家庭常備薬“メンターム”を滋賀から全国へ。倒産を乗り越えた近江商人の魂(前編)
GLOCAL MISSION Times 編集部
2022/03/31 (木) - 18:00

深い緑色が印象的な家庭常備薬「メンターム」を知らない方は、ほとんどいないのではないでしょうか?ギリシャ神話の医術の神アポロンが描かれた、この国民の定番薬を普及してきた株式会社近江兄弟社は、滋賀県に社屋を構えています。

米国から商品や技術を仕入れ、日本で発信するグローカル企業が、倒産を乗り越えて、地方からここまで発展し続けてきた秘密は何だったのか。株式会社近江兄弟社 代表取締役社長 山村徹氏にお話をうかがいました。

近江に降りたったアメリカ出身のヴォ―リーズ

琵琶湖の東岸に位置する近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町。今も旧市街地には碁盤の目のような整然とした街並みや歴史的な建物が保存されています。

1905年(明治38年)、キリスト教伝道を目的に滋賀県立商業学校(現:滋賀県立八幡商業高等学校)の英語教師として赴任してきたアメリカ出身のウィリアム・メレル・ヴォーリズは、2年後、伝道活動の資金を得るために建築資材の輸入などを手がける合名会社を設立。これが「近江兄弟社」の前身となりました。

この社名は、ヴォーリズが愛した「近江」という地名と、人類は皆仲間であり「兄弟」であるというキリストの博愛の精神から名付けられたもの。事業を通じて社会奉仕を行うことを経営理念に掲げ、グループには学校、病院、介護老人保健施設などが名を連ねています。

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近江兄弟社の創立者として終生、結束の固かった3人。(左から)村田幸一郎、ヴォーリズ、吉田悦蔵

メンソレータムの輸入販売の成功から一転、倒産へ

ヴォーリズが手掛けた事業のひとつが、アメリカ製の塗り薬「メンソレータム」の輸入販売でした。かわいらしい看護師さんのイラストが描かれていた「メンソレータム」。創業者のハイド氏は日本でキリスト教伝道に奮闘するヴォ―リーズに共感し、日本での販売を許可してくれたのでした。

しかし、当初は売れ行きが芳しくなく、問屋からはアメリカからきた得体のしれない薬だとほとんど相手にされませんでした。それでも社員たちは、全国の教会を訪ねて売上金の一部を伝道のために献金することを説明して回り、やがて大ヒットにつながったのです。

しかし、1974年、近江兄弟社は倒産に陥ってしまいます。ヴォーリズの死去、景気の低迷や類似商品の増加による業績不振、不動産事業の失敗など、さまざまな要因が重なってのことでした。ついには「メンソレータム」のライセンス契約まで打ち切られてしまったのです。

自転車に乗り東奔西走し、事業再建へ

それでも、社員たちは再建をあきらめませんでした。既存の設備とノウハウを活かして、「近江兄弟社メンタームS」を翌年発売。社運を賭けたこの新商品を社員たちは「全員セールス」の号令のもと、自転車で東奔西走して、死に物狂いで売りまくりました。

「小売店様からは“倒産会社の商品など扱える訳がない”と思われていますし、潤沢な広告費もありません。お客様の認識をくつがえすには、自分たちでアピールしていくしかありませんでした。」

「ライトバンに折りたたみ自転車を4台積んで、京都や大阪市内に行って、全社員が手分けして薬局薬店様を回ったそうです。私が入社した頃は、会社再建も少し落ち着いたころでしたが、週に2回ぐらい、冬の前になるとリップやメンタームの企画品セットの案内書を作り、1軒1軒しらみつぶしに地図に丸をつけながら、自転車で回っていましたね。」

こうして、近江兄弟社は、ついに1980年(昭和55年)の決算でついに黒字へと転換。復活を果たしたのです。

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株式会社近江兄弟社 代表取締役社長 山村 徹さん

倒産は犯罪。二度と繰り返してはいけない

山村氏は、1985年(昭和60年)が新卒で近江兄弟社に入社したのは、倒産から11年経過した時期でした。滋賀出身の山村氏は、入社してからはずっと営業畑だったといいます。

当時の苦労を知る先輩からは、「いつも自分の目標を持ち、気づきを持っていなさい」と教えられたという山村氏。「仕事の成果を100点満点としたとき、全力投球だけでは85点止まり。残りの15点は競争相手との差や成長が決める。それは、常に考えること、好奇心を持つことなのだと言われてきました。」

やがて、2011年、山村氏は48歳の若さで代表取締役に就任することになります。近江兄弟社再建に尽力した岩原元社長からよく聞かされていたのは、「倒産は社会にとって大きな犯罪だ。取引先様にも大変なご迷惑をかける。二度と繰り返してはいけない」ということでした。

「長年営業現場にいたからこそ、人に気に入ってもらえることが商売につながっていくという実感があります。これまで、私たちは真面目にメンタームから派生した薬を作っていたのですが、近年はそれに加えて、誰でもわかりやすいデザインを取り入れるなど、お客様視点で商品を見直してきました。事業を永続するためには、時代に即した消費者ニーズに合う商品開発、サービスの向上が不可欠です。効能効果だけでなく、使用感や香りにも工夫が必要だと思っています。」

再建を支えた行動力とアイデア力

まさに、近江兄弟社の再建を支えたのは、アイデア力でした。

例えば、近江兄弟社の“メンターム薬用リップ”でも使用されているブリスターパッケージのリップ。「今では当たり前になっていますが、実はこれをリップスティックに日本で最初に取り入れたのは近江兄弟社だと言われています。昭和45年頃、先達がアメリカを旅行した際、視察で訪れたスーパーで見かけた商品の包装にヒントを得たそうです。商品を40個吊り下げたディスプレイ什器をそのまま小売店様の店頭に吊り下げてもらったことが功を奏して、一気にリップスティックの増産に移行していったそうです。お客様の立場に立って、“買いやすい”“目立ちやすい”“すぐ手が出る”という気づきの賜物です。」

もうひとつ、ユニークな取り組みとして、近江兄弟社では、全社員に毎月1つ以上の新商品提案を出すようにお願いし、提案の中から、実際に商品として発売したアイデアには、社長賞を贈っているのだそう。

「提案は全て、1つ1つ幹部全員が目を通して検討します。そのまま商品にできる場合もありますし、ヒントやエッセンスを抽出する場合もあります。最終的には役員会議で決めて、商品部門で形にします。毎月アイデアを出すのは大変ですが、トレンドに敏感になり、なにより自分が企画した商品が店頭に並ぶのはうれしいようです。」

基本は現地採用。人間力の向上が企業を成長させる

「近江兄弟社では、基本的に現地採用主としています。そのため、滋賀本社はほとんどが地元の人ばかり。正社員は約90名で、20年以上概ね一定数を保っています。新卒採用は隔年ごとに多くて2~3人で、勤続年数が比較的長い会社です。欠員が出れば中途採用で募集をかけています。」

職場の環境整備には力を入れており、年5日間の計画有給は既に取り入れて、有給消化率は70%を達成。英語学習や資格取得など、社員の学習環境にも力を入れています。5人以上の有志が集まればレクレーション活動を支援するといった、社員同士の交流の機会もサポートしているといいます。

強制もノルマも全くなく、仕事に直結してもしなくても、個々人のキャリアアップや仲間づくりは積極的にやってほしいと、日頃から社員たちに伝えているという、山村氏。

「人間力の向上が、おのずと企業の成長に結びつくものだと考えています。」

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