【冨山和彦】地方政策の呪縛を解き放つのは、今しかない/シリーズ第1回
GLOCAL MISSION Times 編集部
2017/08/02 (水) - 08:00

「働き方改革」という文字列を見ない日がないくらい、今日本の労働事情はさまざまな局面で論じられています。そんな中、「地方で働く」ことも注目を集めている選択肢のひとつ。ハンズオン型コンサルティングによって成長支援を行っている株式会社経営共創基盤の代表取締役冨山和彦氏が、地方企業の現状と変化の可能性、同社が関わっている東北のバス会社の実例などから、地方創生を視野に入れた働き方改革についてのコラムを発信します。その第1回目は、地方活性化政策の歴史と現状についてです。

「日本列島改造論」が地方を変え、地方を衰退させた

2016年、「田中角栄」についての書籍が何冊もベストセラーになりました。停滞する日本にあって、かつての高度経済成長期を牽引した稀代の人物を懐かしむとともに、あの時代が持っていた熱気と繁栄よ再び、という願いがブームの背景にあったのかもしれません。田中角栄氏がブルドーザーのように押し進めた列島改造は確かに地方の所得と人口を増やし、活気を創出しました。私たちの記憶に残っている「駅前の賑やかさ」は、そのおかげと言ってもいいでしょう。所得の再配分と地方の生産性を高めるため、土木工事を全国で行いました。道路を通し、ロードサイドの量販店ができ、町の外にニュータウンを造りました。

しかしその繁栄は、バブルが崩壊した頃、終焉を迎えました。道路工事や公共事業の工事数の減少とともに、働く場も数を減らしていきます。郊外のニュータウンへ居住地が広がっているところへ少子化が進んだことで、徐々に人口密度が減り過疎化が始まりました。それに伴って駅前商店街、中心市街地も廃れてしまいました。製造業に関連する政策で「工業団地モデル」がありますが、今や誘致しても入居する企業が少ない状態です。土木工事や製造業の衰退で、若い人たちは東京をはじめとする大都市へ出ていってしまい、地方の高齢者人口は増加する一方です。
つまり、田中角栄型の地方政策はあの時代は成功したものの、その後、今のような状況を招いたとも言えるでしょう。

東京への一極集中は、なぜ起こったのか

地方から製造業が撤退すると、人口集積が下がります。すると、サービス産業(観光業・小売業・飲食業など)も打撃を受けます。これらは人口集積の上に成り立っている産業だからです。生産性が下がるから給与も下がる。だから東京へ出ていく。東京はまだまだ人口集積の状態で、サービス業の働き口はたくさんあるからです。バブル崩壊後、東京の産業構造が非大企業型に転換していったので、中心となる産業は製造業から不動産、飲食、小売業へと細密化していきました。これらは人口集積がモノを言うので、狭いところに人がたくさん住んでいた方が有利なのです。製造業よりも生産性が低いので給与面では不利になりますが、東京には仕事があります。地方にいるよりまし、という状況で一極集中が進行し悪いスパイラルに陥っていきました。
私が前職の産業再生機構に在籍していた2004年から2005年、地方企業の再生案件を手がけ始めましたが、困ったのは地方に仕事にないことでした。リストラをしても、次の行き先がないのです。それくらい当時は深刻でした。

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今までの地方活性化政策は、安楽死への道のり

もちろん、国としても地方が衰退していくのに手をこまねいているわけにはいきません。政策面では角栄型がまだ続いていて、法律などの仕組みもできてしまっているから、続けなければならない。先ほど挙げた工業団地もそのひとつです。虚しくも工業団地をまだ造ることを続けています。効果がないのに、です。もっとも、政策的転換が難しいのも事実で、急激な転換は構造改革モードに入ること。これは、社会を不安定にします。結局、補助金や助成金を創設し、資金面での援助を図ることになります。しかし「安定」を選んだがゆえに、緩やかな衰退が待っていたのです。
農業についても救済型の政策を採り続けています。競争力がなくなって衰退し、その救済策として補助金を出す。しかしそれでは高収益産業にはなりません。若い人を重視しない政策であるがゆえに高齢化はさらに進み、衰退への道をたどります。
バブル後、「失われた20年」とよく言われます。失ったのは成長や活性ですが、安定は手に入れました。しかしこれは平和にまったりと、じわじわ衰退していく道です。死に瀕している人への延命策に似て、おカネを入れ続けて安楽死モードにしているだけです。所得再配分的な意味合いでは、確かに地域安定性に貢献はしました。地方の町は荒まず、治安も良好。どこへ行っても一人で安全に歩けます。ただし、その町のバイタルは消えかけていたわけです。

地方の人手不足が、構造改革のきっかけとなる

2000年代後半になり、最初に人手不足の兆候をきたしたのは地方でした。それまでは仕事がないから人手が余り、余った人手は東京へ、というスパイラルだったのが急展開して、人手不足の兆候をきたしたのです。その理由は簡単で、少子高齢化が地方で先に進行したからです。若い人々が東京へ出てしまって、子供の数が激減しました。社会減が東京よりも先に起きていたわけです。
高齢者が多くなっても、彼らは消費を続けます。多くは介護や医療、地方交通機関の利用で、モノ消費よりコト消費。サービス業は労働集約型産業だから人口集積が必要なのに、人がいない。結果、人手不足に──こういった構図です。
構造的政策には強いイナーシャ(慣性)がかかっているので舵をなかなか切れませんでしたが、ここへ来て状況は変わりました。失業問題は気にしなくてもよくなりましたから、考えるべきは経済や産業の構造を転換すること。より生産性の高い産業や企業を元気にしていくという、本来的な経済活性化政策を打つことができます。仕事は増加し、量よりも質を問うまでに回復する望みが生まれました。
バラマキによる延命型地方政策は、地方が自ら打破していくしかありません。では、今までの呪縛を解き放つ方策やその成功事例は──次回、それらをお伝えしたいと思います。

〈シリーズ第2回〉地方活性化を果たす鍵は何か?? その答えはシンプルだ に続きます。

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