人生100年時代や少子高齢化社会を迎え、日本人の生き方と働き方は、これからどう変わっていくのか。本シリーズでは、有識者や第一線のビジネスパーソンに「未来の働き方」を予言してもらった。日本の「転職35歳限界説」は崩壊し、専門知識や経営能力を持つ40-50代の転職は当たり前になった。第6弾はリクルートエイブリック社長としてミドル層の転職市場の形成に貢献し、現在はJリーグチェアマンとして活躍する村井満氏に、転職市場のこれまでとこれからを聞いた。
崩れ去った「転職35歳限界説」
日本でまことしやかに囁かれていた「転職35歳限界説」。しかし転職市場の状況を見ると、もはやこの定説は完全に崩壊していると言って良い。特定分野の専門性を持っていたり、経営管理に精通している40-50代の人材は、即戦力人材として引く手あまただ。
このミドル転職市場の形成に大きく貢献した人物が、2004年から11年までリクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに社名変更、現リクルートキャリア)の代表取締役社長を務め、現在はJリーグチェアマンとして活躍する村井満氏である。
村井氏はリクルートの歴史を辿りつつ、「日本の転職市場は大きく3つのフェーズに分けられます」と説明する。
第一フェーズは、リクルートが中途採用の専門誌「週刊就職情報」や女性向け転職誌「とらばーゆ」などを相次いで創刊し、転職そのものが社会的な認知を得るようになる、1990年代まで。2000年代からの第二フェーズでは、専門のキャリアアドバイザーが相談を受け最適な転職先を紹介する、中途人材紹介モデルが普及し始める。
そして第三フェーズ、2000年代後半になると、いわゆるリクナビNEXTのようなウェブサイトでの転職紹介や、ウェブでの集客とリアルでの紹介をハイブリッドで組み合わせる事業モデルが普及。転職は社会に当たり前の行為として受け入れられるようになった。
「私がリクルートエイブリックの社長に就任した2004年当時は、ブティック型の人材紹介会社が1万社程度あったと思います。紹介事業にアクセルを踏んだ結果、エイブリックのシェアは60%を超え、大手の寡占が進んでいきました」と村井氏は振り返る。
「内側の情報」を紡ぐ
なぜ、リクルートエイブリックはミドル転職市場を押し拡げることができたのだろうか。
「転職決定においては、希望職種や学歴、年収などの『外側の情報』以上に、企業の抱える経営課題や転職希望者の不安・葛藤といった『内側の情報』のマッチングが大切です。外側の情報はテクノロジーによるマッチングや体系化が可能ですが、内側の情報のマッチングは、熟練したキャリアアドバイザーの存在が不可欠でした」
そこで村井氏は、50-60代のベテランアドバイザーが活躍できる社内環境を整備し、同時に、経営・営業・金融・ITといった職種・業種や年齢層などのセグメントごとの支援体制を構築した。一例が40-50代の転職支援を主な業務とする「営業スペシャリストチーム」だ。これらの施策が功を奏し、マッチング精度と登録者数が上昇していく。
村井氏は、当時の印象的なエピソードを紹介してくれた。 「ある会社員が『消防士になりたい』と相談に来たことがありました。消防士の求人は扱っていなかったので戸惑いましたが、よく話を聞くと、彼は『自分の身を投げ売ってでも、人を救う仕事にモチベーションを感じている』ことがわかりました。そこでシステム保守・エマージェンシー対応の職務を紹介したところ、転職が決まり、生き生きと働けるようになったと聞きます。このように、本人の言葉の裏側にある、本人さえ気づかない思いをどう手繰り寄せるかが人材紹介の本質なのです」
また、「転職者の約8割は、職場の半径10メートル以内に課題を抱えている」ということにも気づいた。つまり、給与や忙しさ以上に、「上司が自分の仕事ぶりを評価してくれない」などの身近なマネジメントや人間関係が大きな退職動機になるのだ。これは村井氏が会社経営をする上での大きな学びになったという。
経営人材をシェアする時代に
今後日本では、より高い年齢の人材、特に経営手腕を持つ「スーパーミドル」の人材の奪い合いが加速していくと予想されている。村井氏もチェアマンに就任してすぐ、クラブ経営人材の育成を目的とした「Jリーグヒューマンキャピタル」を発足。これを発展させ、2016年には公益財団法人スポーツヒューマンキャピタルを設立し、スポーツ界全体の経営人材育成に貢献している。「経営人材のクオリティがクラブやリーグの成長を決めると言っても過言ではありませんし、企業でも同様でしょう」と村井氏は強調する。
「過去の日本企業では、新卒採用した人材をゼネラリスト兼経営者予備軍として育てきました。しかし現在は、バリューチェーンの組み換えの巧拙が企業の競争力を左右するようになり、同時に、人材の組み換えも非常に激しくなってきています。人材育成と共に、中途採用や複業・兼業で必要な人材を機動的に調達することも大切です」。Jリーグでも、業務委託でプロフェッショナル人材に週3日働いてもらうフェロー制度を運用している。
一方で、「中小企業や地域企業は組織のサイズが小さいため、プロフェッショナル人材を採用してから仮にミスマッチが起きると、配置転換が難しくなるという課題もあります」と村井氏は指摘する。その解決策として提案するのが、プロフェッショナル人材を地域や同業でシェアするというアイデアだ。「例えば地域ならば、行政や商工会議所などがプロフェッショナル人材をプールし、地元企業に派遣するという形が考えられます。一定期間働いて、人材と企業が合意したら本採用に至るという訳です。全国38都道府県、54クラブから成るJリーグも、ある種の中小企業の集合体ですので、人材のシェアリングを検討していきたいですね」
人材領域に限らず、地域とスポーツ団体、そして企業のパートナーシップのあり方でも、シェアリングの概念が重要になってきたと村井氏は言う。「Jリーグタイトルパートナーとして契約して頂いている明治安田生命は、全国の支社が主体となって地域で小学生向けサッカー教室やJリーグ観戦イベントを開催したり、健康づくりのための『Jリーグウォーキングアプリ』を開発してくれています。メディア露出価値ではなく、地域社会を元気にするという志を共にして、それぞれのノウハウや資源をシェアしているわけです」
村井氏は人材市場や働き方の未来をどのように描いているのだろうか。 「私とリクルートで同期だった大久保幸夫さん(リクルートワークス研究所所長)が、先日ある新聞で『転勤のない社会』を語っていましたが、私はそこに大きなヒントがあるのではないかと考えます。これからの企業は、従業員の人生の充実や健康に基軸を置いた人事オペレーションを取るべきですし、取らざるを得ないでしょう。従業員の意思=Willを尊重し、モチベーションを上げることが、新商品開発やサービスの高度化を促し、経営改善に繋がる。これこそが日本の働き方改革のベースだと思っています。自然や食が豊かな地域で、都市と遠隔で繋がりながらナレッジワークをする人も、どんどん増えていくと思います」
Jリーグ チェアマン
村井満(むらい みつる)さん
1959年、埼玉県川越市生まれ。83年早稲田大学法学部卒、同年日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)入社。同社人事担当執行役員を経て、2004年リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに社名変更、現リクルートキャリア)代表取締役社長。11年RGF香港社長、13年同社会長。14年からJリーグチェアマン。日本サッカー協会副会長、日本プロスポーツ協会理事も務める。