常に優れたもので、常に内需ではなく外需を見ていたわけです。しかもヨーロッパへの輸出を率先していたということは、ヨーロッパとの取引の中で、視野が広がっていたことは言うまでもないでしょう。ワイン生産も国内の勧業的な視点だけでなく、海外の本物のワインに触れる中で養われるものは少なくなかったと言えます。
さらに重要な3つ目の点として、その土地でなくてはならない制約があることです。養蚕でも、山梨の絹は甲斐絹と呼ばれたようですが、その地域地域で品質などの違いがあり、そこにブランドが形成されていきます。ワインは当然ながら生産される土地のテロワールを評価するものであり、できの良いワインをつくるワイナリーが適当にその土地の名前を偽装して別の地域で同じ銘柄のワインを作ることなどできないのです。土地を背負って逃げることもできない、つまりはその土地をしっかりと守り、土地を育てていくことと向き合う必要がある分野です。
産業的変化という点においては、養蚕は加工部分などに工業的側面が強いため、国際競争の中で中心地がどんどんシフトしていきましたが、ワインはヨーロッパでも残りました。つまり山梨県甲州市勝沼にとってもワインを続けてきたことが今後ますます花開く可能性があるのです。その一つに、立地の優位性があります。
東京都市圏にある強み
山梨県甲州市勝沼の強みとして、中央道でいくと驚くほど都心部から近いのです。
かつて絹生産でも横浜港が近かったメリットを生かして輸出したというのがありますが、今となってはそこでわざわざ国際競争するよりも、国内の巨大マーケット東京が隣に位置しており、その市場を狙うのは合理的です。当然生食用の高級葡萄を出荷したり、観光農園の事業をやることもできますが、さらに付加価値を狙えるワインを育ててきたことは、今となっては大きなコンテンツとなっているわけです。
さらにワインは単に出荷するだけでなく、産地を見たい、そこで食事と共に楽しみたい、さらには宿泊したいという流れにつながっていきます。このようなツーリズムとワインとの関係を
積極的に取り込み、成果をあげているDMCがあるアメリカ・カリフォルニア州のナパバレーはあまりにも有名です。最近ではニュージーランドをはじめ新興ワイン生産地は、皆取り組んでいる分野です。
山梨でもワインツーリズムの取り組みが10年以上続けられています。
https://www.yamanashiwine.com/
もともと山梨出身で、甲府市内で飲食店を経営する大木さんなどが中心となり、ワイナリーさんたちと共に立ち上げ、ファンも多くなっています。つまりは新たな挑戦者と、古くから地元で農業を営み、養蚕、ワインへと軸をシフトされてきた方々がチームとなり取り組まれているわけです。東京都市圏に位置するワイン生産集積地は、観光面でも優位性を高めるのに大いに機能しますし、これからの成長がますます楽しみになります。逆に言えば、まだまだそのポテンシャルは生かされていないとも言えます。
歴史と新たな挑戦が組み合わされると、産業的には適切なバトンリレーが成立していくのです。歴史的産業を守るだけでもじきに駄目になるだけです。かといって新たな挑戦だけではパワー不足。地方創生のプロジェクトに要求されるのは、古きものの力を活用しつつ、新たな挑戦にオープンであることと言えるでしょう。