昨今のライフスタイルの変化や嗜好のグローバル化などで、日本酒業界全体を取り巻く環境は厳しい。そんな中、安政3(1856)年創業、「千福一杯いかがです~」のCMで知られる清酒「千福」の醸造元、三宅本店は、自社と業界の改革にむけ始動。5代目当主・三宅清嗣氏と長男・清史氏に、その取り組みについて伺った。
<前編>呉市の老舗酒造が、自社のリブランディングと清酒業界の改革に挑む
ワクワクすることで未来が変わる。呉市発、業界を巻き込むムーブメントへ
――「ワクワク企画室」の取り組みと現在の状況を教えてください
清史氏:今年の4月から稼働し始めたものの、何をやると決まっているわけではありませんでした。ある意味、何をやってもいいぞといきなり組織を任されたわけです。会社の状況や経営課題は事前に共有されてはいたので、まず内側から改革していこうと考えました。とにかくワクワクさせることがミッションなので、まずは社員が何を考えているのかを知らなければいけない。従業員全てに自らの手で直接アンケートを配布し、会社についてどう思うか、変革の必要性を感じるか、何にワクワクするか等を問い、2日間で全従業員と会話をしました。賛否両論あるだろうと予想していましたが、変革の必要性を感じている社員が思いのほか多いことがわかり、それなら思い切ってやってやろうとなったわけです。特に変革の必要性を強く感じているのは若い社員だったので、20代の社員だけを集め「ぴちぴちサークル」というざっくばらんなブレストの場を設けました。今の時代に即したさまざまな意見が飛び交い、それを機に社員を巻き込んでの変革がいよいよ動き始めました。
うちはメーカーなので、やはり作るところからということで、まず新商品開発に着手しました。今まで見たこともない商品を開発してやろうと、第一弾として世に送り出したのが「激熱」です。広島を意識した真っ赤なボトルと真っ赤なラベル。燗酒にすると激烈にうまい酒というコンセプトで数量限定・地域限定で販売を開始したところ、これが大変好評で、販売店から増産の要望があがってくるほどです。これには営業サイドも手ごたえを感じたようで、売れない不安から売れる自信へと変わってきています。
実はこの商品、2年目の女性社員の起案によるものなのです。マーケットとリンクできる世代が動くことで、会社全体が活性化するきっかけとなりました。ワクワク企画室も、さらに度肝を抜く商品を開発しようとますます盛り上がっています。初心者向けの低アルコール商品やソーダで割る日本酒など、商品の顔つきや飲み方提案も含めて、アイデアは尽きません。
商品開発以外ではリブランディングの観点で動き始めました。千福は西日本での認知は大変高い商品なのですが、実はそれは一定以上の年齢の方に限ってのこと。「千福一杯いかがです~」のCMを実際に見た若い人はほとんどいないのです。今年で101歳を迎える千福のリブランディングを図るため、今CMを作り直しています。千福の名前の由来は、初代三宅清兵衛の母「フク」と妻「千登」からとったものと聞いています。その基本コンセプトに立ち返り「百年、大切な女(ひと)を想い続けた酒」というところを打ち出していく予定です。それによって女性などへもファン層が広がればと思っています。
放映はまずは地域限定ですが、そのうち全国で流れることもあるかもしれません。ホームページについてもリニューアルし、10月1日より公開しています。
組織の立ち上げから半年、まだ発展途上ではありますが、来期に向けさまざまなプロジェクトが動き始めた状況で、僕自身ワクワクしています。
――一般的に、変革は社内プレゼンが難しいイメージがありますが、いかがでしたか?
清史氏:権限移譲といいますか、そのあたりは社長の器が大きくて助かっています。「激熱」も今までの千福のイメージを逸脱するものだったので、社内の重鎮などからは「ちょっとこれは…」という意見もあったのですが、そこは社長の後押しのおかげで開発に踏み切ることができた。これがこけていたらシャレにもなりませんが(笑)、思い切ったことをするには決断力が必要だと学ばせてもらいました。開発にあたっては、2年目の女性社員に商品開発を任せたのも社長、社内では、商品開発部長!と呼ばれております。若い社員の士気も一気にあがったのではないでしょうか。
CM制作にあたっては、広告代理店との打合せの場で「清史にまかせる」と一任されて。正直、自分では動かしたことのない金額だったので驚きましたが、逆に身の引き締まる思いで、責任を全うしようという気持ちが強くなりました。
――社長から見たワクワク企画室は期待どおりでしょうか。
清嗣氏:実は私も以前から赤いボトルで酒を造ってみたかったのです(笑)。そういう意味では、期待通りでもあり、思ったより大きな提案を持ってくるなという印象です。私自身、以前から新商品のアイデアはいろいろあり、その都度、種は撒いてきました。種を育て実らせる具体的な提案と実行力、その部分に大いに期待しています。
CM制作に関しても、ちょうどよい頃合いなのだと思っています。CMに対する飢餓感のようなものも感じていたのです。たとえば、駅前などで千福の古いCMが流れると懐かしさに足を止める人や、初めて見たCMを面白がる若い人もいる。そんな光景を見ると、今がリブランディングの時だと直感しました。
また、アニメの世界では聖地めぐりという言葉がありますが、「この世界の片隅に」という映画は呉市が舞台で、あるシーンでは電信柱に「千福」の文字が見えるんですよ。なんの宣伝をしたわけではありませんが、日常にある風景のなかに千福があることを改めて知るきっかとなるわけです。そのあたりも今どきの世情とうまく絡めて、千福を尖らせていくきっかけにしてくれればと思っています。
来期に向けては、副社長を連れてくるという話もありましたが、日本人材機構の田部井さんの力を借りつつ立ち上げたこの「わくわく(ワクワク)企画室」が、その役割を果たしてくれるものと考えています。何より私としては、社内キャッチボールができる環境ができあがったことを高く評価しています。企画があがってダメだしをして、さらにブラッシュアップする。一般の会社なら当たり前のことかもしれませんが、老舗ゆえに一番変われずにいたのはその部分かもしれません。本当の改革に向けて、重い船体が動き始めたといったところです。
――改革の取り組みを通じて気づきがあれば、教えてください。
清嗣氏:まだスタート段階ではありますが、今まで見えていなかったものが見えてきました。身近なところでいうと、営業の日報の見える化システムを導入して、営業が日々どんな会話を誰としているのかというところも見えてきました。何かを変えるためには現状を正しく把握することが大切です。そういった意味では、この半年はウォーミングアップの期間。来期に向けて私もワクワクしているのです。
――今後、貴社が成し遂げたい目標・叶えたい未来についてお聞かせください
清嗣氏:お酒とは本来、人を幸福にするものなのです。食べて飲んで人は笑顔になります。笑顔のためのツールがお酒なのです。わが社では、デイリーに飲む普通酒の製造・販売を中心に従事してきましたが、それは今後もかわらず、日常的にもっと日本酒を愛用してもらえるよう、基本を忘れずに、日本酒文化を次世代までつないでいきたいですね。
また、社員にはこの会社に勤めてよかったと思ってもらいたい。そのためには、プライドを持って働いてもらえるよう、変化に適応する強さと柔軟さに磨きをかけたい。海外もそうですが、東京で売れるならまたいつでも東京に支店を出すのもありでしょう。組織はもっと流動的でよいのだと思っています。
業界全体でいえば、日本酒の需要の底上げは私どものような老舗酒蔵の使命だと思っています。現在日本には約1200の酒蔵がありますが、その酒蔵が一丸となって「日本酒復活ワクワクプロジェクト」のようなものを立ち上げて、日本酒のイメージアップやマーケットの拡大を推進していけたら面白いですね。自分たちの企みを、業界全体を巻き込むムーブメントに発展させるのが理想です。
呉市発の変革が、広島の変革につながり、日本酒業界全体を変えていく。いずれは、海外を含めたあらゆる人々の生活のなかに日本酒が存在する。そんな未来の構築が我々の目標です。
株式会社 三宅本店
「千福一杯いかがです~♪」でおなじみの三宅本店は、安政3年(1856)に創業し、今年161年目を迎えます。千福の名前の由来は、初代三宅清兵衛が、女性の内助の功を称え、母「フク」妻「千登(チト)」の名をとり酒銘と致しました。「百年、大事な女(ひと)を想い続けた酒」でございます。また、戦艦大和に納品され、海軍御用達のお酒として全国に広まり、海軍からは赤道を越えても品質が劣化しないという証明書を表彰され、当時から品質には力を入れてまいりました。皆様に愛されるお酒を常に提供させて頂くために、日々精進して参ります。
- 住所
- 〒737-0045 広島県呉市本通七丁目9番10号
- 設立
- 1856年7月2日
- 従業員数
- 61名 ※2017年9月現在
- 資本金
- 3,500万円
1856年 |
創業 屋号を地名にちなみ「河内屋」と称す(味醂・焼酎・白酒製造) |
1902年 |
清酒醸造に着手する |
1906年 |
「明治庫」移築・増築 |
1916年 |
「千福」が商標登録を受ける |
1924年 |
全国に先駆け四季醸造蔵「大正蔵」竣工 |
1939年 |
「株式会社 三宅本店」と社名を変更 |
1940年 |
「三宅産業 株式会社」を設立 |
1945年 |
空襲により全家屋、社屋、酒蔵を焼失 |
1946年 |
「昭和庫」が完成 |
1953年 |
池田勇人元首相が命名した「呉宝庫」が完成 |
1957年 |
千福愛飲家の集い「福の会」発足 |
1970年 |
サトウハチロー作詞「千福いっぱいいかがです~♪」でおなじみのCMを佐良直美の歌で吹き込む |
1980年 |
紙容器「ふくぱっく」1.8Lを新発売 |
1981年 |
カップ型紙容器「Vパック」180mlを新発売 |
1988年 |
大型仕込蔵「吾妻庫」竣工 |
2001年 |
芸予地震により、「昭和庫」、「大正庫」が大きな損害を受ける |
2003年 |
新製品工場「酒工房せせらぎ」が完成 |
2006年 |
「ギャラリー三宅屋商店」オープン |
2011年 |
東京港区新橋に「脱藩酒亭」オープン |
2016年 |
創業160周年千福生誕100周年を迎える |